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77.これから話すことは

ジークフリート視点

「わたしみたいな人間とは不釣り合いじゃないかなぁーって」


 無理に笑い気丈に振る舞おうとする彼女に、ジークフリートは兄が言っていたことはこれか、と今更ながら理解した。


『君は彼女を常に助けないといけないくらい弱い女の子だと思ってるし、彼女は君に遠慮してるのか一歩どころか五歩くらい引いてる』。


 自分はまだしも、アルティーティが五歩も引いている? 訓練の時に自分の意見を曲げずに主張して食らいついてくるあのアルティーティが?


 あの時は何かの見間違えだろうと思っていた。


 しかし思い返すと、彼女が何かを主張してくるのは訓練の時や誰かに危険が迫っている時──つまり騎士(アルト)として判断している時だけだ。

 契約結婚を持ちかけた時も、挨拶の時も、寝込んだ時ですら従順だった。家庭教師をつけなければ、という時ですら嫌だとも言わずそれを受け入れた。


 選択肢が他になかったからかもしれない。契約だと割り切っている。そう思っていたが、その認識が間違っていたとしたら。


『お互い本心をさらけ出してない。さらけ出せない』。


 さらけ出せないのは自分だけだと思っていた。


 彼女の勇猛果敢に相手に向かっていく姿を見て、勘違いしていたのだ。それが誰に対しても、いつでも、発揮されるものなのだと。


 よくよく考えれば、幼い頃からずっと塔の中に閉じ込められ、虐げられてきた彼女が心を閉ざしてないわけがない。

 きっと相手に立ち向かおうとするたびに、かなりの勇気が必要だったはずだ。ちょっとした会話も難しい、そんな時もあっただろう。


 母親が亡くなり、父親に対して抱いた期待も裏切られ、師匠と呼ばれる他人と長く根無草の生活してきた彼女の境遇で、自分の思いを飲み込み蓋をするのに慣れてしまっていても仕方がない。誰も彼女を責められない。


 妙なところで自信がなくなるのも合点がいく。


(わかっているつもりで、わかっていなかった)


 ジークフリートは奥歯を噛み締めた。


 まさか彼女が出て行こうとしているなんて思ってもなかったのだ。その理由も多少疑問が残るが、実際出て行かれるとなると焦りもする。その過程で綺麗だなんて口走ったのはアレだ。本心がつい出てしまった。


(本心、か……)


 彼女の言葉を聞きながら考える。


 本当のことをすべて伝えるのはできない。それこそ彼女が逃げ出してしまうかもしれない。彼とてもう何年も本当の自分を押し殺して生きてきた。今更この生き方を曲げるのは難しい。

 しかし、全てを隠し続けるのは無理だろう。今のようにふらりと出ていってしまう気がする。彼女がいなくなるのならば自分を貫く意味がない。


 ひいては、この事態を引き起こしたのは不信だ。彼女はジークフリートを信じられてない。

 言い分からして、この契約結婚にジークフリート側のメリットがないことに対して勘ぐっているのだろう。


 そう思っても仕方がない。はたから見たらこれは不平等な契約だ。


 同情から結ばれた契約。最初はそうだったとしても、今はその形が少しずつ変わってきている。


 少なくとも、他の女性に向けたことがないこの熱情が、理屈なしで彼女に信じてもらいたいと彼の胸に訴えている。

 そして彼女の分厚い前髪の奥の瞳もまた、信じたいと訴えているように見えた。

 

「………………昔、お前に助けられたことがある」


 全てを話したら、信じてはくれないだろう。母親を助けられなかった男などに自分をあずけようとは思わないはずだ。


 だが、これから話すことは()()のことだ。


 ジークフリートは彼女の腕を握る力を強めた。


「……俺が騎士を辞めようとした時、幼いお前が励ましてくれた。何度もな」


 アルティーティの目が大きく見開いたのがうっすらと見えた。


 正確には男爵家の中で幽閉された彼女に勝手に励まされていたのだが、それでも本当のことだ。


 騎士を辞めようとした時も、厳しい鍛錬を休もうと思った時も、敵地で絶体絶命の時も。いついかなる時も、涙を溜めて縋るように助けを求めてくれた彼女を思い出して切り抜けた。


 今ここにいるのも彼女と出会えたおかげだ。そのことに嘘はない。


 真っ直ぐに見つめると、アルティーティの瞳は揺らいだ。

 

「そ……そんなの覚えてないです……」

「そうだな……小さかったから覚えていないのは無理もない。会ったのも一度きりだ。だが俺には……お前の存在は助けであり、希望だった」

「………………それだけ、ですか? たった一度で?」

「それだけだ。だがそのおかげでお前ともここで会えた。俺が黙ってるだけでお前は騎士を続けられる」

「その代わりに結婚って割に合わなくないですか? ……まさかロリ」

「何度も言うが子供に興味はないからな。それほどお前から受けた恩は大きかったってことだ。それに……そばで見張っておかないとお前は危なっかしすぎる」

「……そ、それ、落ち着きがないって言ってます……?」

「そうとも言うな。思い込みも激しいようだ」

「それは……すみません」

「怒ってないし謝罪もいらん。お互い様だ」


 ふっ、と笑うとアルティーティもつられてはにかむように笑みを浮かべた。


(本当に……よく笑う)


 蝋燭の火が一瞬明るく立ち上る。


 掴んだ腕は鍛えられているものの、女性特有の柔らかな肉感がある。


 気を抜いたら、あっという間にすり抜けていってしまいそうな滑らかさ。少しでも力を入れれば組み伏せてしまえそうな細さ。


 それが危うくもあり、閉じ込めておきたいとも思う。


 この腕を少しでも引けば、彼女を閉じ込められる──手に入れられる。


 この強く甘い衝動は日に日に増していることに彼は気づいていた。分かっていて避けようとした。

 大人だから、上官だから。そんな理由づけも、彼女に近づく男や仇なす女がいれば一気に吹き飛んでしまう。一度触れてしまえば抗えない。強固な決意も理性も、彼女の存在には敵わない。


(ああ……そうか……これが……)


 最初は見捨てられない、とだけ思っていた。あの時の幼い彼女が昔の自分などに憧れ、無鉄砲で考えなしで正義感だけで行動してしまう人間に成長してしまったことを申し訳なくも思っていた。だからこそ厳しくも接したし、遠ざけようともした。


 だが彼女を知れば知るほど、遠ざけるなんてできなくなった。


 自分と婚約すると決めた彼女の肩は、思えば微かに震えていた。

 ひったくりに対峙した時も、リブラック家で両親に会った時も、ヴィクターとやり合った時も、パウマの屋敷ででも、そして今もだ。


 勇ましく、ひたすら突き進むくせに、本当は怖いと思っている。それを隠す、感じないことに慣れてしまったせいで、必要以上に頑張る癖がついてしまっているのだろう。


 見離せないというだけだったのに、目が離せなくなった。そして今は。


(……ああ、なんて……)


 気づけば彼女の前に跪いていた。


「……誰でもいいなんて言うな。安心しろ。俺は余所見しない。お前だけを見てる。俺のそばにいろ、アルティーティ」


 愛おしい。


 誰にも渡したくない。誰にも奪わせない。


 兄が言った言葉を借りれば、彼女は一歩どころか五歩くらい引いている。ジークフリートの隣に立とうとしない。


 ならばこちらが歩み寄ればいい。一歩でも五歩でも、何歩でも。


 これが自分の本心だとばかりに手の甲に口付ける。


 ふんわりと仕上げられたクリームの匂いがする。潰したというシュークリームだろうか。淡い甘さにくすりと笑うと、彼女の手がびくりと跳ねた。


 嫌だっただろうか。ゆっくりと見上げると、分厚い前髪では隠しきれないほど真っ赤に染まった彼女の顔があった。わなわなと震つつも、潤んだワインレッドの瞳はこちら──手の甲に注がれている。


 この表情に自分がさせたと思うと、変にこそばゆい思いが込み上げてくる。


「兄上はお前に好意的だ。パウマ卿に至っては結婚式の祝福はまかせろと言ってきてるらしいぞ」


 ジークフリートは何事もなかったように立ち上がった。


 妙にスッキリした気分だ。

 本心を口から出したからだろうか、それとも目の前の彼女への想いを認めたからだろうか。いずれにせよやることは変わらない。


「……それとも、騎士をやめたくなったのか?」


 真っ赤のまま固まった彼女に、悪戯っぽく問いかけてみる。


 答えはわかりきっている。でなければ今頃、彼女に引っ叩かれて出ていかれていることだろう。


 勢いよく首を横に振りまくるアルティーティに、ジークフリートは「ならいい」と苦笑気味に答えた。


 必死な彼女の様子を愛おしいと思いながら。

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