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2章エンドロール

エピローグ


 船見家の居間に置かれたソファーに、狼の着ぐるみのゴンザレスは腰を下ろしていた。

着ぐるみがあまりに大きく幅を取るので、2人掛けのソファーを1人で占拠している。しかし彼は別段気を遣っている様子もなく、背に深くもたれかかりながら大きな白い手で携帯電話を操作していた。

8畳の居間で、ソファーの他に室内には12インチの小型テレビと、4人掛けのテーブルがある。部屋の壁際に沿って、キャビネットや年代物のくたびれたタンスなどがずらりと並んでいるため、室内は実際よりも狭く感じられる。フローリングの床の上には、洗濯物が雑多に積まれていた。壁にかかった時計も古く、1時間10分ほど時刻が遅れている。その脇には、都道府県名や名所の名前の書かれた土産物の提灯が列を成していた。

「そういえば、噂の坊主に会ってきたよ」

 そうゴンザレスに言葉を投げかけてきたのは、窓際の安楽椅子に座った老婆だった。髪の色はラベンダーのような鮮やかな紫で、頭の上のほうには花の髪飾りを付けている。ぎしぎしと音を立てて椅子を揺らしながら、彼女はしわで弛んだ顔をさらに険しくさせていた。

 ゴンザレスは老婆のほうに重たそうな頭を動かすと、ほおと心から感嘆するような声をあげた。

「坂井直也くんかい? へぇ。トヨさん、意外にアクティブだったんだね。それで、感想は?」

「なかなか、気骨のありそうな男だったよ。わたしゃ、何か納得したね。あいつなら、なにかやらかすに違いないよ」

 憤慨しながら早口で喋る老婆に、ゴンザレスは声をたてて笑った。

「気に入らなそうだね。まぁ、そのほうがゴン太くんにとっては都合がいいんだけどね」

「別に気に入らないなんて、言ってないよ。それ相応に評価してるさ。人を、意地悪ババアみたいに言わんでおくれ」

 老婆――船見トヨは、今年で91になるにも関わらず、かくしゃくとしていてまったく老いを感じさせなかった。顔はしなびた野菜のようであるし、腰は曲がってもいたが、彼女の耳は鋭く冴えており、それでいて言葉にも淀みが見られなかった。瞳はいつもぎらぎらと輝いており、真夜中にその老婆に出くわすと誰もが1度は飛びあがってしまう。その夜の闇をも転覆させようとするかのような気迫に、彼女の前に立つだけで誰しもが魂を素手で掴みとられたような気分に陥るのだ。

 その目をいま、強張らせてゴンザレスを見ている。しかしその憎悪の矛先は彼ではなく、彼女の頭の中にいる人物に向けられていることは間違いなかった。

「華永のガキをなぜ、殺さない」

 歯をぎりぎりといわせ、トヨは唾を吐きかけるようにその名前を出した。安楽椅子を揺らすのを止め、前屈みになって真っ直ぐゴンザレスをその眼で射抜きながら、だ。

 するとその時、小さな笑いが起こった。テーブルの席に座る男のものだった。席は2つ埋まっており、20代前半と思われるバンダナを頭に巻いた男のほうが、茶化すように言った。彼の髪はこげ茶色で、前髪だけがツンツンとハリネズミのように立っていた。中肉中背の撫で肩で、見る者を硬直させるようなひどく冷たい目をしている。

「ほらほら、トヨさんがそろそろ怒るぜ? そうなったら、俺たちにだって止められないよ。な?」

 バンダナの男は自分の向かい側に座る男に、共感を求める。こちらは30代後半のように見えた。岩のような顔つきの男で、鼻筋が通っている。ノースリーブのプリントTシャツから覗く腕には筋肉がたぎっている。髪は短く、黒い。男は眉1つ動かさずに、真剣な様子でルービックキューブをいじくっている。バンダナの男の問いかけには、ちらりと視線をやっただけで何も口には出さなかった。しかしバンダナの男はそれを肯定の仕種だと勝手に解釈したようだった。

「ほら、狩沢さんだってそう言ってるだろ? ゴンザレス、もう1回わけを話してやれよ 」

「藍沢秋護くん。いい加減、ゴン太くんって、呼んでよ。そうだねトヨさん。ゴン太くんも実は、彼女を殺したくてしょうがないんだ」

 トヨの白い眉毛がわずかに動いた。不機嫌そうな面持ちで、ゴンザレスを見つめている。ゴンザレスは左手首を片方の手で触れながら、駄々っ子のように両足をソファーから投げ出した。

「でもね。速見拓也くんがダメっていうんだよ。証拠がはっきりしてから、それからでもいいだろって、怒るんだ」

「あの人もまた、非現実の好きな人なんだよなぁ。さすが熱血教師。理想を追いかけるって、素晴らしいよ」

 秋護、と先ほど呼ばれていたバンダナ男が口を挟んだ。勝手にうんうんと頷く秋護を一瞥し、ゴンザレスはため息とともに言葉を発した。

「でも、もういいよね」

 その発言に、部屋の中の時間が数秒止まったような気がした。秋護はゴンザレスを凝視し、その向かい側に座る狩沢も彼に目を留めている。トヨも期待のこもった眼差しを向けていた。

「あの娘は人殺しだしね。そろそろ罰は受けてもいいころだよね」

「そう言えばあんた、前にそんなこと言ってたねぇ。あいつに殺されたのは、過激派ちゅうもんのリーダーだっけ?」

 トヨは口に出すのも腹立たしいといった様子で、顔をくしゃりと歪めた。

「あの女は、華永以上に憎たらしいね。あいつを殺してくれたところだけは、誉めてやるよ。そこだけだがね」

「さすがトヨさん。記憶力も悪態も健在だね」

「悪態のほうは余計だよ。わたしゃ近所ではこれでも、気配りのできるババアで通ってるんだから」

「それは、ごめんね。ゴン太くんは人間の街のことはまだよく分からないんだ。まぁ、それはそれで置いといてさ」

 そこでゴンザレスは顎に手をやり、しばし考えるようにした。次に話すべきことを考えている、というよりかはどういう言い回しにすればはっきり伝わるかを、思案しているかのようだった。そうしながらまた、左手首を撫でている。こすり過ぎたためなのか、その部分の布は糸もほつれ、ボロ衣のような彼の全身の中でも群を抜いて破損がひどかった。

 少しの間をおいて、ゴンザレスはソファーのアームを叩いた。そして着ぐるみのなかで小刻みに笑いをあげた。

「それを抜いてもあの子は、華永の娘っていう時点で、本来なら許されないんだ。だから、延命させてあげたほうなんだよ。でも、もう、いいよね」

 低く、腹に響くような声だった。ゴンザレスの笑い声は宣言を終えたあとも途切れることはなく、ボイスチェンジャーを介しているために、くぐもっていて不気味だった。

秋護は席を立つと、ゴンザレスの前に立った。その手には、ストローの刺さった牛乳パックを持ちながら。

「じゃあ、あいつの恋人を尾行したのは。骨折り損だったってわけか?」

「何もなければ、そうなっていただろうね。だけど、実際は違ったよね。彼がオウガを持っていたのは、ゴン太くんにとっても予想外だったよ。そして、すごく嬉しかったんだ」

 ゴンザレスは遠くを見るような目で言った。とはいっても、着ぐるみの目はどんなときでも変わらず、開きっぱなしではあるのだが。中に入っている人間の感情がそのまま、着ぐるみに感化されているようで不思議だった。

「だけどゴン太くんは優しいからね。速見拓也くんの行いを無駄にしないために、オウガのプレートに、盗聴器を仕掛けておいてあげたよ。ゴン太くん特製の、すごいやつ。あれで爆弾発言拾えれば、彼は納得するんじゃないかなぁ」

「やけに簡単に返したと思ったら、そういうことか」

 ゴンザレスの話に、秋護は渋面を作った。それから部屋を軽く見まわし、眉を寄せた。「盗聴器とか、恐ろしいな」

「この部屋にはついてないから、安心してよ。めったにそんなことは、しないよ。そんなことしたら、ゴン太くんは森の仲間たちに申し訳がつかないもの」

 ゴンザレスは責めるような口調で、秋護を射抜くような視線を送りながら言った。秋護は苦笑し、手を顔の前で振った。

「分かってる分かってる。もう疑わないさ。そんなに卑下するなよ。あんたのことは十分理解しているつもりだよ」

「まぁ、そんなことはどうでもいいよ。とりあえずゴン太くんが言いたいのはさ」

 秋護の言葉を切り捨てると、ゴンザレスは何も映っていないテレビのほうを見た。そして何かに納得するように頷くと、ため息混じりに言った。

「速見拓也くんもさ。もうそろそろ、いらないよね」

 ゴンザレスは投げやりな調子で言った。いつも変わらない狼の笑顔が、光の加減からか影を背負っているように見える。その笑みは卑屈で、それでいて物々しい。

「マスカレイダーシリーズは続々作られているからね。まだ必要だけど、そろそろ彼の出番も終わりかな、ってゴン太くんは思うんだよ」

「非情だねぇ」と無感情にトヨが、「そりゃあの人も、大変だな。さすが不景気」と秋護が眉尻を下げて言う。しかし秋護は態度を瞬時に一変させ、ゴンザレスの隣に寄ると浮足立った様子で質問した。

「ということはさ、俺たちの中からまた1人、戦士を選ぶのか?」

「まあね。もう次の目星はつけているけどね。残念ながら、藍沢秋護くん。君ではないけど」

「いいよ。別に、俺は非現実的なことに遭遇できる。いまの立場のままで十分満足さ」

「欲のない男だねぇ。出世しないよ。風車と戦うためには、でかくならないと。対抗さえもできないよ」

 そう苦言を呈したのは、トヨだ。トヨはいつの間に取り出したのか、枯れ木のような指でカステラを食べている。

 秋護が「風車?」と眉間を寄せて訊ねると、ゴンザレスがテレビの上を指さした。そこには一冊のハードカバー本が置いてある。秋護がそれを裏返すと、それはセルバンデス著作の『ドン・キホーテ』だった。

「まあ。彼女の抹殺は新しい戦士や、みんなに任せるよ。ゴン太くんには、他にやるべきことができたからね」

「ほお。一体、なんだよ? また非現実的なことをおっぱじめようっていうのか?」

 ゴンザレスの愉しげな口ぶりに秋護は1人、目を輝かせている。ゴンザレスは彼の眼前で指を振ると、着ぐるみの腹に空いたポケットからプレートを取り出した。

 そのプレートには翼のマークが刻まれていることから、それがゴンザレスの作り出したマスカレイダーのものではなく、7年前から存在するイミシャドのものであることが分かる。羽の上に刻まれた数字は『5』。そのプレートにも“オウガ”のものと同じように、幾重にも深い傷が彫り込まれていた。

「フェンリルを、使うのか」

 いままで会話に参加してこなかった巨漢の男、狩沢がそのプレートを見て反応を示した。体型に反しない太い声だった。よく見ると、彼の手元にもプレートが置かれていた。ゴンザレスのものと同じようにその表面には翼のマークが描かれており、その上には『1』の数字が乗っかっている。

ゴンザレスは狩沢の応答に、力強く頷いた。

「うん。せっかくフェンリルを持ってるんだから。やってみたいじゃない、オウガ狩り。前の2人みたいに、ゴン太くんもぜひやりたかったんだよ」

「やすやすと返したのもそのためかい? まったくどうしようもない男だよ」

 皺だらけの顔をさらにしわくちゃにして、トヨが表情に喜悦の色を浮かべて言う。

その反応に対してゴンザレスは「オウガを殺すことは、フェンリルの義務だからね」と自信に満ち溢れた態度で鼻を鳴らした。それからテーブルのほうに視線を移す。

「それで狩沢洋次くんは、これについてどう思う?」

 話を振られると、狩沢はルービックキューブをいじる手を止め、ある一点を凝視するようにした。それから「別に」とそこで一旦間を空けたあとで、「どうでも」と続けた。その間中、まるで石像のように表情1つ変えることはなかった。

「まぁ、途中参加の俺にはなんだか分からないけどさ」

 秋護が腕を頭の後ろで組んだ姿勢で、口を尖らせる。だがすぐに、その唇をにっと緩めた。気持ちの浮き沈みの激しさこそが、彼の大きな特徴らしかった。

「また新しい景色を見せてくれるんだろ? ゴンザレス」

「うん。楽しみにしているといいよ。面白いのはここからさ」

 ゴンザレスは手の中でプレートを弄ぶようにした。そしてそれを膝に乗せ、天井を仰いだ。壁の上のほうには、黒いフレームに入った遺影が飾られている。映っているのは、50代とみられる男だ。眉毛が太く、顔が丸い。そして長いもみあげと完全に露出した額が混合している、妙な髪形をしていた。彼は写真の中で目を細め、温和な笑みを湛え続けている。

「息子さんも、きっと喜んでくれるよ。オウガを倒せば倒すほど、彼の魂も浮かばれるんだよ」

 遺影を見たままゴンザレスが言うと、トヨは椅子に深く腰をうずめて、「そうかねぇ」と頬を緩ませた。その目は憧憬に色づいている。

 ゴンザレスの手にあるフェンリルのプレートが、電灯の光を浴びて薄く光っている。それはまるでプレートの中に潜む何かが、この部屋にいる一同の発言に同調し、牙をむき出しにして笑っているかのようだった。もしくは久々に出番がくることを予想し、その待ち遠しさに身悶えているのかもしれない。

 空は夕暮。1日が、ようやく幕を下ろそうとしている。カラスが鳴き、蝉の唸る夏の日に、どこかの家から、カレーの匂いが漂ってきた。


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