四話『家の中』
玄関の横、右には小窓が一つ。左は一面の壁。少しシミのようなものは見えても、それも少し意識してみれば見えてしまう程度の物。特に汚れのようなものはない。壁も、少し進めば、ドアがあって、開くと大きな部屋があった。多分、居間なのだろう。大きな二枚窓。先ほど見かけた物だろう。
戻って、ドアを閉じて廊下に戻る。右横を向いて、廊下奥を見る。奥は行き止まりかと思ったが、左に続く角があるようだ。
進んで、左に曲がる。左横に扉、そこには水回りが置かれていた。洗面所とトイレが一つになっていて、その横には、風呂があるらしく、玄関みたく、プラスチック製のすりガラスのドアがあった。開けてみると、シャワーと少し小さめの湯舟。窓があるのに全体は微妙に暗く、それは家の裏側にあるからで、きっと山が影になっていることが原因だろう。
洗面所から出て気が付いたが、この廊下も明かりを入れる窓がないせいか、薄暗く気味が悪い。一応、天井には電球はあるが、それでも、昼間にこれだけ暗いと感じられほどならば考え物ではないか。
「別に、検問しに来たつもりじゃないんだけどな」
本来は、ここに住みに来た。だから、どんな具合なものかと見ていただけだが、何というか、気が付いたら、姉貴みたいに、悪いところ探しをしていた。
血は争えないというが、俺の場合、別に人の家を物色して、文句を言い散らかすような趣味はない。
しかし、アレだな。姉貴の昼間の車での独り言、どちらかといえば、俺か親父に話しかけている感じだったが、まぁ、あれを思い出したのだが、どうだろうか。
話なんざ、作っていれば、被るところなんて幾らでもあるだろうに。聞くところによれば、パクっただのなんだのと、言う者がいるわけだ。むしろ、全くアイデアの被らない話を作るなんて、無理な話だろう。それこそ、そのジャンルを作り出した奴なら話は別なんだろうけど。
また行き止まりにドアがある。今度はスライドではなく、ノブが付いている普通のドア。そのドアノブに手に取って捻り、そこで手を止めて考える。次は何があるのか。リビング、トイレ、風呂、洗面所。ふむ、普通の家って他に何があったっけ。階段・・・はこの家にないし。広くて一階しかない家って、まるで高級住宅マンションみたいだな。ん、何だろう、そんなことを考えたら、ちょっといい気がしてきたぞ。ん、でも、ここが豆腐ハウスなのを思い出したら、微妙な気持ちになってきたぞ。なんでんだろー。
いや、まぁ。話を戻すとして、実際、この扉の向こうには何の部屋があるんだろう。ん?んーーー。あ、あぁーー。キッチンか。しかしあれだな。こんな不躾なことを思うのも何だろうけど、トイレと洗面所が一緒。風呂もやや小さめ。居間が無駄に広い。だとしたら、台所はもっと小さかったり、汚いのかもしれない。
「あぁーーーー」
そんなことを考えてたら、期待値が最低値まで下がっちまったぞ。うわー、開けたくないな。太陽の光も入らいない暗い雰囲気も相まって、開けたくなさがドンドン俺の中で広がっていく。
嫌だなー。開けたくないなー。いやまぁ、今開ける必要もないし、どこかの機会で、どこの部屋に入ることもあるだろうし。もしかしたら、も、しないけど、俺より先に親父とか姉貴が入るだろうし。だとしたら、その後に聞いてみたらいい話かもしれない。
うん、そうしようか。
「さて、出るか。腹も減ったし」
暑いし、汗ばんできたし。蒸し暑いし。早く家を出よう。蒸し暑くて、暗いと、一層暑くなるような気がするのは気のせいなのだろうか。夏の夜なんて、明るい昼より、夜の方が、蒸し暑さが際立つと思っているのは俺だけかな?
まぁ、暑いなら出ればいいだけの話か。
さて、
「あ、やべ」
すでに遅かった。手を止めた時点で、早々に手を放すべきだった。蒸し暑い廊下で、ノブに手をくっつけてたままにしていせいか、手を引いたら、そのままノブもくっついてついてきてしまった。
やってしまったという気持ちがあったのは確かなのだが、しかし、その後の気持ちに、先ほどの靄がかったジメっとした気持ちはなくなっていた。
というのも、目の前に広がっていたのは、予想通り、台所であったが、想像通りの台所ではなかった。
「おぉう!」
これはこれは、驚いた。
いや、全く。ポジティブ面で期待を裏切られた。いや、それ以前に期待なんて全然していなかったから、これは、なんていうんだろう。えーっと、あー、言葉忘れたなぁ。まぁ、そう、なんだ。驚いた。そう、いい意味で驚いた。以上。
廊下と対称的に、明るく、ちょうど暗い廊下にいたから、まばゆく感じるほどだった。台所自体は、一つの部屋のようになっていて、居間に繋がっているようだった。しかし、繋がっているかと、どちらかといえば、居間の部屋にめり込んでいるような、食い込んでいるような感じだ。この家を考えた奴は、そういう考えがあって、考えたのだろうか。
まるで、この台所が一つの部屋のように、一般の一人部屋より十分に広い。家の裏側に沿って水道とシンクがある。これも、部屋が広いおかげか、横に無駄に長い。俺の実家でも、こんなに大きくなかった。台所の隅っこには勝手口。開けてみると、緑が広がっていた。まるで別世界のようだったので、閉じた。閉じて、左を向くと、一面の壁。ここには何か置いたほうがよさそうだった。例えば、皿とかを入れるタンスとか、あぁ、炊飯器とかオーブンとか、そんな雑貨をおいてもいいのかもしれない。まぁ、そんな金があればの話だけど。しかし、部屋全体を見回しても、真ん中に人一人分のベッドを置いても、全く全然余裕があるほどに広かった。
「しっかし、広いな」
改めて言っても、さらに改め直して言っても、広いモノは広い。少なくとも料理なんかに興味がない俺としては、無用の長物としか言いようがなかった。やはり、これを設計、というか頼んだ奴は、料理がしたかったのだろうか。こんな人気のない家で。
闇が深まるばかりである。
「飯かー」
携帯電話をカパッと開いて時計を見ると、お昼二時。
あぁ、忘れてた。そういえば、昼飯食ってなかったなぁ。うん、さて、見るところも見たし、家を出て、それでも親父がいなかったら、電話でもかければいいか。姉貴もそろそろ玄関に戻っただろうし。声は聞こえなけど、まさか俺みたいに家の外周を回るのに、見るところなんて多くないだろう。
俺も、そうそうと、台所から廊下に出て、L字の廊下を歩いて玄関を出た。すると、玄関の前には車が停まっていた。
確か、少し距離があったところに停めていたはずだったが。あぁ、親父が移動させたのか。なるほど、という事は、親父は近くにいるという事なのかな。
そんなことを考えながら、靴を履き、玄関を出る。
先ほど、俺がボケーっと一考を長々としていたところに、親父が立っていた。手にはレジ袋が二つ。重そうな袋、多分中身はペットボトルで、もう一つは平坦な四角形が三重にして入っている。あれは、弁当か。コンビニ弁当?だとしたら、コンビニ言ってたのか。じゃぁ、さっき姉貴が言ってたことは本当か。コンビニか。俺の記憶としては、無かったような気もするけど。しかし、小学生の頃の記憶だし、どちらかといえば、今の俺の記憶は、都会の方にいたときの方が色濃く出ているから、土地勘も正直、信用できないところがあった。だから、もし、これから行こうと思っている旧友の家も、分かったとしても、家自体が分かっても、行くまでの道のりが怪しい。中学校と思わしき建物だって、本当は小学校の校舎なのかもしれない。本当に、それくらい記憶があやふやなのだ。
普通、記憶って、数年前程度の事なら、もう少し鮮明に残っているものだと思っていたが、意外と意識して思い出そうとすると、忘れているものなのかもしれない。いや、もしかしたら、歩いていたら、景色を見ただけで、少しずつ思い出されるかも。
「おぅ、家の中にいたのか」
親父はそう言って、持っていたレジ袋の片方を俺に寄こした。ペットボトルの方だ。三本、一つはお茶で、残り二つはジュース。子ども扱いしやがって。そんな印象を持ってしまう。しかしながら、こんな暑い日には、ジュースだろうとお茶だろうと、キンッと冷えた飲み物というのは良い物である。
「中で食うから、早く入ってくれ」
「おう、分かった」
適当に返事して、くるりと体を回転して、来た道を戻る。レジに染み付いた水滴が飛び、半そでにしていた腕にくっつく。
そんな事を少し気にしながら、家に上がってくる親父や姉貴を片目に見て、居間に入るドアを開けた。
窓は開けていないせいか、廊下よりも倍は蒸し暑く感じる。ん、そういえば、台所にいたときはそこまで蒸し暑く感じなかったような気がするけど。むしろ涼しかったような。あれ、なんでだろう。
「邪魔邪魔」
「あ、わりぃ」
「クッソ蒸し暑いじゃん。明人、アンタ先に入ったなら、窓開けるくらいしなよ。そういうの重要よ」
二人も、居間に入ってきたようで、またボヤッとしていた俺を退いて、奥に入っていく。姉貴は片方の窓を全開にして開き、親父は弁当をレジ袋から取り出して、床に適当に広げた。弁当はどれも一緒の唐揚げ弁当。こんな日だから、弁当じゃなくて、コンビニなら蕎麦とかあっただろうに。なぜ、わざわざ。しかも、きっちりレジでレンジを通してもらっている。滅茶苦茶食う気が失せてしまう。ヤバい。
しかし、さっきは一目だけ見て、部屋を後にしたのだが、かなり広いのだろうか。DKとかLDKとか部屋の広さの単位みたいなのは俺には分からないから何とも言えないわけだが、どうだろう、縦だったら、人二人、横は5人くらいが仰向けに寝ても、全然余裕あるくらいに広いのではないだろうか。
コンセントは、あまり下を見て歩いていなかったから、分からないけど、よく見ればこの部屋の角。この居間に入るときの扉の対角線上の角に、二つのコンセントがあった。もう一つは、まぁ、普通一つの部屋だったら四つくらいあるだろうし。何処かにはあるんだろうけど。
そうやって、無意識に部屋全体を、視野が入る程度で見ていたわけだが、も口には出さないけど、やっぱり不思議に思ってしまう。
この家には、部屋は二つしかない。しかも、小部屋という物はなく、居間と台所という意外と重要な二つの部屋。台所の方を見ると、あれは、なんて言えばいいのかクローゼットの開閉式の扉みたいなのがある。四枚で、真ん中訳にして開くような仕掛けのようだ。全体、下は木の装飾のような簡易的な模様をしており、上はガラス張りだった。台所の時は、ただ単に壁の窓という風に思っていたのだが、開けるのは居間からのようで、そこは少しばかり不便だと感じた。それか、そもそも、飯事態、台所で済ましてしまうためのものだったのか。あり得るかな。
と、二人がせかせかしている時に勝手に座っているのも悪いので、少し弁当から目をそらしながら、俺も、背中に置いていたレジ袋を引っ張り―――
「ん?明人、どうしたの?」
手が、止まる。一瞬の出来事に、体全体が凍る思いがした。背筋がひんやりと冷たくなって、肋骨の下に、キシリと妙な痛みを感じる。
自然と、呼吸が乱れることはなかった。
ただ、一瞬の事。びくりと体が驚いて、そう、何も問題のない事なのだ。そういえば、ここは元は廃れた家みたいな事を、車を出る時に行ってたような気がする。なんでこんな時に、そんな重要なことを思い出したんだよ俺も。いや、それよりも、そんな事よりも、そう、だから、可能性だといえば、極僅かでもありえない事ではないはずで。そうそう、だ。だから、一言、声をかければいいだけの事なんじゃないか?
「」
いや、待てよ。え、待って。俺の後ろにいたんだよな。でも、なんで親父も姉貴も気が付かないんだよ。だっておかしいじゃん。ん?いや、おかしくなくも、いやいや絶対おかしいって。ほんと、親父も頭がおかしいんだよ、なんで、こんな家を買ったんだよ。どんどん怪しくなってくるだろ。
体が、動かない。
何で動かないかと、聞かれれば、そんな事、俺自身がとても知りたいことで。袋につけたまま手は動かず、袋に向くはずだった目は、後ろを見たまま、微動だにしない。
後ろに、人がいた。で、終われば、ここまで怖がったりすることもないはずだ。すぐに「あぁ、怖かった」とか「ビックリした、驚かすなよ」で言って終わりのはずだ。でも、違う。そうじゃない。だって目の前にいる奴は、体が―――。
その時だった、まるで首根っこを引っ張るように体が引きずられていく。何が起きたのか分からない。どういう事なんだ。え?心臓が鼓動を早くしていく、状況の整理が終わらない。
部屋から出されて、廊下を引きずられる。後ろが見えない。いや、見たくない。だけど、分かるのは、引きずられていくのは、廊下の奥ではなく、玄関の方だった。結果、俺は何かに放り出される形で、玄関を通して外に投げ飛ばされ、そして、俺を引っ張ったのが親父であることを知った。
親父も、何か顔が青白くなっている。そして、俺を見て、怯えたような軽い恐怖の色を上げていた。
「ハァ、ハァ・・・。明人、ちょっとお前に、ちょっと頼みたいことができた」
「え、でも・・・」
「連絡は!・・・後でするから、小物くらいなら俺と凪沙さけでできるから、だから、家を出て左に歩いておいてくれ。頼むから」
俺が、俺でも何を言おうとしたのか分からないけど、何か言おうとして、親父はそれを無視して、言い切る。
どうしていいのか分からないまま、俺は、返事をすることもできず、そのまま、言われるがまま、ポツリと立ち上がって、尻についた砂ぼこりを手で掃いた。そして、親父に目を合わせることもなく、まるで説教を喰らって、親の怒涛に慄いた子供みたいに、ゆっくりと、歩を進める。まっすぐ歩き、敷地を出ると、先ほど親父に言われたように、左に曲がった。
ぼーっと、数十歩を歩みを重ねたところで、ようやく口にできたのは、
「なんだよ、アレ」
という、無様な一言だけだった。