二話『ただいま』
しばらく、静かになる。
姉貴の件が、かなり効いたのか、どういう心情の変わりようなのか俺には分かりっこない。しかし、時間が経つにつれ、親父のハンドルを握る指、特に人差し指から伝わっていく。
調子に乗った記憶はないのだが、なんだこれ。二人とも自爆したような物なのに、どうして俺がこんな気まずい思いをしなくちゃならないのか、分からん。
外を見る。
高速道路に乗ってから、既に二時間ほどになるだろうか。携帯電話を覗けば、時計は昼の十二時に近づいている。あまり腹が減っていないのは、先ほど立ち寄ったサービスエリアのおかげもあった。そういえば、サービスエリアって道の駅ともいうんだっけ。まぁ、どうでもいいや、予定では、そろそろあと、小一時間もすれば目的地に着くはず、だと思う。
景色も、郊外や街。山や長いトンネル。また、街をと、黙っていれば、家を出てから四時間が経とうとしている。今現在、山の中を、数時間前までいた場所とは反逆するように縁遠い場所を走っている。
これから行く場所も、いや、戻っていく場いや、行く場所は、こんな森深くの猿がいるような場所ではないけど。けど、それでも、やはりあんなマクドナルドが地下鉄で数分、そこから数分。計12分歩くかそこらで着くような都会とは全く違う。そもそも、地下鉄という概念すら存在しないような街だ。街という言葉も甚だしい。町と村の中間地点。どちらかといえば、村よりの中間地点。人によっては、のどかで良いと言ったりするし、何もない、都会に行ったほうが数倍便利でいいと言ったりする。親父は酒みたいな場所と言っていた。『毒にも薬にもなる場所』だなんてちょっとカッコよく言っているような気もするが、言いたい事は分からなくもない。
俺は、これからそんな場所に向かっている。一人で暮らすためだ。
「・・・・・・・・・」
なんだかなぁ。
外を覗いた。窓に映るのは木ばかりだ。高速道路は基本、森の上を走っているから、枝や幹が映って見えるのは、ごくわずかな時間だ。せいぜい、高速に乗り上げる前の、街から山に入ってからしばらくくらいだろう。そのほとんどは杉の木で、時たま白樺の木の群生地の間を走ったりするけど、やはり、それも数分で抜けてしまう。そういえば、誰かが言っていたが、日本人の大半が花粉症なのは、結構昔に日本が木を大量生産させようとして、早く育つ杉の木を日本中に植えたら、花粉にやられてしまったという身も蓋もない話。聞いた当初は、日本人ってどうしようもねーななんてことを考えたが、実際、その考えは今も変わらない。せいぜい、変わったところといえば、日本人がどうしようもないじゃなくて、そういう後先を考えない、日本人の上の人間がどうしようもない。というところだろうな。
そんなことを考えていると、目の前で、追っては過ぎて追っては過ぎてを繰り返す、目の前の杉たちがくどく煩いモノに見えてきた。
手に取ろうとしたペットボトルのお茶は、いつの間にか空っぽ。複雑な柄の底を、小さい蓋の穴から覗く。薄明るい茶色が、六つの窪みに均等に残っている。苛ついたのかもしれない。少し傾かせて一つにまとめた。
そして、また元の場所に戻す。
ことりと、音がして、その音もすぐにはエンジン音に掻き消される。ポットの奥にはクーラーの送風口があるのだが、この車は買った当初は中古で、何年か使い古しているのだが、親父にとっては愛着があるのか買い替えようとはしない。せめて、そうであるならば、それでクーラーくらい直してくれればいいものを。そんなことを、今年暑くなりだした二三日前から、親父を囲んで家族総出で言っていた。結局、この日になっても、それは変わらないままだったのは、どういう心境でいればいいのか。こんな暑い車の中でいられなくてよかった。か、それとも涼しくなった車に乗れなくて残念か。
迷うような話題でもないので、こんな妄想は打ち切りだ。それはさてとして、今料金所を通り、長かった光速道路も終わった。もうすぐ目的の場所に向かう。
「明人、すまないけど凪沙を起こしてくれ」
「うぃす」
今更と、忘れていたが、後ろを振り向くと、破れたブックカバーを顔にのせた状態で、寝ている姉貴がいた。まるで、泣きつかれた子供のように、嘆いたら勝手に嘆いて、そのまま寝てしまったらしい。
それだけならよかったのかもしれないけど、多分見られた不味いものをオープンにしているあたり、あの叫喚は繰り返されるだろうなぁ。
起きてもらう前に、そっと本を床に、カバーの破れてない部分を上にして落としてから起こした。せめて、煩い声が聞かなくて済むことを願って。
「そろそろ、着くってよ。ちょっと、ネーちゃん起きてくんね」
俺も、することを済ましてから、姉貴の腕を軽くたたく。初手は反応が鈍い。二度三度試したが、寝起きの悪さは変わらない。
「着いてから、起こそう。面倒だし」
「分かった」
そうい言うと、親父も適当に返答した。
車は大きな道から一車線の道になったり、と、有料道路を抜けてからは、そんな道を走るようになった。山は特にそんな道が多いので、困ったものだ。
黙る事、数十分。携帯の時計が1時を示す頃、ようやく家々が目に付くようなった。見たことのあるような赤い屋根の家。団地なんかもあったりするが、それは見たことはない。もしかしたら、あれからいなかった間に、意外と住居者が増えたのかもしれない。とはいっても、無くなった家なんかも多く、あれ、ここに人住んでたよななんて場所なんかは売土地なんて看板が置かれていたりした。
小さい子供がいるわけでもない。かといって、爺さん婆さんが歩いている姿も見かけない。
「あれ、なんで人おらんのかな」
「今、昼飯時だからだろ」
「あ、そっか」
町は、北と南の二つの山の間にあり、真ん中に大きな川が流れていた。一見すれば、ただの限界集落のようにも見えかねないのが少し悲しいところである。
一応、言えば、ここは俺が小学生の頃まで住んでいた町で。ようやく戻ってきた。嬉しいといえば、嬉しい。逆にちょっとした緊張感を持ってはいるものの、それよりも、ここにいたときからの友達だった奴らからはどんな目で見られるのか。そっちも気になったところである。
遠くには学校が見える。あれは、中学校だろうか。記憶にはあるものの、入ったことことのない大きな建物。小学校時にはあったので、多分、そうだと思う。
黙って、窓を開けた。
つまみを、横に軽くスライドした。カチッと音がし、それと同時にフロントガラスが下にズリズリと音を鳴らしながら下へと消えていった。
ちょっとした熱気と、車による風が入ってきて涼しくも感じられる。山の中や高速道路では、虫や排気ガスが入ってくるだろうと我慢していたが、ここまで来ていたら別に文句はないだろう。
目の前には、堤防が見える。ちょっと前には、すこし大きめの橋があった。町の真ん中を流れる川を跨ぐ橋だ。名前は憶えていない。そこからずっと堤防があって、その反対側には山が見える。時々、風が吹いているのか、木々の葉が揺れいていく。
と、懐かしさと、呆気にとられていると急に車は止まる。
「着いたぞ。すまないけど、今度こそ凪沙を起こしてくれ」
「あ、うん」
さっきまで浮き上がっていた高揚感は、微妙に下がってしまった。気持ち的には、まだ興奮しているものの、なんとなく、これから行う荷物の移動が頭によぎり、萎えてしまう。
車から降りて、姉貴のいる後部座席のドアを開ける。腰は座席の下までずり落ちて、先ほどより悲惨。二枚折り状態で寝ていた。痛くないモノかと思いきや、腰の下には、例の本が座布団のような働きをしていた。
「ほら、起きて」
カンッと、手に持っていたペットボトルで姉貴の頭を軽くたたく。
「んあ?」
「んあ?、じゃねーよ」
次は、頬をぐりぐりと、押す。
今度は、顔を上げたが、目は瞑ったままそれ以降反応なし。多分、躍起になってしまったのかもしれない。普通に声でもかけて起こせばよかったものを、俺は、何か姉貴からのアクションがあるまで、頬をぐりぐりとなぶり続けた。
「んぶ、んん。んーーー」
よし、反応ねーな。
真顔で、姉の頬をペットボトルの底で弄んでいる俺も、他から見れば、それはそれで滑稽かもしれないが、俺としては、そこまでされても起きようとしない姉貴が、意外と想像以上に滑稽だった。
人間て、黙って無表情に事をやると、滑稽でも口が緩むことないんだな。
そんなどうでもいい経験を得てしまった。
ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
ぐ
「うっさいわー!」
いったっ!
突然、目をカッと見開いたかと思いきや、ペットボトルの底を掴み、勢いよく俺に投げつけてきた。運が悪かったのか、中に入っていた少量のお茶が、遠心力の糧により、速さと勢いを持って俺に襲い掛かる。
結果、それは姉貴に与えていたであろうダメージの二倍くらいを受けた。
「あ、起きた」
我ながら、今更に言う。
「起きたじゃないよ!もう起きてるし、やめろっていうのが分からんのか!え?!」
「いや、言ってもらわないと、分からないし」
「いや、顔とか嫌がりようで分からない?・・・・・・まぁ、いいや。じゃぁ・・・・・・あれ?」
「どうしたの?」
「抜けない」
「アホだ」
「そう言ってないで、ちょっと助けてよ!」
「自業自得だと思う。ずっと、そうしていればいいと思うよ」
「なにその棒読み口調。おい、待って、行かないで!」
何か叫んでいるであろう、姉貴を置いて俺は車から離れた。もう俺の頭にはこれから住むであろう、家のことでいっぱいであった。親父が言うには、アパートとかマンション団地のようなものではなく、一階の一途建てだという。くそ安かったとか言ってたが、こんな廃れたような町にある家だ。安くて何ぼだと思う。
それはさておきと、俺は車から離走って、その例の家に向かう。
そして、俺は唖然とする。
驚いたでも、何でもなく、唖然とした。
そこにあったのは、真四角なコンクリートの家。
「は?」




