61.雲のような男
ジークフリート視点
「枢機卿に挨拶……ですか?」
隣に座るアルティーティの声に戸惑いが混じる。緊張からか表情は硬い。
それもそのはず、彼女に相対してるのは長兄でもありリブラック家現当主、ルーカス・リブラックだからだ。
応接間の真ん中、滑らかな手触りのソファにゆったりと座る彼は、余裕の表情で彼女の言葉にうなずいた。
ジークフリートは戸惑うアルティーティをじっと見つめた。
いつもならば声のひとつもかけるのだが、今日は違う。ただこの場を見守るだけだ。それだけしかできない。
手が触れるほどそばにいるというのに、なにもできない。肩を抱くことさえも許されない。
これは契約結婚に必要なことだからだ。
もどかしさに人知れず白くなるほど拳を握りしめた。
◇◇◇
アルティーティがイレーニアと対峙していた頃、同じようにジークフリートもルーカスと応接間で向かい合っていた。
「やぁジークフリート久しぶりぃ~、お兄ちゃんだぞぉ~」
「やめてください気持ち悪い」
抱きつこうとしてきたルーカスの頭を鷲掴みすると、ジークフリートは嫌悪感たっぷりの視線を送った。
凍てつくような視線をものともせず、ルーカスは「えぇ~冗談なのにぃ~」とへらりとしている。毎度のことながらジークフリートはため息をついた。
ジークフリートより2歳年上のルーカスは肩まで伸びた髪を束ね、外でもないのに黒いマントを羽織っている。表情の読めない細目以外は彼と外見はそっくりだ。
しかし中身は全く違う。努力家のジークフリートに対し、ルーカスは「めんどくさい、なんでもいい、どうでもいい」の三拍子が口癖の羽毛より軽い男だ。
同じ軽い男、カミルの軽口にイライラしないのも、兄の方が輪をかけて軽薄だからだろう。
「……お忙しい中お越しいただきありがとうございます」
憮然とした表情で礼をするジークフリートの背を、ルーカスはバシバシと叩いた。
「またまた、堅苦しいのはナシナシ。もぉ~ずっと働き詰めで疲れたよぉ~。弟の新居で寝られる私超ラッキー」
「泊めませんよ?」
「ウソウソ、冗談だよぉ~。怖い顔しないで、ね? 今日は顔合わせ終わったらすぐ領地に行かなきゃだもん。泊まれないよ。泊まりたいけど」
ヘラヘラ笑うルーカスの態度に、ほんの一瞬ジークフリートのこめかみに青筋が浮かんだが、仕切り直すように咳払いをするにとどめた。
昔からそうだ。何を言ってもルーカスは聞かない。聞くのすら面倒なのだろう。まともに話が通じたことは数えるほどしかない。
「前の領主会議の件ですか?」
「え、あーうん、そうだったかな?」
今でさえこうしてはぐらかす。
以前、カミルのことを「空に漂う泡だ」と言っていた人物がいたが、カミルが泡ならこの人は雲だ。
掴み所がない点では似ているが、実際に掴めそうなのはカミルだ。ルーカスは身内でさえ捉えどころがない。
その捉えどころのなさで、貴族たちと対等に渡り合えているのだから頼もしいとも言えるのだが、たまに対応に困ることもあるのは事実だ。
「そういえば、ニッツェ伯爵の息子と一悶着あったんだって?」
はぐらかしつつ反撃してくるあたり、ルーカスの方が騎士に向いているのではと思う時がある。もちろん、情報の速さも込みで。
「耳が早いですね」
「そうかなぁ。勝手に入ってくるんだよねぇ~」
ルーカスは笑いながら紅茶を啜っている。
ジークフリートは知っている。勝手に情報が入ってくる、と言いつつ各地に諜報員を放っていることも。リブラック家の情報収集能力の高さは、今も昔もここエルディール王国を支えているということも。
だからといって、諜報員づてに自分が関わった揉め事が伝わるのは気分的によろしくない。
憮然とした表情で口を開く。
「……一悶着と言っても、大したことはありません。騎士同士の諍いに仲裁に入りました。それだけです。お手を煩わせるほどのことではありません」
「そうなんだけど、向こうから使者が来てねぇ~。謝罪したいんだってさぁ~」
ルーカスの口調は軽い。こういう時の彼は相手に興味がないのだ。海の向こうの赤の他人の話ほどにどうでもいいと思っている。
「謝罪を受けたのですか?」
「いいや、追い返した。なんのことかわかりませーん、兄に尻を拭かれるほど軟弱な弟ではありませーん、って言ってね」
ルーカスはそう言うと、細い目で不器用なウインクを決めてきた。
ジークフリートは思わず頭を抱えた。
本当に使者にそう言ったのか。
いや、言ったのだろう。この兄なら言いかねない。
それが「ニッツェ伯爵は自分の息子を自分で尻も拭けない軟弱な男に育て上げたんですね、その程度でこちらに仰々しく謝罪などしないでください」という意味にしかならないということを、ルーカスは絶対にわかっている。分かってて喧嘩を売ったのだ。
そしてその油を注いだ喧嘩を、弟にまるっと押し付けた。
今頃使者も主人にどう伝えるべきか頭を抱えているに違いない。心底同情する。
しかし、事があってから1日足らずで当主同士の話にするとはあのマカセ、よほど自分で責任を取った事がないらしい。
およそ何かあればすぐ当主に泣きついてなんとかしてもらっていたのだろう。あの傲慢な性格になるのもうなずける。
(まぁ……もう仕方ないか。なんとかしよう)
元々騎士同士の諍いだ。貴族の入る余地をなくしてくれた、と思えばルーカスの言葉も許せる気がする。
ため息をつくジークフリートに、ルーカスは可笑そうに笑った。
「いいじゃんいいじゃん。そんなことなんてどうでもいいんだよ。今はこうして、可愛い弟と婚約者候補を見にきてるんだからさ。おめでとう。で、いつ結婚するの?」
「それを決めるのは兄上では?」
兄上、という言葉に、ルーカスは年甲斐もなく頬を膨らませた。
「またもう、兄上なんて呼んで! 昔みたいにルー兄様って呼んでほしいのに!」
「子供の頃の話でしょう」
「素っ気ない! 素っ気なさすぎるよぉ~。昔は私にくっついて離れなかったのにぃ~」
「もう兄上も俺もいい歳ですよ。いいかげん自立してください。それより……アルティーティに重要な用があるのでしょう?」
むくれるルーカスを流しながら、ジークフリートは本題に入った。
ルーカスは日頃ほとんど外出をしない。
もちろん、仕事や交流など必要な時は外出するが、それ以外は基本的に王都か領地の屋敷にいる。
伝映器という遠く離れたところに姿や声を届ける魔法具があるので、ちょっとした仕事ならば家から出ずとも片付けられる。
要は無類の家好きだ。引きこもりとも言う。
加えて面倒くさがりとくれば、弟の婚約者との顔合わせ程度でわざわざ外出などしないだろう。
その彼が、今ここにいるのだ。何かあるとしか思えない。
ルーカスは「あ、バレてる?」と舌を出すと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「アルティーティ嬢にはテストを受けてもらうことにしたよぉ~」
「テスト……?」
「そ、リブラック家に相応しいか」
あっけらかんと、重大なことを言い放つルーカスに、ジークフリートは表情を険しくした。




