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赫き


挿絵(By みてみん)



シンカとカヤテの挙式の日、シンカは黒の燕尾服を着込み結晶堂内の霊殿前に佇んでいた。


結晶堂はケルレスカンが背負う白山脈の一端の崖が結晶化した堂の事を指す。

色取り取りの水晶や透明度の高い鉱石が全方位を覆い尽くしている。


多角的なそれらが正午の光を反射して方々に眩い輝きを放っていた。


しかし参列者が着込む黒い服も、シンカの燕尾服も光を吸い込み存在を大人しくさせていた。


そして輝く洞をミトリアーレに手を引かれカヤテは現れた。

その役目は本当は母がするものだった。しかしカヤテの母は彼女が物心付く前に病没している。

カヤテは先導を愛するミトリアーレに頼んだのだ。


黒の正装に身を包んだミトリアーレに手を引かれたカヤテは光を浴びて輝いていた。


白銀の衣装だった。丈は長く、足にまとわりつくように萎み、尾鰭のように足元だけ膨らむ下半身に、胴回りも身体に張り付き、卑猥にならぬ程度に胸元がくり抜かれている。


むき出しの腕や胸元には白金茸の銀胞子が叩かれきらきらと光を反射している。


その中で漆黒の頭部で結われた髪と鮮やかな紅が刺された唇が際立っている。

シンカは見惚れて動けなくなった。

カヤテはまさに赫いていた。


この様な場で漸くシンカは赫兵という名が腑に落ちたのだった。

ぽかんと口を開けたシンカを見て目を伏せて憂いを帯びた長い睫毛を見せていたカヤテが悪戯っぽく笑った。


シンカの側までカヤテは寄った。

彼女の髪にまで銀胞子は叩かれている。

夜空に輝く星に見える。


参列したシンカの親族も、カヤテの親族からも感嘆の声が上がっていた。

カヤテの手を引いたミトリアーレが近寄り口を開く。


「私達が守れなかったカヤテを貴方は救って下さいました。貴方以外に託せる人はおりません。カヤテをお願いします」


シンカは無言で頷き手を取り、祭壇の前まで歩いた。


風信子鉱(ヒヤシンスこう)の輝く祭壇には頭程の大きさの一分の歪みもない黒い球体が置かれている。


黒曜石の球だ。


長い間人に撫でられ続けて丸く角が取れ、鈍く光を反射する球に2人で手を乗せた。


「………御霊よ、我等の願いを聞き届け給へ。その美しい珠の様に2人角を取り、その在り続けた時の様に長く2人過ごす事を望むもの也」


「かっ、形在る物何も朽ちれど、我等の絆は死しても解れ途切れん事を願うもの也。我等の行く末が願わくば緩やかであらん事を願うと共に、えー、2人揃いて歩かずんば挫けし道も並び行ける様願うもの也。噛んだっ!あっ」


カヤテの顔が赤茄子や秋の林檎のように赤らんだ。

皆が笑っている。カヤテは人に好かれる女だ。馬鹿にした笑いではない。皆微笑ましく思っている。


祝詞を唱え終わると2人は向き合った。

カヤテの失言で些か張り詰めていた空気が弛緩しリンブが前列で口を蛸のように尖らせて次の接吻を冷やかした。


シンカは弟を睨みつつカヤテの両肩に手を置いた。


光輝く結晶堂で家族が見守る中2人は唇を合わせた。

初めて出会ってから4年の歳月が経っていた。




薄黄色の岩石で造られたクサビナ第二の都市ファフニーラ。

ファフニーラの下町の更に下卑た繁華街。

怪しげな娼館の最上階に数人の男が集っていた。


1人目、上座に座るのは外見的特徴の一切を隠した男。


2人目は若く精悍な色素の薄いアガド人。ファブニル一族のウラジロ・ファブニル。


3人目は槍を携えた魍魎素材の鎧を纏ったシメーリア人とネラノ人の混血の中年。青嵐のアシャ。


4人目は好々爺然とした小さな体躯のアガド人の老人。ウルド・ラドレック。


「始まりますね。我等一族は然るべき手続きの後軍を挙げます。夏の半ば、秋中月になるでしょう」


ウラジロが告げる。


「俺の雨月旅団は夏下月にヘンレクを出てその頃ファフニーラ近郊で合流する。赤髪のウラジロと轡を並べられる事を楽しみにしていた」


アシャがウラジロを見ながら好戦的に笑い告げた。


「グレンデルも中々やる。まさかリュギルをあのような手で動かそうとは。クサビナ宰相フランクラもほぞを噛んでいる頃だろう」


宗主がくぐもった声で話す。


「グレンデルの者にその様に知恵の回る者は……はて。思い当たらんな」


50年以上の間王剣流徳位を名乗り続けるウルド・ラドレック。

クサビナ貴族ラドレック家の先先代当主の兄でもある。


「グリューネの英雄オスカル・ガレの手腕だろう。同行もしていた様だ」


宗主の声音には感情が感じられなかった。

怒りも焦りも何も無い。


「宗主様。他の面々は?」


アシャが尋ねる。


「ラングは天海山の里だ。あれも既に多くの同胞を失っている。体制を立て直している。名代として土長のイルカイがバラドゥーラで山渡りを率いて近隣の諜報活動を行なっている」


「山渡りが何故?」


宗主にウラジロが尋ねる。


「詳細は聞いていない。………ロクアは遺体がスライ近郊の森で発見された。ヤニスもエシナで何者かに護岸騎士団諸共惨殺された」


「エルキド閣下とツネル閣下は如何ですかのぉ?」


「メルソリアがきな臭い動きをしている。王女ダーラが長らく公的な場に姿を現していない。エルキドはメルソリアに備えている。ツネルもコブシからそうは離れられんだろう」


「皆揃っては難しいみたいですね。それにしてもロクアの様にしぶとい男が。魍魎ですか?」


ウラジロは赤毛の長髪を総髪に纏めながら宗主に問うた。


「山渡りの報告では頸部を鋭い刃物で切断された形跡が見られたそうだ」


「ヤニスは如何ですか?あれ自体は飛び抜けて腕が立つわけでは無いが、多くの猛者を従えていた」


次にアシャが護岸のヤニスについて尋ねた。


「その猛者共々惨殺されていた。護岸のヤニス、陰剣のクチェ、雲狼ケルゴ、三面のオシェ。他にもラクサスのクロード将軍、ヘルガー、ウゴ、ニコラ、ギョーム、キリアン。並居る猛者が霊殿で戦闘の果てに一同に殺害されていた」


「何と!?」


一同驚愕の表情を浮かべた。


「護岸騎士団は求心力を失い瓦解した」


当然の成り行きと言えるだろう。


「何処ぞに……我等の望みを潰さんと蠢く者が居るという事か」


アシャは憎々しげに強く槍を握り締めた。


「何を情けない事を言っとる。思い通りに進む企み程詰まらんもんは無いぞ!」


ウルドはかっかと陽気に笑ったが、その実彼の思想は享楽的の一言に尽きる。


武人たちがよく持つ剣や槍にかけた矜持やそれに基づく生死観念とは異なる別の価値観を持っていた。


ウルドは楽しそうだから戦に参じ、楽しそうだから宗主の元で企てに興じている。


そんなウルドの皺にまみれた笑顔を見てアシャは顔を歪めた。


青嵐のアシャは齢41となるルーザースの傭兵団雨月旅団の団長である。


アシャは己の腕を頼りに仲間を集め、次第に傭兵団として成立する規模へと集団を膨らませ、そしてオスラクとリュギルの戦で活躍し、取り立てられる事となった。団員は加速して増え、今や1万に届く。


アシャは更なる栄達を求めていた。


爵位と土地である。


宗主の計画に乗りファブニルと共にグレンデルとそれに参ずる貴族を破り、その土地を得る。

その為に人を集めルーザース内での信頼を高めて来た。


アシャは忘れない。己が幼かった頃を。

オスラクの寒村に生まれたアシャは日々の食べ物すら得られぬ困窮に苦しんでいた。


罔害と領主の搾取に怯える幼少期を過ごした。

決め手となったのは好意を抱いていた少女が官吏の目に留まり、領主に召し上げられた事だった。


少女は2ヶ月後に襤褸雑巾の様に村の門の前に打ち捨てられていた。

尊厳を踏み躙られた無残な遺体だった。

それでも村の者は何も言えないのだ。


アシャは彼らと己の違いを考えた。

彼等は貴族に生まれ、自分達は何も持たぬ下民に生まれた。それだけの違いだった。

貴族になれば誰にも虐げられずに生きられる。


アシャはそんな望みを持ち、腕を磨いた。

ある晩、村はたった一体の鬼に潰されてアシャは家族を失った。


それを機に諸国を渡り歩き、傭兵団に入り腕を上げて独立した。


宗主と出会ったのは30歳をいくつか過ぎ、部下が千を超えた頃だった。

当時から顔を隠した怪しげな男だった。

宗主はある晩酒を飲んでいたアシャの隣に掛けて望みを聞かれた。


酒に酔っていたのもあるが、何故かぺらぺらと己の望みを話していた。

男は似た目的を持つ者を集めて地位や領土を得るべく企みを行なっていると告げた。それまでに兵力を増強しろと。


アシャは言われた通りの努力を行った。

企みは4年前より本格的に動き始めた。

様々な立場の者を巻き込みグレンデル一族を貶める為の策が走り、到頭この最終局面へと辿り着いた。


数多の失敗に予想外の事態が起こった。


ミトリアーレを取り逃がしたこと。ベルガナがスライを落としラクサスへ軍を向けている事、ラクサス王城の陥落。リュギルとガルクルトの険悪化。エリンドゥイルの王家への不信。


様々な計画外の悪影響があった。

それでも引き返すことはできない。

仮令、計画の成功率が7割まで落ちても、同士が討たれても。


何よりも無残に死んだ両親や少女の為に。




カヤテとの挙式が終わり一同は大宴会を開催していた。シンカはしつこく稽古をせがむダフネをあしらいながら飲み食いする参列者の卓を巡り、酒を注いでは注がれて飲んでを繰り返していた。


グレンデル一族は力ある者を尊ぶ。

リン家には力ない者は1人もいない為に両家は直ぐに打ち解け、何人かはちょっとそこまでと剣を持って出て行く始末だ。


ナウラがカネラに酒を注ぎまくった所為でカネラが泣き始めている。

父と娘でそんな物が遺伝するのか、とシンカは妙に感心していた。


「………っ、ふ、ぐ………うぅっ、自分の背丈と同じ長さの木剣を振っていた、カヤテがっ!」


「何歳の話だ兄さん」


ガリアが呆れつつナウラがなみなみと注いだカネラの杯と水の杯を入れ替えた。


「5歳だっ!」


堂々と叫ぶカネラは今日はもう駄目だろう。


「ガリアさん?此方をどうぞ」


さらに呆れるガリアの隣にシャラが掛けた。

ガリアも時間の問題だろう。

隣の白銀の衣装を着ていたカヤテは楽しそうに親族達を見ていた。


「……こんな日が来るなど、考えた事もなかった……」


ぽそりとそんなことを呟いた。

カヤテにとって今はどんな気持ちなのか、シンカは想いを馳せる。


ずっとミトリアーレの隣に立ち力になり続けると考えていた筈だ。

その望みは閉ざされた。だが今、その危機に駆け付ける事が出来る場所までカヤテは戻ってきた。

その上で伴侶も得て、それを一族に祝って貰えている。


嬉しいのだろうか?きっとそうだという確信はある。


自分の為に親族や友人が祝ってくれる事は嬉しさもさる事ながら、自分達の為に遠出してもらう事に申し訳無さすら覚えた。


しかし逆に考えてみれば、自分が逆の立場なら西南端のマルカだろうが、砂漠の向こうのグリューネだろうが、弟妹の為なら何処へでも赴くだろう。


一同は夜更けまで飲み食いを続け、カヤテとの結婚式は幕を閉じた。

帰り、近々グレンデーラでも会合を約束してケルレスカンからグレンデル一族を送り出した。カネラの腰にはちゃっかりシンカが贈った曲剣が佩かれていた。気に入ったらしい。


シンカはふと初めてカヤテと出会った時の事を思い出していた。


厄介事に関わる事を避けて見捨てようとした。

思いの外丁寧に頼まれて、助けてやっても良いかと考えたのが始まりだった。


彼女の人柄を直ぐに好きになった。

赫兵とは言い得て妙だ。

彼女は赫いていた。人を惹きつける人柄だった。


彼女の為なら己の身を削っても良いと、シンカには感じられたのだった。


そんな自分が今はカヤテと手を取り合い婚姻を終えた。


大きな挫折を経験したカヤテをシンカはこれからも支えて行く。


どんな事が有っても家族と寄り添い支え合い、守り合う。

それがシンカの持つ最も強く根深い価値観だ。


己の大切なものは一度たりとも、決して手放してはならない。

一度手放したものは2度と手に入らないかもしれないのだから。














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