帽子と狐
さてさて、どう話したものかね。
俺?僕?自分?小生?私?儂?
まあこの辺りはどうでもいいか、うん。
これから話すのは自分が遭った人の話しさね、嘘か真かはいざ知らずってね?
世の中にはこんなヤツとかが居るんだな程度で聞き流してくれればいいさ。
なんとなくそいつは俺の目にとまったのよ。ちょっと何とも言えない雰囲気でね、ぼんやりと遠くを見つめているのだけどもね、何と言うかなぁ目が伽藍洞だったのよ。
どこかを見ているようで見ていないっていうのはよくある事だとは思っているけどね?まあそれで声を掛けてしまったんだよね。
◇
夜。
まだ人が行き交う時間帯ではあっても私がここに居るのは良くない、と頭では理解をしていた。家に帰りたくないから、少しでも離れていたいから私は何もすることがなくてもここにただ、立っている。
家にいるの嫌いだ。家族が苦手で嫌いで、でも私はそこに帰るしかないという事がとてつもなく嫌だった。
母が苦手で嫌いだ。私が兄弟の長子だからという理由で部活でくたびれていても関係なく家事をやらされる。
父が嫌いで嫌いだ。兄弟の中で私にだけ当りが強くていつも叱ってくる。普段は無関心なくせにすぐに下の兄弟と比べて私がダメな奴なのだと罵ってくる。
兄弟達は苦手だ。私と比べて勉強が出来て家事をしなくてもゲームやテレビを見ていても叱られないし、手を上げられない。
小さな頃はお手伝いが楽しくてやりたいと台所に入り浸っていた。その頃はまだ良かった。そう、良かったんだ。
私があんな物さえ見つけなければ。
「なあなあ、大丈夫?どっか悪いの?」
突然、声をかけられた。と同時に私の顔はおかしくなった。
あまりにも怪しい、怪しすぎる人物なのだ。テレビでしか見たことがないレーサーのような厳ついジャケット、目深く被られた黒いツバ付き帽子、黒いマフラーで隠された口元。
何より目を引いたのは帽子に括りつけられている狐のお面。
手作りなのか顔を全て覆うのではなく顔の上半分が隠れるようにされている。帽子に括られているから意味はないだろうけど。
「もしもーし?」
ひらひらと黒い手袋に覆われた手を振ってこちらの反応を確かめてくる。誰がこんな不審者に反応なんて返すものか。
「まあ、反応しないのが正解だろうぜ?」
そう一言こぼすと近くでしゃがみ、タバコに火をつけ始めた。タバコも見たことのない真っ黒な物だった。
ふぅ、
と吐き出される紫煙は妙に甘く香り煙たい。顔を顰め、一歩離れる。
チリチリと燃やされ白く短くなっていくのを横目に眺める。そこで隠されていた口元が露出していることに気がついた。
線の細い顎に薄めの唇は中性的にも見えるが恐らく女性なのだと思う。言葉遣いは随分と悪いのだけど。
「オレなんぞ見てても面白くないなら家に帰りや、それとな、あんまし不躾に見るもんちゃうぞ?」
私を見ることもなく淡々とそう言い放つ人にぎょっとする。
女性なのに『オレ』と言った事と見ていたと気づかれた事に焦りを覚えた。
目が合ったと言うだけで殴られることもある世の中なのだからこの人もそうではないという保証が全くない。
危機感を覚え後ずさる前にカラカラとその人は笑い始めた。
「殴ったり蹴ったりカツアゲしようとか思ってねぇって。見てなくても見られているって視線は感じるもんよ」
そう言われて確かにと思った。なんとなく見られているという視線を感じることは確かにあるからだ。
短くなっていく煙草の火を横目に眺める。蛍の様に息づいて強く弱く光る様が似ているなと思った。幼い頃に川原で見た儚く短い命が終わっていくのにひどく、似ている。
限界まで短くなった煙草を地面に置いて黒いブーツの脚が踏みにじる。命の終わり、虫みたいだと最後までそう思った。
「君さ、今の所どうにもならないならどうしようもないよ。どうにか逃げても上手く生きていけるわけではないし、勉強だけ出来ても上手くいかないことだってあるんだから」
ついっ、とその人は見上げてくる。目深く被られた帽子のせいで表情がよく分からない。
何を言っているのだろう、この人は?
「自分の人生好きに生きようとしても親に邪魔されるなんてざらなこったぜ?」
そう言われてハッとする。
私は自由になりたいの?自由になりたいけどどうすればいいのか分からない。分からないことが、分からない。
「人生百年なんざ言われてっけど、本当に百まで生きていける奴なんざ少ねぇって。何処かでどうせ躓くし立ち止まっちまうさ」
そうだ、どれだけ進みがよくて順風満帆だろうといつかは止まってしまうし、予期せぬ出来事でそこまで生きていけない可能性もある。なら、どうする?
「出来るだけ賢くなるしかないさ。君が立ち止まっても進みたい方向があるならなんとかなるさ」
…進めるだろうか、私は。もうすでに、立ち止まっているのに。
勉強も出来なくて何も取り柄なんてないのに。何も、本当に何もないのに。
「少しでもいいよ、好きを大切にして絶対に離さないようにしなさいな。君もあるっしょ?好きなの」
少しだけどある、私が好きなもの。鉱石とか宝石の類い。小さい頃に月刊の鉱石標本とかが着いているのを買ってもらっていた。
その頃は兄弟達も小さくて学校から帰ってくる度に標本を部屋中にばら蒔かれて、何個かなくしてしまって…管理ができないのなら買わないって怒られて全部、私のせいにされた。
あれ以来、付録が着いている本とかは買ってもらってないし買わなかった。また私のせいにされるのが嫌で、私が大切にしていたものをなくされるのが嫌で…
「呵呵、もう大丈夫だろ。その好きを大事にしなさいよ」
好きなものは好きで良くて、それを大切にしてもいいの?
その人は唇を弧の形にして笑う。それが答えだと受け取る。
嫌だけど家に帰ろう、また好きなものを好きになって頑張って勉強して家を出て鉱石とかに関係のある所に行こう。きっとそうすれば、私は自由になってずっとその方がいい。
私は嫌な気持ちを抱えて家に帰るために一歩踏み出す。自由になる、自由になって邪魔なんてさせないと強く意識しながら。
◇
まぁ、解決はせんよ。ちょっと引っ掻き回してやればちょっと面白くなる。あの子の場合は父親の不倫が原因さね?ふぅん?
ちっさい頃にぷりくら?ってので撮ったツーショを見つけて母親に渡しちまったのが凶源か、あやまあ…
あの子には悪いがあまり面白くないねぇい、こら酸いも苦いもなんとやら。正直に言うと不味い。はーぁー…
口直しにまた黒い煙草に火を着ける。甘い香りがお気に入りの銘柄だけどもあまり評判は良くない。
手の中でピラリと葉書サイズの紙をしげしげと見て…
燃やした
シール状になっている小さな写真には笑顔の二人が写っている。それを炎が表面を舐め変色させ黒く炭化し、白っぽい灰になっていく。
指先を焦がす前に手を離し、地面に落ちたところを踏みつける。
「他人の不幸は蜜の味とは言うが…こうも酸いとまっずくて敵わんな…」
煙草をくわえて歩き出す。薄暗い路地に溶け込みあっという間に見えなくなる。たなびく紫煙が一度、くゆると消えて無くなった。
なんとなく書き殴ってPCと携帯を使ったので文が見にくくなりました。すみません。