8話:人殺し
黒城からの依頼を即座に済ませると、直也はある場所に向けてバイクを走らせた。それは昨日、あの甲冑の男と遭遇した廃工場前の広場だった。もう1度あの場所にいけば、また彼と出会えるかもしれない。そんな淡い期待を寄せての判断だった。
道は比較的空いていたので、スムーズに目的地にはたどり着くことができた。幸先の良さに、気持ちも軽やかになる。直也は路肩にバイクを停めると、裏路地に入った。始めは歩いていたが、徐々に興奮を抑えることができなくなり、最終的には走ってあの広場に向かった。何度も草や小石に足をとられそうになりながら、小道が大きく開けるところまでたどり着くが、あの場所には入ることができなくなっていた。
裏路地から広場に繋がる道をまたぐように、黄色いロープが張られていたからだ。ロープから、この先に入ってはいけないという無言の圧力が聞こえてくるかのようだった。直也は出鼻をくじかれた思いで立ち尽くす他ない。
ロープの内側では、薄いグレーの作業服を身にまとった男たちが数人たむろしている。よく見れば、彼らは昨日、怪人によって破壊された電信柱を修理していた。男たちは皆、その叩きつけたレンガのように、いとも容易く砕け散った電信柱を前に首を捻っている。こんな車の侵入もできず、またその痕跡もないような場所でこんな傷ができるものなのかと思い悩んでいる様子である。
そのまま視線を巡らせ、直也は多くの戦いの傷跡がその場所に残されていることに気付いた。アスファルトには、いくつも細く白い線が引かれており、なかにはめくれあがっている箇所もある。周囲を取り囲んでいた壁は破壊され、コンクリート片が乱雑に散らばっていた。いくつかの細い木々は倒れ、青々とした葉をあちこちにばら撒いている。
すぐ近くで見ていた直也に気づいたのだろう。作業員の1人が「ここは工事中だよ」と注意の声を浴びせかけてきた。その大声につられて、そこにいた作業員たちの目が一斉に直也に集まってくる。その瞳の奥には、好奇心と嫌悪という相反の感情を浮かべている。
分かってるよ、と直也は内心で呟き、きまりの悪い思いで踵を返した。そして元来た道を戻ろうと足を踏み出すと、そこで何かを蹴とばしてしまった。視線を落とすと、それは拳サイズの石ころだった。ぎざぎざとした輪郭を持っており、濃い灰色をしている。
とくに気を止めることはない。何の変哲もない、そこらにあるようなものだ。直也はその場を通り過ぎようとしたが、おやとふと思い、足を止めた。腰をかがめ、その石ころを手に取る。好奇心が頭の隅のほうで、じわりと鈍い光を放つ。
それは単純な石ころではなく、よく見てみればアスファルト片だった。昨日、怪人によって抉られたものの破片だろうか。それにしても、こんな場所にまで弾け飛んでくるものなのかと驚愕する。そのアスファルト片の表面には、些細であるが白いペンキのようなものが付着していた。黒ずんだ汚れが目立ち、削られた部分も見えることから、そのペンキが塗られてからかなりの時間が経過していると予測することができた。
違和感を覚えた。この欠片は本当に、怪人による攻撃の痕跡なのだろうか。
直也は振り返り、広場のほうを見た。作業員たちが、何かさかんに言い合いをしている光景が視界に入る。彼らの足元を舐めるようにして眺め、それから壁に這うような視線を運び、停止したままの工場を食い入るように見つめた。
やはりそうか、と直也は自分の推測を確かなものにしてその場を後にする。いまは大して役に立たないかもしれない。しかしここで発見した矛盾がいつか、謎を解明するための大きな手がかりになるかもしれない。そう信じ、その裏付けを頭の奥へとしまいこむ。
行きとは対称的な、消沈した足取りで裏道を引き返していると、ハーモニカの音色が聞こえてきた。こんな場所でなんだろうと思っていると、目の前にハーモニカを吹きならす男の姿があった。エアコンの室外機に腰かけ、目を瞑っていかにも気持ちよさそうに楽器を鳴らしている。その音色はまるで、海を横切る海鳥の鳴き声のように瑞々しく、想像力を揺さぶられるようだった。とくに耳を傾けるつもりなどないのに、気づけば直也の周囲には広大な大海原と、しぶきをあげて轟く波の音と鳥の甲高い歌声があった。
知らず知らずのうちにその音楽に聞き入っていた直也に気づいたのか、男は演奏を止め、直也に微笑みかけてきた。室外機から飛び降り、よう、と手を振ってくる。音楽が鳴り止んだことで、直也の前から大海原が瞬時に姿を消した。頭を左右に振り、直也は自分を取り戻す。こんな道端で俺は何をやっているんだ。
「ここに帰ってくると思ってたよ。いやぁ、待ったかいがあった」
「えっと……」
この男に会ったことがあるだろうか、と直也は自分の記憶を探った。平たい顔つきに、短く整えた黒髪は清潔な雰囲気が漂っている。目が大きく、眉毛は濃い。スーツ姿だったが、ネクタイはつけていなかった。年齢は直也とそう違わないように見えた。好青年、という言葉が脳裏によぎる。
「俺だよ、俺!」
そう言われても。いくら考えようとも、直也には男が誰だか分からない。人の顔を覚えるのは得意だと思っていただけに、なんだかもやもやとした解せない気持ちになる。この男は一体誰なのだと訝しみ、直也は歩み寄っていく男から距離を置くために少しずつ後退していく。
すると男は寂しげに笑いを漏らしたあと、立ち止まり、ポケットの中から何かを取り出した。それはまさに、あの甲冑の男がバックルにはめこんでいた、あの黄色い板だった。
直也は今一度、まじまじと男の顔を観察した。
「まさか……お前が、昨日の?」
「そう。そのまさかだよ」
男は唇をにっと曲げて、笑う。それは悪意の一切こもらない、見ているこっちもつられて微笑んでしまうような、そんな満面の笑顔だった。
「なんで、ここに? お前昨日、自分は謎ばっかりだから話すことなんてないとか言ってたじゃねぇかよ。正体明かすのは、謎にはいらないとでも言うんじゃないだろうな?」
「謎は自分から明かせば、もう謎じゃないんだよ。それと昨日一晩寝て、思い直した。やっぱり、君に話しておかなくちゃなぁ、ってね」
「なにをだよ」
探し求めていた男が、あまりにもあっさりと目の前に現れたことで直也はすっかりたじろいでしまっていた。相手のペースに乗せられないように緊張を高め、声を出す。はやる気持ちは敵だと、昨晩思ったことをもう1度心に留める。
男は布でくるんだハーモニカとあの板をポケットに突っ込むと、口元にわずかな笑みを湛えた状態で首を傾げた。
「事実をだよ。君にはやはり、話を聞く権利があると思ってね」
事実。
あまりにも大雑把な答えだが、期待の多い返答でもあった。直也は男の目を真っ直ぐみつめる。
この男が嘘を言っているかもしれないという不安もあるが、どの道このままでは先に進むことはできない。直也は一歩前に出て、男に接近した。
「そんなことよりも」
するととつぜん男のほうも足を一歩、前に踏み出し、直也の左手首を掴んできた。直也はたじろぎ、腕を引いてその手を外そうとするが、それ以上の力でねじり返される。掌を半ば無理やり上向きに捻り出されると、手首に鈍い痛みが走った。
「いてっ……なんだよ!」
「おぉ。もう綺麗に治ってるじゃないか。生命力高いな。いいことだよ。そうだ。元気は一番いいことなんだ!」
男は直也の掌を前に目を見開き、食い入るように見つめている。まるで手の細胞1つ1つを検分し、見定めているかのようだ。頬笑みさえみせる男の気色悪さに、直也は今度こそ肩に力を込め、全力で男の手を振りほどいた。
治療したのに、乱暴だなぁと楽しげに笑う男からまた少し距離をとり、直也は改めて男の全身を頭の先からつま先まで眺めた。
「一体なんなんだよ、お前は!」
そう怒鳴るように、問いかけるのがやっとだった。明朗としているが、得体の知れない男だ。全身の細胞が警報を発しているのを感じる。直也の質問に男は心底困ったように眉をひそめて、頬を掻いている。
「なんなんだよ、と言われてもなぁ……。一応、人間ではあるんだけど」
このままでは埒があかない。直也は男との間に一定の距離を保ったまま、人差し指を突き出した。
「なら、もう1度訊きたい。なんでいきなり、そんなことを話す気になったんだよ? おかしいだろ。昨日のあいつは、何も答えてくれなかっただろうが」
「なら、もう1度言おう。寝て覚めたら、気が変わった。それだけのことだよ。それに昨日は野次馬の姿が見えたからさ。質問されて、思考する時間が十分に与えられていなかった、ってのもあるし」
「そんなこと、信用できると思って言ってんのか?」
「信じてくれなくちゃ、話は進まない。第一、だますためにこんなところで2時間待っていると思うか? 俺が飯食べてる隙に、さっきは目の前を通り過ぎていっちゃうし。帰りでつかまえるのに必死だったんだよ、こっちは。俺の気持ちが君に分かるか」
「そんなの、知ったことかよ」
「知ってくれよ。そうだ、俺の目を見るんだ。そうすれば君も分かってくれるはずだ」
真摯な目で男は、直也の目を見据えてくる。直也も男の瞳に焦点を合わせた。2人は真っ直ぐに向き合い、しばし見つめ合う。そうしながら直也はこの男の言っていることが正しいか否かを、頭の中で吟味していた。男の目はその間も、まったく揺らぎがない。大きな丸い黒目が直也の意識に直接、何かを強く訴えかけてくるかのようだ。
やがて直也は肩を大きくすくめ、それから男に尋ねた。
「……お前の名前は?」
「俺は、速見拓也。君の名前も、教えてくれよ」
男は頬を緩めると名乗り、握手を求めてきた。直也はしばし逡巡したが、差し出された手を無下に弾くのもなんだか憚られて、しかたなく口を開いた。
「坂井、直也だ」
「坂井か。いい名前だなぁ。うん。すごくいい名前だよ。まるで、そう。掻きならされるフォークギターのようだ」
この男には、何を言っても効かないらしい。のれんに腕押しとは、このことを言うのだろう。直也はまた黒城と接したときとは別の意味で精神的な疲れを感じ、深く肩を落とした。
「お前、仕事はなにやってんだ?」
直也が訊くと、前を歩く拓也は振り向きもせずに答えた。
「あ、一応教師やってるよ。高校の。音楽の。1年の。担任も任されてるけど」
その返答に、直也は心から納得した。彼の全身から放たれる雰囲気は、他人と触れ合うことを職としている者のそれだったからだ。
直也は青い空を見上げて、それから周囲に目を配る。時計を見ると、12時ちょっと前だった。教師がこの時間にこんなところを、ふらふらしているというのは腑に落ちない。
「今日、平日だろ。先生がサボっていいのかよ?」
指摘すると、拓也は軽く伸びをするような素振りを見せた。それから足は止めずに、直也に一瞥をくれてきた。
「先生だって人間だ。休みたきゃ休むさ。それにいまはほら、夏休みだし」
「あの休みは、生徒のためのもんだろ」
「夏はみんなのものだよ。そりゃあ先生だって、うきうきしてくるさ。休みって素晴らしいなぁ。人間の英知のたまものだよ」
うまいことを言った、ともいわんばかりに遠い目で空を見上げる拓也に、直也は肺の中にため込んでおいた空気をすべて吐き出した。それからふと思いだし、ジーンズのポケットをまさぐる。
「なんでもいいけど。とりあえず、けがを治してくれたことには礼を言うよ。ありがとう」
先導する拓也に、直也は畳んだあの黒い布を差し出した。彼は足を止め、振り返ると白い歯を見せた。
「別に持っててくれても良かったのに。ちょっとしたけがにでも便利だぞ、これ」
「そんなに世話になりたくないし。いいよ、別に。それよりも、昨日、聞き流されたことなんだけどよ」
「なに?」
拓也は直也から受け取った黒い布を、スーツのポケットの中に無理やり押し込んだ。せっかく俺が畳んだのに台無しだな、と直也は憤慨を通り越して呆れるしかない。
様々な店やオフィスビルの立ち並ぶ街中から、マンションや色とりどりのアパートの立ち並ぶ住宅街に差し掛かる、緩やかな勾配の途中である。直也はバイクを押しながら、前を歩く拓也の背中をつけていく。近くの公園までついてくれば直也の質問に答える。拓也はあの裏路地で、直也にそんな条件を突き付けてきた。
なぜここじゃ駄目なのかと直也が怪しむと、俺よりもそこで待っている男から話を聞いた方がより正確なのだと拓也は言ってきた。彼はその男に比べれば、俺なんて下っ端なんだ、とばつが悪そうに苦笑する。
そう言われたら、仕方がない。こちらは教えてもらう身だ。あまり贅沢な提案はできないだろう。それに閉鎖された場所ではなく、公園という大衆の目につくような場所ならリスクも少ないだろうと判断し、拓也の話に承諾した。
ガードレールを挟んだ向こう側には、国道が走っている。そこをひっきりなしに、様々な車が行きかっていた。車がすぐ隣を駆け抜けていくたびに舞い上がる埃に、顔をしかめながら直也は言った。
「昨日、俺をつけてたの。お前だろ」
彼はうろたえるだろう、と直也は自分で口にしながらも予想したが、それに反して拓也は非常にあっけらかんと答えた。
「あ。そうそう、俺だよ。あれは悪かった。ごめん。黙って尾行しちゃって」
「騒がしい尾行があるかよ。それで、なんで俺をつけてたんだよ? なんかちゃんと理由があるんだろ?」
拓也の表情から、途端に笑みが消えた。それがあまりに露骨だったので、逆に直也のほうが戸惑ってしまう。拓也は何も発せぬまま、踵を返した。そして元の通り、歩きだす。呆気にとられながら、直也はその背を追いかけた。
「おい、待てよ。また聞き流すつもりか?」
「その質問にも、あとで答えるよ。今は何も言えないんだ」
拓也は早口で、直也をまくしたてるように言った。その言葉には、これ以上の詮索を許さぬ響きがあった。代わりに拓也は肩越しに直也を見ながら、質問を飛ばしてきた。
「そういえば君、怪人を前にしても驚いてなかったよな。なんで?」
その不意打ちに、直也は声を呑みこんだ。あきらに教わったと告白するのは、ここでは危険な気がした。それに彼女の力を借りないと決め込んだ以上、ここであきらの名前を出すのはフェアではないと思った。
直也は視線をさまよわせた後、適当な言葉を頭から引っ張り出して、口にした。
「そんなことでしょっちゅう驚いてちゃ、成り立たない仕事だからだよ。いかなるトラブルにも冷静に対処せよ。そう昔、上司に言われた覚えもあるし」
嘘ではないのに、胸が締め付けられるような感触を覚えるのはなぜだろう。直也は唇を舐めながら、そんなことを考えた。曖昧な言動だ。詰問を重ねてくるだろうかと身構えたが、拓也は唇を緩めると首を前に向け直した。
「そっか。何の仕事かは訊かないけど、そりゃ大変な仕事だ。お互い、社会人は辛いな」
その会話を最後に、2人の間には沈黙が広がっていった。直也は自分と同じくらいの背丈をもつ、目の前の青年の背中を目線で観察する。
この男は何者なのだろう。妙な装甲服を身に纏い、あきらと同じように怪人を倒している。あきらの仲間なのだろうか。それともまったく関係がないのか。
それと、男の持っているあの板のことも気にかかる。やはりあの板は、怪人と対抗することのできるあの装甲服と関連性があるのだろうか。あるとすれば、それはどのような意味を持っているのだろうか。
様々な憶測が脳裏に飛び交い、ルービックキューブのように、時折それらのイメージは綺麗な一色の図面を描く。だがそれは、ただの空想にすぎない。あせらずとも、真実はすぐに知らされる。直也は掌を汗で濡らし、唾を呑みこんで、その時を待つ。
すべての真実が、陽だまりの中で明らかになる。
ついに2人は公園に侵入した。滑り台やブランコなどに代表される遊具の他に、小高い丘やバーベキュー場まで備え付けられた、それなりに大きな公園だった。足元には雑草が茂っており、草のこもった匂いがひどく立ち込めている。
相変わらず無言を守ったまま、2人の影は公園を突っ切っていく。はしゃぎまわる子どもたちの声も、立ち話で盛り上がる母親たちのおしゃべりも耳に入らず、直也は一心不乱に拓也の背中に視線をぶつけ続けていた。
「やあ。君がそうなのか。はじめまして、よろしくね」
直也の顔を見るなり、親しげな口調で狼の着ぐるみが話しかけてきた。よく遊園地で風船を配っているような、体と頭とで分離しているタイプの着ぐるみだ。頭が異様に大きく、全身の3分の1を占めている。
公園を半ばほどまで進んだところにある、公衆便所と自動販売機に挟まれた青色のベンチの前にそのキャラクターはいた。
その狼の着ぐるみは、ひどく傷んでいた。一見すると、ゴミが転がっているようにも見えなくはない。丸い大きな目は右側だけしかなく、左目があったと思われる箇所には小さな黒いボタンが縫い付けてある。全身はつぎはぎだらけで、補修の跡を隠す気はさらさらないようだった。履いている青いつなぎはところどころ破けており、全体的に薄汚い。肩には綿埃の塊が当たり前のように乗っかっている。足元の大きな赤い靴も表面の生地がところどころ剥がしとられており、くすんでいた。首からは先に銀色のレリーフのついたネックレスがかかっており、それだけが彼の体の中できらきらと光を放っている。
そしてそんな凄惨な状態であるにも関わらず、まるで自分の体ではないみたいに着ぐるみは笑っているのが、また恐ろしかった。フェルト製の牙をむき出しにし、あけすけに大きな口を開いている。夜中にこんなのと出くわしたら、大人でも失禁するかもしれないなと直也は苦笑いを浮かべつつ思った。
着ぐるみの声は、ボイスチェンジャーを使っているもののそれだった。妙に甲高い、人工的ながらがら声だ。かぶりものの中に機械を備えつけているのかもしれない。
あまりにも奇怪な着ぐるみを前にした直也は面食らい、隣に立つ拓也の耳にそっと口を寄せた。
「おい、なんなんだよ。こいつ。もしかしてお前が言ってた、信頼できる奴ってこいつのことかよ?」
「ぴんぽん。当たり! こいつの名前はゴンザレスって言って……まぁ、外見は確かに穏やかじゃないけど。情報は信頼できると、俺は思っているんだ」
「お前の感想じゃねぇか! 俺は正直、こんなやつをとてもじゃないけど信用できないぞ。第一、ゴンザレスってなんだよ。こいつの名前か? 狼じゃないのかよ」
「ま、姿はこんな具合だけど、けして悪い奴じゃない。彼なら、きっと君の質問に答えてくれるはずだ」
「悪い奴じゃないって、言われてもな……」
「なに、内緒話?」
耳のすぐ側で声が聞こえたため、顔を前に戻すと、鼻息がかかるのではと思えるほどの近さに着ぐるみの大きな顔があった。直也は喫驚に声をあげて、咄嗟に飛び退いた。
直也のその動作がよほどおかしかったのか、着ぐるみは大きな口を開けたまま、くすくす笑いをあげた。その人を嘲弄するかのような態度に、直也は思わず顔をしかめる。
「そんなの着てて暑くないのかって、こいつと話してたんだよ。悪いか?」
あえて悪態をつくと、ゴンザレスと呼ばれた狼の着ぐるみは大きく首を右に傾けた。そうするだけで今にも頭が落ちてしまいそうで、直也はなぜか辟易してしまう。
「嫌だなぁ。中の人なんか、いないよ。生まれながらこんな風に毛むくじゃらだから、ゴン太くんはそんなに暑くないんだよ。あ、呼ぶときはゴンザレスじゃなくてゴン太くんって呼んでね。そのほうが、フレンドリーでしょ?」
そんなの常識じゃないか、と口走ることすらしそうな声調でゴンザレスは言う。直也は視界が大きく揺らぐのを感じた。暑さのせいではない。非常識の塊を前にして、精神が目の前の現実を直視することを必死に拒んでいるためだ。
「本気で言ってんのか、それ?」
渋面を浮かべながら直也が訊くと、ゴンザレスは「何を言っているのか、分からないよ」と至極真面目な様子で小首を傾げた。その動作の1つ1つが、直也にとっては不快でしかない。こちらは遊びでこんなところに来たのとは違う。恋人の死の原因を知るために、力について尋ねるためにここに連れてこられたのだ。
それなのに出てきたのが、珍妙な着ぐるみを纏いながら黒城以上にわけの分からないことを言い募る男だったとなれば、直也の心中も穏やかであるはずはなかった。侮られているように感じられ、苛立ちばかりが積もっていく。
「ふざけてんのか? 俺はまじめに話を聞きにきたんだ。お前の遊びにつきあうためにきたんじゃねぇんだよ」
「ゴン太くんが、遊んでいるように見えるのかい? 心外だなぁ。これでもゴン太くんは、必死に生きてるよ。今だって、君の質問に答えるための姿勢でいるつもりさ」
「ならまず着ぐるみと、その物の言い方を何とかしろよ。お前だって、答えるからには真剣に話を聞いて欲しいだろ? このままじゃ、お前の話すことの信頼性だって疑わしい」
「着ぐるみってなんのこと? 喋り方だって普通じゃないか。それにゴン太くんは、動物村で一番の正直者だって、評判なんだよ。それより君のその物の言い方こそ、なんとかしたほうがいいよ。人にものを尋ねる態度じゃないよね。温厚なゴン太くんだって、そろそろイラっときちゃうよ」
直也は息を1つついて、頭の熱気を振り払った。今のままではよくない。たとえこの男の話が嘘だろうが真実だろうが、説明を聞くに越したことはないだろうと思った。この男と剣呑な関係になるだけで何の利益もなく、ただ帰されるという結末だけは避けなくてはいけない。たとえまがい物だとしても、このチャンスを棒に振るいたくはなかった。
地面を軽く蹴ると、直也はゴンザレスを睨んだ。そうすると彼は瞼のないフェルト製の目を、こちらに向けたままだった。
「俺はだいぶ前から苛立ってんだよ。これで、おあいこだろ。悪いけど、お前に謝ることはしたくないけどな」
「そうだね。おあいこだね。別にいいよ、謝らなくたって。ゴン太くんは心が広くて優しい奴だから、許してあげるんだよ」
「口の減らない奴だな」
「君に言われたくはないよ、厚かましい」
2人の間に漂う不穏な空気に耐え切れなくなったのか、拓也は慌てた様子で直也の前に割り込んできた。そして直也をなだめるように、顔の前で大きく両手を振る。
「まあまあ、2人とも落ちつけよ。坂井。こういう奴だけど、情報の信頼性は確かだ。最初は戸惑うかもしれないけど、我慢して耳を傾けてくれよ」
拓也もまた怪しい男に違いはない。しかし昨日、人々を襲う怪人を倒し、直也を助けてくれたことは紛れもない事実である。その差分だけ、ゴンザレスよりも彼の方が信頼を置けるのではと考えた。全てを疑うことに心労を覚えていたという理由もある。
「あぁ。一応聞いてみてから、それは判断するよ」
胸にもやもやとしたものを残したまま直也が頷くと、拓也は顔を綻ばせて、今度はゴンザレスを振り返った。
「ゴン太もいいかい? すべてを話してもいいって承諾したのがあんたじゃないか。怒らずに答えてくれよ。そうじゃなきゃ、ここまで連れてきた意味がないじゃないか」
「だから、怒ってないってば。ゴン太くんは温厚なことで有名なんだから。大丈夫、ちゃんと答えるよ」
「よしよし。それで坂井、まずは何が訊きたいんだ?」
直也は顔をあげると、ゴンザレスの笑顔を一瞥し、それから拓也のほうに視線を転じた。まずは昨日の推理を1つずつ事実と照らし合わせていく作業から、始めることにした。
「昨日は謎で返されたんだけどな。まずはお前の持っていた、あの板について聞きたいんだ」
「板?」
拓也が首を傾げる。すっとぼけている風でもなく、本当に検討がつかない様子である。直也がさらに説明を加えようとすると、それを遮るようにゴンザレスが巨大な手を叩き合わせた。
「“メイルプレート”のことかな」
「メイル、プレート?」
耳慣れない言葉だ。鸚鵡返しに直也が訊き返すと拓也はあぁ、と得心のいった声をあげ、ポケットからあの黄色い板を取り出した。「それだよ」と思わず直也は人差し指を突きだしてしまう。メイルプレートというのは、どうやらその板に付けられた名前のようだった。
「板……まぁ、確かに板としか言えないよなぁ。言われるまで、わからなかった」
「俺からしてみれば、板としか思えねぇよ。まあ、そんなことはいいや。それよりお前、昨日変な姿で怪人と戦ってただろ? あれと、そいつとは関係あるのか?」
「あるよ」
そう答えたのは、またしてもゴンザレスだ。会話の隙間に容赦なく切り込んでくる。直也はしかたなく、彼のほうに顔を向けた。ゴンザレスは左の手首のあたりを右手で掻くようにしている。それがこの着ぐるみの癖なのかもしれない。
「速見拓也くんが着てたのって、装甲服のことだよね?」
直也は首を縦に振った。メイルプレートを板としか形容できなかったように、怪人を倒した拓也のあの姿を形容する言葉は、確かに装甲服以外に見つからないような気がした。スーツとするには物々しすぎるし、鎧とするにはスマートすぎる。
「あの装甲服の総称はね、“マスカレイダー”っていうんだよ。すごい力を人間から引き出す、パワードスーツと言ってもいいかもね。それでね、メイルプレートは、その装甲服を生み出すための装置なんだ。核とも言い換えられるかな。つまりね、あのプレートがなければ、あの装甲は纏えないんだよ。そういうことさ」
「俺の持っている装甲服は、“ダンテ”っていうんだ。装甲服にはそれぞれ名前がついてる。とはいっても現在、唯一完成しているのは俺のだけなんだけどさ」
拓也が誇らしそうに、胸を張ってそう補足する。直也は拓也の熱心そうなその表情に目をやってから、ゴンザレスを見た。ゴンザレスは自身を丸い手で指し、大きな頭をわずかに傾げた。
「ゴン太くんが、作ったんだよ。すごいでしょ」
「装置……か」
ゴンザレスを無視し、直也は頭の中で今の話を自分の推理と照らし合わせる。そのあまりの一致具合に、直也は自分のことながら驚いた。やはり板と、あの怪人と渡り合える力とは深い関連性があったのだ。ただしそれは彼らの話が、すべて真実ということを想定した場合ではあるのだが。
「板についてはよく分かった。それで次だ。あんたらは、一体何者なんだよ。なんで、そんなもんを作ったんだよ」
ゴンザレスと拓也の思惑を少しでも知りたくて、そんな質問を投げかけてみる。怪人を倒すためだ、と嘘でも答えてくるだろうと予測したが、返ってきた言葉はまるで異なるものだった。
「何者っていっても、やっぱり人間っていうしかないなぁ。何も特別じゃないただの人間さ。栗だってあんな武装してるけど、食べ物だろう? それと同じさ」
腕を組み、眉根を寄せて拓也が言った。前者の質問に対する返答だ。彼の例えはいつもながら、曖昧で分かりづらい。
「正義のためだね」
ゴンザレスが単調とした声で言った。後者の問いかけに応じたのだろう。余分な感情がまったく付加されていない、綿々と冴えわたるような声だった。
「正義?」
そのいかにも怪しい響きに、直也は愕然を通り越して戸惑う。面と向かって活動理由は正義ですなどと返してくる集団を、はいそうですかと認めるのは容易いものではない。
直也の疑惑を察したのか、拓也が早口で容喙してきた。
「いや。まぁ、もっと綿密に話せばいいんだろうけどさ。ちょっと時間がかかるんだよ。かいつまんで言うなら。つまり、そう! 正義っていうよりも、大義のために戦ってるって言いたいんだ」
「さらに胡散臭さが増したぞ、それ。いいよ、長くなってもいいからそのへんの話ってやつを聞かせてくれよ。せっかく話を聞かせてくれるって言うから来たんだ。少しでもお前たちの話が信用できるってことを、ここで確かめておきたい」
直也は背面に立つ外灯にもたれ、傾聴の姿勢をとった。ゴンザレスと拓也は互いの顔を見合わせると、どちらともなく頷いた。
「いいよ。速見拓也くんは、説明下手だからね。ゴン太くんが、代わりにしてあげるね。坂井直也くんはそれでいいかい?」
「あぁ。別にどっちがしようと、もう構わない」
よいしょ、と掛け声をかけながら大柄な体を動かし、ゴンザレスはベンチに腰かけた。のしかかる重量にベンチが軋んだ音をたてる。直也が横を見やると、拓也はこめかみのあたりを掻きながら苦笑いを浮かべていた。
「ゴン太くんたちはね、基本的にはみんなを守るために動いているんだよ」
笑顔を浮かべっぱなしのゴンザレスが、嬉しそうに口を開く。直也はその言葉ごと彼を射抜くように見つめ、小さく顎を引いた。
「怪人を倒しているのも、その一環ってわけか?」
「うん、そうそう。あんなのがいたら、みんなが楽しく暮らせないよね。だからゴン太くんたちは、楽しい仲間たちと一緒に怪人退治をしてるんだよ。まぁ、君の言う通り、目的を達成するための一環ではあるんだけどね」
「その口ぶりからすると、怪人以外に何か脅威があるみたいだけど?」
直也が指摘するとゴンザレスはピンポンと、やけに間延びした声を発した。また左手首を拭うような不思議な動作をみせながらだ。
「怪人なんて目じゃないよ。本当に恐ろしいのは、“黄金の鳥”だよ」
「黄金の鳥?」
訊き返すと、ゴンザレスは小さく笑った。それがあまりにも深く、重く、精神をつまんでなぶるようなものだったので、直也は背筋が凍りつくような感覚を味わった。
「どんな人間もちょっと唱えるだけで殺すことができる鳥、といえば分かりやすいかな。嘘だと思うかもしれないけど、本当だよ。黄金の鳥は、いるんだよ」
直也は少し考えたあと、左手首の腕時計を撫でた。背後でははしゃぎまわる子どもたちの声が聞こえる。最初のうちこそ、こちらのほうに、もう少し仔細を述べるならばゴンザレスのほうに視線を注いでいた子どもたちだったが、いい加減そうすることにも飽きたのか、遊びに熱中しているようだった。
「話を続けてくれ。そこのとこを、詳しく聴こう」
直也が話を促すと、ゴンザレスはベンチを叩いた。それから腕を組み「そうこなくちゃ!」と歓喜に満ちた声をあげる。
そこから繰り出される話は、直也にとって到底信じられないことばかりだった。
術者の手を直接汚すことなく、いかなる人間の命も自由自在に奪うことのできる鳥。
それが、黄金の鳥というものらしい。
そんなものを野放しにしておくことなどできないと決意したゴンザレスたちは、7年前にその力を使用するものたちから黄金の鳥を略奪し、その力を二度と誰も手にすることができないようにしたそうだ。
しかし最近では水面下において、その力を復活させようとしている者たちが活動を始めているらしい。このまま彼らの思惑通り黄金の鳥が復活し、猛威をふるえば今度こそ誰にも止められなくなる。それだけはなんとしても阻止しなければならないと、彼らは思ったらしい。そのためにはもう1度、黄金の鳥を封印する他ない。
だが敵も、同じ過ちを犯すほど馬鹿ではなかった。敵は黄金の鳥の力を使って、化け物じみた能力を手にしていたというのだ。復活を阻もうとした同胞がすでに、彼らによって何人も殺されたらしい。
だからこそ彼らは、黄金の鳥を復活させようと目論む者たちに対抗するため、戦闘用システム、つまりはあの装甲服を開発して黄金の鳥を再封印するために行動を開始したのだそうだ。
ゴンザレスの長い話を要約すると、つまりはそういうことらしい。一度聞いただけでは全貌を把握することができず、直也は何度も質問を重ねて頭を整理する必要があった。
「マジかよ……」
12時を知らせるサイレンが、空に鳴り渡る。それが止むのを待ってから、拓也は口を開いた。
「本当だよ。あいつらは、鳥の力かなんだか知らないけど、みんな怪人をはるかに超える力を持っているんだ。まずそれだけで、脅威だと思わないか?」
拓也は直也の目を見ながら、笑みなど一欠けらも見えない鋭く尖った語調でそう言った。
その瞳に、そびえたつような悲哀が投影されていることに、直也は気づいた。そしてそれを発見すると、途端に胸の奥が疼いた。
拓也の頬はわずかに紅潮しており、その心に小石1つでも投じられたなら、いまにも泣きだしてしまうのではと思えるような、極限状態の表情をしていた。なぜ、そんな顔をしているのか直也にはまったく見当がつかない。しかしそのただならぬ様子が演じられものではないことを、仕事柄、直也は重々承知していた。彼は夫に不倫された女性のような、恋人に失踪された青年のような、あまりにも大きな問題を背負ったサラリーマンのような、そのような人々が見せるのと同じ、心の平穏に飢えた人間の目をしていた。
彼らは嘘を言っていない、と直也は直感的に判断した。ゴンザレスはともかく、拓也はこの場面で虚偽を並べたてるような男ではない。会ってから1時間も経っていないのにも関わらず、そう確信した。拓也の崩れそうな表情を前に、直也は自分の心に漂う猜疑心を手で追い払う。
「分かった。黄金の鳥のことは信じるよ。怪人も、それにあんな力を持ってる装甲服も存在するんだもんな。確かにない話、とは言えないしな」
その瞬間、したり顔の黒城が脳裏に滑り込んできたので、直也は頭を左右に振り、その映像を慌てて排した。そんな直也の不思議な動作が気に留まったのだろう。拓也が不安げに眉を寄せた。
「どうしたんだ、いきなり」
「いや、なんでもない。とにかく、お前たちがやりたいことは分かったよ。なんであんな装甲を作り出したのかも、やっと合点がいった」
「信じてくれて、助かるよ。嘘みたいだけど、これは全部本当の話だからさ。ちょっと、心配だった」
「一番、恐ろしいのはね」
2人の会話を断ち切るように。ゴンザレスがベンチの上で、苦しそうに足を組みながら声を発した。うめき声をあげていても笑顔のままなのが、何だか不死身を思わせ、恐ろしい。
「怪人がいるところにはね、いるんだよ。あいつらが」
心臓の鼓動が少しずつ速まっていくのを感じる。まさか、まさか、と節をつけて脈が打たれている。直也は唾を呑んで喉を湿らせた。ふと目を落とすと、左手がべったりと汗で濡れていた。
やはり着ぐるみで足を組むのは億劫だと分かったのだろう、ゴンザレスは立ち上がり、隣の自動販売機に寄りかかった。また自分の手首に触れながら、聞く者の後頭部に痺れを生じさせるようなひび割れ声で言う。
「しかもね。あいつら、持っていくんだよ。怪人の死体を。さて、それはなんでだろうね? ゴン太くんには、1つの理由しか思いつかないんだけどさ」
「つまり、それは……」
声をわななかせて直也が言いかけると、その続きを拓也が繋いだ。相変わらず、目もとには皺が密集するほどの強い力がこもっている。
「黄金の鳥復活を掲げている連中が、怪人を動かして、人々を襲っている。そう考えるのが、妥当な線ではあるよな」
「そいつらを倒せば、怪人はいなくなるのかよ?」
慎重さを要して、おそるおそる直也が訊ねると、拓也は無言で首を縦に振った。ゴンザレスが心から愉しげな様子で言う。
「頭を潰しちゃえば、終わると思うよ。こういうのは。だからゴン太くんたちは、そのために活動しているんだよ。怪人も倒せて、一石二鳥だしね」
「こんなもんでいいかい? 君の質問は」
ここでこの話を打ち切りたいと言わんばかりに、拓也が素早く確認してきた。その表情があまりにも辛辣なものを多く含んでいるようだったので、直也は導かるままに頷いてしまった。
「あぁ、よく分かったよ」
「なら良かった。ここまで、連れてきたかいがあったよ」
言いながら直也は、頭の隅で何か気味の悪いものが蠢いているような気分に陥った。それはまるで中身の見えないブラックボックスのようなイメージがある。その箱は無数のいばらで守られており、その表面を覆う無数の棘が、考えるな、考えるなとひっきりなしに警鐘を鳴らしている。考えてはいけない。その果てには、不幸しか待っていない。
しかし、頭は思考を止めようとしていても、直也の心はゴンザレスの話から導き出された事実をしっかりと捉えてしまっていた。脳にこびりついたイメージは別の発想によって振り払えるが、心を巣食うイメージを払拭するにはどうすればいいのか。直也にその答えをまだ導き出すことはできなかった。
急に黙りこくった直也を不審に思ったのだろう、拓也が気遣わしげな声をかけてきた。
「今度はどうしたんだ?」
「いや、なんでもない。あまりに広大な話だったからさ。知識の整理をしてたんだよ」
心に生じた波紋を紛らわすため、直也は肩にななめにかけていたメッセンジャーバッグのふたを開け、中身を探った。手を突っ込んだ状態のまま数秒迷ったものの、やはり取り出すことにした。正しいかどうかは別にしても、ここで沸き上がった疑問を放置しておくのは得策ではないと思ったからだ。
直也が黒い板――彼らの話からそれは、メイルプレートというらしい――を取り出して2人に見せると、彼らはまた顔を見合わせた。
「これは驚いたね」
ゴンザレスがまったく驚いていない声音で言う。対して、拓也はこちらが飛びあがってしまうほどの素っ頓狂な声をあげた。
「なんで……なんで、これを君が」
直也と直也の手にあるプレートとを、拓也は交互に眺めている。なにやら様子がおかしい。直也は眉を寄せながら、プレートを2人のほうに突き出した。
「これも。あんたらの持ってる何とかプレートってやつと同じようなもんなんだろ? ってことは、これももしかしたらその装甲服ってやつを生み出せたりすんのかな?」
沈黙が、落ちる。どう言葉を紡ごうか、2人とも悩んでいるようだった。直也もこれ以上、質問を重ねることはせず、無言でその間に身を委ねる。
周囲は相変わらず、遊ぶ子供たちの声で騒がしい。空から射す太陽の光は容赦なく、直也に振りかかり、窓ガラスに浮かぶ結露のように体中から汗が吹き出してくる。蝉の声がじりじりとあらゆる方向から聞こえ、やかましい。
「似て非なるものだね」
やがて、ゴンザレスが言った。その語調が笑いを必死に堪えた末のようなものだったので、直也は奇妙なものを感じた。この男、何がそんなにおかしいのか。拓也は言ってしまうのか、と確認するような目つきで、眉をあげ、ゴンザレスを凝視している。
その視線に気づいたのかは分からないが、ゴンザレスは平然と後を続けた。
「君の持っているのは、間違いなく。メイルプレートだよ。でもさっき速見拓也くんが言ったよね。いま、マスカレイダーは彼の持っているダンテ1個しか、ないんだよ」
確かに拓也は、先ほどそんなことを言っていた。直也が首を捻ると、ゴンザレスは弾みのある声を出した。
「おかしいね。じゃあ、君の持っているそれは、なんだろうね? なんでそんなもの存在するんだろうね?」
人の心をじっくりと弄ぶようなゴンザレスの口の利き方に、直也はまた苛立ちを覚える。どうすれば、こんなに人の心を逆なでするような話し方をすることができるのか、不思議なくらいだ。
「もったいつけてないで、さっさと教えろよ」
直也が促すと、ゴンザレスは自動販売機を背にして座り込んだ。
「ゴン太くんはね、天才じゃないんだよ」
「は?」
いきなり何を言い出すのかと直也は思わず、拳を握った。この暑さと蝉の鳴き声が、その怒りに更なる拍車をかけてくる。しかしゴンザレスは変わらず恬淡とした様子だった。
「森の中でみんなと遊ぶのが大好きな、ただの腹ぺこ狼なんだ。だからね、メイルプレートなんて大層なもの。一から作れるわけ、ないんだよ」
突然の自虐的な口ぶりに直也はどういった反応を示せばいいのか分からず、口を閉ざしたまま立ち尽くす。すると拓也がこの状況を打破するかのような、はっきりとした大声を出した。
「あの。つまりさ、ゴン太が言いたいのは、君の持っているプレートは元ってことなんだよ」
「元?」
直也が応じると、拓也は深く頷いた。
「あぁ。つまりまぁ俺たちの、マスカレイダーのさ。坂井の持っているやつはゴン太じゃなくて、ハクバスって男が作り出したんだよ。そんでゴン太はそれをコピーして、ダンテっていう装甲服を作ったってわけ。俺はそれだけでも十分凄いとは思うけどな」
なるほどそういうことかと、直也は拓也の解説でようやく納得した。
つまりゴンザレスは直也の所持しているプレートを元に、拓也の持っているプレートを作成したらしい。そこまで予想はできなかったものの、直也の持っているそれと拓也の持っているそれとは、似て非なるものなのではないかという推理もまた正しかったということになる。
だが、そうだとすれば。ゴンザレスもまた、直也と同じいわば『元となったプレート』を所有しているはずである。そうでなければ、拓也のデッキプレートを作ることができるはずはないからだ。直也のプレートに刻まれた『3』の文字から、これと同型のものが少なくとも3つは存在することは、昨晩確認した通りである。
そしてゴンザレスの持っているそれがもしかしたら、恋人の死と何らかの関連性があるのではないか。直也はそこを睨んでいた。
「人殺しの道具」
突然、俯いたままゴンザレスが呟いた。彼がそうしていると、夏の厳しさに参って寝ころんでいる弱気な狼にしか見えない。
「なんだって?」
はっきりと聞き取れたにも関わらず、直也はゴンザレスに尋ねていた。すると彼は首だけをゆっくりと動かし、直也を上目づかいに睨みながら、もう1度言った。
「君の持っているそれがね、作られたのは7年前のことなんだ。その頃には、怪人なんていなかったんだよ。あれれ? ならなんで、そんなもんがあるのかな? おかしいね。おかしいね」
「なにが言いたいのか、はっきり言えよ」
不穏な響きがゴンザレスからゆっくり音をたてて、迫りくるような予感がする。彼の影から手が伸びてきて、直也を常闇に引きずり込もうとしているかのようだ。直也の声色は無意識のうちに、震えていた。
「だからさあ」
ゴンザレスは自動販売機に手をついて、一息に起き上がった。それから埃の付いた尻を叩こうともせず、含みのある声で言った。
「それは、人を殺すために作られたんだよ。ゴン太くんは、知ってるよ。7年前、黄金の鳥を崇拝する奴ら――“蘇生”っていう組織だったんだけどね。そいつらをね、仲間がね、それを使ってね、皆殺しにしたんだよ」
殺した。皆殺しにした。
直也は頭の中でその発音を反芻した。どす黒いものが外から打たれ、血液に乗って直也の全身を流れているような気がする。全身の肌が粟立ち、直也はそれを隠そうと必死の思いで腕を拭った。
「みーんな、みんな。殺しちゃったんだよ」
追い討ちをかけるかのように、ゴンザレスは要約した。直也は咄嗟に拓也を見た。すると拓也は先ほどよりもさらに一段と暗い面持ちで、力なく首肯した。
「本当だよ、坂井。俺たちの組織には過激派ってのがいて……。君の持っているそれは、そいつらが作り出した装甲服だ。実際に多くの人、つまり黄金の鳥を崇拝しようとするやつらを殲滅した兵器なんだよ。黄金の鳥を奪ったあとに、ハクバスが回収したはずだったんだけど、まさか君がその1つを持っているなんて」
「そんな、まさか……」
直也は自分の掌に乗っているプレートを改めて正視した。殺人兵器だという話を聞いたあとだと、これまで幾度も触れていたはずなのに、それがひどくおぞましいものに思えてくるから不思議だった。血が掌に沁みつくような感触を覚え、手放しそうになるが、ぎりぎりのところで留まる。これは恋人から託された、大事な遺品でもあったからだ。たとえこれが多くの血を啜った曰くつきの代物だとしても、その事実は揺るがない。
代わりにそのやるせない気持ちを、ゴンザレスにぶつけた。
「ということはだ。お前たちは、人殺しをしていたって。そういうことなのかよ?」
「昔は昔だよ。それにゴン太くんも速見拓也くんも過激派じゃないしね。ゴン太くんたちは、蟻1匹殺した覚えはないよ」
「それで済むことだと思ってんのか? お前たちの仲間がしたことだろ」
「よそはよそは、うちはうちってタカシ君のママが言ってたよ。そして、今頃そんなことはどうでもいいんだ。君にとっても、ゴン太くんたちにとっても。7年前に終わったことなんだから、今頃ぐだぐだ言ってもしかたないでしょ? さて、じゃあ気を取り直して、今度はゴン太くんから坂井直也くんに質問するよ」
明るい声で、ゴンザレスは直也に手の先を向けた。しかしその明るさは、けして暗澹とした空気を照らし出すようなものではなく、さらに暗闇を助長するような要素をはらんだ声だった。その声調は、深夜の墓場にぽつりと浮かぶろうそくの灯に似ている。
「その7年前に使われた人殺しの道具を、なんで全然関係ない君が持ってるんだろうね? そっちのほうが今すぐにでも、究明しなくちゃいけないことだと、ゴン太くんは思うんだけど。間違ってるかな?」
直也は事実を話そうか一瞬、迷った。ゴンザレスの嬉しそうな口ぶりと、拓也の沈痛な面持ちから、気持ちのいい話題が放たれる可能性は限りなくゼロに近いことは目に見えている。しばらく逡巡した先に、直也はゴンザレスを正面から見つめ返した。
「知り合いから、もらったんだよ。その人が死ぬ間際に。俺に、くれたんだ。……3年前にな」
恋人から、という詳細は伏せておいた。事実を知った時のショックが軽減されることを期待したわけではないが、ゴンザレスに恋人の名を汚されることだけはどうしても避けたかった。
するとゴンザレスはにやりと、口端を上げた。ような気がした。実際には、狼の着ぐるみの顔はどんな時でも全く変わらないのだから、表情を読み取ることはできるはずもない。笑うことしかできない着ぐるみの表情に、中身の人間が持つ感情は映らない。
「なんで、君の知り合いはこれを持っていたんだろうね。3年前は、怪人なんか、いないよ。人殺しの道具を持って、なにをしていたんだろうね?」
「お前……なにがいいたいんだよ」
分かっていた。3年前に怪人はその存在すらなかった。その事実が露呈した以上、ゴンザレスが何を直也に伝えたいのか、直也はすでに理解していた。先を促すような発言をしたのにも関わらず、直也は内心でゴンザレスがこの先を話さないでいてくれることを、切に願っていた。
「人を、殺していたんだよ」
遠慮や斟酌など微塵もなく、ゴンザレスは底冷えのするような声で言った。そしてその不格好な体からは想像もできないスピードで腕を振るうと、目にもとまらぬ速さで直也の手からプレートをもぎ取った。
「お前、なにしやがる!」
プレートを取り返そうとゴンザレスに跳びかかるが、太い腕で頬を殴られ、直也は地面に叩き伏せられた。ぬいぐるみのようなふかふかした腕だったので頬の痛みは少なかったが、強く土に打ちつけられた腹部がじんわりと痛んだ。
「坂井……! ゴン太、やりすぎだぞ!」
拓也が直也に駆け寄り、怒声を発する。しかしゴンザレスは拓也を意に介することもなく、直也の手から奪い取ったプレートをひっくり返したり、日に透かせてみたりして、様々な角度から眺めている。直也は身を起こし、砂の多い地面に尻をついた。
「血が滲んでるし、傷が凄いね。こんなもの、7年前にはなかったよ。明らかにその後、使った形跡があるよ?」
「そんなもん、お前の記憶だろ。それに、だからって俺の知り合いが使ったとは限らない」
「逆をいえば、使わなかったとも限らない。そういうことだよね」
ゴンザレスの口調は、ひどく意地が悪かった。それが直也の気持ちをさらに焦らせる。
「君は自信がないんじゃないのかい?」
ゴンザレスの嘲笑うかのようなその言葉は、直也の胸に音をたてて落ちた。その拍子に心が潰れ、そこから血がにじみ出る感触があった。
「その人がこれを使って殺人を犯さなかった、そう言いきれないんじゃないのかい?」
「言いきれる……に決まってんだろ」
言いながらも、直也は自分の声がひどく上擦っていることに気が付いていた。
結局、彼女はなぜこれを持っていて、なぜこれを直也に渡してくれたのか、1つも知らせないまま死んでしまった。
彼女には闇がある。今まではそれを見てみないふりをして無理やりに信じてきたが、いま、ゴンザレスの遠慮のない言葉を浴びて、その隠していた部分が剥がれそうになっている。直也は奥歯を食いしばって、めくれあがりそうなそのかさぶたを、強く上から抑え込む。
「君の知り合いは、殺しているよ」
独特のがらがら声で、ゴンザレスは笑った。妙に甲高くて、精神を直接揺さぶられるような冷笑だった。直也はかろうじて、言葉を胸から絞り出す。憤慨を押し殺した言葉を。
「黙れ」
「ゴン太くんは森を愛しているから、分かるんだよ。君の知り合いは、誰かを死に追いやったんだよ。君もその可能性に、たどりついているんじゃないのかな」
「……黙れよ」
「人殺しの友達なんかかばって、どうするの? ねぇ、教えてよ。どうするの? 慰めるの? 代わりに罪を被ってあげるの? それとも説得するの? 身をやつして? もう終わったことなのに? そしてどれも君にはプラスにならないのに? 不思議だね、不思議だね。人間って、不思議だね」
直也の中で、何かが音を立てて切れた。歯止めが効かず、決壊したダムのように怒りがどっと心に押し寄せてくる。気づくと、直也は声を荒らげていた。
「黙れって言ってんだよ! 咲さんが、そんなことするわけねぇだろ!」
直也の叫び声は、周囲の喧騒を薙ぎ払い、雲の渡る空に沁みわたった。その瞬間、蝉の声も、子どもたちの騒ぎも時を合わせたかのように静まり返った。
その時、どこからか音楽が聞こえた。バイオリンの音が目立つクラシック音楽だ。それはすぐに拓也の携帯電話の着信メロディーであることが分かった。拓也はズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、直也の側から立ち上がり、それを耳にあてがった。
「あぁ、俺だよ。……うん。うん。分かった。30の5だね。分かった」
拓也は電話を切ると、ゴンザレスを一瞥した。先ほどとは打って変わった、険しい顔をしている。
「黒城レイくんかい?」
のんびりとした口調で、ゴンザレスが訊ねる。しかし頭に血が昇り、その熱気によって鼓膜の塞がれた直也にはゴンザレスの声は聞こえない。拓也はゴンザレスの問いかけに、切迫した様子で頷いた。それから彼は足もとの直也を見下ろした。
「すまない、坂井。悪いけど、いかなくちゃいけなくなった」
「もしかして怪人のところにか? だったら俺も一緒に」
直也の申し出を遮るように、拓也は手を前に突き出した。それから、そっとかぶりを振るう。
「駄目だ。俺はみんなを守らなくちゃいけない。それには君も入っているんだ。危ない場所にいかせるわけにはいかないだろ」
拓也の言うことは正論だったが、それが尚更直也を惨めにさせた。思いがどれだけ強くても、力が伴わなければそれは机上の空論だ。ならば。
直也はゴンザレスを、もっと具体的に述べるならば、ゴンザレスの手にあるプレートに視線を傾いた。
「なら、俺も戦う。俺の持ってきたあれも、装甲服を出せるんだろ? 使い方を教えてくれよ」
「嫌だよ」
ゴンザレスの口から発せられたのは、はっきりとした拒否だった。
「人殺しの道具だって、言ったよね。そんなもの一般人に預けられるわけないじゃない。だからさ、これはゴン太くんが大切に預からせてもらうね。バイバイ、そしてありがとう」
「ふざけんな! それは形見だ。返せよ!」
立ちあがるなり直也は、ゴンザレスに向かって突進した。しかしひらりと回避され、代わりに背中を強く蹴りやられた。直也の体はまたしても地面に叩きつけられる。うつぶせに倒れたまま直也は首だけをよじって、ゴンザレスを見上げた。
着ぐるみを纏っていながらこの機敏な動き。直也も運動神経には自信があるが、ゴンザレスの能力はそれを遥かに超えていた。この男の正体は、一体何者なのだろう。
ゴンザレスの隣には、拓也が立っていた。拓也は顔全体を萎ませ、申し訳ないといいたそうな顔で直也を見下ろしている。直也に手を伸ばそうとする素振りをみせるが、ゴンザレスに睨まれ、残念そうにその手をひっこめていた。
「坂井。悪いな。だが、君は戦いに来ない方がいい。そこには、君の見たくない現実が待っているはずだ」
「どういうことだよ?」
身を起こしながら放った直也の問いに、拓也は答えなかった。代わりに直也から顔を背け、スーツのポケットから黄色いプレートを取り出した。そして周囲の目がこちらに向けられていないことを確認すると、プレートを持った手を右腰にあて、それから流れるように続けて左腰を叩いた。
腹部を真っ直ぐ横断する軌跡が光の線で描かれ、その直線からまばゆい光があふれだす。まるで空間上に裂け目が生じたかのようだ。
そしてそこから流出した光は次第に、拓也の全身を包みこんでいった。光は繭のように拓也の体を覆いながら、少しずつその強度を弱めていく。そして光が完全に晴れた時には、拓也は先日直也を助けてくれた甲冑の男となって、その場に顕現していた。
黄色と緑のボディに、腰から垂れる黒い布。それらは以前目にした時と、なんら変わらぬ姿だった。布に関しては破けておらず、何事もなかったかのように復元されている。
拓也の話では、この甲冑のことを“ダンテ”と呼ぶらしい。“ダンテ”は腹部のバックルに空いた四角い穴に、上からプレートをはめ込むと、左耳に手をやった。この間の戦闘の最中に行ったのと同じように、ヘッドホンに搭載されたダイヤルを二目盛り動かし、肩から翼を出現させる。
現在、偶然にも周囲に人の目はないが、ここは公園だ。いつ人が通りかかるとも限らない。“ダンテ”は直也とゴンザレスに視線を運ぶこともせず、地面を蹴ると、大空へと飛び立っていってしまった。
直也は蒼穹に吸い込まれていくその姿を、歯を歪ませながら眺めていることしかできない。
拳を骨が軋んだ音をあげるほどに握りしめ、ゴンザレスのほうを振り向くと、白い紙きれが飛んできた。受け取り、即座に広げてみると、そこにはどこかの番地を示す数字が薄い字で書かれていた。ミミズが這うような字で、着ぐるみの手で書き殴ったことが一目で分かる。
「速見拓也くんはね、そこに行ったんだよ。君も、行ってみるといいよ。君には知る権利があると言ったのは彼だしね。ゴン太くんは、それはけして止めないよ。むしろいいことだと思うんだ」
だけどこいつは渡せないよ、とゴンザレスは直也のプレートを後ろ手に隠すようにする。
「なら、力づくでも取り返してやるよ」
服について土埃を払い、直也はゴンザレスのほうに足を向けた。すると彼はまた愉快そうに言った。
「いいの? 早くいかないと、人が死んじゃうよ。君が行かないせいで、誰かがいなくなっちゃうかも、しれないよ。それでもいいのなら、ゴン太くんが相手してあげるけど」
何を、と殴りかかろうとも思うが、彼の貫くような言葉に直也は舌を打ち、振り上げていた拳をあえなく下ろした。ゴンザレスを最後に睨みつけてやり、踵を返す。それから丘のふもとに停めてあるバイクにまたがった。
「あんがい、物分かりがいいんだね」
挑発するかのような言動を、ゴンザレスは直也の背に投げかけてきた。直也はけして振り向くことはせず、ヘルメットを被りながら震える声で返した。
「次に会ったときに、取り返す。それと……」
「それと?」
「咲さんは、絶対に人を殺してなんかいない。お前と一緒にするんじゃねぇよ」
エンジンをふかすと、直也はバイクを発進させた。生暖かい風が全身に纏わりつき、気持ちが悪い。不穏な空気を浴びながら、公園を横切っていく。丘の陰で遊んでいた子どもたちや、立ち話をしていた女性たちが、驚いたように、または迷惑そうに直也を見ている。昼間の公園内でバイクを走らせるなんて正気じゃない。子どもが轢かれたらどうするんだ。そう、顔で抗議している。
その穿つような視線を受けながら、そんな目で俺を見るな、と直也は心の中でうんざりと呟く。
登場人物紹介
速見拓也
27歳。黄金の鳥復活を阻止しようとする集団、「マスカレイダーズ」に属する青年。高校の音楽教師でもあり、生徒からは「たくちゃん先生」と呼ばれ、慕われている。
気は優しく明るいが、その胸の内には熱いものを秘めている。
ゴンザレス
ボロボロな狼の着ぐるみを纏った、謎の男。「マスカレイダーズ」のリーダー格。声はボイスチェンジャーで変えているようである。
自身を、「森の住人ゴン太くん」だと称し、悪意をむき出しにした不可解な言動を発する。