28.彼は悔いていた
ジークフリート視点
「……あっつ……っ!?」
ヴィクターの声が響いた。
アルティーテの目掛けて振り下ろされたはずの木剣は、ものの見事に燃えた。
何が起こったのか理解できず、ただ手の熱さに危険を感じたヴィクターはそれを放り投げた。投げられた木剣は、焚き火にくべる枝のように燃え上がり、一瞬で灰になる。
あまりに突然のことに、ヴィクターは腰を抜かした。
しかし彼が驚いたのはそれだけではない。
「な、……なんで、隊長が……!?」
つい先ほどまでヴィクターが立っていた場所に、ジークフリートが佇んでいた。
彼の燃えるような赤髪が逆だっている。その周りを、小さな火の粉がゆらぎ舞っていた。
そう、先ほどの木剣は彼が魔法で燃やしたのだ。
この国、エルディール王国でも数少ない魔法剣士。その中でもジークフリートはいくつかの魔法を使える稀有な存在だった。彼を引き止めるために、ジオンが新たな部隊を作る程度には。
後ろ姿だけでも分かる殺気に、ヴィクターは一歩も動けない。
ジークフリートの腕には、抱き上げられたアルティーティが収まっていた。ぐったりしている。彼がかけつけた時にはもう、気を失っていたようだ。
大きな怪我はなさそうだが、苦悶の表情を浮かべる彼女に、改めて彼は自分の行動を悔いた。
「……すまん……」
(もっと早く気づいてたら……)
ジークフリートは彼女を抱く力を強めた。誰にも聞こえないように、と小さくつぶやいた謝罪が弱々しい。
それでも声が届いたのか、ほんの少しだけ、彼女の呼吸が穏やかになり始める。小さく息を吐いた彼は、振り返り口を開いた。
「ヴィクター・ジーゲン!」
「は、はいっ!」
低い声で呼ばれ、ヴィクターは慌てて姿勢を正した。
彼らが戦っている時とはまた違う緊張感に、その場の全員がジークフリートを注視する。「絶対ヴィクターを怒鳴り飛ばす」「いつものアルトへの説教がヴィクターに」と誰もが思った。
「説明しろ」
皆の期待と裏腹に、ジークフリートの言葉は短く静かだった。
拍子抜けしたのか、ヴィクターは一瞬目を見開くとジークフリートを睨みつけた。太い眉がこれでもかと歪み、不快感をあらわにする。
「……ただの喧嘩です」
「ほう、喧嘩か……喧嘩でこんなことになるのか」
「確かにやりすぎました。けど、そいつが逃げ回るからで……! 最後だって、やらなきゃやられる、そう思ったからやっただけです。戦場なら当たり前ですよね?」
挑むようなヴィクターの口調に、誰かが「珍しい」とつぶやいた。
彼は口は悪いが、上官には全く逆らわない。意見しない。粛々と命令をこなす。その点でも、アルティーティとは正反対の性格だった。
その彼が、上官相手にやたらと突っかかる言い方をしている。
(……ヴィクターがこいつに絡むのも何かしらの訳があるんだろうが……)
「なるほど、確かに戦場なら当然だな」
ジークフリートのうなずきに、ヴィクターは眉頭を緩ませかけた。同意を得られて嬉しい、といった表情だ。
当然だ。彼は正しい。
しかし、ジークフリートは「だが」と言葉を続けた。
「ここは戦場じゃない。仲間、まして変調をきたした同期を叩きのめすなど言語道断。騎士道に反する。やりすぎだ」
やわらぎかけたヴィクターの表情が固まった。ひとつ大きなため息をつくと、
「……かばうんですね。そりゃお気に入りですもんね、隊長の!」
と、当てつけのように声を荒げた。
(……おきにいり……?)
ジークフリートはその言葉に眉をひそめた。
確かに、アルティーティのことは気にかけてはいる。しかし、お気に入り、などという生やさしい言葉で表現できるような感情ではない。
むしろ、彼女が女だとバレないよう、他の隊員と同じように厳しく扱っているつもりだった。
「お気に入り……どこがだ?」
本気でわからない、といった様子のジークフリートに、ヴィクターはさらに苛立った。
「見たんですよオレ。何日か前に隊長とそいつが馬車乗ってどっか行くの。長いこと出かけてたようですけど、どこ行ってたんですか? 休日に一緒に出かけるなんて、お気に入り以外のなんだっていうんですか?!」
ヴィクターは矢継ぎ早にまくしたててくる。
「あらあら、これじゃまるで浮気を問い詰める奥さんね」とミニョルがこれみよがしに肩をすくめたが、ヴィクターには聞こえなかったようだ。
とはいえ、これは困った。
馬車で出かけたことは一度きり。リブラック家に挨拶した時だけだ。
なぜそんなところへ行ったのか、やはり贔屓じゃないかと騒がれたら困る。下手すれば彼女の正体がバレる。正直には言えない。
ジークフリートは考えを巡らせ──。
「……任務だ」
「……は?」
やっと出た答えに、ヴィクターは間の抜けた声を出した。つい先ほどまで喧嘩腰だったからか、拍子抜けした様子だ。
ジークフリートは仏頂面を作ってさらに続ける。
「任務で一緒に行動しただけだ」
「任務……?」
「王都を騒がしてたひったくり犯、あれ捕まえたのは俺とアルトだ。あの日は捕縛任務に一緒に行っただけだ」
苦しい。我ながら苦しい言い訳だ、とジークフリートは内心苦笑した。
その言い訳を思いつけたのも、あの日アルティーティが任務だと勘違いしてくれたおかげなのだが。
万が一、調べられても「アルトが女装して犯人をおびきよせた」と言えばなんとかなるだろう。
「……本当ですか?」
「嘘ついてどうする。疑うならジオン団長に聞いてみろ。あいつら捕まえたのは誰か、とな」
ヴィクターはまだ何かいいたそうに口を開きかけたが、そのまま押し黙った。まだ釈然としないようだ。
が、団長の名前を出され、これ以上追及しないと決めたらしい。
納得がいかないまでも、幾分か落ち着きを取り戻したヴィクターは問いかけてきた。
「もし……オレが休みだったら連れて行ってましたか?」
どこかすがるような問いだ。声もうわずり、太い眉が下がっている。
ジークフリートは静かに彼を見つめた。
「……さあな。まともに女装ができたら、考えたかもしれん」
そう言うと、小さくため息をついた。
本音を言えば、少人数の任務に仲間を傷つける人間は連れて行かない。
もっと言えば、配属3日の新人を連れて行くことなど異例中の異例だ。たとえ本当に任務であっても、ヴィクターやアルティーティがそのメンバーに入ることはない。
だが、今回のことは自分にも責任がある。もちろん、怒りに任せて行動した彼にも問題はある。
ここで彼を拒絶するのは簡単だが、まだ入ったばかりの新人に全ての責任を負わせるのは酷だ。
(本当に……うちの新人は教えがいのあるやつばかりだな)
ジークフリートはもう一度息を吐くと、周囲の隊員たちに向かって声を張り上げた。
「ヴィクター、お前はしばらく自室に待機。アルトの回復を待って改めて事情を聞く。他のやつは演習場の原状復帰だ」
隊員たちから「ええー」と抗議の声が上がる。
他の部隊なら、命令に抗議など起こり得ない。
遊撃部隊は揃いも揃ってアクが強いためか、それともジークフリートが信頼されすぎているためか、時折こんなふざけた反応がある。そして大抵は彼に激怒される。
今回も多分に漏れず、ジークフリートは睨みをきかせ言い放った。
「こんなことになるまで誰一人止めなかった、その始末書を全員書いたついでにフル装備で一日走り込みしてもいいんだがな」
(もちろん、俺含めてだが)
渋々動き出す隊員たちを前に、ジークフリートは自嘲した。
腕の中のアルティーティは、呼吸は落ち着いたものの青白い顔をしている。やはりまだ具合は良くなさそうだ。
(早くベッドで休ませなくては)
しかし他人に任せるわけにもいかない。彼女の正体を知るのは彼ひとりだ。
焦りながらも、隊員たちに次々に指示を出す。
「それから、見学者への説明だが……」
「それはオレがやるよ」
振り返ると、カミルがいつもの笑みで手を挙げていた。
のんきに見える彼の様子に、鎮まりかけた怒りが再びくすぶり始める。
「君はアルトを連れて行ってあげて。かなり辛そうだ」
「………………あとでお前にも話がある」
「わかってるよ。今は彼を、ね?」
カミルに言いたいことは山ほどある。そしてそれは自分にも言い聞かせたい言葉だ。
それらをぐっと押さえ込む。今はとにかく、彼女を休ませるのが先だ。
ジークフリートは「すまん」とひとこと残し足早に寮へと向かった。
「あら、お姫様抱っこなんてうらやましいわぁ」
「ミニョル、余所見禁止」
「はいはい、みんな仕事するよー」
皆を急かすように手を叩いたカミルに従い、隊員たちはそれぞれの作業に取りかかる。
カミルもまた、横目でジークフリートの背を見送りながら、見学者の元へ急いだ。




