43.行ったか
ジークフリート視点
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──行ったか。
ジークフリートは、剣の柄を握りしめていた手から力を抜いた。
眼下には首をかしげるアルティーティと、そそくさと去っていくヴィクターの後ろ姿が見える。
訓練所の端も端にある射場。その横に細長い薄汚れた塔がある。監視塔だ。
監視、とはいえここが使われるのは監視の訓練の時だけ。実践で使われるとなると、王都近くまで敵に侵攻されているということになる。王国の長い歴史の中で、王都が脅かされたことはない。
利用頻度の少ない塔。ジークフリートはそこにいた。
当然、アルティーティを見守るためだ。
謹慎を言い渡されてから、ジークフリートはなるべく彼女と会話するように努めていた。
ヴィクターとの件は、以前から燻っていたのが爆発したようなものだ。アルティーティは大丈夫だと言っていたが、不仲に気づいていたからこそもっと早く動くべきだったとジークフリートは思っている。
だからこそ、彼女に降りかかる火の粉になりうるものは事前に排除できるように、と、普段から彼女の異変を知ろうと思った。
早く帰室してはコミュニケーションを図ろうとしてきたのだが──なぜかぎこちない。
それどころか、避けられている気がする。
彼女が距離をとっているのは、カミルからジークフリートの過去を聞いたからなのだが、そんなことは本人は知るよしもない。
もしやヴィクターに「隊長から特別扱いされている」と思われないようにしているのか。それにしても、部屋の中でも挙動不審さが増している。いくらなんでもおかしい。
思い返せば元々、そんなに彼女と会話を交わしていたわけではなかった。
隊長と新人で仕事の量も質も違う。同室でも顔を合わせることは少なかった。
その上、彼女は女だ。男の自分に見られたらまずいものはたくさんあるだろう。
女だとわかってからは、できるだけ部屋にいないようにしていた。彼女が起きる前に部屋を出て、寝た後に物音を立てずにベッドに潜り込む。
元々部屋でこなしていた仕事や自主練習を、他の部屋で済ませるようになった。
これまではそんな生活だったが、喧嘩の日からできるだけ部屋で過ごしてきたつもりだ。
もう一度、塔の上から確認する。ヴィクターは完全に去ったようだ。
急き立てるような風が強く、ジークフリートの髪を乱す。
アルティーティがヴィクターと、どのようなやり取りをしたのかはわからない。しかし悪い雰囲気ではなかった。
『大丈夫ですって。なんとかなります』と彼女は言っていた。どうやらその通りになったようだ。
ジークフリートは壁に背を預けると息をついた。
「……何をやってるんだ俺は……」
彼女は強い。
精神的に、という意味もあるが、人間性の中にどこか道なき道を切り開いていける突破力のようなものを感じている。
どんなに距離を取ろうにも、近づいてくる。不機嫌な顔を作っても、その眉間の皺を彼女はいつのまにかほぐしてしまう。
不思議な魅力をジークフリートは感じていた。
だからだろうか。『大丈夫』と言われて納得しつつも、助けが必要なのではないかと心配しすぎてしまうのは。
(迷惑だと思われても、特別扱いだと思われても、それでも俺は守りたい)
杞憂だと理解していても、彼女を見守り、手を差し伸べたい。
過保護だ。
再び弓を引き始めた彼女を見つめ、自嘲した。
「あの子、面白いよねぇ」
不意に背後から聞こえた声に、ジークフリートは振り返った。
なぜこんなところに、と言いかけてやめた。聞いたところでこの男──カミルは素直に答えてくれないだろう。
いつも通りの薄い笑みを浮かべたカミルが、歩み寄ってくる。
その視線は、訝しげな表情のジークフリートから、遥か下の射場にいるアルティーティへとうつった。
「あの子……?」
微かな違和感に眉をひそめたジークフリートに、カミルは「アルトのことだよ。わかるでしょ?」と彼女を見つめながら言った。
「真面目で素直。熱意もある。ちょっと頑固なところはあるけど発想も行動も突飛で面白い。それでいて人を惹きつける何かを持ってる。ほんと、あの子、昔の君にそっくりだよ」
「……似たようなこと、前も聞いたな」
「そうだっけ?」
とぼけたように笑うカミルは、ジークフリートに向き直った。
「オレはいいと思うよ。あの子が来てからジークフリート、昔の君っぽくなってきたし」
「そう言われてもわからん」
「あれ? 自分じゃ気づかない? 今までの君なら新人が揉めても庇わなかったと思うよ?」
指摘されて気がついた。
たしかに、今までのジークフリートなら庇うという発想すら思い浮かばない。責任の取り方を学べ、とばかりに突き放す。
相変わらず痛いところを突くな、とジークフリートは頭を掻いた。
「…………あんな揉め事起こしたの、あいつらが初めてだろ。初めての出来事で今までの俺と違うと言われてもな」
「まあ、そうなんだけどさ。やったことの責任は取れ、とかでそのまま報告上げてたと思うんだよねぇ。それを演習って」
カミルは肩をすくめ、くつくつと笑った。その笑いに全て見透かされているような気がして、ジークフリートは話題を逸らした。
「……ヴィクターに何か言ったのか? 仲直りしろとか」
「言わないよ? オレがそういうの言うタイプに見える?」
「見えない。一応聞いただけだ」
さらりと答えたカミルの表情に嘘は見えない。予想通りの答えではあるが、となるとアルティーティ自身がヴィクターのわだかまりを解いたということになる。
あれだけのことがあった後に、まったく大したやつだ。感心すると共に、やはり無理はしてくれるなという気持ちもうっすらと湧いてくる。
「言ったところで彼、素直に聞かないでしょ。オレ、そういう無駄なことしないよ」
こいつは素直じゃない。
いつものらりくらりとして、他人のことを面白がっているカミルだが、案外面倒見がいいのでは、とジークフリートは思っていた。敵には容赦ないが、仲間だと認識すれば確実に助けてくれる。
でなければ、用もないのに寂れた監視塔になど来るはずがない。
ひらひらと手を振るカミルは、なおも弓を引き続けているアルティーティをあごで指した。
「ほっといてもあの子、うまくやれるだろうし。うまくいかなくてもオレは面白いからいいかなって」
前言撤回。やっぱりただ人を見て笑ってるだけかもしれない。
ジークフリートはやや大袈裟にため息をついた。
「……お前のそういうところ、ホントどうかと思うぞ」
「でも大丈夫だったでしょ?」
自信満々の笑みが少し癪に障る。
彼女の強さを信用していないわけではない。
だからこそヴィクターと彼女が接触しても、ひとまずは見守った。我慢した、とも言える。
しかし少なくとも、カミルのように余裕を持ってことの成り行きを見るなどできていない。
ひったくりを捕らえた時といい、魔法でヴィクターを止めた時といい、なぜこうも彼女のことになると妙な焦燥感に駆り立てられるのか。
答えの出ない自問自答も相まって、ジークフリートは顔をしかめた。
その表情に満足したのか、カミルは背を向けるとわざとらしく伸びをして見せた。
「あーあ、オレもヴィクターじゃなくてアルトが同室だったらよかったのになぁ。今から団長に変えてもらおうかな」
この言葉に、先ほどまで感じていた焦りとはまた別の種類の焦りが生じる。
もし同室者が逆なら、アルティーティは確実に追い出されているだろう。敵だと認定すれば容赦なく追い込む。カミルはそういうやつだ。
そしてアルティーティの存在をジークフリートは知らず、今もまだ病に臥せっていると思い込んでいただろう。
同室でなかったら、こんな焦燥感を持て余すこともなかっただろう。
彼女は他の令嬢と違い、素直で無鉄砲で、困ってる人を見過ごせない。
危なっかしい上に、そのコロコロと変わる表情からすら目が離せないことも、知ることはなかったはずだ。
知らずにいれば、庇ったり後をつけたり、らしくない行動を取ることはなかった。かき乱されることもなく、冷静な自分でいられただろう。その方がジークフリートの平穏は守られたはずだ。
(……もしもの話は無しだ。今俺のそばにあいつがいて、結婚もする。それがすべてだ)
眉間に力を入れると、カミルがちらり、と横目でこちらを見ているのに気づいた。
「冗談だよ。キャー顔こわーい」
茶化すように笑いながらカミルは塔を駆け降りていった。
そんなに怖い顔をしていただろうか。
残されたジークフリートは、眉間のしわを伸ばすように指でさする。くっきりとついた、思いのほか深いしわに苦笑が浮かぶ。
アルティーティが絡むとどうにも調子を乱される。いつも通りだと思っていても、結果を見ればらしくない行動ばかりだ。
それが分かっていても、なぜ乱されるのかが分からない。
昔のように無茶をする自分はもう、いらないというのに。
少しでも気を抜くと、彼女のために無茶なことをする自分が顔を出す。守りたいという願い以上の、熱い感情が湯水のように湧き出してくる。
これ以上彼女に深入りすれば、もっとかき乱されるに違いない。それでも彼女を守りたい。守るためにそばにいるべきだ。
「………………厄介だな」
ジークフリートはカミルのいたあたりに目を落とすと、深いため息をついた。




