心よ燃えろ
エケベル東北約四半里の北の塔に充てがわれたシンカの自室にて、シンカはユタと共に戦闘の昂りを治めるべく交わり、2人して全身から汗を浮かべながらも寝台に横になっていた。
シンカはユタの頬や額に張り付いた茶の髪房を小指で整え彼女の小振りな頭を撫でる。
ユタは擽ったそうに目を細めながらもシンカの掌に顎を載せ、鳶色の瞳を真っ直ぐに此方へ向ける。
半分微睡みながらそんな時間を過ごしていたが、塔内に慌ただしい気配を感じ取り2人同時に首をもたげた。
身体を清めて衣類を身に纏うと翅を腰に佩く。
敵襲の気配ではなかった。
この北の塔の統括責任者は青鈴軍副長のネス・グレンであるが、森渡り側の責任者はシンカである。
塔3階の広間へ足早に向かった。
シンカの部屋のある10階から足早に階下へ向かうにつれて血の匂いが濃くなった。
臭いを辿り目標であった3階では無く2階へ向かう。
其処には傷だらけの森渡り達が十数名横たわり、青鈴兵と他の森渡り達に治療を施されていた。
「…スイセン!?」
その中でも重傷なのが十指のスイセンであった。
隣ではスイセンの補佐をしていたカイナンが事切れている。
「シンカさん!」
スイセン隊の若手テンマがシンカに縋り付く。
スイセン隊は北の隘路から迂回し迫る別働隊の撹乱に出ていた筈だ。
十数名の負傷者の内、最も危険なのはスイセンであると判断した。
「医療隊何している!?」
医療隊はエケベルに本隊を置き三塔其々に分隊が派遣されている。
「分かりません!ここに最初に来たのがシンカさんです!」
シンカは声帯を細めて合図を送る。北の塔の医療分隊長であるヒンゴを呼んだのだ。
しかし上階から帰ってきた返答は、ヒンゴ、以下、10、不在、であった。
残りの者に直ぐに薬剤と器具を持って2階へ赴く様に指示を出し、急ぎスイセンの容態を確認した。
全身の骨折、脊椎も折れてこのままでは助かったとしても半身不随となる。
臓器も破裂している。特に危険なのは肺と胃である。
それに加えて鋭利な刃物で斬り刻まれた様な傷が多数。出血が酷い。今すぐ死んでもおかしく無いが、スイセンの心臓は未だ脈打っている。
腹部から零れ落ちる腸が痛々しい。
ナウラに向けて背嚢を持ってくる様に合図を出す。
「おい!テンマ!厨房から大きな鍋を借りてここで湯を沸かせ!」
テンマの尻をけたぐり動かすと同時に医療分隊のカイガ、ランヒ、テンジンが自身の医療用装備を片手に駆け込んで来た。
「ああっ、そんな!?」
「スイセンさんほどの人が…」
ランヒとテンジンが言葉にする。
「シンカさん、これは、ヒンゴ隊長で無いと……その…」
歯を食い縛り絞り出す様に口にしたカイガをシンカは無視して瞳孔の確認をする。
「ならば邪魔をするな!他の負傷者の治癒を進めろ!ナウラ!早く!酒精を!手伝え!」
「分かりました」
丁度駆けてやって来たナウラを捕まえて指示を出す。
「…シ、ンカ…」
濁った呼気を吐きながら意識を取り戻したスイセンが言葉を紡いだ。
シンカは酒精で手を洗いながらスイセンの目を見た。
「……カイ…ナン……は……」
「カイナンは旅立った。残念だが。話すなスイセン。体力を消耗する。ハンボ!清潔な布を用意しろ!未使用の寝台に使う敷き布でいい!テンマ!早く水を沸かせ!間に合わなくなるぞ!」
シンカは清潔な綿に酒精を染み込ませ流血の激しい傷口の消毒を始める。
「ナウラ!針と糸を!」
ナウラは素早く針を取り出して酒精に浸けた。
「…シン、カ……ウラジロ…が…。ウラ、ジロの…ぶたい……よそう、がいに……」
「黙れ!俺が居て死なせるものか!」
「……カイナン……。すま、…ない……、わたし、に…したがった……ばかり、に…むだ、じに……おくさんに、なんて……」
「カイナンの死は無駄にせん!お前が助かれば無駄にはならん!だから黙れ。俺に集中させろ…」
テンマが巨大な鍋に水行法で水を注ぎ、ソウテンが鍋を熱して湯を沸かす。
シンカはまず消毒された針と糸で破裂した重要臓器を縫い始めた。
それは恐ろしい速度で様子を見たテンジンがその手元を目を剥いて凝視した。
「何をしている!早くクウリンの治癒をせんか!クウリンもシャカイもセンケンもコウゲンも重傷だぞ!」
慌てて視線を戻すテンジン
「シンカ。破裂した臓器の縫合後は綿棒で臓器再生薬を塗布すれば宜しいでしょうか?」
「うん。俺は切り傷を縫合する。血管用の針と糸を先にくれ」
消毒した髪の毛ほどの太さの針と硬糸雲の巣糸で動脈の縫合を始める。
「ハンボ!テンマ!ソウテン!こっちに来い!」
スイセン隊の健常な3人を呼び寄せ3人の掌を短剣で浅く裂く。
其々容器に血を垂らし、そこにスイセンの血液を加えた。
その時2階にリンファが顔を出す。
シンカはすかさずリンファを使う。
「リンファ!塔から出て萱の茎を刈り取ってこい!至急だ!」
シンカは血管の縫合を済ませるとナウラが治療をしていた腹部に再度手を伸ばす。
「胃液が漏れ出ている。拭い取ってくれ。腹を縫合する。胃液を拭った後は全身の傷口を消毒してくれ。ハンボ!布の煮沸を済ませろ!」
ナウラがスイセンの体内に溢れた様々な体液を拭い取ると斬り裂かれた腹部の縫合を始める。
スイセンの顔色は不気味な程白い。このままではまだ助からない。
3尺もの腹部の斜めの穴を猛烈な勢いで縫合していく。
縫い終わるとナウラが消毒を始める。
先の血液を取った容器を見るとソウテンとスイセンの血を混ぜた容器だけ血液が固まっていなかった。
「ナウラ、残りの切り傷に軟膏を。ソウテン!ここに寝ろ!」
呼ばれたソウテンがスイセン爪先側を頭にして横たわった。
シンカは両手を床に当ててソウテンの体の位置を石材を隆起させて上げると2人の肘裏を消毒した。
「…これが輸血なのですね」
全ての準備が整った。
後はリンファの帰りを待つだけだ。
「…凄い!なんて速さ…!」
「ジュコウさんよりも速いかもしれない…」
医療分隊の言葉は無視して容態を確認する。
ここまでで四半刻が経過していた。
驚異的な速さでの治療であった。
しかし予断は許さない。
意識を失っているスイセンの口元に耳を当て臭いを嗅ぐ。
「臓器再生用の内服薬を。肺再生用の薬煙も。呼吸が血生臭い。肺に出血が溜まっている。リンファが戻り次第吸い出す」
内服薬と薬煙の準備を終えるとリンファが汗だくで走って戻ってきた。
「萱の茎よ!消毒する?!」
「予備を見て5本。ナウラは骨折用の湿布を」
消毒が終わるとソウテンとスイセンの腕に輸血用の特殊な針を刺し消毒した萱の穂で採血を始めた。
「テンジン!カイガ!輸血用の血袋は持っているか!?」
「水苔牛の胃袋が有ります!」
直ぐにそれを持ってきたカイガから受け取り酒精に浸し消毒するとソウテンの血液を貯め始めた。
水苔牛は川や池などの岩にこびり着いた苔を主食にしており、同時に大量の水を摂取する為、非常に伸縮性の良い胃袋を持つ。
十分な血が溜まると血を入れた食道側を紐で括り逆さにして、今まで縛られていた十二指腸側を解く。そこに萱の茎を差し込み紐で潰れぬ程度に縛ると、反対側を腕に刺した輸血用の針と繋ぎ血袋を絞った。
ソウテンの血液が萱の茎を通してスイセンに注がれていく。
血液の不足については後は待つしかない。
心拍が弱まっている今、そのまま死に至る可能性も十二分にある。
シンカはスイセンの胸に手を当て自身の経を彼女の体内に浸透させた。
「左肺に裂傷が有り血液が溜まっている。一度血を抜く薬煙を吸わせてくれ」
水行法で溜まった血液に干渉し口から排出させる。
ナウラが薬煙草に火をつけて吸引させる。
その間シンカは全身の臓器の様子を確認し、用意した粉薬で治癒できる事を確認すると大きく息を吐いた。
後はスイセンの生命力に依る。
「骨折の処置をする。ナウラは他の負傷者を。リンファ、手伝ってやってくれ」
リンファも肩を撫で下ろし、手をひらひらと振った。
スイセンの折れ曲がった手足を伸ばして固定し、湿布を貼って包帯を巻き付ける。
スイセンはテンキがそうであったようにシンカの血の繋がらない姉と言っても過言ではなかった。
なんとしても助けたかった。
ナウラの手伝いもあり重傷者を含めスイセン隊の人員は回復した。
スイセンは身を清められ充てがわれた部屋で療養する事となる。
スイセンを清潔な寝室に寝かし付け、シンカはスイセンと2人きりになる。
「……良かった……、良かった……。…助けられた…。今度は、助けられた……」
目を閉じたままのスイセンの手を握りシンカは呻くように独り言ちた。
スイセンの手にシンカの涙が数滴滴った。
スイセンは今年38となる。伴侶は無い。
8つ歳上のスイセンも、父と母を亡くしたシンカの世話をよく焼いた。
若い頃から男勝りだったが面倒見がよく、歳下の子供達を連れて遊びを教え、付き合っていた。
そんな子供達を遠目に眺めていた当時のシンカの手を引き遊びの輪に加わらせた。
子供の遊びにはあまり興味がなかったのでありがた迷惑だったが。
だがそんな彼女を嫌いになれよう筈がない。
窓の外で合図が飛び交っている。
シンカにエケベル本陣まで出頭する様に促すものもあるが、無視をした。
スイセンが目を覚ますまでここに居るつもりだった。
スイセンが目を覚まさぬまま半日が経ち、宵に部屋の扉が叩かれた。
部屋の主というわけでも無いシンカは黙っていると扉が開かれる。
立っていたのはリンレイだった。
「……聞いたよ」
「………」
スイセンの顔を見ながら無言でいた。
リンレイは部屋の木製の丸椅子を引き摺りシンカと並んで寝台の横に座った。
「シンカはスイセンを慕っていたからね。スイセンが一命をとりとめた事を喜ぶ同胞はとても多い」
「ここから容態が急変する可能性は十二分にある」
「大丈夫だよ。シンカが治したんだから」
「脊椎神経の接続が終わっていない。目が覚めたら背を切り開いて繋げなければ。このままでは北の塔が落ちればスイセンも命運を共にすることになる」
「スイセンは目覚める。彼女は強い人だよ」
リンレイは穏やかな表情でそう告げたが、急に表情を引き締めた。
「テンマから確認したよ。スイセン隊はエケベル北20里にて黄迫軍別働隊の遊撃を行なっていたけど上手く足止め出来ていなかった。其処までは情報を得ていた。黄迫軍本体より更に練度が高く奇襲をものともしないと。そんな時森に繰り出す100名程の一隊を発見し、スイセンはこれに奇襲を仕掛けた。だけど予想以上の反撃に遭い隊は散り散りになり味方を残すためにスイセンを含めた数人が殿を務めたそうだ。重軽傷者は出したものの殆どの者はエケベルに帰投したけど、一部の消息が確認できていなかった。その者たちも今日漸く確認できた。良かったよ。カイナンの体もちゃんと帰って来た。送ってあげられる。立派な男だよ」
シンカはカイナンとあまり面識は無かったが、己の最期の命を燃やしきりスイセンの命を繋ぎとめた行いは尊敬に値した。
カイナンの遺体は右脚の大腿骨が折れ、内臓も破裂し損傷が激しかった。
彼は一体どうやってその状態でスイセンを連れ帰ったのだろうか?
「テンマは?」
「スイセン達が殿となって別れて暫くのちに巨大な竜巻が発生するのを見たと」
「ウラジロ・ファブニルだ」
「そうだろうね。その竜巻はテンマ以外の多くの者が目にしている。青鈴軍の首脳陣もそう断定していたよ。銀鳴隊と言うらしい」
「スイセンとカイナンの臓器損傷、骨折は墜落によるものだ」
「……シンカ。森渡りの六頭、その総括として言う。200人を率いてウラジロ・ファブル率いる最精鋭部隊を撃滅せよ。拒否は構わない。でもそれならこの戦争からは離脱して里に戻りなさい」
「スイセンが覚醒し何があったか確認を取り次第向かう」
リンレイは目を瞑り頷いた。
「別部隊から引き抜いてもいいから人選をまとめて提出しなさい」
シンカは無言で頷く。
「シンカ。敵を許してはならない。必ず後悔させるんだ。スイセン隊には油断があった。我等に与する事が出来る程の手練れを想定していなかった。シンカ。君は里で最も強い。君が了承してくれて良かった。これが最も被害を少なくする道だ」
カイナンは全身を斬り刻まれ竜巻に巻き上げられ落下し、無数の致命傷を負って尚、折れた足で立ち、破れた肺で息をし、捻じ曲がった腕でスイセンを抱え、敵から逃れ同胞に彼女を託したのだ。
それ程の男としての気概を見せられて首を横に振れる訳が無い。
翌日無事に目を覚ましたスイセンから聞き込みを行い、その翌日シンカは200人の最精鋭を引き連れてエケベルを発った。
シンカとその妻たち、シャラ、リンハン、リンドウ、リンメイ、センヒ、ソウハ、ジュナ、スイハ、スイホ、センテツ、ガンレイ、ジュリ、ツルク。シンカと連携が取りやすい者や戦い方を知る者。その他力量を把握している者200名にて砦を背に深い森へと消えて行った。
ご感想、ご登録、ご評価の程宜しくおねがい致します。




