70.嫌な予感がする
ジークフリート視点
綺麗だ、とジークフリートは思った。
今までもアルティーティが女性らしい格好をしていたことはある。それが可愛いとも。
一度目は両親の顔合わせ。よくわからないまま着替えさせた結果、ひったくり犯に突進した。囮任務だと勘違いした彼女には悪いことをした、と反省しきりだった。
二度目も顔合わせ。ただし、兄とだ。あれもこれもと着替えさせられ目を白黒させていたのが記憶に新しい。
慌てる彼女が可愛い、必死になる彼女がいじらしいと思っていた。口に出しかけたこともあったが耐えた。
よく耐えたと思った。なぜかは考えたくなかった。考えてしまえば、いつかドツボにハマるとどこかで理解していたからだ。
そして今日が三度目。パウマ枢機卿の夜会だ。
シンプルな赤のドレスもサファイアのネックレスも、細身で色の白い彼女によく似合うだろう。それだけ思っていた。
まさかあれほど隠していたワインレッドの瞳を人前に晒すなんて。
こぼれ落ちそうなほど大きく、澄んだ瞳が、彼が贈ったカラーチェンジサファイアに負けず劣らず輝いていた。会場の明るさに、恥じらうように目を伏せる姿も可憐だ。思わず見惚れてしまうほどに。
服が乱れてもお構いなしに犯人確保に走ったり、身を挺して子供を守ったり、上官である自分に食ってかかったり……そんな、お転婆の一言では済まないような彼女が、背筋を伸ばし口元に笑みをたたえ堂々としている。
どこから見ても良いところのご令嬢だ。
元々の資質もあるだろうが、たった3日で彼女を鍛え上げ──もとい、化けさせたシルヴァ家五女の手腕に、賞賛を贈らざるを得ない。
おかげでうっかり口を滑らせそうになった。「美しい」だなんて、今更言われても困るだろう。
彼女は男装してまで騎士であろうという女性なのだ。そんな月並みな言葉でさえ、言われ慣れてない彼女には毒だろう。頬を染めてむずがゆい表情を浮かべるに違いない。あるいは騎士にそんなこと言うなと怒るかもしれない。
ジークフリートが何も言わないことを、彼女も気にしなかった。と言うより、緊張でそれどころではなかったのだろう。
それはわかる。枢機卿の推薦がなければ結婚できないのだ。死活問題だ。緊張もする。かく言う自分もしてた。彼女とは別の意味でだが。
それがあっさり、推薦をもぎ取ることができた。本当にあっさりと。喜びたいところではあったが、慣れない場と雰囲気に酔ったのかアルティーティの顔色が良くない。
早く彼女を休ませてやりたい。その思いで、退出の挨拶にパウマの元へと向かった。
「猊下、少しよろしいでしょうか?」
にこやかな笑みでルーカスはパウマに声をかけた。パウマはそれまで話していた貴族と軽く会釈するとこちらにやってきた。
「猊下、だなんて閣下、おっしゃらないでください」
「いやいやぁ~、猊下でしょ。なんてったって枢機卿なんだしぃ~」
「わたくしめは農民上がりです。畏れ多くも閣下にそのように呼ばれるとは」
こちらもにこやかだ。常に笑ってそうな柔和そうな顔は人柄の表れなのだろうか。
いや、それよりも知り合いなのか。
ジークフリートの疑問を汲み取ってか、ルーカスが答える。
「ああ、さっきは挨拶だけだったか。猊下はね、リンザー領出身なんだぁ~」
「閣下には大変お世話になっております」
「は、はぁ、こちらこそ兄がお世話になっております……?」
初耳だ。というよりあまり慈聖教周辺の話に興味を向けていなかった。ジークフリート自身、今の大司教の名前くらいしか知らない。
しかしやはり、とも思った。あの兄が、なんの繋がりもない相手を指名するはずがない。
推薦はアルティーティが認められるためのテストだ。わざわざパウマを、と指定するくらいだ。内密につながっているどころか、「簡単には推薦は出すな」と言っている可能性もあった。
それがなぜ、あんなにもあっさり推薦を得られたのか。その理由がわからなかったがようやく合点がいった。
「失礼ながら……猊下はイェレックのご出身なのでは?」
「ええ、よくお分かりで」
他意のない笑顔で返され、ジークフリートはルーカスに一瞬視線を向けた。意味ありげなウインクをバッチリと決められ思わず閉口する。お前の予想通りだよ、とでも言わんばかりだ。
この推薦は、何も望まなかったアルティーティへの礼、というわけだ。
虫害に見舞われたイェレックに、対策を授けたアルティーティ。それが3日前の話だ。
ルーカスが領地の執事に彼女考案の対策を指示し、たった3日しか経っていない。推薦をすんなり得られたということは、3日でそれなりの効果が出たということになる。末恐ろしい。
逆を言えば、彼女が害虫対策を知らなかった、あるいは出し惜しみしていたなら、こうもすんなりとはいかなかったということだ。やはり兄だけは敵に回したくない、とジークフリートは内心つぶやいた。
聞けばパウマはイェレックのイチゴ農家の出身の司祭で、是非にと枢機卿へと押し上げられたらしい。外見からイチゴ農家とはわからなかったが、どうりで話しかけやすい。
ジークフリートは慈聖教の司祭や司教はどうも苦手だった。『魔女の形見』を排除する選民思想が透けて見えるのだ。アルティーティを助けてからは特にそう感じている。だからといって、慈聖教徒全員がそんな感情を抱いているとは思っていない。
現にパウマは彼女を邪険に扱わなかった。夜会の出席者たちも、主催者の立場やリブラックの威光を理解してか──それとも改革派が多いのか──表立って『魔女の形見』を差別してくることはなかった。
和やかにイェレックやリンザー領について話していると、ルーカスがところで、と声を上げた。
「堅苦しい話はいいとして、彼女、どう思った?」
「そうですね、とても可愛らしいお嬢さんですね。素直で緊張が顔に出てました。卿にお似合いでしょう」
パウマは少し含み笑いをすると、丸々とした人差し指を突き出してジークフリートに向き直った。
「ただひとつ、気になるとすれば……魔力、ですね」
意味深な表情に、眉をひそめる。
彼女は魔法は使えない。士官学校からの報告でも上がっている。そもそも魔法が使えるなら弓騎士など目指さずとも魔道士になればいい。
そこまで考えてふと気づく。自分が前提を見落としていたことに。
(……いや、待て……彼女は『魔女の形見』の……女だぞ……?!)
瞠目するジークフリートに、パウマは話を続けた。
「『魔女の形見』は魔力を多く有す女性です。若くして一度は暴走するのが常。例外はあり得ない……時に彼女はおいくつでしたかな?」
そう、彼女は『魔女の形見』だ。今まで男の中に混じって弓を引いていたため忘れていたが、『魔女の形見』の女性は本人すら扱いが難しいほどの高い魔力を持つ。時に暴走し、自他を傷つけるほどに。
危険だと世間からは避けられ、虐げられ、孤立し、誰からも魔力について教えてもらえず、理解が遅れ、ついには暴走する。その悪循環が『魔女の形見』にはある。
男装しているからといって中身は女だ。アルティーティも魔力の扱い方を知らなければ、いつか身の内にある魔力を暴走させてしまう可能性がある。
そんな大事なことを失念していた。あろうことか、彼女の命にも関わることを。
(魔力についてアルティーティが話してたことあったか……? あったら覚えているはずだ。それに暴走する気配は今のところない……師匠とやらに教わったのか……? 教わったとしてどこまで理解してるのか……いや、焦るな。落ち着け)
ジークフリートは冷静になろうと、声を低くした。
「15、です……彼女が魔法を使ってるところは見たことありません。使えるとも聞いたことは」
「なるほど。ならばなおさら。注意してあげなければならないでしょうね」
「ま、もし暴走しそうならジークフリートが魔法の使い方教えてあげてもいいしねぇ~」
「……そう、ですね。たしかに」
兄の言葉に何度かうなずいた。
使い方さえ身につければ暴走はしない。身につける過程で暴発したとしても、ジークフリートがそばにいればなんとかなるだろう。
(空き時間に魔法の訓練も追加するか。また鬼がどうのと言われるな)
ため息混じりに苦笑した。
「ところで、肝心のアルティーティ嬢の姿が見えませんが」
「少し体調が悪くなったようなので、四阿で休ませています。今日はこの辺りで彼女を送っていこうかと」
「そうでしたか。それは気づかず。お大事にとお伝えください」
パウマはうやうやしく頭を下げた。気配りといい気遣いといい、彼が周りから慕われるのもわかる気がする。
ジークフリートも一礼をし、アルティーティの待つ四阿に戻ろうとした。
「そういえば……イレーニア嬢は大丈夫でしょうか?」
背後からかけられたパウマの言葉が何を聞いているのか一瞬わからなかった。
イレーニア、というのがシルヴァ家の五女で、今日従者として付いているメイドだと思い当たった彼は、くるりと振り返った。
「大丈夫、とは?」
「実はシルヴァ侯爵もお招きしたのですが、ご多忙だそうで三女様が代理に出席されているのです。三女様もいらっしゃるとお伝えしたら少しご様子が変わられたので」
「あぁ~、あの三女かぁ。有名だものねぇ~」
「有名?」
兄の言葉を繰り返す。
「社交界デビューで色々やらかしたらしいよぉ~。主に男性に対して。ま、デビューしたての子にはたまにあることだねぇ~。でもたしか彼女、どっちかと言えば改革派ってよりは……」
「ええ、保守派ですね」
「だよね。保守寄りのシルヴァの中でもかなり、ザ・慈聖教の信者って感じって聞いたなぁ~。改革派のパウマ卿の夜会にそんな子を代わりに送るなんて、シルヴァ侯爵も余程お忙しいと見えるねぇ~」
ルーカスの情報網は慈聖教にも及ぶらしい。
夜会中も彼はできるだけ、改革派か中立派の貴族に話しかけるようにしていた。『魔女の形見』を連れているためだ。なんてことはない顔をしながら、彼女を悪意の目に晒さないように配慮していたことに、ジークフリートも薄々気付いていた。
しかしもう、情報通の彼の言葉は耳に入らなかった。
なぜだろうか。嫌な予感がする。
「失礼いたします……!」
素早く踵を返すと、四阿の方へと走る。
ひったくり犯にヴィクターの一件──アルティーティはどうも厄介なことに巻き込まれやすい体質のようだ。本人が首を突っ込みたがるのもあるが。
残されたルーカスとパウマは顔を見合わせると、お互い笑みを作り直す。
「追わなくてもよろしいのですか?」
「いいよぉ~、私の足じゃ追いつけないもの。弟たちと違って運動音痴なんだよねぇ~アハハ」
朗らかに笑い合うと、何やら楽しそうな雰囲気に人が寄ってくる。彼らとの歓談中、ルーカスはポツリと「……まったく、これじゃ誰のテストか分からないよぉ~……」と独りごちた。
続きはまた今度




