48.選ん……だ……?
「え……選ん……だ?」
テーアの言葉に一瞬呆けたアルティーティは、ようやく言葉を絞り出した。見ればヴィクターも驚き固まっていた。
(わたしが黒馬の主人……? 何かの冗談では……?)
黒馬は構わず、じゃれつくように顔をこすりつけてくる。信じがたい事実をつきつけるように、テーアがゆっくりとうなずいた。
「ええ、クロ……その黒馬はあなた様を選びました。おめでとうございます」
「でも、この馬、さっき……」
男性恐怖症だって……と口にしかけて慌てて止めた。
アルティーティは女だ。黒馬が懐いたことを少しでも疑問に思われたら、どこかで正体がバレるかもしれない。
危ない危ない。
視界の端で、ジークフリートが不機嫌な顔でほっと息を吐くのが見えた。
黒馬にされるがままになっているアルティーティにもう一度うなずくと、テーアは遠い目をして語り始めた。
「……このコ、子馬の時に一度脱走してるんです。見つけた時はかなりタチの悪い男たちにひどい調教をされてて……黒馬は高く売れるので、恐怖で支配しようとしたんだと思います。それ以来、男性を避けるようになりました。管理人である父でさえこのコには近づけません。私のこともやっと受け入れてくれたほど、クロは男性を怖がっていたんです」
テーアは当時を思い出したのか、悔しそうに顔を歪めた。
改めて黒馬を見るが、そんな暗い過去があったとは思えないほど美しい。穏やかそうに見える。
だがよく見ると、傷痕なのか毛が薄い部分がところどころあった。
先程マカセに食らわせた見事な蹴りも、誇らしげな顔も、無理やり従わせようとされた過去を思い出したからだろう。
そういえば、隣にいるヴィクターの方にはまったく近寄ろうともしない。むしろ黒馬を気遣ってか、彼の方から少し離れたくらいだ。
テーアは黒馬に近づくと軽く撫でた。
「騎士様は男性しかいませんし、農耕馬や乗合馬にするにしても元々黒馬な上、乗る人間を選ぶようではとても無理でしょう。騎馬としてはもうダメか、私がずっと世話してあげなければ、と覚悟してましたが……まさか騎士様を選ぶとは……」
「マジかよ。アルトすっげぇな」
「ア、アハハハハ……」
(言えない。ここに来るまでに『黒馬以外ならなんでもいい』なんて思ってたなんて……でも選ばれちゃったらどうしたらいいんだろ)
乾いた笑いを浮かべながら、黒馬を見上げる。
主人と目が合ったことがよほど嬉しかったのか、今度は顔を彼女の脇に入れ始めた。
「ちょ、なんかすごいじゃれてくるんですけど……っ!?」
「アルト様、クロ……黒馬は乗ってほしいんだと思います」
「え、えぇ!?」
いやいや、乗って欲しいと言われても、心の準備がまだできていない。
黒馬は目立つ。しかも男性恐怖症の馬がなぜアルティーティを選んだのかとあれこれ詮索される危険性が高くなる。
ここは絶対断るべきだ。
「……乗らないっていうのはダメなんです……よね?」
思い切って聞いてみると、それを聞いたテーアが目を見開いた。
「乗らない……?」
「おいおい、オメェ黒馬断るつもりかよ!? 選ばれたんだぞ!?」
「え、と、その……ボクのような弓騎士に乗られるより、もっと前線で活躍できるような先輩方に乗ってもらった方がいいんじゃないかなぁ……なんて」
信じられない、と怪訝な表情のテーアたちに、しどろもどろに説明する。弓騎士なんて、と自分で言ってて情けなくなってきた。
実際、ここ最近で弓騎士の活躍はゼロだ。評価されているのはジークフリートのような剣騎士がほとんど。弓騎士の『ゆ』の字も話題に上らない。
だがその情けなさが今は役に立つ。こうやって断る口実にできるのだから。
アルティーティは当然、その言い訳が受け入れられるだろうと踏んでいた。
しかし返ってきたのは真逆の答えだった。
「…………素晴らしいです! さすがクロが選んだ方ですね!」
……あれ?
見ればテーアは大きく見開いた目を輝かせてこちらを見てる。ヴィクターもまたしかり。
ジークフリートだけはアルティーティの考えが読めたようで、やれやれ、と肩をすくめていた。
「黒馬を他の方に、なんてなかなか言えませんよ! 大丈夫、自信持って下さい。黒馬は本当にすごい馬なので、きっとあなた様のお役に立ちます!」
「いや、あの、そうじゃなくて」
「それに、クロが生まれてからみなさん一度は会いに来られてますよ?」
え、そうなの?
テーアの言葉にジークフリートがうなずいている。
「それでも先輩方は今までずっと選ばれてないです。あなた様だけが選ばれた、クロの唯一の主人です。クロはもう、他の人は選べません」
そう言うと、テーアはアルティーティにじゃれつく黒馬を、少し寂しそうに見上げた。
(どうしよう、そうだった、黒馬は妥協できないって隊長言ってた。どうしよう、これで断るとか無理じゃん。黒馬可哀想って絶対言われるよね?)
他の馬に選んでもらえば黒馬も引いてくれるかも、と辺りを見回すも、様子を伺うように周囲をうろつく他の馬たちから選ばれそうな気配はない。
アルティーティは助けを求めるように、ジークフリートを見つめた。
「お前が主人だと周りに示したいのだろう。そいつのためにも乗ってやれ」
アルティーティの思い虚しく、彼はダメ押しの一言を口にした。
(た、頼みの綱が……)
がっくりとうなだれたいが、それすらも脇の下に首を入れたがる黒馬がさせてくれない。早く早く、と子供のように急かしてくる。
「……わかりました」
観念したようにつぶやき、アルティーティは鞍に手をかけた。
この身長差で、普通は乗れない。しかし彼女は軽く跳躍すると、黒馬の背にストン、と収まった。
「……わ……すごい……」
思わず素直な感想が口に出た。
いつもより数段高いところから見渡す景色。安定感も以前乗っていた馬たちとは段違いだ。
それ以上に、黒馬の背から安心感や肯定感が伝わってくるような気がしてくる。
確かにこれはすごい。
これが特殊能力と言われても納得できるほどの心の変わりようだ。黒馬の主人になることに、あれほど乗り気ではなかっのに、不思議と黒馬を受け入れてしまっている自分がいた。
ポンポン、と首のあたりを撫でると黒馬は気持ちよさそうに目を細めている。
ジークフリートを見ると、珍しく微笑みを浮かべていた。見ると胸が跳ね上がる、身体に悪い例の微笑みだ。それがアルティーティに向けられている。
眼差しはいつになくあたたかく、どこか嬉しそうに感じられる。それが真っ直ぐに向けられると、途端にどうしていいかわからなくなる。
心臓の鼓動が速く、大きく、体全体が脈打つようだ。黒馬や周りに悟られまいとしても、その視線から目が逸らせない。
分厚い前髪越しにも、アルティーティに見られていることに気づいた彼は、すぐさまいつも通りの不機嫌な表情を作り視線を泳がせた。
よかった、いつもの隊長だ。
胸を撫で下ろしたものの、ほんの少し残念に思う気持ちと大きくなりすぎた拍動はしばらく治まりそうにない。
──むしろなぜ残念? 良かったの間違いじゃなくて?
戸惑いを感じていると、不意に黒馬がぶるる、と威嚇するように唸った。
「どうしたの? ……って、聞いてもわからないか……」
アルティーティが黒馬の視線を追うと、そこには全身飼い葉まみれになったマカセが「なん……だと……っ……!?」驚愕を隠しきれない様子でこちらを見ていた。
続きはまた来月のいつか




