〇話『あの日』
8年前。9月23日。
本当に申し訳ないことをしてしまいました。本当に、土下座をしても、足に縋っても、こればかりは言い訳のしようもないでしょう。今までさんざん自分勝手な事をしてしまいました。
これくらいの事なら許されるかもしれない。こんなことなら彼も笑って見逃してくれるかもしれない。彼だったら手一つで困ったことを助けてくれるかもしれない。彼だったら・・・・・・
あの時、強く引いてくれていた、力強く脆いあの掌を弾いたのは、私。どうして、そのような事をしてしまったのでしょうか。
暗い部屋を、私と、顔も見たことのない若い男が三人。二人は下卑た顔をして、頬が赤くなった恐怖に染まった少女を見下ろしている。もう一人は震えた声で二人から離れた距離で後ろを向いている。その手には少女の頬よりも真っ赤の染まった金具を持っている。
どうしようもない気持ちがあふれてくる。
私は、それを見下ろしている。
ここがどこかも分からない。
私は、本当は意識のない少女の体を見る。暗いせいで、床一面が一色に変っていることを誰も気が付かないでいる。男たちは、薄い目をした少女を見下ろして、破れかかったその服に手を伸ばす。
薄く、秋がやってきたときの話だった。
夕方17時の音楽、カラスの親子が山に帰る何処か寂しげな音楽が町一帯に響いていく。一点のスピーカーが近くにあるせいか、歪んで不気味に聞こえるのは気のせいではないのだろう。
男たちは、その音に少しばかりの動揺を見せたが、それ以上に驚きを見せることはなかった。
頭に浮かぶのは、帰りたいという言葉。
分からない。考えれば、一瞬のような長く二時間も三時間も前のような時間。あの時、どうして彼の元を離れてしまったのか分からない。
ほんの直ぐの出来事だ。ちょっとしたことで、自分勝手に行動をとってしまった。彼の忠告もあの時考えれば頭になかった。
いつも、彼に頼ってばかりの生活だったから。いつも一人だった私を、彼はいつも笑って助けてくれた。
小学校の時だって、いつから始まっとも知れないイジメから彼は助けてくれた。それから友達がなかなかできない私を、彼はいつも一緒にいてくれた。
お荷物だって、分かってた。私が彼の邪魔だってことも分かってたから。だから、これっきりで彼からは離れようと、決めていたのに。
それなのに。
「ごめ……なさ……い」
足元から、そんな声が聞こえた気がした。
かすれた声で、口元が動いているのかさえ分からない。そんな小さな声。
夕日がさしかかる。
窓の天井から、夕日の零れ火が下りてくる。
すると、もともと真っ赤に染まっていた床にさらに真紅に染まっていくと同時に、男たちの顔は真っ蒼に変わっていく。まるで、幽霊にでもあったかのように、血の気が引いていく。
脱がされかかっていた服から手が離されていく。
その服も、ところどころ血がこびり付いており、あれから十分と経っていないというのに、黒く変色してしまっている。ほかにも、床に広がった血も乾燥が始まっている。
どこからか、少女とは別の方向から謝罪の声が聞こえてくる。それは独り言のようにも、誰かに対する懺悔のようにも聞こえた。取り返しのつかないことをしてしまったことに対しての独り言。
床にひれ伏し、頭を抱えている。先ほどよりも一層がたがたと震えている。
ようやく、事の重要性が男たちの中で沸き起こさせる。
ようやく、夕日が部屋全体を照らし出した。
私は、そこに伏している少女を、今一度見下ろした。
問いかける。どうして、こんなことになってしまったのか。と。どうして、あなたは今までも、今も、自分勝手のままだったの。と。
彼女は、答えない。分かっている、今の彼女に言葉を話す余力なんてないという事なんて。
それでも、問いただしたかった。
そうしなければ、あの自分勝手なあの我がままの意味を、無いはずの意味を見出さなければならないのだから。
きっと、下手に責任感の高い彼の事だから、私が死んだと知ったら、ずっとふさぎ込んでしまうのだろう。いや、でもふざけたことばかりしてきたから、むしろ清々しい気持ちで、嫌な奴がいなくなってしまったと思っていてくれたら良いな、と思ってしまう。
そんなことを思う、私に、そんな資格があるのだろうか。
ピチャリと、少女の頭が微かに動いて、その小さな瞼が動いた。確かに動いた。そして、その瞳と視線が合う。
何を思っているのだろうか。
何を感じているのだろうか。
私が仕出かしたことに対する恨みなのか。それとも彼に対する後悔なのか。
彼女を見ていると、またも、思ってしまう。
どうしてこんなことになってしまったのか。と。
こんなことが起こらなければ、きっと楽しい休日は、何も起こらないまま、何も起こらない形で、明日を迎えることができたのだろう。
そして、きっと、・・・・・・でも、私は言えたのだろうか。彼に。その言葉を。
多分。そのままやり過ごしてしまったのかもしれない。きっと、彼の優しさに、甘えていたのかもしれない。私は、そのまま一生彼の金魚の糞でいたのかもしれない。それを私は、自分で分かっていながら、分からないふりを続けたのかもしれない。
何か、横から扉が強く閉じると一緒に、車のエンジン音が鳴り響く。私が乗せられていた車なのだろう。
そこには、もう彼らはもういない。
蹲っていた男の場所には、一つの六角レンチが落ちていた。角には黒い血と、少しの肉片と髪の毛がくっついていた。
彼らの叫喚にも似た喚声の声は、いつの間にかなくなっていて、そこに残るのは鈴虫や秋の虫たちの声。時期遅れのセミの声。今年は夏の遅れが余計にいつもより暑く感じられた。
少し前、彼は確か何か言ってたはずだ。
確か、
「………あれ、おかしいな」
とても、大事な、重要な要件だったはずなのに。思いだせない。どうしてだろう。
少女の口元の傍の赤い小池は、一定の拍子で揺れていく。彼女のいつしか消えていくであろう呼吸に合わせて。
視線は、合わない。既に瞼を閉じてしまっているから。いや、きっとさっきのは気のせいなのだろう。頭だって、よく見れば動いたような跡なんてない。
瞼だって、動いたような気がしただけ。
「本当に、どうしてなんだろう」
分からない。
「どうして、あなたはいつも自分勝手なの」
分からない。
「そうして、あなたは彼を困らせてばかりなの?」
・・・・・・わからない。
分からないよ。そんなの。
そんなことばかり考えても、虫がリンリンと鳴くみたいに、彼を困らせるのが私なら、それはやっぱり、私なんだから。別に、彼を困らせることが楽しいわけじゃない。自分勝手なのは分かってる。でも、気が付いたら行動していて、結果、彼を困らせていたという話。
少女のポケットから見える小さなハンカチ。今では少しばかり汚れてしまったそれは、少し前、小さな女の子から借りた物だった。何処かで返さねばと考えていたものだったが。もう今更の話なのかもしれない。
そうか。
出来ないのか。
もう二度と、彼にはもう二度と会うことはできないのか。
「なんで・・・」
喉のあたりが、なぜだろう痛い気がした。胸が締め付けられる気がした。
頭がいたい。
どうしたらいいの。どうしてこうなったの。なんで、こうなったの。なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないの。
どうして、・・・・・・どうして!
答えが出て来ない。
そんな中、私の頭に浮かぶのは一つ。
「あなたに、会いたい」
秋がようやく始まったころの出来事。そこから彼女が求めた彼がやってきたのはそこから数十分の出来事。そして、警察や救急隊が駆け付けたのは、それから直ぐだった。
この事件は、世間にテレビや新聞などで知れ渡る形となる。
それは、三十代男。男は所帯持ちで、女子高生を拉致し六角レンチで殴り、強姦未遂を働いたとのこと。そこに彼氏と思わしき、少女の知人が現れた。警察関係者が現場に来た時、少年は男の顔を何度も素手で殴るなどと重傷を負わせた。事件が起きてからようやく三時間後、意識のない彼女を最も近い病院に緊急搬送されたのち、数日後、彼女の死がテレビを通して発表された。