プロローグ
杖を突いた老人が、開かれたカーテンの横を通り過ぎた。
高齢な彼は、白い部屋に置かれた椅子に、時間をかけて腰掛ける。
「かなり進行しています。治療を打ち切り、余生を大事にする方向で行きましょう」
男性の前に座っていた、白衣を着た医師と思われる人がはっきりとした口調で言った。医師の目は、まっすぐに老人へと向けられている。
「そうですか。……残念です」
男性は答えた。その瞳は、医師へと向けられているが、どこか遠くを見ているようだった。
医師は、ディスプレイに映し出された電子カルテと、高度磁気共鳴映像法(HMRI)の映像を代わる代わるに指さし、今後の方針について老人に話をする。説明が終わり、医師が男性を見た時、男性の目は、机の上の卓上カレンダーに向いている事に気が付いた。
「……何かご予定でも? 強い薬を使って、引き伸ばす事も可能ですが。体の負担を考えると、余りお勧めは出来ませんが」
「彼は……現れなかったか……」
男性は、自分のつぶやきにハッとし、医師に向かって恥ずかし気に目を伏せて答える。
「いや……二十二世紀まで持たなかったなぁと思いましてな」
「二十二世紀? ……彼?」
医師が卓上カレンダーを見ると、『2089年』と、現在の西暦が書かれてあった。
顎に指を当てて少し考えた医師は、目を大きく開いて手の平を打って答える。
「あっ! ドラえもんですか? そう言えば、二十二世紀から来るロボットでしたね! 確かに、後もう少しだ!」
「ほお……、先生がアニメをご存じで?」
男性がほほ笑むと、医師は子供のような笑顔で話し始める。
「もちろんですよ! ええ、私が十代の頃も現役のアニメでしたよ! タケコプター、どこでもドア、通り抜けフープ。その未来がもうすぐだと言うのに、さすがに後十一年では、とても彼が現れるとは思えない!」
医師は、指でこめかみをポリポリと掻いてから続ける。
「学生の頃、夢見ましたよ。お医者さんカバンがあれば、辛い勉強せずとも医者になれるのになぁって。でも、石ころ帽子も捨てがた…」
「先生!」
医師の背後に立っていた、女性看護師が睨みつつ声を上げた。医師は、肩をすくめながら男性に苦笑いをする。
「いや、楽しい話題はいかがかなぁって思いまして。でも、何か一つ道具がもらえるならばって、考えますよね?」
「ええ……まあ……。私は…」
「ハックションッ‼」
男性の言葉の途中に、医師は大きなくしゃみをした。
机の上にあったティッシュを何枚か取ると、それを鼻に当てながら言う。
「これは……失礼しました。医者の不養生と言いますか……、本当に、癌と風邪だけは、未だに人間は克服できない」
痺れを切らした女性看護師は、男性の横へ来ると、椅子から立ち上がるのを手伝った。
老人は、にっこりと笑って頭を下げると、杖を突いて部屋から出て行く。
カーテンの横を通り過ぎる男性は、ぽつりと言葉を言った。
「……タイムマシン……ですな……」