33.弱々しい彼女
ジークフリート視点
(やはりか……)
ジークフリートの眉間の皺がさらに深く、厳しくなる。
団長は言った。『本当は剣術もできるが、実践が難しい』と。つまり彼女は対人で剣を扱えないということだ。
ジークフリートの長い騎士人生の中で、剣を握れなくなった人間が何人かいた。
そのほとんどは、実践を経験しての恐怖心──流血や相手の命を奪う行為への忌避感、今度は自分がそうなるかもしれないという不安感から、騎士を辞めた。
彼女は幼い頃に母親を亡くしている。それも複数の男たちにナイフで刺され、おそらく彼女をかばって亡くなっている。刃物自体への恐れがあって然るべきだ。
だからこそ、後方支援の弓騎士を選んだ。騎士になるには、選ばざるを得なかったのだ。
アルティーティは話を続けた。
「どうしてもダメなんです。母のことを思い出しちゃって……料理も、できることなら包丁使いたくないくらいです……ははは、ダメですね……そりゃ辞めたほうがいいって言われちゃいますよね」
声は明るいが、口元の笑みが弱々しい。こんな時でも気丈に振る舞おうとする彼女が、痛々しく映る。
師匠の言い分はわかる。
近年、結成された魔法師団にしのぎを削られた弓騎士は、国内のどこの騎士団でも弓だけを極める者少なくなっている。
ある者は時流の変化に耐えられず退団し、またある者は他の得意な武器を取る。アルティーティのように、弓だけできる騎士などやっていけない。
師匠はそう考えたのだろう。
ジークフリートも師匠の立場なら、同じように彼女を止めたかもしれない。
だが、弱った彼女を前に、ほんの少し芽生えた気持ちから目を逸らすことはできなかった。
「……動きは良かった」
「…………え?」
ぽつりと言った言葉がよく聞こえなかったのか、アルティーティは小さな声で聞き返した。
自分が師匠ならば、過去の傷も乗り越えろと言うかもしれない。乗り越えられないなら辞めろ、と。
ただの上官ならば、剣の稽古のひとつもつけるかもしれない。
しかし、自分は師匠でも、ただの上官でもない。幼い頃の彼女を知る人間であり、彼女を守るひとりの騎士だ。
ジークフリートは大きく息を吐くと、まっすぐアルティーティを見つめた。
「動きは良かった、と言ったんだ。すり傷はあるが、打撲はない。大きな怪我もない。ヴィクターの剣を受けていないということだ。ならお前の動きはその辺の騎士より上だ」
「…………」
「他の隊員にも聞いた。子供をかばったとも。誰も動けない中、お前は動いた。ならお前はその辺の騎士より騎士だ」
アルティーティはぽかん、と口を開けている。
間の抜けた顔にジークフリートはふっ、と口端を上げた。
「きっかけはどこぞの騎士かもしれない。だがお前は厳しい訓練を乗り越えた。半端な気持ちでやれることじゃない。子供たちも感謝していたぞ……だから自信を持て」
言いながら彼は自分の中の矛盾に気がついた。
契約結婚の目的は彼女を守るためだ。
彼女がたとえ騎士を辞めても、ジークフリートの伴侶として生きていける。いわば逃げ道を作る意味もあった。
しかし今の彼の行動は逆だ。
励ましてどうする。騎士にしがみつく理由を与えてどうする。彼女は市井で平穏に生きるべきだ。
ずっとそう考えているつもりだ。
対して、こうも考える。積年の努力は報われるべきだ、とも。
騎士になるために並々ならぬ努力をしてきたことだろう。
それがあっているか間違っているかはさておき、彼女は騎士に希望を見出したのだ。だからこそ努力した。たった一度、会っただけの騎士の背中を追ってきた。
その彼女が、目の前にいる。励ます理由はそれだけで十分だった。
「……あ……ありがとう、ございます……」
呆けたまま礼を言う彼女に、ジークフリートはうなずいた。眉間の皺が緩んでいることも気づかずに、彼は続ける。
「……それに、辞めろと言われて辞めるお前じゃないだろ」
「そう……ですね。たしかに」
アルティーティは微かに笑みをを浮かべた。少し調子が戻ってきたのかくすくすと笑っている。
まったく、いつもの彼女でも弱った彼女でも調子が狂う。彼女の笑い声につられそうになったジークフリートは、視線を外した。
「気にしてるようだから言っておくが、志望動機なんてそんなもんだろ。純粋に国を守りたいから、なんて言うやつの方が少ないかもな」
「隊長もですか?」
今の彼から想像がつかないのか、意外そうな声が彼女から上がる。
この国は基本的に平和だ。
ジークフリートが騎士になった頃は隣国との小競り合いもちらほらあったが、休戦協定によりそれもない。それどころか友好条約を結ぶのでは、という話もあるくらいだ。
それ以外はたまに小型の魔物が出現する程度で、すぐに鎮圧できる。
戦時中ならまだしも、こんな平和な状況下で国の守護を理由に剣を取る人間は少ない。同期には何人かいたが、いずれも紛争地域出身者のみだった。
故に、生活のために騎士になろうとする者は多い。彼もまた、広義ではひとりで生きるために騎士になったアルティーティと同じだった。
「……俺は三男だからな。家督は継げない。どこかの貴族の婿取りでもしてもらわない限りは、な」
ジークフリートはため息をつくと、天井を見上げた。
何も起きなかったら、彼はブリジットと結婚し、今頃家を継いでいる。
来るはずだった未来は、今もまだジークフリートの胸にある大きなしこりだ。
白い天井に、いつの間にできたのか黒いシミがぽつんと、心細げに染み付いていた。
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