危篤
ヴィティア王国王都スライに到着してから20日。
例の如く勉学と修行、採取と狩猟、そして食事と飲酒の生活を送っていた。
ユタという弟子が増えたものの、幸いユタはナウラとヴィダードの良い緩衝材の役割を果たす事となり幾分か穏やかな生活を送っている最中。
問題事は歩いてやって来た。
この時は微塵も問題事とは思わなかったが。
ナウラ、ヴィダード、ユタの4人で大衆向けの料理屋で飲食を行なっていると近寄って来る人の気配を感じた。
ヴィダードが匂いを嗅ぎ過敏に反応した。
害意は感じられない。
森の匂いが強い。森から出て来たばかりか。
その割に体臭が弱い。歩調からして男。だが足音は小さ目。
森に長く潜んでも体臭のあまりしない細身の男。
ヴィダードの反応。
「イーヴァルンの民か」
「如何にも」
深く頭巾を被った華奢な男だった。
鋭利な顎で白すぎる肌に涼やかな声。
男が頭巾を脱いだ。
麦穂色の髪を後頭部で括った目鼻立ちがヴィダードに似たイーヴァルンの民だった。
「兄様」
ヴィダードが声を掛ける。
「壮健そうだな、妹よ。探したぞ」
「頼んではいませんけど」
「父と母が心配していたぞ。お前もそろそろ適齢期だ。里に帰りお導き相手を探すのだ」
男が言うとヴィダードは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「その必要は有りません兄様。お導きはとうに下され、先般漸く本懐を遂げました」
「……何?聴いていないぞ」
この辺りでシンカは男に椅子を進め、店の売り子に冷えた茶を頼んだ。
「言っておりませんから」
「……まあいい。相手は誰だ。里の外となると………マージドか?或いはラーフィアか……それともサマドか……まさかファハド……では無い?よな?」
イーヴァルンのファハド。
シンカは彼に面識がある。ヴィダードの兄らしき男が口籠り訊ねるのも分かる。
人間を下等と見做す精霊の民で、無差別に略奪行為を行なっていた所をシンカは殺害していた。
「この方です。私の愛しいお方、シンカ様です」
ヴィダードはシンカを手で指し示した。
ヴィダードの兄は唐突に糞でも被ったかの如くとぼけた顔でシンカを見詰めた。
「……悪い冗談だぞヴィダード。彼は強力な精霊の力を持ってはいるが、人だ。我らは他民族とは導かれない」
「私もそう思っていました。しかし現に……」
ヴィダードはシンカの手を取り自身の乳房、いや、乳房は無いので胸板と言う表現が適切な位置に当てがった。
「なっ!?ヴィダードお前!乳房が無いぞ!?」
「………それは、どうもありがとうございます」
「如何に我等イーヴァルンの民の肉付きが薄いとは言え、そこまで乳房が無ければ夫を喜ばっごおおおっ!?」
「貴方様!不愉快な兄を持った私を慰めてください!」
「人形を手荒に扱っている背徳感は持てるな」
「不健全すぎるっ!?」
ヴィダードは鳩尾を抑えて卓に突っ伏す兄を尻目にシンカの袖を引っ張って揺さ振った。
暫く悶えていたヴィダードの兄であったが、落ち着くと改めて姿勢を正して席に着きシンカを見詰めた。
「初めまして。イーヴァルンのヴィダードの兄、カリムと言う。妹が世話になっている様で感謝する」
「丁寧な挨拶痛み入る。シンカという。ヴィダードの世話をしている」
「シンカ。そこは此方こそ妹さんにはお世話になっています。が正しいのでは」
ナウラが挨拶に水を差した。
「いや………嘘は吐くべきではないと考えてな……」
「貴方様!?ヴィーは役に立ってはいないと、足手纏いだと仰るのですか?!」
「………」
黙り込むとヴィダードはナウラの顔を怒鬼の形相で睨め付けた。
「いや、恐らく其方の言いは正しいだろう。この娘は昔から自分の興味がある事柄以外に関心を向けられ無い気質であった。何の準備もなくある日突然弓矢と短剣を持って飛び出し早7年。それに比べ其方のその名。ヴァルドの民の末裔であろう?であれば如何にイーヴァルンの民が人に比べ長寿であろうと其方らの知識には到底敵うまい」
「物知りだな。我らを知るか」
「ヴァルド。先生。聞いたことが無い民族の名です」
「古の、まだ森が穏やかだった頃に栄えた始原の王国と聞く。彼等の国は悪しき馬の一族により滅び民の多くは散り散りになり、兵の殆どが地に伏して歴史から姿を消したという。大地に流れし夥しい血により精霊は怒り、地に住まう全ての者に試練を与えた。一説によれば始原の王国の生き残りは渡りの民となってこの世の摂理を記録、継承し今も尚怒りの森を彷徨うという」
「よくもまあそこまで」
「兄は里で何時も邸にこもり本を眺めながら怪しげな独り言を呟いていました」
「だいぶ語弊が生まれる言い草だが………」
カリムは顰めっ面で首を振ったが、ヴィダードは意に返さず蔑んだ瞳で兄の顔を見続けた。
「まあいい。御導きの話だ。お前に御導きが、しかも人との間に下ったというのは驚くべき事だが、何れにせよ一度両親に顔を合わせる必要があるだろう。導きの儀も執り行わなければ。人とは言え相手はヴァルドの民。俺は素晴らしい出会いであると考える。両親も同様だろう」
「そうでしょうとも。シンカ様は強く聡明で優しく気高い素晴らしい旦那様ですぅ!」
「ヴィーに、優しく振る舞った記憶は無いが」
「嘘だと言って下さいまし!」
カリムは納得している様だが問題が一つ、いや幾つかある。
「水を差すようで悪いのだが」
「ん?」
杯を煽りながら流麗な眼差しをカリムは向けてくる。
「俺は妻を5人持とうと思っている。ヴィーはその内の1人だが、このナウラと他に3人。未定ではあるが」
「かっ」
カリムは口から妙な音を立て、顎を奇妙な具合に開けてシンカを見た。
「3人目は僕じゃ無いの?僕、そんなに駄目かなぁ?」
ひたすら笊の様に飲み食いを続けていたユタが口を開く。
「5人!?」
「反応が遅いですよ兄様」
「お導きが5人に……?」
「私も知らなかったのだけれど、人は導かれないらしいのよぉ」
「………なんと。いいのかそれで。妹よ。伴侶が他の伴侶を持っているのだぞ」
「悩みはあったわぁ。でも、だったらどうすればいいというの?この人が他の女を選んで私は一人でいろとでも?兄様。私達にはそんな選択は出来ない。知っているでしょぉ?」
「……そうか。………お前はそれで納得しているのか?」
「そうねぇ。初めはナウラを憎んだけどぉ。でもナウラもエンディラの民として御導きが下っていたの。気持ちは、よく。よぉく分かったわぁ。2人で話して、そう決めたの」
「お前がいいのなら問題は無い。御導き相手と共に過ごし、肌を重ねて生を共にする事はイーヴァルンの民にとってこの上ない幸福だ。俺もジャミーラと導かれ実感した。共にあるが良い」
「当たり前よぉ」
カリムは数日間スライに滞在し、里に戻ると言って春の朝焼けの中に旅立って行った。
「さて。そろそろ本格的に俺の研究を進めたいと考えている。ヴィティアに寄ったのもその一環だ」
「研究に主軸が置かれているようには思えませんでしたが」
「お。ナウラは酒も遊びも絶った勤勉な生活が好みだったか。それは悪かったな」
「これは余計な事を申しました。私は今の勤勉な生活に満足しております」
シンカ達の生活は一般的なスライの民とさして変わりはない。
森で付加価値の高い狩猟を行い、また効果の高い薬を納められることから民が働く時間の半分を修行に費やし、幾分か高い宿に泊まり、食事をしている程度の差である。
森に入る危険を鑑みれば妥当な生活だろう。
ナウラ、ヴィダードにはシンカの出自については正確に伝えてある。
ユタにもある程度は説明している。折を見て3人は隠れ里へ連れて行くつもりだ。かねてよりナウラが希望しているシンカの愛玩している魍魎についても近いうちに見せなければ面倒なことになるだろう。
昼下がりにシンカは自室に3人を集め、今後の動きについて説明した。
「ではまず始めに概要を説明しよう。今我々は大陸北西のヴィティア王国、その中でも更に北西の王都スライに滞在している。ヴィー。スライはヴィティアを囲む山岳にほど近い位置に存在しているが、何故そんな場所に都を築いた?」
「山が近いからかしらぁ?」
「………。まあ間違いではない。ヴィティアを囲む長峰山脈の西の端峰は休火山地帯である。直近で起きた噴火は200年程前となる。従って森が浅く、魍魎も少ない。山からの資源を得やすいのだ」
「危険はないのですか?」
「無いとは言わぬ。が、少なく小さい。ヴィティア王政は山師に兵を付けて資源を得ている」
ナウラは真剣に聞き、ヴィダードはシンカの横にぴったり腰掛けて虚空を見つめている。
ユタは昨日買った燻製肉を懐から取り出し黙々と齧っている。
「スライの北、山に分け入り2日ほど。ヴィティア民も立ち入らぬ山奥に遺跡がある。俺も訪れたことはない。そこの調査を行いたい」
「その遺跡には何があるのでしょうか?」
「分からん」
「森渡りの何方かが見つけたのでしょうか?」
「一昨日酒場でこの国の学士に聞いた。数ヶ月前山師の1人が道を失い迷い込んだ際に偶々発見したとの事だ。幸いその山師は無事に引き返す事が叶い、見たものが報告された」
「一昨日の怪しげな髭の爺様ねぇ」
「聞いた話ではあるが、石切場付近にの森に朽ち果てた遺跡の痕跡を発見したのだという。遺跡の特徴は有史の物ではない。少なくとも森渡りの記した史書には記載のないものだ。調べる価値がある。手伝ってくれるな?」
3人の同意を得て3日後にスライの街を出て北に向かった。
街道とまでは行かないが、山へと続く踏みしめられた道を歩いた。
木々はまばらで広葉樹の林が形成されている。広葉樹の落葉が踏みしめられて散りぢりになった茶の道を4人で進んだ。
緩やかな傾斜が始まり、軈て勾配がきつくなっていく。
林業を営む地帯に辿り着き、植林や切り株の合間を抜けて急勾配の斜面を林道を使って登っていく。
徐々に森が深くなっていくが、大きな魍魎の気配は感じ取れなかった。
1日目の移動は鉄鉱石の採掘場近辺までとして野営を行なった。
夜は小型の獣が数匹出たが、害は無いので放置した。
2日目、早朝に行動を開始する。
山中に作られた棚田の脇を抜け、穏やかな山中を北へ抜けて行く。
夕刻、石材の採掘場に辿り着くとその表の石切場で野営を行なった。
野営の支度を終えると日が沈みかける所だった。見晴の良い場所まで出るとスライの街が遠目に見える。濃い灰色の街に夕日が当たっている。美しい光景だ。
ナウラはじっと、網膜に焼き付けるが如くその光景を見つめていた。
シンカは野営地に戻ると周辺の探索を始めた。
数年前に件の遺跡を発見したという男はこの採掘場で働いていたと言う。
夜半に雉撃ちに出て戻れなくなったと言う事だ。
採掘場は崖を掘り進む形のもので、今は誰も利用していないが、作業員が寝泊まりする小屋が何棟か崖の前に立ち並んでいる。
一際大きい木造の建物が見受けられるが、恐らく中は採掘した鉱石を含む岩を細かく削り、原石を取り出す為の施設だろう。
シンカ達はその建物の脇で野営を行う。
森の際を注意深く観察しながら見回って行く。
更に北に向かうには崖を登らなければならない。
だが崖は切り立っており、さしものシンカ達でも荷を背負って登るのは難しい。
話ではこの先の森の中に朽ち果てた遺跡の痕跡を見つけたのだという。
崖を見上げ、右手に進む事に決めると野営に戻った。
翌朝早朝、出発を開始する。
崖沿いに森へと踏み入り崖を超える方法を探す。
獣道を辿り半日進むと崖の切れ目が現れた。そこを進み、更に山を登っていった。
この地点でシンカは疑問を持っていた。
道に迷った者が不用意に山を登るとは思えない。ましてやこれほど目立つ崖がある。崖を辿れば採掘場に戻れるのは明らかだ。夜に遭難したのだとしても日が出てきてから戻れば良いのだ。
この話が嘘だとしても疑問が残る。
酒場の老学士の告げた遺跡の特徴は今や各地で森に飲まれた太古の遺跡の特徴と酷似している。
森に踏み入る術を持たない人達が知り得る知識では無いのだ。
であれば無駄足にはならないだろう、というのがシンカの見込みだった。
発見された遺跡の痕跡は調べるに値しない程に崩れた壁の一部と判断できる。
だが先へ進めば本体となる遺跡が発見できるとシンカは考えていた。
両側が崖の細い山路を辿る。
火山岩の濃い灰色の露頭の合間を縫って進む。
「………」
「………えへへ」
ユタが怪しげな目付きで微笑した。
切り立った露頭の上、左側に茶の三度笠、同じ茶の長丈の蓑を纏った男が立っていた。
立ち止まると背後から2つの気配。振り返りはしない。露頭の右側から2人、左側からもう1人が現れる。
「……何のつもりだ。山渡り」
三度笠に蓑。山渡りの装いだ。
「この先罷り通ること叶わず」
左背後の男が口を開いた。
「汝等の里はこの先では無いはず。何故だ」
腰の剣に手を伸ばそうとするユタを抑えて尋ねる。
「何故森渡りにその様な話をせねばならん?」
右手前方の内の一人。口当てに覆われ顔は見えないがその声は若い。
「汝等の土地では無いなら我等が妨げられる謂れはないぞ」
「いいや、ある」
右後方の男が挑発的に告げた。
態度は強硬だ。山渡りの恨みを買うような行いをした記憶はない。
シンカはナウラの腕を小突く。
「武器を捨てよ。さすれば今ここで命を失うことは無い」
「何故我等に害を為そうとする」
右前方の男が三度笠の鍔に指を添えた。
位置取りは最悪だ。
「言えぬな。汝等森渡りが知る必要は無いわ」
「うん。話にならぬか。只でやられてやるわけにもいかぬが」
「のこのことこのような場まで赴いた分際でよく言うわ。汝等は文字通り袋の鼠。何ができるものぞ」
この者たちは痕跡を残していなかった。シンカ達に危害を加える為に入念に準備を行なっていたのだ。
そして彼等は森渡りに知る必要は無いと言った。この中の誰かに恨み辛みがある訳ではなく森渡りに用があると言うことだ。
唇を伸ばし、細い隙間で息を吸う。
「はははははははははははっ!」
ユタが爆ぜた。
「ヴィー!」
右前の2人が両手を突き出した。
ヴィダードはごく僅かな時間で弓を構え、矢を番え終えている。
ユタの突撃に合わせ、左手の1人が弓を構え矢を番えようとしている。
1人は剣を抜き払い構えた。八相左足前。千剣流である。
右前の2人に対しシンカは行法を放つ。
紫電の、細い紫色の雷の筋が2人の山渡りへと伸びる。
背後のナウラは地に手を突いて大地より人の丈以上の岩壁を生え出でさせた。
右前方の1人はシンカの紫電を迎え撃った。同じ紫電。シンカの方が威力はあるが堰き止められ、敵の直前で交差した。
「ガイ!あの男の行法!強力だぞ!援護しろ!」
「っ!分かった!」
風行法の鎌鼬か風咳を行おうとしていたガイという男が反応し紫電を行なった。
駆けるユタは剣を抜き払い低い体勢で敵に対して肉薄していく。
対し千剣流の男は露頭から飛び降り剣を振るう。
ユタは男の動きを察知すると直ぐ様跳ね上がり、切り掛かった。
男が放とうとしていたのは雷光石火だった。
空中から落下しながらの一線。鈴剣流剣士とは相性が悪い技だ。ユタは察知して力が入りきる前の雷光石火を受ける事で防いだのだ。
山渡りは12尺程を落下しながら剣を振るった。
足場が無い状態で奥義を放てるということは体幹も十全に鍛えられており、技術も相当に高い。
ユタと男は剣をぶつけ合った。
本来であればユタの剣は叩き折られ、そのまま腕を落とされ、肩口から脇までを切り払われていただろう。
だが、そうはならなかった。
力が乗り切らなかったのだ。
両腕で柔らかく力を吸収したユタは左手を剣から離し、男の送り襟を正面から掴んだ。
そして空中で巧みに男との位置を入れ替えた。
左前のもう1人の男は背を晒したユタを狙い撃つことはできなかった。
ヴィダードが放った矢を既の所で躱し、そして2射目を迎撃して撃ち落としていた。
前方の4人はユタの鈴剣、ヴィダードの弓、シンカの紫電で抑えている。
後方ではナウラの起こした岩戸に6発の炎弾が轟音と共に着弾していた。
「……このまま削り切ろうという事でしょうか」
続き6発。岩戸が削れ、岩片が飛び散っている。
ナウラは岩戸に両手を着けた。
手が当たった位置を中心に濃い灰色の火山岩で組成された岩戸の色、質が変わり始める。
ナウラは岩戸を凝縮し硬度を上げたのだ。ざらざらとした質感だった岩戸が滑らかになり光を反射しだす。
エンディラの民の特性か、ナウラは土行法に秀でる。
炎弾による攻撃で削り取れないと見るや射程に収めるべく露頭を跳ねて近づいて来る。
「ドグル!行法が切れる!男を止めてくれ!」
シンカと行法の競り合いをしていた男が叫ぶ。
未熟也。敵に自身の危機を伝えるとは。
シンカの紫電はまだ継続が可能だ。
経の継続的行使は経験と反復により伸ばす事が可能だ。相手は明らかにシンカより場数を踏み慣れていない。
しかしだからと言って弱いという訳では無い。
1つでも釦を掛け違えれば敗れるだろう。
駆ける後方の2人に対しナウラが動く。
屈み、両手をしっかりと灰色の大地に着けた。
大地がナウラを起点とし、扇状に隆起する。ただ隆起するだけでは無い。
槍のように鋭い岩が次々と突き出し、後方の2人の山渡りに迫る。
土行法 山嵐。大技だ。
山渡り2人は既の所で動きを止め、背後へ繰り返し飛び退る事で火山岩の槍を躱した。
ユタと千剣使いの戦いは終始ユタが押していた。ユタは相手に奥義を放たせない様巧みな位置取りを行い、また自身の自在な剣技で相手に僅かではあるが手傷を負わせている。
ヴィダードが経を練っている。
「ひひひひひひひひっ、ほらっ!もっと頑張れよ!僕の事その剣で股から裂いてみろよっ!ひひひひっ、あんまり遅いと僕がばらばらにっ、ひひひひひひっ、死ねっ、死ねえっ!」
千剣使いの横薙ぎの一振りをすんでで見切り躱したユタは気色の悪い笑い声を上げながら振られた腕に狙いを付ける。
右腕を切り落としに掛かったユタに対し男は身体を投げて回避しようとした。
だが、それはユタの欺瞞行動であった。ユタは既に男に追い縋るべく地を蹴っていた。
ナウラに足留めを食らう後方の2名、シンカと行法で競り合う右前方の2名、ヴィダードの矢に防戦一方の左前方の1名。
だからこそユタはそれに気付けなかった。
光矢。光の如く早い風の矢を飛ばす行法だ。
ヴィダードも得意とする技であるが、しかし彼女では無い。
今にも男を斬らんとするユタの顳顬目掛けて風故に視認すら難しい風の矢が走った。
ユタが気付き振り返った時にはそれは目前まで迫っていた。
「っ!」
だがユタは足掻かなかった。
最後の瞬間歯を剥き出しにして嗤い、男に向けて剣を振るったのだ。
血が舞った。
ぱたた、と音を立てて灰色の荒い大地に鮮血が飛び散った。
「デリス!」
どさりと重い音を立てて千剣使いが地に倒れた。
腕を抑えて呻き声を上げている。
弓使いが露頭の上から剣士の名を呼んだ。
ユタは無傷だった。
ユタの背後には岩戸が迫り出している。シンカが行法を切り替えて出現させたのだ。
「あはははははっ!いいよっ!凄くいい!ひひひひひっ、気持ちいいよっ!」
狂笑しながら立ち上がろうとするデリスと呼ばれた男に斬りかかろうとする。
だが、シンカと競り合う必要が無くなった右前方の風行兵が宙の一点から黄滝を降らせた。
ユタはすんでで避け、さらにガイと呼ばれた風行兵が放った鎌鼬を屈んで躱す。
その段になりヴィダードが動いた。弓使いに牽制の一射を放つと地に手を突いているシンカの背を踏み台にして跳ねた。シンカもヴィダードの跳躍に合わせて立ち上がり彼女の跳躍する高さを稼いだ。
跳ね上がったヴィダードは宙で更に一射、ガイという男に弓を放ち、直後弓を手放して両腕を突き出した。
屈んで矢を交わしていた弓使いの足元の砂が円形に渦巻く。
気付いた時にはもう遅い。
強く風が巻き起こり、渦を巻きながら砂と同時に弓使いを巻き上げた。
風行 竜巻。
男は上空20間に放り出された。
飛び上がったヴィダードに向けて遠方から光矢が飛来する。
正確無比な一撃だ。
正確無比故にその動きは読みやすい。
ヴィダードは空中で躱せない。また技を放ち終えたばかりで防ぐことも叶わない。
だがシンカはこの状況を見越していた。
両手を握り合わせると大きく息を吸い込む。
シンカは白糸を吐き出してヴィダードの直前で光矢を断ち割った。
風の矢は分かたれてヴィダードの両脇をかすめて行った。
そして水行の矛先を中空から左の風行使いに向ける。
1人が風壁を張るが、風の壁を白糸は難なく斬り裂いた。
咄嗟に腕で防ごうとした1人目の腕を斬り、喚く暇も与えず首を刎ね飛ばした。
「ノランっ!?おのれ!」
後方の2人はナウラの起こした岩の排除に難儀しており、余裕がある。
白糸の射線にいたもう1人の風行使いは屈んで躱しながら右手を振るう。
着地したヴィダードの足元が罅割れ赤く輝く。
シンカはヴィダードの腕を掴み引き戻した。
都合三箇所、火山岩の地が罅割れヴィダードとシンカを灼熱の火柱が襲った。
火行法 赤三柱。
大地に叩き付けられた弓使いが口角から血の泡を吹きながら矢を放つ。既に死に体の弓使いにナウラが振り向きざまに手斧を投げ付けた。
回転しながら投擲された手斧は矢を弾き、弓使いの右鎖骨を叩き折って斧頭を深く肉に埋めた。
「がっ………!」
弓使いは衝撃に突かれて背を地に着けた。
「僕、君達が襲ってきてくれてすっごく嬉しいよっ!」
ユタが興奮に目を輝かせながら千剣使いのデリスに四方八方から5度斬りつけ、翻弄された瞬間に素早く脇を抜けた。
「……馬鹿な………この数で………今、まで……は………」
胸を押さえ、デリスは一歩踏み出しそのまま地に倒れた。
「ん?」
風下から何かが近付いてくる。
「先生!何かが来ます!」
「ユタ下がれ!ヴィー質量防御!」
「え………良いところなのに……」
「ヴィーは質量防御に向きませんけど、貴方様が言うのなら……」
「……獣の臭い。音も大きいです!破砕音多数、山嵐が薙ぎ払われています!近いっ!来ます!」
岩戸に手を当てて強化を施そうとするナウラの襟首を掴んで抱き留めると体を入れ替えた。
ナウラの起こした岩戸が次の瞬間爆音と共に弾け飛んだ。
黒い塊が岩戸をぶち破って飛び出て来た。
体高2尺、全長4尺。体毛は灰色。四足歩行の獣。
「金剛狼だ!ナウラの火行法で援護!ヴィー、ユタは縦深防御!背は任せた!」
金剛狼がこちらを向ききる前に手を握り合わせる。
狼の口腔の水分を用いて氷麗張りを行おうとしたが素早い動きで後退されシンカの放った経は霧散した。
金剛狼が下がった隙間を一条の火線が走る。
「火綱渡!進路を避けろ!金剛狼は従罔だ!相手の意のままに動くと考えろ!」
「射線にヴィーが。止めます!」
ナウラが石柱で火綱渡りの炎を防ぐ。
間髪入れず広範囲の地面が円形に赤らむ。
「下がれ!火叢だ!」
後方へ数度跳ねて射程から逃れると赤らんでいた地面から火焔が吹き出る。
「敵位置捕捉できません。私の山嵐が視認を妨げています」
「………カッ!」
シンカは口から経を吐き出す。扇状に放出された経は白く光りを帯び視界を焼く。
同時に鳴る甲高い音は耳を狂わせる。
風行 閃来光。損傷を与える効果は無いが、目と耳を潰し動きを妨げる。
ヴィダードとユタは右前方の残る風行使いと遠距離に控える行兵2人と戦闘を行なっている。
「っ!」
ナウラに視線を送る。
薄れる光の中灰色の巨大な塊がシンカに向かって突撃して来る。
速い。速度は瞬きの間に半尺。体の大きさからして体重は300斤程度。
際どい所だ。失敗すれば。見誤っていれば隊列が崩れる。
賭けに出るべきか?
従罔は地を蹴りさらに加速するだろう。
此処が正念場だ。
シンカは全身に経を巡らせる。視覚から筋力まで、ありとあらゆる身体機能が繊細な経の操作により強化される。経は全身の血管に、筋繊維に、臓器に、骨に宿りシンカを守る。
野太い咆哮とともに金剛狼が地を蹴りシンカに飛びかかった。
シンカは両の足を火山岩にしっかりとつき、両手を広げた。
狼の牙を避け足の爪を躱して獣の肩を掴んだ。
激しい衝撃だった。身体が獣の突撃に押され、ずりずりと足を擦られながら後退する。
だが、吹き飛ばされなかった。
濃い獣臭の中、シンカは増した握力で獣の肩甲骨を握り砕いた。
前脚で身体を支えられなくなった金剛狼は身体を前に倒す。
位置が下がった頭をシンカは捻り、頚椎を捻じ折った。
そしてナウラが地に手を突く。
先に生やした山嵐の石筍から細い石の針が無数に突き出る。
土行法 松葉。
「がっ、ああああああっ」
「てっ、っ………」
シンカの耳が男2人の悲鳴を聞き取る。
「任せたぞ!」
直ぐさま転じてヴィダードとユタの援護に向かう。
2人は身軽さを生かし、遠距離から2名、近距離から1名の行法を躱し防いでいた。
遠距離にはやはり2人潜んでいた。
始めに一斉射撃を行いこちらを飽和状態にしていれば勝機もあったろうに。
シンカは砥木の短弓に矢を番えて狙いを定めた。
シンカの短弓はヴィダードの弓とは性質が異なる。
ヴィダードは空気の流れを読んで絶妙な調節の元、標的に矢を突き立てる。時には風行も併せて曲射ですら熟す。
反面シンカは強弓で空気を制する。中距離であれば多少の風行の壁程度に影響されることはない。
笠の下からユタと短剣で切り結んだ残る左前方の男に向けて狙いを定め、直ぐさま矢を射た。
乾いた破裂音が辺りに鳴り響く。
シンカの射た矢は風行使いの橈骨と肋骨を縫い止めた。
ユタはすかさず足の腱を切り行動不能とする。
シンカはヴィダードを振り返る。
ヴィダードは矢を放つや否や両手を突き出し行法を放った。
その瞬間はシンカの目には克明に、ゆっくりと映った。
技を放ち終えたヴィダードの移動方向に矢と風行が放たれた。
ヴィダードは跳ねている。次の着地の前にヴィダードに突き刺さるだろうことが見て取れた。
身体を巡る経はいまだ健在だ。
持てる限り、全力で足を踏み出した。
景色が緩やかに流れる。
シンカの動体視力は限界まで研ぎ澄まされていた。
光矢の射線に入る。着弾まで僅か。負傷は避けられないだろう。
シンカは歯を食いしばり両手を突き出した。
両の手の間に黄色の雷の球が浮かび上がる。
球を推測した敵の行兵へ向け打ち出すと共に迫る光矢を素手で打ち払う。
だが所詮は素手。僅かに軌道を逸らすことに成功するが、脇腹を破られる。
「くっ」
呻き声をあげる。だが、ヴィダードに致命傷が与えられる事は避けられた筈。
残る矢はヴィダードの右脇腹に突き立った。深い。
「っ」
着地したヴィダードはたたらを踏み、膝を突いた。
「ナウラ!ユタ!絶対に逃すな!」
硬く口を引き結んだナウラと不気味な微笑みを浮かべたユタが経を練りながら駆けて行った。
「ヴィー!」
額に脂汗をかいて傷口を抑えるヴィダードに急ぎ駆け寄る。
「横になれ。見てやる」
ヴィダードの身体を横にして傷口を確認する。
出血量は少ない。臓器は小腸が傷付いている。
だが鼻で匂いを嗅ぐと僅かに違和感を覚えた。
「安心しろ。俺が助けてやる」
「貴方様……身体の、様子が………」
分かっている。毒物だ。
短剣で傷口を僅かに広げる。
鏃が矢を抜く際に引っかかり、傷口を汚く広げるのを防いで矢を慎重に抜き取った。
背嚢を下ろしながら傷口に口をつける。
匂いと味で毒の種類を特定する。
筋肉の動きを阻害し、内臓の働きすら止めてしまう毒だ。
シンカはヴィダードの傷口から毒を吸い、吐き出す動きを繰り返す。
だが既に血管を通り毒は全身に回りつつある。
ヴィダードが小刻みに痙攣を始めた。
「あ、あなた……さま………」
背嚢を漁る。猶予はない。
「ど、毒に……殺される、くらいなら……一思いに……貴方様の手で……私を殺して……」
「そんな事をすれば俺はその感触を一生忘れられんだろうな」
使う薬は四種。投薬の順序、時間も綿密に考慮しなければならない。
「一生貴方様の記憶に、残る……それはヴィーにとって幸せです……」
「成る程な。ヴィーは俺と長く歩むより記憶として残る方が良いのか」
「あっ……一緒に、います……」
「ならば弱気になるな。気を強く保て。良くなったら少しゆっくりと2人で話そう」
まず1つ目の粉末状の粉薬を水に解き、薬液を嚥下させる。
この薬は血液への胃腸内栄養分の取り込みを促進する効果がある。
この後飲ませる薬の吸収を早める為に飲ませたが、反面現在身体に回っている毒物の効能も高める危険がある。
ヴィダードは変わらず四肢を痙攣させている。
呼吸が浅いから。瞳孔も開いている。危険な状況だ。
「貴方様ぁ、貴方様……ヴィーは………お慕い………しております」
「何故だ?何故俺をそこまで」
「あれ程……酷い事をしたのに………酷い……あぁ、置いて行かないで、シンカ様、ナウラ……私も……」
意識が混濁し始めている。
次の薬を投与する。1つは飲み薬。
毒薬と正反対の効能を持つ。粉末を水に溶かし、再度口腔摂取させる。
続いて傷口に別の粉末を少量の水に溶かし、矢傷に注ぎ込む。
矢に塗られていた毒を中和する効果がある。
「う………あなたさま……あなたさま……わたくしといっしょに………。…………」
ヴィダードの呼吸が止まる。
シンカはヴィダードの額に手を当てて口を開かせ、自分の呼気を吹き込む。
数度繰り返すと咳き込んで再度浅い呼吸を始める。
シンカはヴィダードの耳元に顔を近づける。
「ヴィー。確りしろ。聴こえるか?呼吸を続けるんだ。吸って。吐いて。吸って。吐いて。そう。それでいい。毒を中和すれば楽になる。俺が付いている。安心しろ」
ヴィダードの頬を左手で撫で摩る。彼女の頬にべったりと血がついた。
脈が更に弱まっていく。
シンカはヴィダードの薄い胸に両手を当てて脈拍に合わせて心臓に強い刺激を連続して与える。
乾いた枝が折れるような音がしてヴィダードの肋骨が2本折れた。
だが止めることはできない。
「ヴィー、ヴィー。苦しいだろうが頑張れ。ヴィー。俺がいるぞ」
「………あいしてる……わ………」
「俺もだ」
頬に顔を擦り付けシンカは返事を返した。
一言呟いたヴィダードは規則正しい呼吸と脈を繰り返し始めた。
危なかった。全身が汗にまみれている。体が冷たく寒い。
失うところだった。守れなかった。自分が情けなかった。




