84.『アイツ』
ジークフリート視点
夜風に混じるヴィクターの荒い息遣いに、ジークフリートは模造剣を構え呼吸を潜めた。
何度も打ち合えばわかる。仕掛けてくるタイミングも、間合いも完璧だ。夜目も効いてきてるのか、反応速度も上がってる。ヴィクターは少しずつではあるが確実に強くなっている。
だが──。
彼が跳んだと同時にジークフリートもまた跳ぶ。鼻先が掠めるほどに接近し、離れた。
背後で膝を付き、肩で息するヴィクターに「今日はここまでだ」とタオルを投げた。
「やっぱ……隊長には……かなわねぇっス……!」
「お前も腕を上げている」
「いやまだっス……花祭りの、剣術大会は、隊長の優勝間違いなしっスね」
口先だけの世辞など聞いてもあまり気持ちのいいものではないが、ヴィクターのニカッとしたいい笑顔で言われると、毒気を一気に抜かれる思いがする。
ヴィクターはすぐには立ち上がれないようだ。息切れしながらタオルでしきりに汗を拭っている。
ここ最近──正確にはアルティーティとヴィクターの喧嘩から──消灯時間間際まで、彼の個人指導をしている。
よほどアルティーティによけられまくったことが悔しかったのだろう。ヴィクターの方から言い出してきた。
強くなるならばいい、と了承したが、「いつかアイツを越える。そして一発入れる」と息巻くヴィクターに、思わずアイツは女性だぞと言いかけた。
言わなかったのは、アルティーティが追い出されるからというのもあるが、言えば逆に燃えそうなタチだからだ。
ライバルとしても、異性としても。
「……それにしても、アイツ、やべーっスね……撃った矢、毒牙狼に全部的中させてましたよ」
またか。
ジークフリートは気にしないそぶりで短くうなずいた。
ヴィクター自身、気づいているのかいないのか。こんなふうに、アルティーティの話題を出してくるのも一度や二度ではない。もはや『アイツ』でわかってしまうのも恨めしい。
それほどにヴィクターは彼女を見ている。その視線がただの同期を見る視線ではないと、ジークフリートは気づいていた。
最近では大盾の練習もしているらしい。手練ればかりの遊撃部隊で防御を担う理由はひとつだ。弓騎士を守る。わかりやす過ぎて頭を抱えた。
彼女の正体を知らずとも、無意識に惹かれているのかもしれない。
唯一の救いは、ヴィクターが自身の気持ちに気づいてないことだ。気づいたらさぞ悩むことだろう。男色の気があると勘違いでもしそうだ。
「そういやアイツの弓、引かせてもらったことあるんスけど、めちゃくちゃ軽いんスよね。それであの矢の勢いと的中率……なんか魔法みたいっスよね」
魔法、の一言に目を瞑った。
同室のカミルに似て勘がいいのか、時にヴィクターは核心をつくようなことを言う。カミルは客観的証拠を揃えた上での推測だが、ヴィクターのそれはなんとなくだ。野生の勘と言っても差し支えない。
本人は芯をくった話をしているとは気づいていないところがまた、困ったところだ。知らず知らずのうちに相手の地雷を踏み抜くタイプと見た。
(しかし……魔法、か……)
彼女の魔力は大属性のどれでもない──ジェレミについ数時間前に言われたことだ。
そのせいか結局、魔力操作訓練どころか魔力の出力すらうまくできずに初日が終わった。彼女は気丈に振る舞ってはいたが、気にしてるのか言葉少なに部屋に戻っていった。
風邪を一晩で治し、訓練を楽しみにしていたであろうアルティーティは、目に見えてガッカリしていた。
上官として、励ましの言葉ひとつ送るべきだっただろう。だが、騎士として日々成長している彼女にかける言葉の方向性として、違和感を抱いたのもまた事実だ。
変に励ませば彼女のことだ。無理に笑うに決まっている。ずっと見てきたジークフリートには、口元だけのぎこちない笑みを容易に想像できた。
それが果たして彼女のためか──。
「……弓騎士だからな。それくらいできないと困る」
未だ判断つかぬまま、「また明日な」と彼女に言った言葉をヴィクターにもかけると、星の瞬きが見え隠れする空に視線を送った。




