59.高貴なメイド
「……アナタ平民でいらっしゃるのでしょう?」
かけられた声に、アルティーティは億劫そうに顔を上げた。
ギルダたちはドレスから装飾品のひとつに至るまで、事細かに注文表に記載して満面の笑みで帰っていった。服だけでもかなりの量だったので、大口の注文になったのではないだろうか。
おかげでかなり疲れた。そうでなくともとある理由で昨夜は少し夜更かしをした。疲れない方がおかしい。
そんなアルティーティに、客が来るまでゆっくりしておけ、とジークフリートが出ていってしばらく。
出されたお茶を飲んでいたところメイドに声をかけられた、というわけだ。
そこにいた彼女は冷めた碧眼にツンとした顔立ち。左右対称に結われた金髪のツインテールが派手だ。
さすが侯爵家。金髪碧眼、美人の条件とも言われる女性を女中に据えているとは。
一応、アルティーティも裾にレースのついた淡い黄色のフリルワンピースを着ているのだが、黒のメイド服を着ている美人の方が令嬢のようだ。深窓の令嬢と言っても差し支えない。
その美人がニコリともせずにこちらを見ていた。
「ええと、ごめんなさい、あなたは……?」
「……やはりご存じないのね……」
ややため息混じりの彼女の声に、アルティーティはさらに首をかしげた。
ご存じない、ということは彼女は貴族の中では有名人なのだろうか。これは知らないことを嘆いている? もしかして会ったことがあるのだろうか。
いやこれだけの美人だ。会ったことがあるなら覚えている。
あるいは、ひょっとすると侯爵家の誰かの妻……が、こんなところでメイドの真似事をしているわけがない。
にしても、美人に無表情で見下ろされると迫力がある。スカートの裾を丁寧に持ち上げた彼女は、慣れた様子でお辞儀をした。
「……シルヴァ侯爵家五女、イレーニア・シルヴァですわ。どうぞお見知り置きを」
「は、はい……アル……アルティーティ、です」
迫力に押されながらも名乗ると、またもイレーニアはこれみよがしにため息をついた。
しかし侯爵令嬢だったとは、どうりで所作も丁寧なわけだ。アルティーティと同じくらいの年齢に見えるが、立ち振る舞いは貴族のそれだ。ため息をつく姿すら絵に描いたように美しい。
(きっと隊長とお似合いだろうなぁ……)
ぼんやりとそんなことを思ってしまう。
自分などより彼女の方が、きっと隣に相応しい。それが心苦しくもあり、なぜか少し残念でもある。
なぜだかは分からない。疑問に思えるほど明確な感情でもない。
ただ目の前の気位の高そうなイレーニアを見ていると、その疑問がざわざわと足元から忍び寄ってくるような気がした。
「……失礼を承知ながら、言わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「は……はい、どうぞ」
まじまじと見つめすぎたのか、ぼんやりとしていたアルティーティにイレーニアは目を瞑った。
(………………?)
返事をしてからも彼女は目を瞑ったままだ。言わせていただいて、と言いながら何も言ってくる気配がない。
どうしたものか、と覗き込むと、その両目がカッと開いた。
「身分の高い者に低い者から名を尋ねてはいけませんわ!」
広い部屋にイレーニアの声の残響が響く。
ぽかんと口を開けたアルティーティは、一瞬イレーニアが何を言ったのか理解できなかった。品のある彼女の口から、まさか大声が飛び出してくるとは思ってもみなかったのだ。
アルティーティのなんとも言えない表情に、イレーニアは勢いそのままに畳み掛けてくる。
「まず頭を下げ黙る。高貴な方が名乗られてからはじめて会話を許されたということになりますの! 『アナタのお名前は?』なんて下々の者が尋ねるなんてもっての外! ワタクシはメイドですのでまだいいですけど! いいですわね!?」
「は、ハイ!」
思わず返事をしてしまった。
イレーニアの物言い、勢いだけで言えば激怒時のジークフリートを超える。つられていい返事をしてしまう程に。見た目に反して威勢がいい女性のようだ。
しかしアルティーティの返事すら待たず、彼女は矢継ぎ早に口を開く。
「それからなんですか、そのダラけ様は! 仮にも侯爵家に名を連ねる方に嫁がれるのですよ?! しゃんとなさいまし!」
「しゃ、しゃん……と?」
「背筋を! 伸・ば・す!」
「ハ、ハイぃ!」
凄みを効かせたようなイレーニアの声に、背筋がピンっと伸びる。その姿勢が合格点だったのか、彼女はよし、と言わんばかりにうなずいた。
「あともうひとつ、謙遜を履き違えているのではなくて?! 選ぶのが遅いのは仕方ありません。あれだけ物があれば平民ならば目移りするのは当たり前ですもの! ですが、未来の旦那様が買って差し上げると言われてるそばでお金の心配など言語道断! 倹約もいいですが、粗悪品を身につけて人前に出るなどあってはならないことですわ! 侯爵家の格を下げるような言動は慎んでくださいまし!」
「ハ、ハイ! 申し訳ございません!」
「よろしくてよ!」
怒涛のダメ出しが終わったのか、イレーニアはツンっとそっぽを向いてしまった。
あとに残るのは部屋に余韻のように響く彼女の声のみ。
(お、終わっ……た……?)
伸びた背筋のまま、アルティーティはイレーニアを覗き見た。
一息に喋ったためか、僅かに肩が上下している上に仁王立ちしているのにもかかわらず、立ち姿に品がある。横顔にすら気位の高さがうかがえる。
(……もしかしてこの人……)
黙ったままの彼女に声をかけようと、口を開いたその時だった。
「お嬢様っ、失礼いたします……やはりここにいましたね、イレーニア」
やや性急なノックと共に扉が開く。年配のメイドがしずしずと部屋に入ってきた。




