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79.瘴気討伐

 ──その剣の軌跡を気づけば目で追っていた。


 夜会の日からしばらく。王都の外れに魔物が出現したとの一報を受け、遊撃部隊の一部が駆り出された。


 魔物はごく少数だと聞いていたのだが、目的地の森に入った途端、群れに襲われた。


 見たところ毒牙狼(ポイズンウルフ)の群れ。その数ざっと50匹以上。


 対する遊撃部隊は馬に乗っているとはいえ6人。周囲は囲まれ圧倒的不利な状況──のはずだった。


 5分と経たず、毒牙狼の死体がそこかしこに転がっている。それほどに遊撃部隊の騎士たちは強かった。ジークフリートはその中でも群を抜いていた。


 しなやかに跳び回る逞しい体躯。燃える炎のように真っ赤な髪が、汗と共に煌めく。


 数の暴力を凌駕するほどの暴力。無駄な動きひとつなく、次々に魔物を仕留めていく彼の殺気立った眼差しが光る。


 もう隊長ひとりで殲滅できるんじゃないかな、などと思いつつ、アルティーティも弓で援護する。

 馬から降り舞を披露するように跳躍し、剣を振るう彼の背後を狙う毒牙狼を1匹、また1匹と確実に仕留めていくが……どうしても彼に目がいく。


 弓を構えながら、逆に胸を次々と射抜かれていくように鼓動が増していく。


 忘れようとしてもあの日の衝撃は忘れられない。イレーニアが実は婚約者候補なのではないかという不安も、ウルオーラになじられたことも、全部吹っ飛ぶほどの破壊力だった。


『誰でもいいなんて言うな。安心しろ。俺は余所見しない。お前だけを見てる。俺のそばにいろ、アルティーティ』


 真っ直ぐに見つめられ、手の甲に唇を──。


 アルティーティは振り払うように慌てて頭を振った。あれ以来、ずっとこうだ。目が合えば思い出す。合わなくても思い出しては赤面する。いつもよりほんの少し優しくなった彼の態度に、あの時言われたことが本当だったのか、冗談だったのかすら判別がつかない。なにせ少しでも考えれば何も手につかなくなるから。


 いや、敵前だというのに、集中しろ。深呼吸だ。赤くなるな。


 大量の死骸が転がっているが、毒牙狼たちはまだまだ続々と森の奥から出てくる。いくつか遠吠えも聞こえる。「ボスを倒さないと」と言ったのはカミルだったか。

 

 弓を構え狙い直そうとした──その時。


 グゥルアァァァ!


 咆哮と共に毒牙狼が飛びかかってくるのが視界の端に見えた。振り返った拍子に手にした矢を落としてしまった。避けるも新しく矢をつがえるも間に合わない。


「! アルト!」


 気づいたヴィクターが叫ぶ。が、彼や他の隊員もまた別の魔物と対峙している。連携など簡単にはさせてくれない。


 もう目前まで迫っている。自分でなんとかしなければ。


「……っ!」


 咄嗟に弓の先を突き出す。投擲が得意でもさすがに弓は投げられない。投げれば武器がなくなる。次襲われたら終わりだ。これで少しでも威嚇できれば。


 しかし毒牙狼は怯むことなく向かってくる。


 大きく開かれた毒牙狼の口がアルティーティの肩口めがけ食らいついてくる──。


 ギャィン!


 白刃が光り短い断末魔が響いた。


 ごう、と一瞬強く吹いた風に瞑った目を開くと、艶のある赤髪が鼻先を掠めた。襲いかかってきた毒牙狼は地に伏せ、痙攣で血溜まりに波紋が浮かぶ。


 瞬きのような一瞬で、これをやってのける人物はひとりしかいない。


「無事か」


 肩越しに視線を送ってくるジークフリートに、ただただうなずくと彼は軽く笑った。その少しの笑みでもアルティーティの胸は跳ねた。


「集中しろ。まだ来るぞ」

「は、はい!」


 鼓動を必死に隠しながら、アルティーティは再び矢をつがえ始めた。








 

 毒牙狼を倒し切った頃には、日が沈みかけていた。


「ジークフリート、瘴気の跡があったわ」

「極小規模、消失済」

「……ということは、もうこのあたりには魔物はいないな」


 本来の目的地であった森の奥まで偵察に入ったミニョルとアレスが同時にうなずいた。


(瘴気、この辺りにも湧くんだ)


 アルティーティは黒馬(クロエ)に乗りながら、ふたりの報告を聞いていた。


 瘴気は魔物の巣とも言われる。


 瘴気が湧くと魔物が湧く。魔物の強さは瘴気の濃さに比例するらしい。放置すると瘴気はどんどん濃くなるという。魔物のボスを仕留めれば瘴気は消える。ボスを仕留めない限り際限なく魔物を生み出し続ける。


 それが瘴気だ。


 それ以上のことはわかっていない。出現場所も時期も不明。予測も不可能。なぜ瘴気が出現するのかも不明。わからないことばかりだ。


 一時期は『魔女の形見』が瘴気を誘発してるとされ、魔女教弾圧に繋がったという。が、魔女教が廃れてからも瘴気は変わらず発生してる。恐れを身近な人間に押し付け冤罪を産んだ。非常に迷惑な話だ。


 そのため現状、魔物が出現してから対処するしか方法がない。

 今回はごく小規模の瘴気だったおかげで6人の騎士でも押し切れた。全員が気づかぬ間にボスを倒していたくらいだ。それほどに弱かった。


 まだ各地を流浪していた頃に瘴気を見たことがあるが、黒とも表現し難い禍々しい色合いの霧から次々に魔物が出てきていた。


「お前のせいにされる」と師匠が言うので、殲滅戦に直接加わったことはない。誰にも気づかれないように隠れながら矢を放っていたくらいだ。師匠にはお節介だと激しくため息をつかれたが。


「? クロエ、どうしたの?」


 クロエがぶるる、と顔をしきりに振っている。興奮しているのか耳がぴこぴこと忙しなく動き、とにかく落ち着かない様子だ。


(怪我……はしてないみたいだし、魔物を見たのが初めてで怯えてる? ううん、なんか違う気がする)


 何を伝えたいのかわからず、とりあえずアルティーティはなだめようと首をさするがあまり効果がない。


 報告しながらアレスが、ぎょろりとその大きな目をこちらに向けてきた。いつも馬の世話を買って出てくれる寡黙なアレスだ。うるさいと思われたかもしれない。


 アルティーティはクロエを落ち着かせようとひそひそと声をかけ続けた。


「あと……コレが落ちてたわ」


(……え? あれって……!)


「……っぅあ!!?」

「アルト?!」


 見覚えのあるものをミニョルが掲げた瞬間、突然大きく嘶いたクロエが走り出した。蹴ったわけでも鞭を打ったわけでもないのに全力疾走だ。並の馬よりずっと速い。


「ちょ……クロエなんでえぇぇぇぇ……!!?」


 馬上で叫ぶアルティーティを連れて、あっという間にジークフリートたちの前から姿を消した。


「黒馬異物発見! 追尾!」


 アレスの野太い声にヴィクターがギョッとした。彼が声を荒げるのは珍しい。それと同時に、なぜクロエが何かを見つけたのだとわかったのだろう、と不思議に思った。


 ジークフリートはひとつうなずくと、すぐさま白馬に飛び乗り「カミル、任せた!」と言い残し黒馬を追った。


 続こうとするヴィクターをカミルが止める。


「追わないンすか!?」

「うん」

「うん、って……クロエがなんか見つけたンすよね!? なら」


「本気出した黒馬に追いつけるのなんて特殊馬だけだからね。俺らの馬じゃ絶対無理なんだよねーあはは」

「オレの赤馬なら行けます! まだ間に合いますって!」


 なおも行こうとするヴィクターに、アレスとミニョルが立ち塞がる。


「新人、単独行動禁止」

「そうよぉ、アナタまで迷子になっちゃったらもっとオオゴトよ? 新人ひとりならまだしも、ふたりも迷子にさせたらここにいる全員始末書モノよ?」

「超絶面倒」

「あらやだホンネ出てるわよ、もっと隠しなさいよぉ」


 筋肉隆々なミニョルにバシバシ背中を叩かれても、まるでびくともしないアレスの様子にヴィクターは顔を引き攣らせた。


「大丈夫だよ。白馬なら追いつけるし、ジークフリートならヘマはしない。それに瘴気の報告も上にあげないと。瘴気討伐は報告までが討伐だ、とはよく言ったものだろ?」


 へらり、と笑うカミルに同調するミニョルとアレス。

「初耳ッス」と言いたげにヴィクターは口をモゴモゴさせたが、やがて大きくため息をついた。


「……わかりました。副長、すみませんでした」

「よしよし、わかればよろしい。じゃあみんな帰るよー」


 にっこりと笑ったカミルは自身の馬の手綱を引いた。


 それにしても、とカミルは思う。


 ……ジークフリート、()()を見てよく冷静でいれたな。


 部下たちを率いる彼は、先程ミニョルが見せたものを思い浮かべ軽く肩をすくめた。


 それは瘴気で薄汚れ、元々の毒々しさを倍増させたような片羽蝶のネックレスだった。

次回はまた今度

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― 新着の感想 ―
[良い点] ドキドキハラハラしながら続きがかなり気になります [気になる点] 53章にクロエはオスと書いてあったのですが、こちらの章ではメスと書かれております どちらが正しいのでしょうか? [一言]…
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