1.最悪な配属初日
「何言ってるんですか?」
アルティーティは率直に困惑を口にした。
男らしく見せるために切りすぎた黒の短髪も。
毛ひとつ生えないつるつるの肌を誤魔化すために巻いた手足の包帯も。
胸を押しつぶすために強く巻いたサラシも。
体の線を極力出さないようにと少し大きめの群青色の隊服も。
少しでも背が高く見えるようにとはいた厚底のブーツも。
朝から気になってしかたがなかったものが、もうすべてどうでもいい。
──女人禁制の騎士団に、女が身分を隠して入団している──。
バレただけでもマズイ。
それなのに着替えを見られた相手が、よりにもよって上官であり寮の同室者、そして侯爵家の三男でもあるジークフリートだったなんてもう、マズイなんてものではない。
鍵をかけるのを忘れていた。というよりも、今までいた士官学校の寮では一人部屋だったせいで施錠の習慣がない。
慌てふためく彼女に「着替えを済ませて事情を話せ」と言った彼が視線をそらせ気遣いを見せたことも、事情を話した後に「大変だったな」と一言漏らされた感想も、もはやどうでもいい。
「遅い!」「弱い!」「下手くそ!」「学校で何を習ってきた!」と、配属初日からアルティーティを集中的に絞りに絞る冷徹無比な鬼上官の彼が、こんな明らかな違反を見逃すわけがない。
きっと先程の提案も、嫌がらせか面白がるためのものだろう。
──『黙っててやるから俺と結婚しろ』だなんて。
(ああ、人生最悪の日。元々そんなに大した人生じゃなかったけど)
アルティーティは、白壁に背をあずけ目をつむるジークフリートを、前髪ごしに恨みがましく見つめた。
燃えるような赤髪は、凛々しい眉を強調するようにその前髪を上げている。閉じられた赤眼は、訓練の声と同じく鋭く熱い。
アルティーティと同じ群青の隊服を着ているが、唯一首元に入る銀糸の3本線が、彼女との階級の違いを表していた。
遊撃部隊の中ではちょうど真ん中、さして背は高くない彼だが、隊長を任されることもあってかその存在感は巨大だ。
口は悪いが冷静沈着、隊員からの信頼も厚い。一足飛びに次期団長の呼び声も高い。さらには侯爵家の三男坊。
目鼻立ちも身分も整った彼ならば、社交界の面々からも引く手あまただろう。
わざわざ会って初日の裸を見た女に求婚するまでもない。本気だとしたらどんな変態だ。
(やっぱりからかわれた、いやでもそんなこと言うタイプに見えないし……でも普通に考えても……)
果たして冗談なのか、特殊性癖なのか、はたまた別の事情があるのか、4歳からまともな教育を受けていなかったアルティーティには判断ができない。
困惑する彼女をジークフリートはため息混じりに見つめた。
「だから、俺と結婚しろ、と言っているだろう、アルト・アングリフ。……いや、本当の名はアルティーティ、だったか」
ややこしい、とつぶやき腕を組み、もう一つため息をつく。
「言っておくが、俺は子どもに欲情する趣味はない。お前に惚れたからこんなことを言っているとは思わないことだ」
「子どもって……わたし一応成人してますよ?」
「そういうところが子どもだって言ってるんだ、バカもん」
ギロリ、と音が聞こえそうなほど睨まれる。
どう見ても苛ついている。唐突な子ども扱いにアルティーティはムッとしかけたが、彼が冗談を言っているとは思えなかった。
言い方には棘があるが彼の言うことはおおむね事実だ。アルティーティは15歳。対するジークフリートは32歳だったか。
17も歳の離れた相手に一目惚れなどない……とは言えないが、訓練でこってりと絞られたアルティーティにはそんなロマンがわかるような男とは到底思えない。
「ならば上官命令でしょうか?」
「上官命令ならするのか?」
「いや、命令だったら嫌だなと」
「……初日から上官に噛み付くお前らしいなその感想は……」
あっさりと言い放ったアルティーティに、彼は何かを我慢するように眉間にしわをぐっと寄せた。
我ながら変な質問だとは思ったが、上官命令は絶対だ。
弓の師匠からは『死が予想される命令は全部断れ。それ以外は一旦考えろ』と言われている。
結婚して死ぬことはない。故にこれは逆らうべきではない。嫌ではあるが。
彼女の答えを受けたジークフリートは、明らかに不機嫌そうだ。彫刻刀で削ったようにくっきりとした眉間のしわが芸術レベルに美しい。
「……これは俺の個人的な取引だ。命令じゃない。期間は……そうだな、お前が騎士団を辞めるまでだ。嫌なら断れ。俺は上に報告するだけだ」
そんなの横暴だ、断れないじゃないか、と口に出しかけてやめた。
先に規則を破ったのはアルティーティだ。
抗議は無意味。ともすれば、騎士団の養成所に入所するときに推薦してくれた師匠にも責任問題が及ぶ。
それに退団するまでは黙っていてくれるという。生涯騎士で終えようという彼女にとって、都合のいい取引に思えた。
(秘密のために隊長と結婚、できなくはない。どうせ普通の結婚生活じゃないだろうし、子どもに興味はないって言ってたし。でも……わたしにはもうひとつ……)
アルティーティは両手で前髪を上げた。
「……これでも、ですか?」
あらわになるそれに、ジークフリートは一瞬、わずかに目を見開く。きっともうひとつ秘密があるなんて思ってもなかったんだろうな、と彼女は思った。
(こんなの見たら誰も結婚しようなんて思わない。でもこれを隠して結婚は騙してるみたいでなんかイヤ)
たとえ無条件に放り出されることになっても、嘘をつくよりはマシだ。師匠にも『しょーもないウソはつくな』と言われている。
彼はその秘密をしばらく見つめ、確かにうなずいた。
「それでも、だ。俺の条件は変わらん。できるなら留まれる。できないなら去れ」
意外な答えにあっけにとられたアルティーティに、「どうする?」と先ほどと変わらないぞんざいな態度で問う。
(……え? いや、普通これ見たら結婚やめるでしょ……全然意味がわからない。わからない、けど……)
アルティーティは唇を尖らせ、再びジークフリートを見つめた。
容姿端麗、質実剛健。社会的地位もある。
口は悪いし断れない取引を持ちかけてくるほど性格が悪いが、どう見ても嫁の来手に困る人ではない。
少なくとも元家族ならば、喜んでこの人との結婚を祝福しただろうと、アルティーティは思った。
確実に何か裏がある。しかしそれを知るすべも、断るすべもない。素直に教えてくれそうな雰囲気でもない。
(どうせ断ってもバラされて終わり。それよりは……確実にいい話、なはず)
話がうますぎる、と思いつつもアルティーティは腹をくくった。
──これはわたしが生きるための契約だ。そのためならわたしの秘密、隠し通してやる。
「わかりました。このアルティーティ・ストリウム、ジークフリート・リブラック隊長のご厚意頂戴いたします」
顔を上げ胸に手を当てたアルティーティの言葉に、ジークフリートはかすかに口端を上げた。




