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手懸り


年が明け変わらず積雪が続くケツァルにて、ダーラ一行は変わらず河口の龍について調べていた。


ダーラは門番に顔を覚えられて下水路を行き来しなくとも門内区画へ自由に出入りが出来る様になっていた。


図書館も同様であるが、出入りが容易になった為に泊り込むことは減っていた。


ダーラは司書に示された書架を粗方調べ終わり、別の書架にまで範囲を広げたが依然としてイブル川河口での魍魎被害について確認する事は出来なかった。


目の酷使、睡眠不足により慢性的な頭痛が起こり、携帯食ばかりの食事に美しかった肌は荒れ、口内炎に苦しんでいた。


ディミトリ達傭兵も雪の中街へ繰り出し近隣住民と親しくなり様々な事柄を聞き出そうと努力していた。


ミキスは姿を偽り大衆酒場に入り浸り、傭兵や狩人達から情報を収集し、タナシスは商人との伝手を得て積雪前の近隣情勢を確認していた。


そんな中エッカルトだけは複数の女を引っ掛けて彼女らの家を渡り歩き、貢がせて酒を飲む爛れた生活を送っていた。


ダーラ達の生活は春中月迄変わる事なく続いた。

雪の頻度が減りほんの僅かに気温が上がった頃、ダーラは図書館に据え置かれている長椅子に腰掛けて転寝をしていた。


疲労が身体の芯より滲み出し、全身を凝らせていた。


ダーラは既に何に自分が突き動かされているのか分からなかった。

当初は色々な理由があったと思う。

幼い愛しい弟が安泰な治世を行える様に、愛すべき自国の領土が荒らされない様に、偉大なる父王に己を評価して貰えるように。


だが今となっては意地だけがダーラを動かしていた。


誰も何も知らず、呑気に過ごしている。


他国人の自分がクサビナ人の命を握っている。

何処か優越感とも言える感情を抱いていた。

思考や感覚が麻痺している自覚はあった。


ダーラははっと目を覚ました。

何か夢を見ていた気がしたが思い出すことは出来なかった。

起きる直前に耳元で誰かに囁かれた様な気がしていた。


寝不足の余り、半開きだった口から涎が溢れ外套に染みを作っていた。

其れを手の甲で拭い、ダーラはふらつきながら椅子を立った。


窓にはめられた板水晶越しに暗い夜空が見える。

危ないところであった。もう直ぐ司書の見回りがある。

ダーラが書架に登って直ぐに靴の踵が床を叩く音が近づいて来た。


「………ん?またか。あの人はいつの間に帰った?……まさか、精霊だった……等とは……いや、あれだけ美しい人だ。あり得なくはない」


男の司書が呟き踵を返して行った。

酷い勘違いだが、それで疑われないのなら構わない。


衛兵が館の灯りを落として回り、静まり返った後にダーラは油灯明を取りに受付へ向かった。

先の男司書であれば受付の内側、右側に置いて帰る。


個人の癖まで知り尽くしてしまっているダーラだった。


暗い管内で灯りを確保するべくダーラは油灯明に火を入れた。

橙色の柔らかい灯りが暗く沈んだ周囲を淡く照らし出す。


ふと、ダーラは顔を上げて閉め切られた部屋の錠前に視線を送った。


それは本当に偶然の挙動であった。


分厚い樫の扉の取っ手に巻き付けられている太い鎖、そこに嵌められた頑丈な錠前が外れてぶら下がっていたのだ。


迷いは無かった。

受付を回り込みそっと外れかけた錠前を手に取り鎖を両の取手から引き抜いた。


金属が擦れる軽やかな音が響き渡り、ダーラは内心肝を冷やした。


しかしこの建物には今ダーラしか居ない。

錠前と鎖を持ったまま重厚な扉を開いた。

床に置いていた油灯明を持ち直してダーラは中に足を踏み入れた。


司書の休憩場所の様で、椅子や卓の他に食器棚が置かれ、簡易的な竃がある他に水瓶などが置かれている。


壁には書物の貸出記録を収納する書架が並ぶ。

そして部屋の端にダーラは手摺を見つけた。石造りの手摺だ。


近寄ると地下へ続く石段を覗くことが出来た。

しかし石段の先の扉にも錠が掛かっている。

部屋の隅の小振りな机に向かい引き出しを開ける。


案の定鍵はあった。

ダーラは興奮を抑えつつ鍵を開けて扉を開いた。

ふわりと部屋の中から古い紙の匂いが香った。

古い書籍だった。


書体がかなり古く、学のあるダーラにも読み取り難い書が殆どで、おまけに背表紙の題も掠れているものが多かった。


ダーラは1冊手に取りそっと開く。

中の紙は黄ばんでいたが筆と墨で書かれた文字は読み取ることができた。


クサビナの歴史書であった。

1冊が1人のクサビナ王の生涯とその統治について事細かに記されている。

あまり読む意味は無さそうだった。


ダーラは目ぼしいものが無いかと探っていたが妙な物を見つけ、しゃがみこんで灯りを当てた。


この部屋は余り人の出入りが無いのだろう。埃が薄っすらと床に積もっていたが、足跡が残っていたのだ。


それ自体は不思議なことでは無い。ダーラの足跡も残ってしまっている。

問題なのは足跡の1つが正面の書架に半分埋もれている事だった。


この書架は動く。

ダーラは直ぐに判断した。

横を見ると埃に2本の線が伸びている。ずらせるのだろう。


腹あたりの本を退けて覗き込む。板戸が見えた。

書架を退かす仕組みを探すと地板の下に押し込み釦があり、押してみると車輪が地板の下から飛び出て書架を押し上げた。


ダーラはそれを横に押し、現れた板戸を押し開けた。狭い石組みの通路だった。

土埃の上に誰かの足跡が残っている。

ダーラはその足跡を辿った。


黴臭い通路だった。

軈て行き止まりに辿り着いた。正面はのっぺりとした2枚の大きな石壁で塞がれている。


だが足跡はこの先に続き、同時に引き返してもいる。

石壁を押してみるがビクともしない。しかし引く様な取っ手や穴もない。壁を灯りで照らすと平な壁に一部盛り上がった場所があるのが分かった。

土行法が行われたのだ。


ダーラも経を練り両手を壁に突いた。壁を引くことが出来るように穴を作った。

そしてそれを引いた。

石壁は音も無く内側に開いた。

先から物音はしない。


そこは書庫だった。どの書籍も埃を被り、先の小部屋よりも更に古いであろうことが分かった。


ダーラは埃を被っていない最近誰かが手に取ったと思われる書籍を書架から引き出し開いた。


それは報告書であった。


少し読み進めてダーラは気分を害してしまった。

ある民族を拷問し知識を吸い出す記録書であった。


その行為は悍ましいの一言に尽きた。


ここはクサビナ王国王城の禁書庫だ。

長い歴史を誇る超大国の闇をダーラは今手に取っているのだ。


「………森渡り?」


ダーラは書に記載された単語を小さく口に出した。


千年もの昔に王家によって拷問された一族は自らをそう名乗っていたという。


苔色の笠と外套に身を包み森を歩いて方々を渡り歩き、森に対する深い知識を持つ。

その後王族は幼児を残し多くの者が不可解な死を遂げたとも書かれている。


報復にあったのだろうかとダーラは考えた。


ふと、以前アケルエントのお抱え薬師であったサンケイが書に書かれた装いで街を歩いているのに警邏中に出くわした事を思い出した。


サンケイの知識の量、王家に阿らない姿勢。あり得なくはない話だ。


そこでダーラはふと思い出した。

あの男。エッカルトとは別のアガド人とシメーリア人の混血である薬師。


どうしても気になりあの男が泊まる宿に向かった際、壁にサンケイが纏っていたものと同じ外套と笠が掛けられていた。


ダーラは1人首を振る。


記憶も定かでは無いし何方も今行方は知れない。

書を戻しダーラは注意深く辺りを照らす。


引き続き王立書館から続く足跡を追った。

今この禁書庫の中には3人分の足跡が残っていた。


1つはダーラのもの。1つは抜け道を通ってここまで辿り着いたダーラが追ってきたもの。1つは階段から降りて来た正規の道筋を辿ったと思われるもの。


ダーラは先にここを訪れた2人が手に取ったと思われる埃を被っていない書物に手を伸ばした。

正規の道筋で訪れた者は、先の記録書の様な歴史に関する書物を手に取っていた。


そしてもう1つはの足跡の持ち主が手に取ったと思われる書物は魍魎に関する物が主軸であった。


朝衛兵と共に司書が出勤する前にダーラは戻らなければならない。

時間は無かった。


ダーラは本では無く足元に注目した。

油灯明の灯りを足元に照らし足跡の乱れを確認する。


書の内容を確認した時間が長ければそこに残る足跡はより乱れているはずである。


その場所は直ぐに見つかった。

乱れた足場の近く、本の天に埃が溜まっていない書物を探すのは訳がなかった。


背表紙は古い為かぼろぼろで題を読む事は出来なかった。

その本をダーラは手に取った。


古い書籍だ。書かれたのは今から1200年前。著者はアレクセイ・フレスヴェル。


現在では王族だが当時はまだクサビナ王朝は樹立していない。

クサビナ人の部族間闘争真っ只中に記されたものの筈である。


見返しを開き1項目に書かれた題は川の飛び龍の遡行阻害というものであった。


川の飛び龍。

古めかしく、また掠れて読み難い文字であったがその単語を目にした瞬間心臓が大きく鼓動した。


ダーラはその本に目を通し始めた。


四百年の間、春になるとイブル川を遡る龍が居た。

龍は番いで、春になると川を遡り流域で家畜や人を食い荒らした。


夏はクサビナ南方の霧笠山に棲み周囲の魍魎を食い荒らす。

秋になれば川を下りまた家畜や人を食い荒らし冬は海と川の境目に姿を消す。


人々は春と秋を恐れていた。

狭い横穴を掘りそこに隠れ住んだ。

クサビナ人達は番いの龍に生活を脅かされていた。


ある時フレスヴェル一族の若い男が100を超える戦士達を引き連れて夏場の霧笠山に向かった。


其処にはエリンドゥイル一族やグレンデル一族、バラドゥーラ一族の猛者達も集っていた。戦乱に明け暮れる部族達が集い龍が潜む霧笠山中腹の湖を目指した。


彼等は湖の滸、陽射しで鱗を乾かしつつ眠る1体の龍を見つけた。

彼等は深く眠る龍の頭を狙い反撃の遑を与える事なくその命を奪った。


喜ぶ戦士達だったが直ぐに次の危機が訪れる。

番いの片割れが飛来したのだ。

戦士達は戦った。

強力な尾の薙ぎに、前脚での切り裂きに、時には牙で食い千切られ1人1人と倒れていった。


龍の身体は剣や槍、矢で針鼠の様であったがそれでも暴れ続けた。


戦いは三日三晩続いた。戦士達は翌日には半分に減り、2日後には4分の1まで数を減らした。

反面龍の目を片方奪い、片腕を斬り落とし、翼は穴だらけだった。


それでも番いを奪われた龍は退かなかった。

多くの血を流した龍は麓まで降りて川沿いに夏場だけ人々が過ごす街を襲い、挙句怒りのままに破壊し尽くした。


生き残った戦士達は複数の街を破壊した龍と再び戦い続けた。

5日後、彼等はイブル川の中流まで辿り着いていた。


飲み込んだ水を吐きつける龍に戦士達が槍を投げる。

その内2本が龍の頭部に深く突き立ち、到頭龍は動きを止めて水底に沈んでいった。


100以上いた戦士は僅か5人に迄減り、襲われた町や村での死者は500を超えた。


負傷者はその倍に及び、極寒の冬を越えられない者が後を絶たなかった。


生き残った戦士達の内、被害の大きかったエリンドゥイル一族出の者は帰郷しても一族の者に石を投げられ、失意の内に首を吊った。


龍の遺骸は冬中月に海岸に打ち上げられた。


書の内容は要約するとその様な内容であった。

他にも足跡の主が調べたと思われる書籍をざっと確認したが、河口の龍に纏わると思われる物は確認できなかった。


ダーラは禁書庫から撤収する事とした。

隠し扉を閉じて狭い通路を辿り、王立書館に迄戻ると後始末をして書架の上に横たわった。

漸く手掛かりを得られて興奮していた。


ダーラは1人考察する。

河口の龍と関連があると思われる龍の退治譚が見つけられた。

1200年、クサビナ王国樹立前である。

あの書籍が何故禁書庫に存在したか考える。


恐らくは王族の先祖が民草の人命を顧みる事なく己の勇名の為に武器を振るった事を傍目に晒したくなかったのだと思われた。


問題は件の龍が死んでいるという事だ。

2体の遺骸を模写した項が有った。仕留め損なっていたという事はないだろう。


では御告げで述べられた龍とは一体何なのだろうか。

その疑問が解消する事はなかった。


ダーラが宿に帰るとタナシスから報告が有った。

彼の話は2年前の魍魎襲撃の際の騒動についてであった。


先に話を聞いていたアケルエント系の血筋を引く貴族の娘、当時侍女として王族の世話をしていた者の伝手を辿り、到頭当日王城一階、城門前の大広間に居た侍女の話を聞くことが出来たのだという。


女はその日、城を訪れる者を出迎える役割を果たしていたのだという。


門の外より何かの喧騒が聞こえていたが、赤鋼軍の演習か何かだと思いあまり気にしていなかった。


しかし突然脈絡無く門が開いて男が1人滑り込んできた。

男は黒尽くめで、黒い狐を模した面を被っていた。


そして全身水でも被ったかの様に濡れそぼり、異臭を放っていた。

武器は抜身の剣をぶら下げていた。


その女は悲鳴を上げて壁際に逃げた。

その後は虐殺が繰り広げられたという。


不審者を撃退するべく駆け寄る兵士を次々に屠り、血染めの足跡を残して去って行った。


「………ダーラ様。ダーラ様には出来ますか?」


ミキスに尋ねられダーラは首を振る。


「どんな化け物よ?私と父上2人でも無理よ」


今までの話を総合すると、その男がたった1人で城に乗り込み、兵を薙ぎ倒したという事になる。


「……先日の正気を失った男の言葉、狐男、黒い獣、白い光。いくつか分かりましたな。狐男とはその賊を指していたのですな。そして恐らく白い光とは赫兵カヤテの火行法」


ミキスが口を開く。


「その狐男、赫兵を脱獄させる為に城を襲ったという事では無いのでしょうか?」


キッサが口を挟む。

非現実的だが全てが非現実的である今その案は的を射ている様な気がした。


「あれ………と言う事は………」


テオがこの暖炉の前でなければ寒さに震えてしまう気候の中で脂汗をかきながら口籠る。


「何よ?」


「あの、私達カヤテとペルポリスで会いました………」


「は?」


キッサが続ける。はじめダーラはその言葉の意味が分からなかった。


「そのぉ、件のシンカと一緒に何人か女がいまして、その1人がカヤテと呼ばれており……」


「あ?なんでペルポリスに?」


ダーラの表情は大鬼もかくやとでも言うべき修羅の顔つきであった。


よくよく思い返してみるとディミトリ達を連れに酒場に行った時、確かに色白で黒い髪の女が居た気がする。


更に思い返せばあの糞薬師の部屋に向かい情事後の男女を見る羽目になったが、その女は白い肌に黒髪の美しい女で翡翠色の瞳でダーラを見つめていた。


アガド人のグレンデル一族の特徴である。

年の頃は20半ば。

名前はカヤテ。


「カヤテじゃん。え?と言う事は狐男は?」


その後一行は雪が溶け次第ケツァルを出る事と決めた。

目的地は龍の遺骸が打ち上げられたというアゾルト公国に程近い海岸である。

しかし、彼らの出立は大きく遅れる事となる。春中月の中旬にクサビナ国王ラムダール8世が崩御したからだ。




ご評価・ご登録・ご感想の程宜しくお願い致します。


別掲にて本作の設定を掲載しております。

宜しければご活用頂ければと存じます。

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