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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恵麻と紗莉

作者: 砂原翠

どこにでも行ける君と、どこにも行けない私。

 恵麻ちゃんは美人だ。目元はすっきりとした二重で、鼻筋が通って、薄い唇がいつも赤く彩られている。長い髪も、私みたいにパサパサしてなくて、艶めいている。

 恵麻ちゃんと私は同じクラスだけど、教室ではほとんど話さない。所属しているグループがかけ離れているからだ。私は同じ美術部の身なりに頓着しない子たちとつるんでいて、恵麻ちゃんはヒエラルキートップの派手で明るい人たちといる。

 私と恵麻ちゃんが親しくするのは、部活の時だけだ。恵麻ちゃんは幽霊部員になるために選んだ、なんて言うけれど、美術部での恵麻ちゃんは真面目だ。スケッチブックにシャーペンの薄くて細い線で緻密な絵を描き、たまに水彩で淡く彩色する。

 教室にいるときと違って、部室での恵麻ちゃんはひどく静かだ。美しい横顔で、たまに落ちてきた髪を耳に掛けながら、ひたむきに手を動かす。他の部員とは距離があって、賑やかな軍団とは離れた奥の席にいつも座っている。私は一人で絵を描く恵麻ちゃんの隣にいることが多いけど、他の部員もみんな友達で、橋渡しみたいな役割をしながら、お守り大変だねなんて労われて、どちらにも居場所があるような、ないような感じでいる。

 私の友達は皆、苗字の辻をもじって、つーちゃんと私を呼ぶけれど、恵麻ちゃんだけは私を紗莉と下の名前で呼ぶ。私は恵麻ちゃんが教室で呼ばれているように、恵麻と呼び捨てにすることはできない。三年間ずっと、恵麻ちゃんと呼び続けた。

 恵麻ちゃんはよく、私のことを「可愛いね」と言う。顔立ちを見れば、恵麻ちゃんの方がずっとかわいいのに、きっとそういうことではないのだろう、凡庸でちょっと丸っこい私のことを彼女は可愛い可愛いと褒めた。

「ずっと汚れないでね」

「純粋でいてね」

 現代に生きる子供で、いわゆる生粋に無垢なものなど存在しないだろうに、恵麻ちゃんはよく私に言った。言われる度、私は「ええー」と曖昧に笑って、自分が恵麻ちゃんから大事にされているのか、憧憬のようなものを抱かれているのか、それとも小馬鹿にされているのだろうかと少し悩んだ。そして、

「恵麻ちゃんだって汚れてないじゃん」

 と彼女の腕にしなだれかかって、私は純粋だったことなんてないよと心の中で思った。

「紗莉は、悩みがなさそうでいいね」

 と恵麻ちゃんが言ったのは、二年生で進路調査票を提出した後だった。

 私はちょっとカチンと来て、そりゃ恵麻ちゃんの前ではいつも馬鹿みたいに笑っているけれど、私の人生全てがお気楽なわけないでしょと詰め寄りそうになったが、恵麻ちゃんの愁いを帯びた表情を見て怒気を削がれた。

「あたしはどこにも行けないからさ」

 恵麻ちゃんは自虐的に口の端で笑って、

「でも、紗莉はどこへだって行ってしまうでしょ」

 と睫を伏せた。

 私はその時、恵麻ちゃんが私たちの間に引いた透明で強固な線が見えた気がして、「恵麻ちゃんも私と一緒の大学に行こうよ」と少し上ずった声を出した。

「いいね、それ」

 恵麻ちゃんが俯き加減に目線だけこちらに向けて弱く笑って、私はどうしようもなく今後の進路が恵麻ちゃんと決して交わることはないと悟った。きっと、高校を卒業してしまったら、私は恵麻ちゃんと一生会わない。いくら連絡先を知っていても、きっとどんなメッセージも送信できない。この美しい友達が大人になった姿をもう知ることはないのだろうと、どうしようもなく分かってしまった。

 私は氷を呑んだように寂しい気持ちになって、肘で恵麻ちゃんの柔い二の腕を押して、頼りない肩に頭を預けた。すると彼女は私の頭に自分のそれを寄せ、私たちは髪で、頭皮で、互いの感触と温度を分かち合った。

 もし、私たちが薄い笑顔の膜を壊して、お互いの未熟な心に素手を突っ込み掻き回すことを恐れなかったなら、私たちの孤独はもっと軽かったのだろうか。甘く、毒にも薬にもならない言葉を飲み込み、鋭利な感情をぶつけ合えたなら、近しい魂を手に入れられたのだろうか。けれども高校生の私は言葉で恵麻ちゃんとの関係を変容させることを恐れ、体で彼女と慣れ合うことしかできなかった。

 後悔と言うには新し過ぎ、手遅れでないはずなのにあまりに遠い感覚が、毛髪越しに触れ合った頭皮をじんと痺れさせた。


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