NANA1
軽トラが、中央線の無いアスファルト道路の上を走って行く。運転席には三十代の男性が座り、助手席にはかなり高齢と思われる白髪の女性が座っていた。
「そうデスか。残念ダヨ……NANA……」
運転席の男性は、大きく息を吸うと、聞こえないように静かにため息をついた。言葉の語調から、日本で生まれ育ったのでは無さそうな男だった。色も白く、鼻も日本人の平均よりは高かった。
隣の女性は笑う。その表情は、とても三か月の余命宣告された人間だとは感じられなかった。
「十分 生きたよ。両親も、親友も、大事な人達はもう先立っちゃったしね……」
「デモNANAは……百マデ生きて……、せめて九十マデは生きてくれるト思ってイタのにナァ……」
「運命……これが運命なんだよ……。私の前の男性も、同じように癌が末期だと宣告されているのが聞こえてきたしねぇ」
「…………」
白人男性は、黙って前を見ながら車を走らせた。車は、両脇を木々に囲まれた道路を颯爽と抜けていく。
黙って運転する様子を眺めていた女性は、安心したように目を細めて男性に言う。
「思い出すねぇ。日本に来たばかりのレナードは、とても運転が下手だった。今は、ずいぶんと上手になったね」
それを聞き、レナードと呼ばれた男性は、眉を寄せて女性に言う。
「アレは、日本とアメリカじゃ、走る車線が逆ダカラだヨ! ワタシは運転が下手じゃないデス!」
男性が口を尖らせるのを見て、女性は口に手を当てて笑った。
「もうあれから三年かねぇ。レナードが持ってきた最新の遺伝子技術で、農作物を育てるのがとても楽になった。本当に助かったよ」
「ボクも、NANAのお陰で助かっタ。日本語モ上手になっタし」
しかし、女性は首を傾げる。
「私の名前は七菜だって言うのに、まだ『NANA』って呼ぶのは治らないけどねぇ」
「NANAは、NANAダヨ!」
「それを言うなら、七菜だから、『NANANA』が正しいと思うけど?」
笑い声の中、レナードはある一軒家の前で車を止めた。運転席から急いで降りると、助手席側に回り、七菜が降りるのを手伝った。そして、二人で玄関から入り、居間へと進む。
畳敷きの居間へと入った七菜は、まず仏壇の前に正座した。そして手を合わせ、仏壇の両親の写真へ、黙して報告する。八十七歳まで生きられた自分を生んでくれた両親に、感謝の意を述べた。
「カレには、何を言っタの?」
「彼?」
隣に腰を下ろしていたレナードが言うと、七菜は、両親の隣に飾られている男の子の写真に目を向ける。ブレザー制服を着ている男子が笑っており、その両脇に別の生徒の肩が映っている事から、証明写真のような物ではなく、スナップ写真からの切り取りのようだった。
「あの人には……何も……。やっとあなたのそばに行けると言ったって、私なんか待ってくれて無いだろうし。それに、あれから七十年経ったんだから、とっくに生まれ変わっているだろうしねぇ」
しばらく黙っていたレナードだったが、唇に力を入れてキュッと引くと、七菜に尋ねる。
「今まデ聞けなかったケド、彼はどうして亡くなったんダい?」
「うん。それはね…………」
目を瞑って考えていた七菜は、そのまま小首を傾げた。
「あれ……どうしてだったかね……? 高校一年生の夏休みだってのは覚えているんだけど……歳を取るとこれだから……困ったもんだよ」
七菜は「よっこらしょ」と言いながら立ち上がると、仏壇の斜向かいにある机の前に座り直す。
七菜が、右手を宙に向けて手を振るようにかざすと、ブンと言う小さな音と共に、空中に画面が浮かんだ。それを見たレナードは、口元を緩めて言う。
「古いパソコンダネ。視覚接続のパソコン買ってあげようカイ?」
「この歳になると、新しい物なんて覚えられないよ。それに、年寄りの運動には丁度良いんだよ」
七菜は、右手と左手を、空中で横や奥へと動かした。七菜の前に現れた画面は、いくつにも増えて行く。その中の一つの文章を指さし確認で読んだ七菜は、振り返ってレナードに言う。
「どうやら、川で溺れたみたいだね。それ以上の記事は、昔だし、残されていないけれど」「そうカ……。でも、そんナ大事なコト 忘れちゃだめダヨNANA」
腕組みをしてうんうんと頷くレナードに、七菜は眉尻を下げて答える。
「そうかね。彼が死んだ事は私の人生で最も大事件だったけれども……理由はあまり気にした事が無いねぇ。命日にしたって、毎月 お線香をあげに行ける程 仲良くは無かったし……」
「NANAがずっと独身でいるホドのナイスガイカ……」
そう言いながらレナードが横眼でちらりと七菜を見ると、七菜のしわくちゃの頬は少し膨らんだ。
「レナード! 私がまったくモテなかったって言いたいのかい? 言っとくけど、私は身長こそ平均よりちょっと下だけど、結構 可愛いかったんだからね! 生まれた時から、おばあちゃんじゃないんだよっ!」
「ソ……そんなコト言ってないじゃナイか……」
顔の前で手を横に振るレナードは、壁時計の時間を見る。
「それジャそろそろ仕事の時間ダ。NANA、ご自愛くだサイ」
立ち上がるレナードの後を追うように、七菜は立ち上がる。
「ご自愛下さいは、まだ病気じゃない人に言う言葉だよ。まだまだだね」
「NANA……いいノに。これじゃ、家の中まで送り届けた意味ナイよ」
いつものように、玄関を出て行くレナードを、七菜は家の門まで見送る。
七菜の家は、関東圏に一応入る県の、更に外れにある。敷地の中にちょっとした畑があり、家の裏は山だ。隣家との距離もそこそこある。
レナードは、昨日の雨で地面がぬかるんでいるからと注意すると、軽トラにのって行ってしまった。それが木の陰に消えてしまうと、七菜は踵を返す。
足元に注意しながら玄関へ向かう七菜は、庭木の根元にある妙な物に気が付いた。
「これは……キノコ?」
七菜は栽培しているのは野菜で、もちろんキノコなどは育ててはいなかった。生えているのはおよそ三十センチ四方で、七菜はそこから一株を両手を添えて切り取った。
目の前にかざすようにしてみると、色は薄茶色で、シメジに似ているキノコだった。七菜はそれを持って家に戻り、パソコンで調べてみる事にした。
七菜は、パソコンのカメラでキノコを撮影し、インターネットで検索してみる。やはり、シメジだとパソコンは判断したが、一致確率は95%で、亜種と判断された。
「うぅ~ん。食べれるのかねぇ?」
3Dスキャンして立体検索すればもっと詳しく分かったのだろうが、七菜はスキャン装置を持っていなかった。
「まあ良いか。どうせ三か月の寿命だし」
七菜は、キノコを持って台所へ行った。普段なら味噌汁に入れる所だが、なぜだか今日は、取って置きのコンソメで、コンソメソープを作ることにした。先ほどレナードとの話の中であった、若い頃の自分を思い出したのかもしれなかった。
当時の流行りの歌を歌い、七菜は縦に薄切りしたキノコスープを作った。そして、居間のテーブルにスープとスプーンを置き、その前に座る。
「さて、毒味、毒味と……」
七菜はスープを口に入れた。香りと触感は、やはりシメジそのものだった。
「明日、レナードにも食べさせて…………っ! うっ……」
七菜の笑顔は強張った。目の前の景色が歪んだ。手から、スプーンが零れ落ちる。
立ち上がろうにも、耳鳴りと頭痛のせいで、またすとんと畳の上に腰を下ろす。
「ああ……良かった。……レナードに食べさせる……前で……」
七菜は、崩れるようにして、畳の上に転がった。
ピ……ピピピピピピピピ……
バシンッ
打撃音と共に、電子音は止まった。しかし、その音を追うかのように、階段を駆け上がってくる音が響く。
「七菜ぁ! 起きなさいっ! 遅刻するわよっ!」
部屋のドアが十数回叩かれた後、またどすどすと階段を下りて遠ざかる音が響く。
静まった室内で、ベッドの中から、もぞもぞと頭が出て来た。
「え……今 何時? もう朝の四時かい……?」
手がにゅっと出てくると、枕元にあった目覚まし時計を掴んだ。
時刻は、午前七時半を過ぎていた。
「あれ……。もうこんな時間? 寝過ごしたなんて、二十年ぶりだね。さあ……畑に水をやりに行かないと……」
ゴチンッ
七菜が体を起こすと、勢い余って横にあった壁に頭をぶつけた。あまりの痛みに、七菜は頭を抱え込む。
「い……痛たたたた……。何が起こって……」
ようやく声を振り絞ってから、ベッドから降りようとする。すると、またもや勢い余ったように、部屋の床にずでんとヘッドスライディングごけをした。
「へ……部屋の様子が……、いや、それよりも、部屋が狭くなったような……」
寝ぼけ眼で窓へ向かって歩くと、その途中にあった学習椅子に、右足の小指をぶつけた。
「〇△おっ※ままま◇●□くぅぅ~」
七菜は、足を曲げて小指を手で押さえると、部屋の中を片足でぴょんぴょんと跳ね回った。
「て……天中殺かい……?」
ようやく痛みが引くと、七菜は人の気配を感じて隣を見る。すると、見知らぬ女の子がパジャマ姿で立っていた。
「えっ⁉ だ……誰だい? 迷子かい?」
驚いて体を仰け反らせると、その少女も同じようにした。まじまじと見つめながら近づくと、女の子も近づいてくる。
「か……鏡? 私……かい?」
七菜は、クローゼットにはめ込まれた姿見に手を当てた。あかんべーをすると、鏡の中の少女も同じようにしたので、間違いなく自分だった。そう言えば、この少女の顔は、非常に親近感がある。気に入らなかった、眉毛の中のホクロも良く知っている。
「昔の……私……。夢……?」
振り返ると、勢い余って一回転をし、よろめいてクローゼットの開けっ放しだった扉から、中に突っ込んだ。全く整理整頓されていなかった物達が、雪崩のように自分に襲い掛かってきた。
「違う……。何か……違う……。体が早く動きすぎて……」
七菜は、指を動かしてみる。自分としては驚異的な速度で、グーチョキパーを繰り返す事が出来た。
「若い頃の夢はたまに見たけど……、今回は演出が細かいねぇ」
七菜は部屋を見回した。学習机は物置と化しており、学習椅子には服が幾重にも掛けられている。
「そう言えば……お母さんによく怒られたんだったね……」
椅子の一番上にかけられている、高校の制服を七菜は手に取った。着方は体が覚えているようで、すんなりと制服を纏った。
「悪く……ないね」
七菜は、姿見で自分を映す。当時は自分の容姿にそれほど自信が無かったが、今から見ると、なかなかどうして、どこぞのアイドルグループの末席にいても不思議じゃないように思えた。
部屋から出ると、階段を下り、リビングへと向かう。これも、手すりが無くとも、当たり前のように出来た。
「七菜ぁ! そろそろっ……」
リビングの扉の前で、ばったりと女性と会った。女性は、卵を溶いたボールを小脇に抱えながら、目を丸くしている。
「あら……珍しい。一回で起きたの? 体調でも悪いの?」
女性はそう言うと、忙しない足取りで台所へと戻った。
「お……お母さん……、お父さん……」
七菜の目の前に、母親と父親がいた。三十年前に最後の別れをした弱り切った母親達では無く、活力に溢れていた。父親も、糖尿病を患って目が殆ど見えなくなっていたというのに、今は机の前で新聞を広げている。
「ママ、卵焼きは甘いのね」
「はぁ~い。いつものね」
「ダメっ!」
七菜は、両手を机に叩きつけて叫んだ。気迫で、父親の眼鏡がずれた。
「お父さんっ! 卵焼きはしょっぱいのねっ! これからずっと、一生よっ!」
困惑した表情を浮かべる父親は、机の上にあったおはぎに手を伸ばす。すると、それを掴む前に、七菜は奪い取った。
「こんな甘いものもダメだよお父さんっ!」
「ど……どうして急に……。それに、昨日まではパパって呼んでくれてたのに……」
眼鏡の向こうの目を潤ませながら、父親は悲しそうな顔をした。
七菜は、奪い返される前に、おはぎを口に放り込んだ。
「お……おいしいっ!」
巨大化し、町を破壊してしまいそうな程に美味だった。こんなうま味の濃い味は、初めての経験な気がした。どこぞの銘菓かと思っておはぎが入っていたパックを見ると、スーパーに普通に売られているお手頃な価格の物だった。
「えっ! なんでこんなに美味しくなったの?」
「普通だよぉ。普通のお父さん専用のおはぎだよぅ。ママ、七菜の反抗期がついに始まったよぅ。妙な反抗期だよぅ」
父親は、台所へ行って、母親の元でしくしくと泣いていた。
三十年前、七菜と父親の間で、同じような戦い(バトル)があった。あの時は情に負けて甘いものを大目に見てしまった事を、七菜は父親が死んでから後悔した。だから、もう夢の中であったとしても、絶対に譲る気はなかった。
「まあ確かに、この間 お医者さんから血糖値が高いと注意されたから、七菜の言うとおりにしましょう」と、母親は言うと、溶いた卵に塩を入れた。父親は、それを見てがっくりとうな垂れた。
メモ書きになります。
ほかの作品が滞っており、終わり次第、
こちらの作品を仕上げに行きたいと思います。