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83.魔力が……ない?

「魔力が……ない…………?」

「正確には属性魔力がない、だよ。お嬢ちゃん。アタシが言うんだから間違いないよ」


 目を丸くしたアルティーティに、ジェレミ・ダクエルは指を振った。

 

 短いタンクトップとホットパンツからのぞく小麦色の肌が眩しい。黒々としたサングラスが、ここは真夏のビーチかと錯覚させる。


 見るからに健康的な彼女はジークフリートの魔法の師匠だ。


 見た目は彼より年下、だがジェレミは魔導師の中でも一握りのいわゆる大魔導師だ。彼女に師事したことでジークフリートも飛躍的に魔法の技術が上がったという。


 そんな彼女は一応、この国の魔導師団に所属しているらしい。らしい、というのは魔導師団に滅多に顔を出さないからだ。もし見つけられたらラッキーというレベルのレアキャラ扱いをされているとかいないとか。


 各国が彼女を引き込もうと躍起になっているらしいが、当の本人に交渉するどころか見つけ出すことすらできていない。

 王都のスラム街はるか地下深くに居を構えているのも、下手に人里離れた山奥に住むよりも人に紛れて逃げやすいからだとジークフリートは言っていた。


 普通の人では知り合うどころかすれ違うことすら難しい人物と関わりがあるなど、潜入調査で暗躍することも多い遊撃部隊ならではなのかもしれない。


 その健康的引きこもり大魔導師所有の地下訓練場を貸してもらうついでに、属性鑑定をしてもらったのだが──。


 魔力があるやらないやら言われ、アルティーティは混乱していた。混乱ついでに足元の何かにつまずき、わずかによろめく。


「……っと、大丈夫か?」


 ジークフリートに体を支えられる。ふわっと香るいい匂いや、不意打ちで耳元で聞いてしまった低く甘い声に、思わず「だ、大丈夫デス! 鍛えてますカラ!」と声が裏返った。


「鍛えてる……とはいえお前は病み上がりだ。もしまだ本調子でないならまた後日にしてもいいんだぞ」

「イ、イエ! わたしは元気デス!」

「……そうか。気をつけろよ。一見ガラクタだが中には国宝級の魔道具もあるからな」

「こっ……こくほう……っ!? これが!?」


 アルティーティが目を見開き、足元の魔道具をまじまじと見つめるのを、ジークフリートがかすかに笑みを浮かべながら見ている。

 その様子を、ジェレミが「へぇ……あの戦闘バカが」とニヤニヤしながら見ていることも知らず。


「ジェレミ、多分だが、属性魔力の意味をわかってないぞ」

「え? そうかい?」


 ジークフリートの言葉に、アルティーティはこくこくとうなずいた。


「なーんだ、それならさっさと言いな。っていっても、アタシも属性魔力がないヒトを見るの、初めてだから推測も混じるけどね」


 肩をすくめたジェレミは、近くのチェストらしきものに腰掛けた。


 狭い部屋のそこかしこに実験器具や本が散らばっており、座れそうなのはそこと大きめの机くらいだ。散らかり放題の部屋の中、そこだけは布がかかっているあたり、この人机の上で寝ているのかもしれない、とふと思った。


「魔法の大属性は知ってるかい?」

「ええと、四つ、でしたっけ?」


 士官学校で習った……気がする。


「その通り、地、水、火、風の四つ。それらをそれぞれ極めたり魔力を増幅すると回復、氷結、光熱、波動へと派生していく。上級魔法ってやつだね」


「……ってことは、回復魔法って実は地属性なんですか?」

「そういうこと。だから回復魔法持ちの魔導師は少ないんだよ。でも地属性持ちの魔導師なら誰でも扱える可能性がある。そこの弟子のようにね」


 指をさす先にはジークフリートが少しばつの悪そうな顔で壁にもたれていた。


(弟子のように……って……)


「使えるんですか?」

「……俺のは白馬に増幅してもらってやっと使えるだけだ。俺ひとりでは使えん」

「弟子は地属性はそこまでジョーズじゃないからね。ま、それはいいとして、大体の魔導師はその大属性のどれかの魔力を持っているわけ。『魔女の形見』であっても例外なしだ。ここまではいいかい?」


 こくり、とうなずくと、ジェレミは満足そうに笑った。


 カラッとした笑顔だが、誰かに似ているような気がする。気のせいだろうか。


「で、お嬢ちゃん、アンタは属性魔力がない。これは決定事項だ。アタシの鑑定はハズレなしだからね。でもアンタは魔力を人より多く持つ『魔女の形見』。何かしらの魔力は持っている。これも決定事項だ。つまり、属性不明の魔力だとアタシの鑑定では出ていることになる。ところでお嬢ちゃん、今何歳だい?」


 どう見ても年の近そうなジェレミに「お嬢ちゃん」と言われても違和感しかない。


「15です」

「今まで暴走したことは?」

「暴走、ですか? たいちょ……ジークフリート様にも聞きましたが、どんなものなのかよくわからなくて」


「んー……本人の気がついてない範囲で暴走したと考えると……たとえば、起きたらベッド周りが川になってたとか、地面がボコボコに穴開いてたとか、近くの山が火事になってたとか、自分から発する風のせいで誰も近寄れないとか、大小そういう類の変な出来事が身の回りでなかったかい?」


 神妙な顔で聞かれ、考え込む。


 子供の頃は塔から見た風景しか覚えていないが、それらも含めてそんな変な思い出はない。

 あるのは旅で楽しかったり、『魔女の形見』のおかげで少し悔しい思いをしたり、そのくらいだ。


 ……そのくらい、だったと思う。


「……ない、ですね。覚えてる限りでは」


「ない? 珍しいねその年齢で、しかもその魔力量で、かい? 普通なら二、三回暴走して山の一つや二つ消してそうだが……知らぬ間に遠隔地で暴走している……? いや災害級の魔力でそれは……でもうーん……」


 ジェレミは口に手をやると、聞こえる程度にぶつぶつと考え込んだ。


 丸聞こえだが独り言らしい。


 どうやらジェレミは、属性鑑定に加え魔力量も見ただけで測定できるようだ。もちろん、そんなことは普通の人間にはできない。ジークフリートですらできないと言っていた。


 特別な魔道具を使わないと魔力は量も属性もわからない、と。


 だからこそ、アルティーティは男として騎士団に潜り込めた。見るだけで魔力があるか分かるような目を普通の魔導師が持っていたら、士官学校入学の時点で女だとバレている。


 それを特に道具も使わず見抜いているのだ。さすが大魔導師。規格外の存在といったところか。


 なにやら災害級とか物騒な言葉が聞こえた気がするが、そこは聞かなかったことにしたい。


「……となると、怪しいのはそれだね」


 ひとしきり思考を巡らせ終わったのか、ジェレミは部屋の一角を指した。


 あるのはガラクタ……に見える魔道具たちを避けるように立てかけた一本の細い棒──アルティーティの弓だ。


 騎士でも稀有な魔法剣士、ジークフリートが直々に魔法の特訓をつけてくれる。

 こんなことを言われて胸が昂ぶらない騎士はいない。アルティーティもまた然りだ。


 もし訓練が少し早く終わったら魔法を利用した実戦訓練もできるのでは、と念のため弓を持ってきたのだ。


「弓、ですか? でもそれ普通の弓ですよ?」

「ちょっと黙りな」


 ピシャリと言い放つと、ジェレミはルーペを取り出し弓を近くで観察し始めた。


 ただでさえ地下で暗いのに、サングラス越しで見えるのだろうか、と疑問に思うがジークフリートが何も言わないのでこれが彼女の平常運転なのだろう。


 アルティーティの背より少し長い弓は、クネイという木で作られている。


 クネイはどこにでも生える。しなやかで、それでいて丈夫。細い枝も折れにくい。その特徴から、初心者から上級者まで弓といえばクネイと言うほどだ。


 この弓もまた、特別なものではないはずだが──。


 しばらくルーペをかざしていた手を下ろすと、ジェレミはため息をついた。


「…………はぁこりゃたまげた。普通の石ころみたいに見えるようにしてるけど、てっぺんの石、こいつは吸魔石だね」

「きゅうませき?」

「魔力を吸う魔石だよ。魔導師の持ち物には向かないシロモノだけど、『魔女の形見』が持つなら話は別だ。こいつが魔力を吸うことで体内に魔力を溜めないようにしてるのか。発動条件は多分、弓を持ったらだね。持ち手……握りと連動してる。考えたもんだ」


 すごいじゃないかお嬢ちゃん、と肩を叩かれた。何か勘違いされている。その弓は貰い物なのだ。


「それは……師匠が作ってくれたものです」

「へぇ、そうかい。師匠の名前は?」


 ジェレミの問いに一瞬詰まった。師匠は流浪の身だ。聞いても何も教えてくれなかったが、何か事情があるのは察せられた。


 故にあまり師匠のことを他人に教えたくない。迷惑がかかってしまうかもしれないからだ。


 しかし、名が知れたとしても師匠とはそう簡単には接触できない。たとえ弟子のアルティーティであってもだ。


「タツ、と聞かされましたが、行く先々で名乗る名前が違ってたので本名かどうかまではわからないです。今どこにいるかもわかりません」

「タツ、か……魔道具界隈でも聞かない名前だね。だけどこいつは一級品だよ。この発想と技術力は大したもんだ。国宝級とも言っていいね」


 なんと、足元だけじゃなく手元にまで国宝があるとは。


 アルティーティが「こ、国宝ですか……そんな、困っちゃうなぁ」とモゾモゾしていると、「……なぜお前がテレる」とジークフリートにツッコまれた。


 その様子を目にしたジェレミがクククッと笑いを噛み殺す。


「ああ、コイツがあるからお嬢ちゃんは今まで暴走してないんだと思うよ」


 改めて弓を見る。荒く削っているのか、吸魔石は遠目から見て全然目立たない。アルティーティすらずっとそんな細工がされてるとは気づかなかったほどだ。やはりなんの変哲もない木弓にしか見えない。


 だがアルティーティにとって、今までもこれからも大切にしていきたい弓だ。


(考えてみれば、師匠って危険なところには絶対近づかなかったなぁ。『魔女の形見』に友好的な人里を選んだり、大きな町を迂回したり、慈聖教の教会なんて絶対近づかなかったもんね……もしかしてわたし師匠にすごく大切にされてた…………って、あれ?)


「ということは、弓があるなら魔力操作しなくてもいいんじゃ?」

「いやそれは要るね」


 即答するジェレミにアルティーティは首を捻る。よく見ればジークフリートも「要るぞ」とばかりに肯首していた。


 なんで?


「吸魔石だってそこまで万能じゃない。吸える量に限度がある。もしこの先、吸魔石が限界になったら、お嬢ちゃんの魔力は吸魔石に今まで吸われてきた分も上乗せして暴走する。そうなったら止められるヤツはいない」

「え、でもジェレミ様は」


 大魔導師様じゃ……と言いかけたところで肩をすくめられる。


「無理だよ。見たところ魔力量で言えばアタシよりはるかに上だから、アタシがたとえ10人いても無理。そこの弟子も止められない。勝手に暴走がおさまるの待つだけしかできないだろうね」

「えぇ……わたしの魔力そんなに強いんですか……」

「そ。だから操作は絶対取得した方がいいよ。そのタツって師匠が()()()に立ち会えるわけじゃなさそうだしね」


 アルティーティは呻いた。ジェレミの鑑定結果が本当なら、たしかに吸魔石頼みにしてていい話ではない。


 だが急に「お前の魔力はすごいんだぞ」と言われても、魔力についてあまり深く考えたことがなかったアルティーティには実感が湧かない。むしろそう言われたことによって尻込みしてしまった。


 そんな大きな力、本当に自分なんかが操れるの? と。


「大丈夫だ。地味だがそこまで難しい訓練じゃない。俺もついてる」


 なんでもできる男に簡単だと言われてもなぁと、アルティーティは内心毒づく。ジェミニが「いやアンタ、習得にひと月かかるヒトもいるからね。難しくないわけじゃないよ」と呆れたように付け加えてる。ほらやっぱりね。


 しかしもしこの魔力が暴走したら大変どころの騒ぎではない。


 それに、もしかしたらジークフリートのように魔法を使いながら戦えるかも、と思うと悪くはない。


 属性魔力がないということは、もし変な魔法を使ってもそれが魔法だと気づく人が少ないということだ。うまくいけば不思議な現象で済まされるのではないか。よしんば魔法だと気づかれても、アルティーティが放ったものだと特定されることもないだろう。


 うん、もし気づかれても隊長の新たな魔法ってことにしよう。実践で使うことも想定しての魔力操作訓練なはず。


 ……想定、してるよね?


「ありがとうございます、頑張ります」


 心の内でそんな問答が繰り広げられたとは知らず、アルティーティの答えにジークフリートもうなずいた。


「さて、ここからはアタシの憶測だけど……」


 ひとしきり調べ終えたのか、満足した様子でルーペをしまったジェレミは振り返る。


「お嬢ちゃんは大属性以外の魔力、おそらく古の魔力を持っている」


(……いにしえの魔力……?)


 アルティーティは首をこてりと傾けた。見ればジークフリートはかすかに目を見開いている。どうやら彼は古の魔力とやらを知っているらしい。


「大属性以外って……そんなのあるんですか?」

「たとえば聖属性や闇属性なんかがそれだね。大昔、天使や魔族が使ってたって話だよ。一説じゃヤツらと交わって生まれた一部のヒトもそれっぽい魔法が使えるようになったとかいうけど」

「わ、わたしの親は両方人間ですよ?」


 慌てて手を振ると、ジェレミも同意した。


「うん、お嬢ちゃんは違うだろうね。そういう古くさい人外の気配が魔力から感じられない」


(天使と悪魔捕まえて古くさいって……)


「なら、アンタは一体何者なのか。それは……」

「それは……?」


 こくり、と誰かの喉の音がする。


「わからないね」


 あっさりとした答えに思わずコケそうになった。


(いま絶対分かる雰囲気出してた気が……あれ? わたしの勘違いだった?)


 とはいえ、人外のものではないと言われほっとしたのは事実だ。幼い頃の朧げな記憶しかないが、優しかった両親がよくわからない人外であるとは思いたくない。


 では一体、何者なのだろうか。


「……ジェレミ……」

「まぁまぁ、そう怒るな弟子よ。本人にもわからんものを他人のアタシがわかるわけがないがね。大属性でもない、神魔属性でもない。今のところわかるのはそれだけ。操るヒトが少ないだけで、古の属性はまだ他にもあるからこっちでも調べてみるがね」

「お、お願いします。……あ、でも」

「でも?」

「属性がわからないと操作の訓練できないんじゃ……?」

「できるが?」


 ………………はい?


「…………できる?」

「できるとも。魔法はイメージが大事だ。属性がわかれば練習しやすいってだけで、できないわけじゃないよ」

「そう、なんですか?」

「そうそう。たとえばお嬢ちゃんが火魔法の使い手だとして、魔法の基礎もなぁんにも習ってないアンタがちょっと魔法使ってみようかなと思った時に何の魔法を使おうとする?」


「……ちょっと火、出してみようかなぁ、くらいですかね?」


 ほんの少し間を置いた答えに、ジェレミはそれだ、とばかりに人差し指を向ける。


「それそれ。魔力を使おうというイメージではなく、火を出してみようってイメージを実際の魔法でもする。イメージが強ければ強いほど、具体的であればあるほど高火力になる。魔力消費も激しいし、イメージ通りいかないことの方が多いがね」

「なるほど」


「だから自分の属性がわかっていれば訓練がやりやすくなるし上達も早い。でもわからないからといって訓練できないわけではない。そんだけの話だよ」


 だから安心しな、と肩を大振りで叩かれる。高魔力の割に力はそんなにないのか、それともアルティーティが鍛えているからか、ジェレミのそれはぺちぺちと可愛らしい音しか鳴らない。


「よかったー……」

「しばらくはアタシも付き合おう。お嬢ちゃんの場合は……最初はなんか無害そうなモノをイメージしてやったらいいんじゃないかい?」

「無害かぁ……なんだろ、イチゴとか?」

「またお前……どれだけイチゴ好きなんだ……」

「あっはっは、イチゴ! そりゃ確かに無害だわ」


 脱力するジークフリートと爆笑するジェレミにつられ、アルティーティも笑みを浮かべた。

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