3.そんなわけないよね
とがめるようなその声色に、驚いたアルティーティは微かに目を見開いた。ジークフリートの瞳が一瞬だけ、鋭くカミルを睨んでいるように見えたからだ。
(隊長……?)
らしからぬ態度に首をひねる。横目で見ればカミルも同じく困惑したように眉をひそめていた。
微妙に緊迫した雰囲気に、周囲も固まったように動かない。
「そいつの頭に触るな。噛み付かれるぞ」
重々しい空気が、ジークフリートの一言で霧散する。
「おお、それは怖いな」
「だ……っ! 誰も噛みつきませんよ!」
おどけたように両手を上げるカミルの姿に、アルティーティは抗議の声を上げた。なんだ冗談か、と誰かが笑う。
ふくれっつらを作りながらも彼女は内心ホッとしていた。
(もし見られたらどうしようかと。隊長のおかげで助かったー)
おそらく、昨日見せたもうひとつの秘密を見せまいとしてくれたのだろう。なんだ、優しいところあるじゃないか。彼女はそう解釈した。
ちらり、と見ると、面倒くさいと言わんばかりに仏頂面のジークフリートと目が合った。
すみません、と心の中で言いつつ小さく頭を下げる。しかし彼の眉間の皺が刻まれるだけだった。
(……そうか、助けてくれたんじゃなくて本当にただの冗談だったのかもしれないのか、鬼上官がそんなことするわけないもんね)
アルティーティは肩をすくめた。
よく考えたら、彼が自ら課した条件は女であることを黙っておくことだけだ。もうひとつの方は条件に入ってない。
助けてくれたと勘違いしてしまった。恥ずかしい。
笑いのおかげで空気が緩んだせいか、ジークフリートは「少し休憩にする」と隊員たちに伝えた。
(あ、これもしかして、まだお説教続く……?)
訓練所を続々と出て行く彼らに取り残される形で、アルティーティはジークフリートの前にたたずむ。
嫌なことは早く終わらせよう、と背筋を伸ばす。その姿を見て、ジークフリートは面倒そうに口を開いた。
「お前も休め」
「え、でも……」
「まだ俺の説教を聞きたいのか?」
ため息混じりに言う彼の瞳に呆れが混じる。アルティーティは慌てて首を振った。
「い、いいえっ! 十分わかりました! 以後気をつけます!」
ジークフリートの眉間の皺が深くなるのを確認するやいなや、彼女は足早に訓練所を後にした。
しばらく彼女の背中を見守っていたジークフリートの姿に、隣に立つカミルはくすりと笑った。
「彼、面白いね」
「……どこがだ」
気安く話しかけるカミルに、ジークフリートはどっと疲れが出たように息を吐いた。
彼とカミルは、歳は少し違えど士官学校の同期だ。
剣の腕が立つふたりは良きライバルとして、時にぶつかりあいながらも切磋琢磨してきた。
ふたりともおのおのの家族をのぞくと、一番長く同じときを過ごしてきた仲間である。お互いのことは誰よりもよく知っている。
だからこそ、カミルが何かに勘づいただろうことはわかっていた。わかっているからこそ面倒なのだが。
「んー、弓以外の技能はからっきしなのに、弓だけは百発百中なところとか?」
「立ち回りはまだまだだけどな」
「そこは隊長がこれから指導したらいいでしょ?」
「士官学校で学ぶことだろそれは……」
勘弁してくれ、とつぶやくジークフリートの横で、カミルの笑いはさらに深くなる。
「あとはそうだな、女の子みたいな見た目に反して熱血なところかな」
女、という言葉にジークフリートは一瞬息を呑んだ。
とはいえこれは想定内だ。
アルティーティの男装が下手、というわけではない。実際、カミル以外に気づかれた様子はなかった。
カミルは勘がいい。人のちょっとした動作や表情ですらよく観察している。個性的でアクの強い遊撃部隊の副長に抜擢されるだけはある。
鈍感なところがあるジークフリートが、時に感心を通り越してあきれるほどだ。
ひと呼吸おいて、ジークフリートは口を開いた。
「女……じゃないだろアレは。矢と一緒だ。直進しか知らん」
「直進ね、昔の君に似てると思うなぁ。上官に噛み付くところとか」
君にらしくない冗談を言わせたりね、と、カミルはイタズラっぽく軽くウインクをする。
「……は?」
思っても見ない言葉に、ジークフリートは思わず聞き返していた。
想定外だ。というよりも想像すらしていなかった。
昔の自分と今のあいつが似てる?
なにをバカなことを、と言いかけて思いとどまった。彼が言うならそうだろう。否定したところで墓穴を掘るだけだ。
そうでなくても、咄嗟に出た「触るな」という言葉を誤魔化すためにらしくない冗談を吐いたばかりだ。下手なことはもう言えない。
射手にとって最重要である視界を、分厚い前髪で遮るほど秘密を隠したい。昨日の彼女の思い詰めたような様子から、ジークフリートはそう感じ取った。
隠して結婚することもできただろう。本当は彼にすら隠しておきたいことだったに違いない。
騎士としてはまだまだだが、アルティーティの心意気を好ましく思えた。
その心意気に少しでも報いるためにカミルの手を止めたのだが、そのせいで彼女が女であることがうっすらバレている気がする。
迂闊だった。
そもそも勘のいいカミル相手に隠し事など、負け戦も同然。
──それでも、俺はあいつを守らなければならない。
いったい何故、俺は「触るな」なんて言ってしまったんだ。まったく、調子が狂う。
苦虫を噛み潰したような顔で見るしかできないジークフリートに、カミルはくすくすと笑う。
「団長が彼を遊撃部隊に入れたのもわかる気がするよ」
ひらり、と手を振り出て行く彼を、ジークフリートは見送った。頭の中でカミルの言葉が反響する。
「似てるなんて……勘弁してくれ……」
髪をくしゃりと掴み、忌々しげにため息をひとつついた。




