64.懸念すべきは
ジークフリート視点
◇◇◇
戸惑うアルティーティの前で、にっこりと笑ったルーカスは口を開いた。
「そう、枢機卿に挨拶。パウマ枢機卿にね。貴族と平民が結婚する時は他家貴族と枢機卿の推薦が必要なんだよぉ~。あ、大丈夫、枢機卿と言ってもパウマ枢機卿は慈聖教内では改革派、『魔女の形見』にも寛容な人だからねぇ~」
スラスラと台本を読み上げるようにルーカスは言う。実際台本なのだろう。
パウマ枢機卿から推薦をもぎ取る。それが彼女に課せられたテストだ。ジークフリートが事前に聞かなかっただけで、前からこの課題にしようと決めていたのかもしれない。
わかりやすい上に、結婚するならば推薦の件は必ずこなさなければならないのだ。これ以上にない適切なテスト。
「でもまだ婚約もしてないんですが……」
「うん、でもジークフリートも歳がアレだろ? 婚約したらすぐに結婚でもいいかなって当主の私は思ってるんだよ。どうかな?」
(そこは俺の年齢を理由にしないでくれ)
アルティーティは「なるほど……」と納得しているが、「アレ」などという曖昧かつ的確な言葉で表現されると苦笑いしか浮かばない。
しかし──。
(推薦をもらうことはそこまで難しくはない。問題は……)
懸念すべきは推薦でも、年齢でも、見せかけの課題でもない。
「わかりました」
アルティーティはうなずいた。
テストのことを知らなくとも、やらなければならないと悟ったのだろう。ジークフリートが黙っていたことも、それを後押しした。
「うんうん、いい返事だねぇ~じゃあ3日後にね」
「え?!」
アルティーティとジークフリートの声が重なる。
「3日後の夜、ちょうどパウマ枢機卿の家で夜会が開かれるんだよぉ~。私の同行人として参加してくれるね? もちろんジークフリートと一緒に」
「え、……あ、はい……」
ちらり、とこちらを見るアルティーティと視線がかち合う。
テストをするとは聞いた。合格基準も聞いた。だがそれがいつなのかは聞いてない。
ツメが甘かった。兄の性格を考えればありうる話だった。
そうは思うが、こうなってしまったなら仕方がない。
「兄上」
ジークフリートは先ほど浮かんだ懸念を口にした。
「彼女はあまり貴族社会に明るくありません。挨拶だけならまだしも夜会にとなると、最低限作法は身につけなければならないかと」
「うんうん、さすが私の弟。よく気がつくねぇ~」
笑顔のルーカスだが、その言葉は本心ではなさそうだ。どちらかと言うと「目ざといなぁ~」といった感じか。
そう、懸念すべきは礼儀だ。
アルティーティは騎士ならばまだ甘く見て及第点をもらえるだろうが、令嬢としてのそれはまだまだだ。平民だとしても、婚約する時点でそれなりの作法を身につけさせられる。ジークフリートの婚約者として注目されるようになれば、その一挙手一投足を逐一チェックされる。
おそらく、ジークフリートが言わなければ、アルティーティは作法などひとつも身につける術もなく当日を迎えたことだろう。
何もするな、口を出すなと言われていたが、これくらいは言わせてもらいたい。逆に言えば、これ以上の手助けは難しいという事だが。
ルーカスはあごに手を当てて考えるそぶりを見せた。
「家庭教師をつけなくてはね。とはいえ、今から手配するから調整には2、3日はかかるかな? おやいけない! 夜会に間に合わないねぇ~。いやー盲点だった。失敗失敗」
ウソつけ。
わざとらしい物言いに、思わず口から出そうになった。
ルーカスはこう見えてよく気が利く。視野も広い。領主などをやってるためか、先々を読むのがうまい。
そんな人物が、うっかりそんな失敗をするだろうか。そもそも名門リブラック家が家庭教師の手配で3日もかかるわけがない。
(これもテストの一環、ということか……どうする……)
アルティーティに視線を移す。「あらー……」と言いながら頬をかいている。その表情は分厚い前髪で見えないが、何か思案しているようにも見えた。
ジークフリートとて、案がないわけではない。自分のツテを使えば呼べる。最悪、自分が教えるのでもいい。どうとでもなる。
先方も、平民に格式ばった礼儀を必要以上には求めないだろう。
しかしこれが彼女に課せられた課題ならば動くわけにはいかない。もちろん助言も、先ほど以上には踏み込めない。
さあ、どうする。
ルーカスの挑むように、それでいて愉しむように弧を描く両目が、アルティーティとジークフリートを観察していた。
「あのー……」
「なんだい?」
おずおずと手を挙げたアルティーティに、ルーカスは食い気味に答えた。まるで降参を言い渡される前の、勝者のようだ。
「家庭教師ってどんな方が選ばれるものなんでしょうか?」
平凡な疑問だ。考えた挙句それか、とややガッカリした様子のルーカスは、浮きかけた背を背もたれにあずけた。興味が削がれたのだろう。
答えない兄の代わりに、ジークフリートは口を開いた。
「……令嬢のことはあまり知らないが、大体既婚者で社交界に精通している人物が選ばれる。あとは家との関係性だな。分家筋だったり関係の深い家から呼ばれることが多い」
「そうだねぇ~ちなみに私たちは乳母から家庭教師、医者まで何から何まで分家筋の人間が呼ばれてたよぉ~」
「医者まで……!」
すごい、と手で隠した口の中でつぶやくアルティーティは、なおも疑問を口にした。
「既婚者じゃなくてはならないのでしょうか?」
「いや、そういう決まりはないよぉ~。ただそういう傾向はあるってだけ」
ルーカスの声色がさらに平坦になる。自身の爪を眺めている。つまらなさそうだ。その質問になんの意味があるのか、と言外に感じた。
対するアルティーティはというと、「そうか、決まりはない……」とブツブツつぶやいている。思考を整理しているのか、茶請けがわりの話題だったのか、残念ながら前髪と口元を覆う手で判別はつかない。
(どうする……これは兄上が帰った後に本当のことを言うか?)
ブツブツと聞こえる隣で、ジークフリートは考えを巡らせる。
テストのことを彼女に伝えるつもりはなかった。
伝えれば絶対に力が入る。力が入った結果、空回りしてしまうか、必要以上に硬くなってしまうかのどちらかになることは容易く想像できる。
だから伝えるつもりはなかった。彼女にとって不利でも、それが最良だと思ったからだ。
だがこのままでは、そのテストの場にすら立てない可能性がある。
この場を打開できる手はいくらでもあるが、それはジークフリートが貴族社会を知っているからだ。何も知らない赤子同然のアルティーティには、荷が重い難問だろう。
この場は早いところお開きにして、知り合いに家庭教師の打診をする。今日中に使いを送れば明日には来てもらえるだろう。
後日、ルーカスには「アルティーティから家庭教師探しを協力してくれとお願いされた」と言えば、なんとか体裁は整う。
(兄上にはバレバレだが、それしかない……か……)
ジークフリートはひとつため息をつき、口を開きかけた。
しかしそれを制止するかのように、隣の黒髪がふわりと揺れた。
「……なら、シルヴァ侯爵家の五女にわたしの教育をお願いできますか?」
アルティーティのこの言葉に、ジークフリートも、ルーカスですら目を瞬いた。




