51.嫌悪感と未熟さ
ジークフリート視点
◇◇◇
元婚約者、ブリジッタの喪が明けて間もなく、夜会やパーティーへの招待状が増えた。
おそらく主催者たちは、侯爵家三男婚約者の席が空いたのをチャンスだと思ったのだろう。
もちろん、国が主催しているパーティーには必ず出席しているが、個人のものとなれば別だ。馴れ合いや腹の探り合いより、見合いの意味合いの方が強い。
招待状が増えたのも、個人宅に伺うものがほとんど。相手の思惑が丸見えで、今でも辟易とすることがある。
騎士として一人前になるのが先だと断っても断っても、なんとかしてジークフリートを出席させようとあの手この手で絡めとろうとしていた。
そんな中、根負けをして渋々出席したことがある。どこの貴族の家かは忘れた。ただ女性に取り囲まれたことだけは覚えている。
話しかけられるだけならまだいい。
彼女らはジークフリートの気を引こうと、胸元の空きすぎた目が痛くなるような色合いのドレスで体を押しつけてきた。
わざとぶつかりドレスにワインをこぼし、話すきっかけを得ようとする者もいた。
ひどい時はよろめいた女性が、部屋まで連れて行って欲しいと言ってくることまで。
彼女らは必ず一言目にこう言った。「ブリジッタ嬢のことは残念でしたわね」と。
──ふざけるな。
ブリジッタのことをジークフリート自身、愛していたかは定かではない。
親が決めた相手で、若過ぎた彼は愛を理解するには未熟過ぎた。全てが未熟だったからこそ彼女は死んだ。
だからこそ、体を使ってまで彼を籠絡させようとする女性の強かさを激しく嫌悪した。口だけの弔意で、気遣いのできる女性を演出されるのもまっぴらだった。
そしてそんな女性たちと関わることになった自身の未熟ささえも。
その嫌悪感は、アルティーティが入団した今も続いている──と思っていた。
この時までは。
◇◇◇
予想以上の成果だった。
帰途についたジークフリートは、後ろを歩く新人たちに心の中で投げかけた。もちろん、馬の選定についてだ。
『人の何をみて馬が選んでいるかわからない』と言ったが、実を言えば今までの経験上で少しはわかる。
人が他人とどう関わっているか、馬をモノ扱いしないか。
おおよそはこのふたつだろう。あくまでも経験に基づいた推測に過ぎないので、黙ってはいたが。
だからこそ、そこまで心配はしていなかった。最近のふたりの様子を見てわかる。このふたりは確実に選ばれる、と。
(まさか黒馬に選ばれるとは思ってなかったがな……)
ちらり、と背後に視線をやる。
アルティーティはヴィクターに小突かれ、膨れながらも楽しそうだ。
ほんの少し、ヴィクターとの距離が近いと感じることもあるが、新人が仲がいいに越したことはない。
今もそうだ。すぐ後ろをついてくる彼らは気安い様子で会話している。
それがなぜかジークフリートの胸の辺りをチリつかせてくる。端的に言えば、面白くない。この出どころ不明の感情に戸惑いしかない。
掴みどころのない妙な焦燥感が、ヴィクターの横で笑うアルティーティに向けられていた。
「そういえば、馬は連れて帰らなくてよかったんですか?」
不意に投げられたアルティーティの質問に、ジークフリートは内心慌てた。
焦燥感にかまけて、ついそっけなく答えてしまいそうになる。
なぜか彼女もヴィクターも、見えないところへ突き放したくなる。見えなくなったら守れなくなるというのに。
「馬の世話に慣れるまでは厩舎に通いだ。本格的に騎士団の厩舎に入れるのは……短く見積もって半月はかかるだろうな」
考えるふりをして、ジークフリートはひと呼吸おいて答えた。
もう少し彼が若ければ、感情に任せて突き放していたかもしれない。しかし彼らの倍ほどの年齢と、隊長という立場や責任感がそれを許さない。
そうして抑え込んだ焦燥感が、さらに浸食するように胸の奥に広がってきたとしても、だ。
ちょうど寮に差し掛かったところで、ジークフリートは振り返った。
「休みとはいえ、明日から朝が早くなる。今日はゆっくり休め」
「はい!」
威勢よく返事をすると、ヴィクターは駆け足で帰っていった。
野太い鼻歌がかすかに聞こえる。彼が張り切っているのは、赤馬に選ばれたからだろうか。
黒馬の件が落ち着き、厩舎を回ったヴィクターが連れてきたのは、同じく特殊能力を持つ赤馬だった。
回った、といってもすぐだ。ヴィクターがひとりになったところに赤馬がやってきたらしい。
マカセとやり合ってたのをどこかからか見ていたのかもしれない。
赤馬は『身体能力強化』の能力だ。どの武器でもそれなりに使いこなせるヴィクターには、うってつけの特殊能力だろう。
もう寮の中に入ってしまったヴィクターの背を思い出し、ジークフリートは苦笑した。
「……お前も疲れただろう」
隣にいるアルティーティに声をかける。
同じように苦笑した彼女の顔からは、いつもの活気が鳴りを潜めているように感じた。
「色々ありすぎてなにがなんだか」
「だろうな。……ん?」
ふと目に止まったのは彼女の漆黒の髪。塗りつぶしたような黒髪に、緑色の小さな何かがしがみついていた。
「隊長?」
一点を見つめるジークフリートを不審に思ってか、アルティーティは首をこてん、と傾けた。
そんな仕草が、焦燥感と共に胸の鼓動を強くさせる。
ジークフリートはそれを早く鎮めようと、冷静に指差した。
「……虫がついてるな」
「え? どこですか?」
「髪に。これは……クサクムシか?」
「!? ひゃぁ!!」
疲れが吹き飛ぶほどの甲高い悲鳴を上げたアルティーティは、何を思ったかジークフリートに飛びついた。
「ど、どうしたっ!?」
「と、とと、とととってください! お願いです!」
動揺したジークフリート以上に気が動転した彼女が、必死にしがみついてくる。お互いパニック状態だ。
掴んできた腕は小動物のように震え、前髪の隙間からはぎゅっと瞑った目が見える。
にしてもすごい力だ。どこにそんな力があるのかわからないが振り解けない。
もっとも、ジークフリートも本気で振り解こうとは思っていない。不測の事態すぎて、そんな考えは頭からすっぽ抜けていた。
「お、落ち着け」
「おち、おちおちつきません! は、早くっ!」
「わかった、わかったから、少しじっとしてろ!」
ぶっきらぼうに言うと、魔法で風を起こした。
虫1匹に魔法は大袈裟かもしれない。
クサクムシは刺激するとツンとした臭いを発する。
指につくくらいならまだ我慢できるが、髪の毛、しかも顔に近いとなると別だ。直接触るわけにはいかない。
緑色のクサクムシは、風に包まれるようにして飛んでいった。
「取ったぞ」
「ほ、本当ですか……?」
「嘘ついてどうする。そんなに虫が嫌いか」
アルティーティはまだ警戒を解かない。しがみついたまま、周囲にしきりに目をやっている。
「……他の虫は大丈夫ですけどクサクムシだけは無理です。野営で寝てた時に顔にいくつも張り付いてたことがあって……それ以来トラウマで……」
青い顔でアルティーティは言う。
野営には虫がつきものだ。かく言うジークフリートにも、同じような経験が何度かある。
もっとも、集られる前に目が覚めるのでトラウマになる程もないのだが。
ジークフリートが何も言わないでいると、彼女はむくれ気味にジークフリートを見上げた。
「しかもちょっと触っただけでもすぐ臭い汁飛ばすし! しばらく顔が臭くて大変でしたよ! クサクムシ対策に色々身につけるようになってからはマシでしたけど……!」
よほど嫌いなのだろう。上目遣いで興奮気味に話す彼女の姿に、ジークフリートは思わず吹き出した。
「わかった、大丈夫だ……ったく、お前はかわ……」
かわいいな。
そう言いかけた口を慌てて手で押さえた。いや、言いかけたことすら無意識だった。




