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罔象の願い

気付くとシンカは鉱脈のある横穴で立ち尽くしていた。


頭がぼやけて思考がうまく働かなかった。ふと黝簾石の鉱脈を見るとまるで内側から光を当てているかのように青白く大きな原石の塊が光っていた。


空気が重く身体は上手く動かなかった。


掠れた声でだれかが囁いているのが耳に聞こえる。

なんと言っているか迄は分からない。


それは女の声に聞こえた。しかし聴き覚えのあるものではない。


遠くから誰かを、シンカを呼ぶように細くか細く囁いていた。シンカはぼやけた光を放つ鉱脈にゆっくりと向き直った。


気付くと青白い光の中から腕が一本こちらに伸びていた。


筋や血管が浮き出て皺のある老婆の手だった。

人差し指が一本だけ伸ばされ、黄ばんだ爪がシンカを指し示していた。


それにシンカは寄せられるようにふらふらと付き従った。


鉱脈に近寄ったシンカの腕を老婆の腕が掴んだ。

近くで見ると土で薄汚れた手であった。


その手は争う余地もなくシンカを引いた。萎びた腕からは想像もつかない強い力だった。


気付くとシンカは闇の中に立っていた。ぼんやりと遠くに見える大きな木を見つめていた。

その木は闇の中で僅かに輝いていた。


老婆の手は既に無かった。


振り返ると背後で鉱脈が薄ぼんやりと光っているのが見える。


「……路を繋ぎました」


あどけない女の声が聞こえた。

シンカはぼんやりとその声を聞いていた。


「来なさい」


瞬きをして目を開いた時、数瞬間前まで何も無かった暗闇に長い薄亜麻色の髪の童女が立っていた。


シンカは胸中で無性に焦っている自分を感じた。

亜麻色の髪の童女はこちらに背を向け立っていた。


その髪は体全体を覆い隠し、暗い足元まで垂れて引き摺られている。

童女の右手がシンカの袖を摘んで引いていた。

引かれるままシンカは女と共に暗闇を歩いていた。


大きな木に向かって歩いていた。

木の種類は分からなかった。

知っている筈だが言葉が出てこない。


考えるべき事も全て出てこない。頭が空っぽになった様だった。

シンカはただ手を引かれていた。


「人の営みが失われようとしているのです」


童女は顔を正面に向けたまま言った。


「私は貴方達が好きです。私を敬い大切にする貴方達を護りたい。でもその力は私には無いのです。私には手も足も無い。剣も槍も盾も持てない」


その言葉に対してもシンカは聞き流すかの様に無感情で聞いていた。

ゆっくりと木が近付いて来る。とても大きな木だ。


「私の命は何時も貴方達と共にありました。種から出た芽に水を与え、貴方達は私を育てました。決して水の多い土地では無いのに。それからはずっと共にありました。長い間。いつしか私は貴方達に敬われる様になりました。貴方達は私を長い間守って来ました。私はそれに答えて来ました。そんな関係でありました。これからも私はそうで在りたいのです」


気付けばその大樹は目前にあった。

余りにも大きな木であった。


髪の長い童女は気付けば消えていた。

薄ぼんやりと光る大樹の余りにも太い幹が目の前に在るだけだった。


囁き声が聞こえる。


ふらりと呼び寄せられる様に一歩前へと進んだ。


気付けば知らない場所に立っていた。

白い石組みの広い部屋だった。


質素だが質の良い調度品があしらわれた部屋で、祭壇が置かれている。


祭壇には貢物なのか澄んだ水や果実が置かれていた。

祭壇の向こう側には女が立っていた。


ウバルド人の女だ。随分と美しい。


巫女と思わしき服装の清楚な雰囲気の小柄な女が驚いた様子で立ち尽くしていた。


暫し無言で見つめ合っていた。


「………勇者、様?」


女はそう口に出した。


「うん?」


シンカは訳も分からず周囲の様子を探った。

自分が何故ここに居るのか。ここは何処なのか。

白山脈の8合目の洞窟で眠りについた筈だ。


まるで理解ができなかった。

背後には大きな木の幹が立っている。

欅の幹だ。


乾燥した空気。

ここはアケルエントのペルポリス、その王城に違いない。


目の前に立つ巫女は恐らく高名な霊媒師。欅のカリオピだろう。


「この力強く膨大な量の精気。見紛う筈もありません。アガド人とシメーリア人の混血。貴方様が欅様の御告げにあった勇者様その人なのですね」


「違う」


そう、違う。シンカはその様な大層な者ではない。


煩悩に溢れ、酒と妻が好きで、戦う事、挑む事よりも穏やかな日々を過ごす事が好きだ。妻の乳や尻、手足や顔が好きなただの男だ。


「私達は間違えました。顔の美しい混血の男を見て誤ったのです。貴方の精気を見る者が見れば直ぐに分かった筈なのです」


「何の話だ?」


戻らなければとシンカは考える。

現実にこの様な事が起きるものかとシンカは考える。白山脈からペルポリスへはシンカが全力を出して駆け抜けたとしても一月はかかる。


ナンムの操る星見隼(ほしみはやぶさ)に乗ったとしてもその3分の1はかかる。


これは人智を超えた現象なのだと理解した。


「勇者様。御名前を頂戴したく存じます」


カリオピは膝を突き両手を握り合わせた。

祈りの仕草は水行法と同じ仕草だとシンカは考えていた。


「お前、カリオピか。ここはペルポリスだな?」


「……はい。あの?」


「俺は白山脈の山頂付近にいた筈なのだ」


部屋には小さな窓がいくつも設けられていた。外は暗い。気候からしても冬中月に間違いは無い。


「……それは……何とも……。欅様のお導きでしょうか?……それで、貴方様を何とお呼びすれば良いのか……」


シンカは名乗る気は無かった。ここはアケルエントの王城の筈だ。ケツァルやガジュマで名を明かさなかった様に此処でもそうするべきと考えた。


「サンケイは?ペルポリスから文を出して以来連絡が無い。囚われているのか?」


「まあ!サンケイ様は欅様の御告げの後に街を出ました。決して囚われてなどおりません!」


シンカは思考を巡らせる。

サンケイの文で森渡り達は霧の森の王種と河口の龍の事は知っている。


破滅を防ぐ為に動いてもいる。


もし欅の精が態々ここまでシンカを連れ出したとするなら、それは予言の滅びについてではない筈だ。


或いはシンカ達が知らない何かをカリオピが知っているという事だ。


「河口の龍。何の龍だ?色は?尾の長さは?歯は何本だ?」


「あの………分かりません。貴方はお一人で龍を倒せるのですか?」


「………ものによる。黒隈龍、白毛鶏冠龍(しらげとさかりゅう)、朱雀龍なら倒した事があるが。金獅子龍や風雲龍(かざくもりゅう)は1人ではちと厳しい」


「素晴らしいお力をお持ちなのですね」


ふとシンカは気付く。両手が動かなかった。感覚も無い。体の他の部分は問題が無い。しかし徐々に腕を伝い感覚が失われていた。


「どうやら時間がない様だ。俺は何故ここに来た?何を知らなければならない?霧の森の主は何処に居る?探しても見つからない。それか、その正体は何だ?岩を喰らう魍魎。獣、爬、鬼、蟲。何も分からないのか?」


カリオピは俯いた。


「……分かりません」


シンカの身体は最早手先だけではなく肩まで感覚が失われていた。

欅の精霊は何かを求めてシンカを連れた。

龍や王種を倒させるためならペルポリスの必要は無いのだ。

シンカは考えた。


「………カリオピ。お前は俺が現れる前、此処で何を祈った?何を願った?欅の精に何を求めた?」


シンカの剣幕にカリオピはたじろいだ。


「あの………ダーラ様のご無事をお祈りしておりました……」


シンカは首を振った。


下らない。

だが精霊らしい。

そう思った。


精霊の事はよく知らない。だがあれらは霊媒師、巫女を好いているのだ。そもそも根底にそれがある筈だ。


カリオピは姉妹の様に育ったダーラの無事を祈った。

欅の精は自分では叶えられないその願いを叶えられる者へ届けようとしたのだ。


だがシンカは精霊を見る事など出来ない。

結果がこれなのだろう。


「ダーラ王女殿下は何処にいるのだ?」


尋ねた。


「エッカルト様と共に龍の退治にクサビナへ向かわれました」


全てがクサビナに集結しようとしている。

シンカはそう感じた。


これから戦争が起こる。そこで何かが終結するのだ。

様々な思惑が入り乱れている。それは人間だけでなく精霊の想いまでもが混ざり合っている。


欅は自身が愛するカリオピの為にシンカにダーラを助けろと、そう伝えたかったのだろう。


到頭シンカの身体は足元まで足元に至るまで感覚が失われていた。

何も感じない。匂いも温度や風も。


「勇者様!お身体が!」


カリオピはシンカを勇者と呼ぶ。

それはやめて欲しかった。シンカはただの人だ。少し腕は立つがそれだけだ。天災には抗えないし寿命も80かそこらだ。


「俺の名前はシンカだ。他の者には決して口にするな。それが守れるならお前の姉を……気が向けば手助けする。………気が向けば………」


シンカは目を開いた。冷気が身体に纏わりつき体温を下げている。


喉が渇いていた。竹の水筒から水を呷った。


その時暗闇の中で手にかさりと何かに触れた。

目に経を集めて手元を確認した。綺麗な形の大きな欅の葉だった。


「くそっ!」


思い出した。夢では無かったのだ。

何が起きていると言うのか。

何故自分なのか。シンカはそんな想いで毒づいた。


何かが森渡り達も知らないところで進んでいるのだ。


いや、本当は談合で出ていた話が全てなのかもしれない。

だが何の確証も得られていない。


どう考えても防ぐ手立てが見られない。

シンカは自分の家族を守る事で手一杯だ。カヤテの為に戦争に参じるとは決めたが心中するつもりは毛頭無い。河口の龍も隕石を食べる王種も同じだ。


出来る範囲で尽力する。

それが自分に可能な事だ。


だが精霊はシンカに何かを求めた。ダーラを救う。出来るだろう。だが恐らくそれだけではない。


シンカは目に見えない何かの流れに身体を取られ、何処かに運ばれようとしている。そんな感覚に襲われた。


「くそ」


そして頭から振り払った。

自分はただの人間だ。家族を得て平穏に暮らそうとする人間だ。


人の営みの終わり。

誰かの言葉が思い出される。


何処で聞いた言葉かは忘れたが、シンカはそれを信じていないわけではない。


王種が大量の経包を摂取して隕石を喰らい変質したとしたら、それは誰にも倒せないだろう。

災厄を振り撒き向かう先全てを潰し平らげるだろう。


暗い洞窟でシンカは頭を抱えた。

暫く呻いていたが軈て眠りに落ちていった。

その姿を薄汚れた老婆が見下ろしていた。




目が覚めた。

一瞬自分が何処に居るのか分からなくなり混乱したシンカだったが、直ぐに洞窟の中であったことを思い出し外套の内側の物入れから長灯石を取り出して壁に叩きつけた。


橙色の灯りに照らされた周囲を見渡す。

足元に落ちている欅の葉を拾い上げると空き瓶に丸めて詰めた。


後で芋と黒麦の蒸留酒に漬け込んで薬草酒にでもしてやると誓った。


洞窟から出ると辺りは一寸程の雪が積もり白く輝いていた。

此処から頂きまで登り最後の目標を達成しなければならない。


銀世界を只管シンカは進んだ。厚手の手袋に鉤爪を装着して険しい灰色の岩場を登り、強風に煽られながら狭い崖の縁を通り抜ける。


9合目に辿り着く頃には踏み締めても潰れない凍り付いた万年雪で辺りは覆われていた。

シンカは編上げ靴の靴底に爪を噛ませてしっかりと一歩一歩登山を続けた。


白い息が氷きらきらと輝く。日が高くなると雪が陽光を反射して目を開け辛くなった。


シンカは黒隈龍の鱗を薄く削った黒い半透明の鱗片を樫の棒と繋げて耳にかける黒眼鏡で其れを遮り更に進んだ。


頂まであと少しという所で甲高い叫び声が辺りに響いた。

続いて大きな羽音が耳に届く。

到頭現れた。天鷹だ。

天鷹は群れないがどういう訳か4羽が飛来してくる。


全方位からだ。

方々からの甲高い声に耳が痛い。

天鷹は大きな鳥だ。広げた羽は全長3丈に及ぶ。


「………最悪だ」


飛来する鷹は家族なのだ。しかも2家族。

丁度縄張りの中間を突き抜けて呼び寄せてしまったらしい。


頭上で円を描く様に4羽が旋回している。シンカは背嚢と笠をその場に捨てて翅を抜いた。


鋭い叫び声と共に1羽が急降下を仕掛けてくる。それに続きもう1羽が別の方向から続く。


シンカは素早く転がり込んで1羽目の急襲を躱し直ぐにもう一度転がり2羽目の急襲を避けた。

其処に背後から3羽目が無音で襲いかかってきていた。


大きな脚を向けてシンカを掴もうと指を広げ、体の制動の為に尾羽を限界まで広げている。

掴まれればその爪は肉を抉り、しっかりと固定してシンカを持ち上げ巣へと連れ帰るだろう。


しかし仮令音を抑えたとしても羽が空気に煽られる小さなはためきは隠せ無いし、匂いを消せる訳ではない。


蜻蛉を切って大きく飛び上がった。

襲い来る猛禽の鋭い目と天地逆転したシンカの目が間近で合う。


口腔が膨らんだ。

水行法・水蜘蛛針が鷹の体に比べれば小さく映る頭部を破壊した。


勢いそのままに鷹は雪面に叩き付けられ純白の中に鮮やかな血を散らした。


着地した足元から起こった雪煙が風に流されて直ぐに消えた。


3羽の鷹はけたたましく鳴きながら頭上を旋回し続ける。


シンカは翅を八相に構えてゆっくりと脚を送り、油断なく上方を窺っていた。

1羽が急降下を始めた。


それを正面に見据えると背後からもう1羽が降下する気配を感じ取る。

正面の1羽をぎりぎりまで引きつけ直前で素早く左方へ飛び退った。


同時に翅で翼を斬り付ける。


騒がしく鳴き喚きながら天鷹は雪面で翼をばたつかせて暴れた。

暴れるたびに起こる雪煙はまたしても風が流し消し去る。


3羽目は2羽目が落とされたのを見てか、降下を止めて上空へ戻る。

残った2羽は暫く旋回を続けた挙句同じ方向へ帰って行った。


シンカは大きく息を吐き天鷹2羽の腹を割いて珠を取り出した。

そして血払いをすると翅の血と脂を紙と薬で拭い清め、その場に放った。

強い風が血と脂、薬が染み込んだ紙切れを巻き取って行った。


眼下で強い風に煽られて雪が舞い上がり地吹雪が起こっている。

シンカは綺麗に拭われた2つの珠を見る。

今のこの空と同じ澄んだ空色の珠だ。


5種の珠を集め終わり北北東に向けて山を降り始めた。

そして5日後無事に里へ辿り着いた。


里に着く前後から周囲では粉雪が舞い始めていた。


冬が来る。


当然の如くナウラとカヤテ、リンファにこっ酷く不在を叱られるシンカであった。





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