1-10 魔獣のギフト
それからはこれまで以上に積極的に狩りをした。魚だけでもかなり食糧事情は安定していたが、食料は多いに越したことは無い。何より、アドエルは魚より肉派だった。
以前に発見した風矢の魔法は期待した通り狩りで大活躍であり、ウサギであれば一発で狩ることができた。イノシシや狼でも数発当てれば動けなくなり、これまででは考えられないほど安全に狩りをすることができた。
難点としては魔法を発動したときの破裂音が大きすぎて、初弾を外してしまうと全力で逃げられてしまうという点と、魔法を当てると1cm程度の傷ができるため、そこからの出血が多いという点であった。
ここで予想外に役立ったのは吸引魔法で、獲物を持つだけでなく、吸引している間は出血した血も吸引でき、獲物を川まで運ぶ時に血痕を残さずに移動できた。また、吸引している事で出血量が増えており、川まで運ぶ間にも血抜きができ一石二鳥であった。現時点ではウサギ程度しか持ち上げることができない事は難点であったが。
また、狩りをしていて気が付いた事があった。
傷ついた獣の体内ではアドエルと同様に”微弱な魔力”が発生しており、死ぬと”微弱な魔力”はもう発生しなくなる。これまでは獲物が死んだかよくわからなかったが、魔力を見れば一目瞭然であることがわかった。魔力とは偉大である。
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ある日の晩、アドエルはいつものように木の上で待機していた。
狩りの時もそうだが、魔力を感じる事で周囲を観察できるようになってからは、生活にかなりの安心感を感じていた。月明り頼りの視界の悪い薄暗い森も、魔力的には昼間と変わらない。
そんな落ち着いた空気の中、30m程遠方に小さな冷たい魔力を感じた。
こんな遠方でも魔力を感じるという事は、実際の魔力はアドエルの何倍も大きい。
つまり魔獣だ。
アドエルは逃げるかこのまま身を隠すか迷ったが、音を立てるのは怖かったのでとりあえず魔獣が去るまで身を隠すことにした。
すると、隠れ家から10m程度の距離に、更にいくつかの魔力を感じた。目視することは出来なかったが、これは多分狼であった。
魔獣は狼に気が付いているのか、徐々に狼の方へ歩みを進めている。逆に狼たちは気が付いていないようだった。狼まであと数mとなったところで魔獣の魔力に変化があった。
今までに見たことも無い鼓動の魔力が溢れ出ていた。
次の瞬間、魔獣の魔力が大きく移動した。狼に向かって全力で走っているのだろう。魔力は地面を経由して感知しているため、飛び跳ねられると空中に浮いている間は魔力を感じることが出来ない。
魔力を感じる事で魔獣が移動していることはわかるが、不思議なことに足音などの音は一切聞こえない。数秒もせず魔獣は狼の群れに接触した。
『キャワ・・・ウゥゥン・・・』
複数の狼の声が僅かに聞こえ、静かに消えていった。魔獣は一瞬で狼3頭を仕留めたのであろう。
そこで魔獣の魔力にまた変化があった。
先ほどの不思議な鼓動は魔獣の魔力中心に吸収され、代わりに”発動する魔力”と”微弱な魔力”が大量に発生していた。何をしているのかは見えなかったが、魔力から魔獣と狼はとても近くにいることはわかった。
そして、魔獣の”発動する魔力”が一気に消失し、次に”微弱な魔力”が消失していった。
驚いたのはこの後であった。狼の魔力が移動し、魔獣の魔力と重なり、魔獣の魔力が増大したのだ。
魔獣が狼を食べたのかと思ったが、それにしても重なる速度が速く、まるで魔力を吸い取っているようだった。一般に、食べ物であっても微小な魔力を宿しており、それを食べれば徐々にその魔力は吸収されるが、その吸収速度は非常に遅い。
そして、普通に食事により魔力を吸収する場合は、その吸収は最大魔力までしか吸収できない。
魔獣の魔力が既に減少しており、最大魔力は更に大きいという事も十分考えられたが、それにしても吸収速度が早すぎる。そのまま魔獣は他の2頭の狼からも魔力を吸い取っているようだった。
いったい何が起こっているのか。
アドエルは目を凝らしたが、魔獣の姿は一切見えない。
何か特殊な能力を持つ魔獣だったのだろうか。
あまりの驚きにアドエルは恐怖心を忘れていた。
その後魔獣は森深くへと立ち去って行った。アドエルは見つからなかった事に胸を撫でおろしつつ、魔獣が宿していた不思議な鼓動を思い出していた。簡単な鼓動であったが、これまで使っていたどの鼓動とも違う。音に注意しつつ、アドエルはその鼓動を木に書き留めた。
翌日、アドエルはその不思議な鼓動を作り、手に移動させてみた。
その鼓動の魔力は特に移動に制限があるような感じは無かったが、不思議と他の魔力の何十倍もの速度で自然消滅していった。
一つの”弱い魔力”は概ね1日程度で自然消滅するのに対し、この、”弱い魔力”を重ねて作ったその鼓動は数分で消滅してしまった。
ただ、その魔力はただ単に消滅しているわけではないようだった。魔力が消滅するまでのその数分間、アドエルはこれまでに感じたことのない感覚を手に感じた。
特に風が吹いている雰囲気も無いにも関わらず、手では敏感に風の流れを感じ、熱を感じ、心なしかいつもより動かしやすい。別に日頃から手が動きにくいわけでは無いが、恐ろしくスムーズに動く気がした。端的に言えば手の感覚が研ぎ澄まされたと言うべきか、それでも手が動きやすいことの理由はよくわからなかった。
それから、その魔力の鼓動を手から様々な場所に移動させてみた。足に移動させると、これまでより走るのが速くなり、ジャンプできる高さも上がった気がする。
最もよく変化が分かったのは目に移した時だった。周りの景色が今まで以上に鮮明に感じられ、落ちる木の葉や川の流れがより滑らかに、まるでスローモーションを見ているように感じられた。
耳に移すと川の流れる音すら煩わしく感じる程よく聞こえ、様々な音を聞き分けることも出来た。川に居る魚が吐く水泡すら鮮明に聞こえた。
この魔力の効果は素晴らしいの一言であった。それと同時に魔獣の強さも実感した。
(こんな力があるなら隠れたって絶対無駄だぞ……息しただけでバレる……)
ではなぜこれまで見つからなかったのか。
見逃されていたと考える方が自然だった。
魔獣の能力はわからないが、仮に数十mの距離があっても見つけてきそうだ。そう考えるとアドエルはじっとしていられなかった。すぐにでもこの魔力を使いこなし、最低でも魔獣から逃げれるようにしなければ。
そしてアドエルは走り、飛び、即座に木の上に退避できるよう訓練をした。自分の体であるにも関わらず、あまりにもこれまでと勝手が違い、何度も木に衝突し意識を失いかけたが、その甲斐もあって森での効果的な移動方法が身についてきた。
森の中は木が生い茂っているため、基本的に真っすぐ走ることは少ない。細かく方向転換をし木を避ける必要があったが、この方向転換は自分の足でするより風魔法を使った方が遥かに機敏にできた。木にぶつかりそうになった時も風魔法を木に当てれば、体をそらすことが出来る。
逆に他の木に吸引魔法を使えばそちら側に引っ張られるので、木を躱したり、枝を掴んだりする時には便利だった。木を登る際にも吸引魔法はとても優秀で、体と魔法の効果的な連携を学ぶことができた。
視覚が強化された状態での移動は本当に不思議な感覚であったが、運動能力や聴覚以上に視覚は強化されているようだった。
そのため、見えてはいるが動きが追いつかない事も多々あったが、木の枝からヒラヒラと舞い落ちる木の葉を掴むことや、逃げるウサギを捕まえる事、複数の小石を上に投げ、それをすべて掴み取る事など、これまでであれば到底できなかったであろう事ができるようになった。魚が跳ねた瞬間にそこに移動し、魚を捕らえるなんてことは流石にできなかったが。
また、早すぎて全く見えなかった風矢の魔法が見えるようになり、どこに飛んでいるのかはわかりやすくなったが、発動時の破裂音が爆音と感じるようになってしまったため、耳にこの魔力を置いている時はこの魔法は使わないと心に誓った。
ただし、この”身体強化の魔力”は常時魔力を消費するため、今のままでは長くはもたない。他の魔法と併せて使うのであれば尚の事だった。やはり魔力量を何とかしないと、現在の危うい状況を打破することは難しそうだ。
いつもであれば頭を悩ませる難題であるが、本日のアドエルは小さな希望を持っていた。
それは先日の魔獣から得られたもう一つのギフトだ。魔獣は狼から何かしらの手段で魔力を吸収していた。
どうやって回収したのかはわからなかったが、そのヒントとなるのは”微弱な魔力”と”発動する魔力”だ。
この二つの鼓動を駆使することで、自分の魔力以外も回収できる可能性がある。もしかしたら、魔獣特有の能力や器官が必要である可能性もあるが、やってみる価値は十分だった。
その時の魔獣の魔力から、”発動する魔力”が一気に消失した後に”微弱な魔力”が消失していたことは覚えている。
魔力量としては遠距離からでもわかる程には大きな魔力だったため、普通に自分の体内で再現した場合には、傷が生じ、それを治癒するというだけになってしまうだろう。つまり、少なくとも”発動する魔力”は自分の中だけでなく、魔力を吸収される側の方でも発動する必要があるのではないかと考えた。
しかし、不思議なことに、”発動する魔力”に”外で発動する鼓動”を付け加えたような鼓動の魔力を魔獣は使っていなかった。これでは、自分の中でしか魔法が発動しない。
加えて、基本的に魔法が発動するのは”鼓動するモノ”と空気中の境界面からであり、これは”発動する魔力”であっても同様である。つまり、仮に魔力を吸収したい物に触れた状態では、その接触面では魔法が発動しいないため、発動できるのは接触していない部分という事になる。
それではどういう状況で魔法を発動すればいいのかと、かなり悩んだが、とりあえずは黒石で試してみることにした。
”発動する魔力”は思った通り黒石との接触面では発動せず、思っても無いところから発動した。どうやら接触面を避けて発動するようだ。
そして、魔力の中心から”微弱な魔力”が発生し”鼓動するモノ”を修復したようで、消滅した。
そう言えば、この点も不可解であった。
本来、”微弱な魔力”は”鼓動するモノ”が傷つけば勝手に発生する魔力だ。なぜ魔獣は事前に”微弱な魔力”を用意していたのか。
そしてもう一つ。
なぜ大量の”発動する魔力”が消費された後に”微弱な魔力”が消費されたのか。
通常であれば魔法を発動した途端に”微弱な魔力”が発生し、消費される。順序的に魔力が消費されていたという事は、魔獣が意図的に操作していたと考えられる。この順序にも意味がありそうだ。
とりあえずは”発動する魔力”を使って、接触面で魔法を発動できないかと考えてみた。魔力を移動させるには接触している必要があるため、接触面で何かしらの魔法が発動できる事が鍵かと考えたのだ。
適当に色々と試してみると、その鍵穴はすぐに見つかった。
自分の”鼓動するモノ”と黒石の”鼓動するモノ”の境界を挟み込むように”発動する魔力”を配置するといとも簡単に魔法が発動できた。
通常であれば空気中に対してしか魔法を発動できないはずなので、挟み込む配置によって、それと似た状況を模倣できたのだろうか。発動後は自分と黒石の双方から”微弱な魔力”が発生していたことから、双方向から魔法が発動し、”鼓動するモノ”が消失したという事は確かであるようだった。
次に、”発動する魔力”の魔力量を増やしてみた。傷が出来ることを覚悟して試してみたが、その覚悟は無駄となった。
(ケガしない……石も割れない……)
魔力量を増やしたことで”発動する魔力”を移動させることができない空間は確実に大きくなっており、これまでなら傷ができていたはずだ。それでも傷ができる事は無く、黒石もひび割れることは無いのは接触しているからであろうか。
アドエルは思い切って、黒石から手を放してみた。
(痛っつつつ……)
その瞬間に黒石はひび割れ、アドエルの指先から血が流れた。手を放す前にも覚悟をしておくべきだった。
傷を治し、もう一度黒石で試してみる。
今回は事前に”微弱な魔力モドキ”を”発動する魔力”と同じように黒石にも大量に配置しておく。
そして一気に”発動する魔力”を発動する。その後、”微弱な魔力”が発生したのを確認し、用意しておいた”微弱な魔力モドキ”を移動させ、消費されなくなるまで送り続けた。
その結果、待望の黒石が本来宿す魔力を回収することができた。アドエルには何が起こっているのかさっぱりわからなかったが、自分の魔力のように、黒石の魔力を移動させることができたのだ。
しかし、黒石が持つ魔力は木の葉よりは大きいが貧弱であるため、魔力を吸収したことで自分の魔力が回復したかどうかはよくわからなかった。そして、魔力をすべて失った黒石は朽ち果てた。
アドエルはこの時気が付かなかったが、これはアドエルにとって初めての魔力的接触だった。
物質的な接触とは違い魔力的接触は”鼓動するモノ”同士の接触を意味し、互いの”鼓動するモノ”を切り開き、再び縫合する事でのみ達成される。
これは非常に危険な行為であり、”鼓動するモノ”を繋ぐことで互いの魔力は双方の意思に従うこととなってしまうため、下手をすればアドエルの魔力を全て吸収されてしまう恐れもあったのだ。
ただし、アドエル以外に意図的に魔力を吸収する術を知る者が居れば、の話だが。