蠢動
ベルガナ王都ダルト、そこから西へ直線距離にして50里天海山の山腹にある山渡の里で談合が行われていた。
樹々の少ない禿げた里、その際奥、頭目の屋敷だった。
灯りは外に漏れぬ様に注意が払われ、密会である事が窺われた。
人数は8人。
屋敷の主のラング以外皆姿を外套で隠していた。
「で、ラング」
中央の男が口を開いた。
その声はまだ若い。
だが集う7人誰もが彼に敬意を払っていた。
「第二次ヴィティア戦線、ベルガナ軍の結束堅くヴィティア軍の戦況は芳しくありません」
答えるラングの顔色は悪く脂汗を流していた。
「ルドガーという男、本当に使えるのか?お前達はサルマに付いた方が良かったのではないか?」
「いえ……サルマは我らで操れる玉ではありません。ルドガーは欲の強い男。思考を誘導して反乱を起こす様、仕向けましたが……」
「サルマを取り逃がしたという報告は受けている」
「はい。申し訳ありません。たった5人に精鋭数十名が返り討ちにされるとは思いも寄らず………」
「その精鋭の質が悪かったのではないですか?」
答えたのは別の若い男だった。
男は外套を外套の頭巾を浅く被っていた為その顔を垣間見る事ができる。
雪の様な白い肌に薄い黄緑色の瞳。僅かに垣間見える頭髪は赤毛。
アガド人のファブニル一族だ。
彼の言葉を聞きラングは拳を強く握りしめた。
「ウラジロ。クサビナの方はどうなっている?胡散臭い情報を得ているが」
「ええ。ケツァルの件ですね?……情報が錯綜しています。血族のザミアは早々に王家に処刑され、潜らせていた一族の者も何人か死んでしまいましてね」
「魍魎、黒箆鹿が王都に出没したと聞いた」
「その通りです。私もその死体を見ました。数百の兵が犠牲になりました。これが王都では厳重な緘口令が敷かれた情報なのですが、どうやらその大きな鹿が現れる前に何者かが王城に押し入ったと」
「どこの勢力だ?王都に侵入するとなれば相当の手練れだろう」
男が問う。
「それこそ眉唾なのですが、賊は単身だったと。狐男と呼ばれていますね」
「………」
答えたウラジロ・ファブニルに視線が集まる。
「あり得んの」
口を開いたのは小柄な男だった。
声は掠れ袖から見える手は皺の寄った枯れ枝の様な手指だ。
「ケツァルの警備は厳しい。万が一隠れて忍び込む事ができるとしても押し入る事なぞ出来る筈も無し」
「ええ。ですから私も眉唾だと申しました。ですが、魍魎に潰された遺体や破壊された器物の中には確かに切傷や行法により出来た痕跡も有りました」
「何者かが黒箆鹿をケツァルに呼び込んだということか。………」
男が考え込む。
何を考えているか、隠された表情は伺い知る事ができない。
「クサビナ宰相のフランクラと組んで事を成したグレンデル潰しは此処に全て潰えたという事ですね。無益な労となりましたね」
「そうでもない」
ウラジロに中央の男が答える。
「宗主様。まだ何か手が?」
槍を脇に置き立膝を突いた男が尋ねる。
「不出来な第一王子の努力の結果、グレンデルは王家に不信感を持った。王家をまた突いてやれば対立へと持ち運べるやもしれん」
「確かに。ですがフランクラはもう使えないでしょう。今回の件で王に目を付けられました」
宗主と呼ばれた中央の男にウラジロが答える。
「いい。俺が動く」
短く告げる宗主にウラジロはこうべを垂れた。
「ところで、中央と西での兵力集めは如何程か?」
老人が尋ねる。
「ルーザースでの俺の兵力は無視出来ないものになりつつある。俺に同調する貴族も少なからずいるだろう」
先程の槍の男が答える。
「メルソリア、アケルエント、コブシ、シアス、スコラナ、マルケリア。多くを巡り規模は増した。小国の軍程度の兵力は得られた」
別の男が淡々と述べる。
「………ふむ」
「その後ロクアと誰か連絡は取れたのか?」
今まで無言で腕を組んでいた男が口を開く。
「ああ。あれにはヴィティア、ベルガナ、ラクサスで金策をさせていたが。持ち逃げする様なせせこましい男でもない。……死んだか。使えんな」
宗主の呟きにラングが身体を縮こませた。
そこで談合は終わりとなったのか、ラングを除く7人が立ち上がる。
皆音も無く動き屋敷を去っていった。
後には項垂れるラングだけが残されていた。
ラングは瓢箪に詰められた酒を煽った。
彼は山渡りの頭目だ。
戦士として最も優れ里の者に敬われていた。
大抵の名付きも打ち倒す事ができるだろう。
だが、あの宗主だけは別だ。まるで勝ち筋が見えない。
ラングは暫し惚けていた。
軈て屋敷の戸が開きモールイド人の老人が屋敷へ足を踏み入れた。
長老の1人だった。
「若。あの方々は……」
「ああ。帰った」
長老アトは座り込むラングの横に腰を下ろした。
屈む時の呻きが彼の歳を感じさせた。
「我らの悲願の為に、若には苦労をかけまする」
「言うな爺。白雲が袂を分かち、戦士が数を減らそうと。我らの悲願は必ずしや達して見せる」
暗い天井を見上げていた。屋根に隠れ美しい星空は見えない。まるで自分達の様だと考えた。
「後は無い」
そのまま天井を見上げ続けていた。
だがその身体からは強い悪意が立ち上っているかの様に見えた。
クサビナの紫諜報官ヴァルプルガーは自らが育て上げた優秀な間諜を使い国内から国外まで必要とするありとあらゆる情報を得、王族を護衛し、時には王家にとって障害となる者を暗殺する。
そうして国を守ってきた。
だがそれは国を愛する故の行動では無い。
全ては自分を救った宰相フランクラ・ベックナートの力になる為であった。
ヴァルプルガーは貴族の末弟であったが家は税の横領を行い取り潰された。
路頭に迷ったヴァルプルガーをフランクラは拾い、腹心として育てた。
フランクラはクサビナを愛している。
国の為に力を尽くしている。
己の為では無く国の為に力を尽くす姿をヴァルプルガーは尊敬していた。
ならば大恩あるフランクラを支える。
その一心で諜報を担い、部下を育成してきた。
紫諜報官という立場は後付けのものでしか無い。
ヴァルプルガーは先のケツァルでの大騒動、カヤテ脱獄について調査を行っていた。
侵入者はたったの1人。
死傷者数は重軽傷含め500にも及んだ。
死傷者の大多数は大きな黒い鹿によるものであるが、人為的な被害も馬鹿にはならない。
特に数人の貴族子弟が死亡した事が大きく問題になり警備の不備などが問われていた。
逃亡したカヤテと狐男の足取りは早々に途絶え、その後の行方はまるで見通せていなかった。
ヴァルプルガーは王城の一角にある書室に訪れていた。
クサビナ建国以前からフレスヴェル一族により残された書籍が膨大な量が残されている。
或いはそれは脚色過多と思われる英雄譚であったり荒唐無稽な神話の類であったが、書庫の再奥にはフランクラに特別に許可された禁書庫が存在した。
人目に触れさせる事が出来ない書物がそこには収められている。
ヴァルプルガーは一月をかけて禁書庫を漁っていた。
そして到頭それを見つけた。
「………」
それは報告書の類いであった。
建国直前、今の王家の一族であるフレスヴェル家は一帯を平定しクサビナを興す以前に、ある民を騙し捕らえて情報を引き出す為に拷問にかけたと。
狐男は言ったという。
ケツァルに住まう醜き者共に迫害されたと。
実に1,000年以上も前の出来事だった。
狐男がこの一族の出自だと言うのであれば、それは根深い恨みである。
国王であるラムダール8世であろうとも無関係といっても過言では無いはずだ。
だからこそ狐男は王族を殺さなかったのだ。
彼等に責が無い事は国を、王族を憎んでいたとしても理解していたのだ。
極めて理知的であると言わざるを得ない。
カヤテ・グレンデルの証跡を辿ってもあのような男と知己であった痕跡は無い。
況してグレンデーラはかの一族の本拠地。情報収集も容易では無い。
ヴァルプルガーは書籍を読み進める。
凄惨な内容だ。
拷問を掛けた者の性別、年齢、体格を記し、拷問の内容と引き出した情報について淡々と記されている。
禁書庫に収めるに足る悍ましい書物であった。
ヴァルプルガーとて拷問に縁が無い訳では無い。
だが書を読む限りこの者たちは皆、何の罪も無い無辜の民であった。
彼等はどうやら特異な知識を持っているらしく、当時のフレスヴェル一族達はそれを得ようと彼等を惨たらしく傷付けた様だった。
読み進めれば、確かに貴重な知識である。
魍魎の生態や各国の地理等それは多岐に渡った。
別の書籍に当時の一官吏が記した史書があった。
飾る事のない文面のその書は背表紙すら読めぬ程埃を被り片隅に積まれていた。
現在のクサビナ領土内等森の中含めて丸裸と言っても良いほどに彼等から血とともに知識を集め、フレスヴェルはクサビナを統一した。
だが最後に彼等は報復に合う。
当時の首脳陣は軒並み暗殺された様だった。
その死亡理由は多岐に渡る。
病、毒、致死傷。
しかし彼等は血筋を断絶する事は出来なかった。
無関係の女子供は殺さなかった。
無垢なる幼子をグレンデルが支えて、クサビナは拡大していくこととなる。
彼等は自らの名を森渡りと名乗った。
「………」
森渡り。
聞いた事のない名称だ。
森や魍魎の知識を持つ者たち。
そこでヴァルプルガーは気付く。
先の黒い鹿。あれは意図的に呼び出されたのでは無いかと。
思考を巡らせ過去に想いを馳せる。
「………確か、ロボク兵に追われたカヤテは森に逃れ痕跡を絶ったのでは無かったか?……倍数のロボク兵に鬼が襲い掛かりグレンデルは窮地を脱した。辻褄が合う」
グレンデル、いやカヤテは狐男と接点があり救われて来たのだ。
たった1人で数百を死傷させる事ができる男だ。
ロボク戦線では数万の兵を退けた。
背が粟立っていた。
辛くも最悪は脱したとはいえエメリック第一王子とフランクラによるカヤテ失脚を間違いなくグレンデルは恨みに思っているだろう。
グレンデーラを張らせている部下からもカヤテの帰還の報は送られてこない。
王家に恨み不信感を持つ強大な一族に、これもまた王家を憎む亡霊の様な森の陰に潜む一族。
2つが合わされば国が割れる。
その可能性がある。
ヴァルプルガーは頭を人知れず抱えた。
グレンデル一族がファブニル一族よりも力を持つ現状は今に始まったことではない。
数百年と続くことだ。それをファブニルが妬むのもまた変わらぬ事。
フランクラがファブニルと同調し二公の力を均等に保とうと心砕く事は間違いではない。だが偏った状態で安定していた事も事実だ。
近年急にフランクラはその事実に危機感を抱き始めた。
思い返せばその事実が不自然に感じられた。
その心の変遷に人為的なものを感じた。
燭台の灯りを見つめてヴァルプルガーは考え込む。
フランクラを張る必要がある。脅されたとは考えにくいが誰かに思考誘導、或いは洗脳された可能性がある。
洗脳と考えてヴァルプルガーは1人小さく笑ってしまった。
毎日の様にフランクラと顔を合わせる自分の目を欺き彼を洗脳するなどあり得ない。
しかし膨れ上がった水の泡は微風一吹きで割れるだろう。
「止めなければ。森渡りとやらを探し出さねば」
ヴァルプルガーは足早に禁書庫を去っていった。
閉ざされたそこは再びその胎にゆっくりと砂塵を積もらせるだろう。
触れてはならぬ忌まわしい記憶を隠す様に。
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