変事
カヤテと2人、肌を合わせた翌日。
2人は繁華街を歩き、旅に必要な物を買い集めていた。
シンカはケツァル手前の森の中に装備を隠し、カヤテの救出に望んだ。
撤収後それをきちんと回収しているので問題は無いが、着の身着のまま逃亡したカヤテは何も持っていなかった。
追っ手を躱す為に途中の村や町にも立ち寄っていないカヤテは一番体型が似ているユタの予備服を着てヴィルマまで辿り着いた。
「こう言う何も持たずに男と逃げる事を駆け落ちと言うのだったな」
「……おい。流石にその様な低俗なものと一緒にしないで欲しいのだが」
粗方必要な物を買い揃えるとナウラ達の待つ宿へ戻る。
まずシンカの部屋に戻ると寝台の上でヴィダードが拘束されていた。鼻息荒く血走った目で暴れて居る。
「ふーっ!ふーっ!」
「おや、朝帰りならぬ昼帰りですか」
ナウラがのたうつヴィダードの猿轡を外す。
「己れっ!己れ小娘ぇ!私の旦那様をっ!私の旦那様を誑かしてっ!」
「す、すごく怒っているぞ、シンカ」
「いつもの事です」
釣られた鯰の様に激しく暴れる様が妙に可笑しく笑ってしまう。
「その腹筋で誘惑したのかっ!?ふざけるな!脂肪も筋肉も無い私はどうすればいいっ!」
「鉈蜂に胸を刺させて腫れさせるのは如何でしょう?」
「馬鹿にしないでよぉっ!」
「私の腹筋の事は言うなっ!」
シンカはヴィダードの脇に腰掛けると頰に手を当てて撫で摩る。
途端に目が潤んで大人しくなった。
「私が言うのもなんだが、凄いな。凄い女誑しだ」
「誑しの意味を知っているか?宥め賺す事、騙す事、誘惑する事。あまり良い意味ではない」
「うむ。悪い感情がある訳ではないのだ。だが、ヴィダードは貴族の舞踏会でも稀に見る………うむ。まあ個性的な女性だ。正直暴れているのを見て鳥肌も立ったし今後を不安にも思ったが、一撫でで大人しくなってしまった。これを誑かすと言わず何と言うのだ」
「あらぁ?ヴィーは喧嘩を売られているのぉ?」
「そう言う訳では無いぞ。同じ男を夫とし、これからを過ごして行くのだ。宜しく頼む」
「カヤテは複数の妻がいる事を厭わないのですか?」
「私の親族は平均で3人の女性を娶っている。確かに独り占めしたいと思うこともあるが、神経質になる程では無いな。ナウラとは面識もある。その人品は好ましいと元々思っていたし、仲良く出来そうだとも思っている」
「そうですか。ヴィーもできの悪い妹と思えば愛着も湧きます。問題ないでしょう」
ヴィダードは到頭妹扱いされるのに慣れてしまった様で反応すらしなくなった。
そんな彼女の拘束を解き、細く柔らかい毛質の頭髪に指を差し入れ手櫛で髪を梳かしてやった。
その日はそれ以後、5人でゆったりと残りの1日を過ごした。
翌日、シンカはカヤテの剣を作る為に調べ物を始めた。
まずカヤテの腕を取り、筋肉の付き方を調べ、握力を測り適切な重量を把握する。
街から出て木の枝を削り、剣を振るにあたり得意とする距離を測った。
千剣流は斬れ味より頑丈さを剣に求める。
今回は鉱石で剣を削り出す事とした。
シンカは3日かけて森に潜ると目的の鉱物を探した。鉱物の分布はある程度知識にある。
鉱床の位置も把握している。
見つけた火山性残留物を5貫ほど採取し引き返した。
採集した鉱物は鈍く紅い色をしている。
巷では存在すら知られていない鉱物で、経の伝導率が良く温度の影響に強い。
硬度も極めて硬い代わりに研磨が難しく斬れ味の良い剣には向かない。
炎剣を使うカヤテにあった材質だろう。
街に戻ったシンカは白糸で時間を掛けて鉱石から剣を切り出し刃を形作ると砥木を加工した握りに刺し、同じく砥木の鍔で固定する。
握りに紅い組紐を編んで丁寧に巻き付け完成させる。
鞘も砥木で同じく赤い組紐で下緒を拵える。
握り、鍔と鞘を砥木で誂えるのはシンカの拘りである。
鍔や柄で攻撃を受ける事を考慮して硬い材質を用いる。
握りと下緒に組紐を用い、色を揃えるのも拘りだ。
切り出したカヤテの剣は両刃の直刀。両手、片手のどちらでも扱える様に柄は長い。
刃は三尺半とやや長い。重量は半貫。
この重さ、この長さがカヤテに最も合うと判断した。
同じ拵えで短剣も用意した。
作製には4日を要した。
それをカヤテに与えると大層喜んだ。
その様子を見ていたユタは目付きは悪いままに半泣きとなり、必死にシンカが出していた宿題に向き合い始めた。
残るカヤテの装備を整え旅支度を全て終えたのはそれから3日後の事だった。酒を抜き、垢を落として西へ向けて街を出て行ったのはその2日後の事である。
夕刻の橙色の日差しが天空へと伸び立つ幾本もの尖塔にかかり、街に影を落としている。
夕日は煉瓦造りの街並みを柔らかく染めている。
緩い風に麦色の髪を柔らかく煽られながらヴィダードは街並みを見下ろしていた。
純白の長衣は肌に馴染み、風に吹かれると彼女自身まで飛ばされてしまいそうな、そんな儚さが滲み出ていた。
ヴィダードは伏し目がちに眼下を身動ぎもせず眺めている。
長い睫毛が時折瞬きで上下する。
体の動きはたったのそれだけであった。
3日前からシンカが1人で街を出ており、必死にシンカの課題を熟そうとするユタに付き合ってナウラも宿に詰めており、カヤテは1人体を鍛えている。
ヴィダードは暇を持て余し目的も無く街へ出て景色を眺めていた。
シンカの居ない時間はつまらない。
何もやる気が起きないし、全てがどうでもよくなる。
シンカと出会い既に8年。結ばれて1年。
今もこうして景色を眺めながら彼の姿を思い描いている。
「すみません。少しいいですか?」
「………」
声を掛けられる。煩わしい事だ。
ヴィダードは返事などしない。
自分の伴侶以外はどうでも良い。
「すみません。あの………」
「………」
話す事などない。話をしたければ高台の欄干に凭れ掛かり1日を過ごしたりなどしない。
「無視、しないでください」
「………」
3日間何度か声をかけられる事はあった。
無視していれば居なくなる者、強引に振り向かせようとする者、様々だ。
ヴィダードは聞こえない物として緩く風に吹かれながら眼下の街並みを眺め続けた。
「ちょっと少しは」
肩に手がかけられそうになりヴィダードは横にずれて躱し振り返った。
そしてその澄んだ空の様な水色の2つの瞳で話しかけて来た男を覗き込んだ。
「許可もなく私に触れないでくださいな。貴方と話す気など無いから返事をしなかったのよぉ」
ヴィダードに声を掛けた男は蛇に睨まれた蛙の様に動きを止めた。顳顬を汗が流れている。
ヴィダードの目を見た人は大体同じ反応をする。
自分の何がそうさせるのか分からなかったが、シンカはその様な反応は初めからしなかった。
そういう所も好ましいと思っていた。
街でも森でも彼は自分達を庇う様に前に出る。
頭や頬を撫でる手つきは優しげで、鼻を摘まれると可愛がられているのだと感じられた。
抱かれる時に両の腕で強く抱き締められるのも好ましい。
力強く、自信に溢れ、自分達を守ろうと力を尽くす彼が愛おしかった。
それに比べて目の前で己が声を掛けた相手にすら怯える男に如何程の価値があるのか。
人間は男も女も伴侶を得た後に浮気という物をすると言う。
ヴィダードには理解出来ない。伴侶さえいれば何も必要無い。
「い、いえ、昨日から貴女が1人で立っているのを見ていたもので」
「私が1人でいる事が貴方にどう関係あるのかしらぁ?」
底が浅い。何故自分に声を掛けてきたのかも分からないが、シンカは街で声を掛けてくる人間に注意を払うよう説いていた。
具に様子を観察するが危害を加えようという素振りは見られなかった。
ヴィダードには分からなかったが声を掛けてきた男は大層見目の整った男であった。
ヴィダードは美しい。1人でいれば声を掛けてくる男などいくらでもいる。
金や権力、況してや顔の良し悪しなどイーヴァルンの民の判断基準にはまるで無価値だ。
導かれたヴィダードはシンカに指示されれば自害すら辞さないだろう。
それ程までに盲目的に彼を愛していた。
「1人で貴女が寂しそうにしていたので声をかけました」
男は人好きのする笑みを浮かべる。
無愛想で険のあるシンカと比べれば町娘は目の前の男を好むだろう。
「夫のいる女に声をかけるなんて感心出来ないわぁ」
「貴女を1人にする夫ですか?」
食い気味に男が反論する。
夫という言葉を自分で紡ぎ、ヴィダードは興奮した。
漸く手に入れた自分の伴侶。諦めず探し回って漸く心の平穏を手に入れたのだ。
彼に触られるとそこがじんわりと暖かく感じる。
導かれた男女は初めてお互いを求め合い触れ合う時、その暖かみを感じ涙を流すのだという。
ヴィダードはそれを妹に聞いた時は大して興味を持っていなかったが、砂漠で彼と結ばれた時、ヴィダードはナウラと共に涙を流した。
森の中を進んでいるであろうシンカを思い眼下の町の向こう、シンカがいるであろう森の方角を見つめた。
「ちょっと、」
再び肩に手をかけようとする男を一瞥すらせずに躱す。
「………」
「僕だったら貴女を1人置いて何処かへ行ったりなどしません」
「私の旦那様は明日帰ってくるの。早く会いたいわぁ」
匂いはまだ感じ取れない。
早く頭を撫でて抱きしめて欲しい。それしか考えられなかった。
「貴女の様な美しい人を置いて何処かへ行くなんて。其奴には貴女が尽くす価値なんてっ」
「旦那様の悪口かしらぁ?」
ヴィダードは男へと振り返り至近距離からその目を覗き込んだ。
邪な目だ。
伴侶を持つ里の民に手を出す事はイーヴァルンの里では極刑である。
伴侶を持たない者に手を出す事も極刑ではあるが、罪は前者の方が重い。
そもそも旅人が少なく里の者は伴侶以外に興味が無いので実施された事のない刑ではあるが。
ヴィダードは男の心臓に短剣を突き付けていた。
それは衣服を斬り裂き肌まであと少しの所まで進んでいた。
「女の匂いが濃いのよねぇ。貴方の言葉には重みがないわぁ。遊びか何か知らないけれど、私の夫は敵には苛烈よぉ」
ヴィダードは再び森に目を向ける。
付いて行けばよかった。寝坊して出発に気付けなかったのだ。
共に歩み、同じ物を見て、同じ空気を吸い、見つめ合いたかった。
「僕は貴女に一目惚れしました。そんな貴女が1人で寂しそうにしているのを見て僕が癒せればと」
「お前の事などどうでも良いけど、覚悟があるなら私の夫にそれを伝えなさいな。身体中から女の匂いを振りまいて1人の人妻に声を掛けて………人妻………」
そうだ。自分は人妻なのだ。なんだか首輪か何かを付けられてシンカの所有物とされた様な気持ちになる。
「貴女の御主人に話せばいいのですか?そうすれば貴女は解放されるのですね?」
男が何やら気炎を上げているがヴィダードはどうでも良かったので彼方の森を見つめていた。
夕日が徐々に落ちあたりが黄昏ていく。
「ヴィー!こんな所にいたか!」
名を呼ばれ振り返るとカヤテが立っていた。
切り揃えられた前髪の下から翡翠色の意志の強い眼がこちらを見つめている。
「ん?この男は?」
「知らない人よぉ」
「そうか。行くぞ。食事の時間だ」
踵を返すカヤテに続き歩み出した。
「必ず貴女を助けに行きます!」
背後で男が声を上げた。
「矢張り知り合いではないか」
「知らない人よぉ。執念いから旦那様に話す様に言ったわぁ」
「………あの男、身なりからして貴族だぞ。私が言うのも何だが、確実に厄介事だろう」
「本当に貴女が言うのは何ねぇ」
ヴィダードは言葉を切ると帰って来たシンカと何をするか考え始めた。
旅装を手ずから解いて手拭いで身体の汚れを落とした後、隣にぴたりと座り頭を肩に乗せるという結論に達する。
きっと髪の毛に指を差し入れて頭を撫でてくれるだろう。
その時のことを想像してヴィダードは一瞬で背後の男の存在を忘れ去った。
夜半の事だった。
夜更けまで執務を行なっていたサルマの部屋の扉が許しも無く開かれた。
大層慌てた様子のシルアであった。
「サルマ様!お逃げください!謀反です!」
「謀反?………旧ヴィティア王政ですか?それともルドガーですか?」
「何方もです。ルドガーが旧ヴィティア王政の残党を取りまとめ、3歳のカイウス王子を旗頭にして旧ヴィティア軍を組織、ベルガナ軍も掌握しております。この城にも攻め寄せており、少ない近衛で防いでいますが時間の問題でしょう」
「最悪の想定として考慮はしていましたが……今とは……。逃れます。………山渡りはどうなりましたか?」
サルマは表情こそ変えることはなかったが、内心は苦い思いと足元を崩された衝撃で混乱していた。
「白雲山脈から連れて来た私の配下、草の者共はあまり離脱は有りませんでした。ヴィティアには青草、灰草、黄草を連れて来ていますが、10名程の離脱で済んでおります。天海山脈出身の土の者はサルマ様に敵対すると考えて宜しいかと存じます。元々ヴィティアには白土が別件で潜入していたようですがこれは壊滅、ヴィティア侵攻に当たり引き連れていた赤土、青土、黄土、灰土、茶土の内赤土が消息を絶ち、戦線の影響で10名程が死傷している為、残るは30といったところでしょう」
とはいえ丸裸に変わりはない。
「主だった者は?」
「皆ルドガーに付いたようです。大分前から調略を仕掛けていたのでしょう」
サルマの重臣達は皆ベルガナに残っている。
苦楽を共にしていない物達が皆寝返ったということだ。
「シルアはどうしますか?私に付けば貴女も部下も身を危険に晒すこととなります」
部屋の外より喧騒が聞こえる。城門を破ろうと兵が押し寄せているのだろう。
それとは別に剣戟の音が近くから聞こえる。
山渡り同士が鎬を削っているのだろう。
「私の上役はルドガーではありません。土長のイルカイでも。白雲山脈の副頭目、ウーヴェ様より私はサルマ様をお守りするよう申しつかりました。ルドガーではありません」
「……ありがとうございます」
とても心強かった。
涙腺が緩み涙を零しそうになるところを堪えて無表情を保った。
サルマが混乱した様を見せるわけにはいかない。
「では、行きます」
シルアはサルマの手を引き歩み出した。
城の廊下を早足で進む。
前方には5人の山渡りが。後方からも同数。
「脱出は可能なのですか?」
「問題ありません。古い抜け道を王城の地下に見つけました」
「脱出した後は急ぎダルトへ向かいましょう。馬などは用意が難しいでしょうが、私の足で辿り着けるものでしょうか?」
「赤草をダルトに向けて走らせましょう。サロメ様への書をお認め下さい。黄草は先行させベルガナ領土にて食糧や馬の手配をさせます」
「ありがとうございます。急ぎヴィティアを出ましょう」
その日スライに押し寄せた軍勢は打倒サルマを謳い王城を占拠した。
特筆すべきはそれがヴィティアとベルガナの混成軍であったことだ。
しかしながら女王サルマは辛くも難を逃れ姿を消す。
第2次ベルガナ・ヴィティア戦争の幕開けであった。




