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39.内緒ね

 眉をひそめるアルティーティに、カミルは軽い口調で答えた。


「あージークフリート、言ってなかった? 君らの戦いを実践演習として見学者たちに披露したって(てい)になってるから」

「は……?」

「ジークフリートが上にそう報告したらしいけど、聞いてない?」


 答えのかわりに首を横に振る。


 演習はたしかに、子供たちの前でするはずだった。


 ただし全員で。


 間違っても新人ふたりに任されるはずもない。


(まさか……かばってくれた?)


 いやまさか。あの眉間の皺が常設された鉄面皮がそんなことはしない。


 あれ? でもさっき笑ってた気がする。それにバレないようにもしてくれてる。


 本当の隊長(ジークフリート)はどっち?


 訳がわからず固まる彼女の表情に、カミルはぷっと吹き出した。


「まぁ熱が入りすぎちゃって訓練所ボコボコにしたせいで、お互い怪我が治るまで謹慎ってことになっちゃったんだけどね」

「お互い? ヴィクター、怪我したんですか?」

「え? ああ、まぁ、うん。ちょっと火傷をね。君は気にしなくていいよ」


 火傷なんてさせるようなことをしたっけ。


 どこか擦ったか。しかし攻撃は当ててない。だとしたら勢いよくコケたか。


(おかしいなぁ。体勢が崩れたようにも見えなかったし)

 

 首をひねるが答えは出てこない。


 確かなのは、喧嘩がなかったことにされてるということだ。


「ま、そういうわけだからさ、君らは実質お咎めなしだよ。良かったね」

「良かった……んでしょうか? 隊長も副長も怒られたんじゃ……」

「うん。まぁね」


 怒られちゃった、と彼は軽く笑った。


「上に怒られるのは管理職の特権だからさ。代わりに、君ら新人はのびのびしてればいいの」

「は、はぁ……」

「ついでにオレが楽しければなんでもよし」

「ええー……」


 びしぃっと親指を立てるカミル。


(そ、そういう問題なのかな……?)


 とはいえ庇ってくれたのは事実だ。すみません、と頭を下げる。あとで隊長にも謝らなきゃな、と心の中で付け足した。


「で、君、本当の名前はなんていうの? まさかそのままアルト、じゃないだろうし」


 カミルの問いに、一瞬迷った。


 ジークフリートにバレた時とは違う。事情を全部話せと言った彼とはまた、違った意味でカミルには圧を感じる。特に笑顔に。


 一瞬の沈黙の中、彼と目が合う。分厚い前髪に隠された視線すら分かったのか、へらり、と笑いかけられた。


 笑っているせいか表情が読めない。そもそも読めるほど敏感な方ではないが、それにも増してカミルが何を考えているのかわからない。


 先ほどの「黙っててあげる」というのも信じていいものか。


 カミルには全くメリットがないような気がするが、楽しそうだからと言われると納得しかける自分もいる。


 この軽薄さが不安にさせるのだろうか。そんな感想は飲み込み、アルティーティは自分の名を告げた。


「……あ、あー……君があの幻の御令嬢か。まさかこんなところで会うなんてね」


 わずかに驚いたような表情を浮かべたカミルは、仕切り直すように再び笑みを浮かべた。


「まぼろし?」

「うん、一歩も外に出ないって有名だったよ。いるかいないか、わからない。だから幻」

「なるほど……」


 アルティーティはうなずきながらも、若干顔を引きつらせた。


 そんな大層なふたつ名がつくほど、ストリウム家はアルティーティの追放を秘密にしたかったのか。


(……あの人たちなら、そりゃそうするよね)


 実母を亡くしたひとり娘を追放した、となると継母に批判がいく。


 それを避けるために追放の事実を隠すのは、家柄を最も大事にする彼らならやりかねない。


 納得しつつも、ほんの少し気持ちが沈むのは、どこかで彼らに対し期待があったからかもしれない。


 自分はもう、アルティーティ・ストリウムではない。もうあの家は捨てたのだ。無関係のアルト・アングリフが期待を持つこと自体がおかしいのだ。


 神妙な面持ちの彼女に、カミルは思い出したように手をぽん、と打った。


「あ、ついでに教えてあげるよ。さっきジークフリートが言ってた婚約者亡くしたどこぞの騎士の話、あれあいつだから」

「あいつ、とは?」

「ジークフリートだよ。だからあいつ、それからずっと婚約者いないの」

「…………え?」


 世間話のように話す彼の口調に、一瞬理解が遅れた。


 たしかにジークフリートの語り口はどこか他人事ではないような印象を受けた。だがそれは、数々の戦いで仲間を失った経験のある騎士だからこそ出せる、臨場感のようなものだと思っていた。


 それが彼自身の経験だとは。


(……ということは……この結婚はやっぱり元婚約者さんを忘れられないからってことで……わたしじゃなくて、誰でも良かったんだ……)


 アルティーティは先ほどとは別種の気分の落ち込みを感じ、戸惑った。


 なぜ落ち込むのか、自分でもよくわからない。ジークフリートの身近な人間が命を落としているからだろうか。それとも──。


 悶々とし始めた彼女を尻目に、カミルは席を立った。


「あ、この話、オレがしたって内緒ね。ついでにオレが君の正体知ってるってことも秘密にしてよ」

「な、なんでですか?」

「その方が面白いじゃん」


 いたずらっぽく笑う彼に、アルティーティはポカンと口を開けた。


 面白い、と言われましても。


 そう言う前にカミルは身を翻した。


「じゃ、そろそろ帰るね」

「え、あ、あのっ!」

「ジークフリートによろしくー。めちゃくちゃ怒られて帰ってくるから慰めてあげてー」


 バイバーイ、と手をひらひらさせながら出ていく彼に抗議の声は届かない。


 秘密を了承したつもりは一切ない。が、さすがにジークフリート本人に言えることではない。まして元婚約者の末路など、どう切り出していいものかわからない。


 だから秘密にせざるを得ない。


 それはわかってはいるのだが、カミルが漏らした新事実への驚きとなぜか心に残る落胆が、アルティーティの胸をぐるぐると引っ掻き回した。


 それこそ、ストリウム家のことなど全部吹っ飛んでしまうほどに。


 混乱したアルティーティは、帰ってきたジークフリートに声をかけられるまで時折小さく呻き続けていた。

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