馬車の旅
レヒレ川を夜陰に乗じて渡り、セレキア王国に密入国した。
国境から離れる間は森を歩き、そこからは森と森に挟まれるうねった街道を歩いた。
3日後にはセレキアの地方都市ルペンに辿り着き、暫く振りに旅の垢を流し、文明を満喫した。
シンカにとって10から20日程度の旅はさして長い部類に入らない。
過去最長で一年半を森で過ごした事もある。
ヴィダードは6年程大陸東から中央にかけてを彷徨っていた様だし、ナウラもシンカと出会って1年が近付きつつある。旅もそろそろ熟れた頃だろう。
だがオスカル一家は初めての旅だ。
オスカルや傭兵のアイリは多少の経験があるだろうが、他の家人は皆寝台以外で寝るのも初めてだったろう。
ルペンに辿り着いた夜、誰1人として食事に現れなかった。
翌日も誰も起きて来ないので3人で町を散歩したほどである。
特に体力の限界が近かったのが嫡男のランドと侍女のマリアだ。
これから先も長い道程となる。馬と馬車を用立てた方が良いだろう。
何時ものように出来栄えの良い薬を売り払い、金を用立てると、馬と馬車を購入する。
馬は黒駿馬を二頭。
大きな身体つきに太く長い脚。全身黒毛だが一頭は眉間から鼻先にかけて白い模様がある。
黒駿馬は元々はシメーリア人が家畜化した魍魎である。
種類にもよるが、獣は比較的知能が高く、人に懐くものも多い。
黒駿馬は馬の中では比較的獰猛だが、経を使い慣れた人間には懐きやすいという特徴がある。
白い模様がある方をナウラがサビと名付け、黒一色をヴィダードがミラと名付けた。
サビは彼女達の言葉で少女、ミラは幸せという意味だ。
因みにナウラとヴィダードは馬に乗れなかった。
馬車は幌付きの一頭立てで、大人が3人ぎりぎり横になれる程度の広さのものだ。
ルペンの商業組合に確認すると、11日後にセレキアの王都タジンを経由し、北のムスクアナの王都ミダに向かう商隊が出るという。
ムスクアナまで同行し、南西のラウで離れてその北サウリィに入国。
サウリィを縦断してクサビナの隣国ラクサスへ向かう。
ラクサス北方の都市ヴィルマでオスカル一家と別れる予定だ。
途中のサウリィ王国内に流れるイルヒ川の渡河が気になるが他は問題無いだろう。
購入した馬と馬車を宿の厩に停めて食糧の買い出しを行う。
商隊に同道するが、火は使わない方が良い。
火がなくとも食べられる食糧を買い付けて行く。
子供が食べられて日持ちする食糧とオスカル達の衣服はシンカには分からないので金を渡して好きにしてもらうのが良いだろう。
夕刻宿に戻り馬の様子を確認する。
若く健康そうである。
セレキアはグリューネ、ムスクアナ、リングアと同様で、騎獣は駱駝が主体である。
馬は余り流通していないためかなり値が張った。
ナウラは馬を気に入ったのか、サビに刷子をかけて名前を呼び可愛がっている。
ヴィダードはナウラに対抗して名を付けたが、特に愛着は無い様で世話は行わない。代わりにシンカが世話をしていると、掻いた汗を布でこまめに拭い取ってくれる。よく分からない。
数日の余裕が出来たのでヴィダードの装備を整えられる。
ルペンで過ごす2日目はヴィダードの笠を編み、それから2日かけて編み上げの靴を作った。
外套は材料となる魍魎が辺りにいない為サウリィに入ってからになるだろう。
ヴィダードはシンカやナウラに比べ力や持久力に劣る。
ふた周りほど小さな木組みの背嚢を2日かけて仕上げた。
ヴィダードは喜び勇んで背嚢に荷を詰め始めたが元々食も細く弓矢と以外にさしたる薬剤も持っていなかった為、小さな仕切りは余り埋まっていなかった。
それでもどうやら満足らしい。
大体の薬師は木組みの背嚢を背負う。
これは、乾燥させたり粉末にした薬剤が雨によって保存状態に変化を起こさないよう防水処理を施す為だ。
水分を吸収し難い木材を使い組み上げ、木蝋を塗って撥水性を高める。
生活はいつも通りだった。
今回は体を休め、知識を2人に仕込んでいく。
ナウラはよく質問をするが、ヴィダードはこちらを向き頷くものの頭に入っているかいないかは定かではない。
セレキアの食事は矢張り余り3人の嗜好には合わなかった。
特にナウラとヴィダードは香辛料を好まない。
ルペンに滞在している間に宿で2人を1回ずつ抱いた。
2人はシンカの嫁になると言う。
今まで出会って来た女には抱かなかった感情を2人には持っている。
今までの女はシンカの金回りの良さや薬師という保証された立場に惹かれていたり、旅人という存在に対しての憧れが好意の根底に根ざしていた。
森を旅するシンカに付いて行きたいと言ってくれた女は今までただの1人として居なかった。
一族の掟、自身の夢、父の望み。
森渡りの一族は自身の生涯の体験を書として残し、隠れ里の書館に納める。
早逝した実の父はそれとは別に一分野の真理を究明し、書に残したいと考えていた。
シンカは亡き父に代わりそれを成し遂げたい。
だから、旅を止めることはできない。
2人は初めてシンカの全てを認めてくれた女性だった。
森に入ることも、旅をすることも。受け入れてくれたのだ。
そして伴に歩んでくれると言うのだった。
彼女達を抱く時、シンカは未だ嘗て無い感情を得た。
この女を離したく無い。この女を孕ませて己の子を産ませたい。
それは理性とはもっと別の場所からくる得体の知れない感情でもあった。
女の息がつまるほど強く体を掻き抱くと、自分のものなのだという執着が強く湧く。
括れた腰を左手で抱き、右手で尻たぶを強く掴むと相手の全てが自分の腕の中に収まって入る様に感じられた。
旅の支度を全て終わらせ、出発の前日は酒を断ち組手を行なって汗を流し水を飲む事で体内の酒精を抜く。
最もシンカ達やオスカル一家が律儀に抜いたところで商隊に集う者達は魍魎を惹きつける匂いをぷんぷんとさせてやって来るのだろう。
出発の日は早朝、日が登る前に街の北門に集まった。
イラを飛び出した時オスカル一家は手ぶらも同然だったが、今は交互に荷台に乗ることが出来る。
御者はアイリが務め、ステラとシェラが幼子と共に荷台に乗る。
ランドは初めは強がってオスカルと伴に歩んでいたが一刻で諦めて荷台に乗り込んだ。シェラが時折マリアと交代して歩く。
商隊は馬車が30台弱、人数は100を超えた。
何度かの休憩を挟んで森の狭間を商隊は抜けて行く。
サビとミラは問題無く荷馬車を引いて進んだ。
休憩の時間になるとナウラはサビに飼葉と水を与え、丁寧に全身の汗を拭った。
馬は汗をかかかせっぱなしにすると体調を崩す。野生の馬は川や泉などで汗を流すが、飼い馬は人が手入れする必要がある。
ミラはヴィダードでは無くシンカが世話を行う。
特に問題も起こらず商隊は北路を辿り、やがて日が沈みかけると野営の支度を始めた。
他の商隊が焚火を始める中シンカ達は穀物を練り固めた携帯食で腹を満たす。
幼子は乾燥させた黍を水でふやかして味付けをして与えられている。
子供達は食事に対して不満げではあるが、火は避けるべきである。
他の商隊の面々がどうしようと関係ない。
「おいねえちゃん!」
柄の悪い男数人が寂れた様子のシンカ達の元に訪れ声を掛けて来る。
商隊の中心であるボラクという名の規模の大きな商家が雇った傭兵達である。
皆ネラノ人であり、その視線はステラやアイリ、侍女二人に向けられている。
ナウラは笠や口当て布で顔があまり窺えなかったのか注目されていない。
ヴィダードに至っては肌が白いせいか、貧相な体つきのせいか一瞥すらされていない。
「そんな時化た飯しか食わせて貰えねーのか?」
「俺等がもっと旨いもん食わせてやるから一緒に来いよ!」
口々にオスカルやシンカを貶して自分達と過ごせば良い夜を過ごせるか語る。
幾分か酒気を帯びている。
無知故かも知れないが、この森の狭間で酒を飲むなどシンカには到底真似できない蛮行である。
絡んで来た傭兵は7人。
質の悪い傭兵達だ。
女達は当然の如く見向きもせず断っていた。
子供の世話をする女に声を掛けるとは。やはり商隊などに加わるものではない。
森を渡れば半分の速度で次の町に着くのに。
侍女二人は明らかにオスカルを慕っている。
オスカルは気付いていない様だし、特にマリアは表情を取り繕って隠しているが、時折オスカルの顔を見つめているので隠しきれてはいなかった。
当然柄の悪い男達の言葉に流される事は無かった。
「ん?おいねえちゃん。笠とってみろよ」
とうとうナウラに矛先が向く。
オスカルの妻や侍女は美しい。その美人の中にあってもナウラの美しさは際立っている。
男の一人が剣の鞘でナウラの笠をずらし上げた。
「………」
「………お」
男達はナウラの怜悧な美しさに暫し言葉を飲んだ。
「貴方達は私に武器を向けています。此処で争うおつもりですか」
背中の腰近辺に固定していた斧を右手だけで外し地に振り下ろした。
振動と共に土塊が幾らか飛び散り鞘で笠を上げた男の顔に掛かった。
だが男が怒る事は無かった。
ナウラが振った最近新調した斧は4尺程の柄に人の頭二つ分程の斧頭が付いた半月斧だった。通常の半月斧と比べ柄が長く、斧頭も大きい。その上柄は木製では無く鉱物で作られており、斧頭も重厚そうな鉱物で形作られていた。
普通の男が片手で振るえるような代物ではない。
男達はすごすごと引き下がって行った。
だがナウラにねっとりと絡み付くその視線は面倒ごとの始まりを確信させるに足るものであった。
シンカ達は夜番を置き、夜に備える。
人が多いからと言って魍魎が寄ってこないとは限らない。それに敵は魍魎だけではない。ナウラは北方人が見ても美しさが目に付く女性である。
ましてやネラノ人にて構成される南方人にとって、彼女は絶世の美女に映っているだろう。
南方人の男は豊満な肢体の女性を好む。
肉付きのよいナウラは立っているだけで面倒ごとを呼び込むだろう。
加えて異国情緒溢れる白髪は道端に金貨を置くかの如く災厄を呼び寄せるに違いない。
夜番はアイリ、ナウラ、オスカル、シンカ、ヴィダードの順となった。
外套に包まり睡眠を取っているとオスカルが身動きした為に目を覚ました。
見張りを代わり1刻が経った頃暗闇の向こうで動く気配を感じた。
垢と汗の染み付いた薄汚い匂いだ。此れなら風下であれば一里先からでも居場所を特定できる。
火を焚かぬシンカ達は全員が寝ているものと考えたのか。
懐から筒を取り出し針を込める。
足音を殺して近付くのは4人ほど。
強い害意は感じられない。
女を攫って一晩の間手篭めにしようという魂胆だろう。
許さない。
筒を口元に当てひと吹きする。
向こうで汚らしい見た目の男の太腿の付け根に針が刺さった。
無論即効性の毒が塗布されている。男は二歩歩くと違和感に気づき、三歩目で蹲り背を丸めて生き絶えた。
続けてもうひと吹き。同じ様に男が死ぬ。
3人目を仕留めると漸く異変に気付き、残る1人が慌てて引き返して行った。
引き返す背中目掛けて毒針を吹き付ける。
全員を仕留めることに成功した。
男達が息絶えている辺りには小規模商会の馬車がある。
其方と勘違いされれば儲け物だろう。
見張りをヴィダードに代わり睡眠を取る。
明け方女の悲鳴で目を覚ました。
死体が見つかったらしい。
だが死因が特定できず、目撃者も居なかった為大きな騒動とはならなかった。
傭兵がなにやらシンカ達を犯人に仕立てようとしていたが、刃傷も矢傷も見当たらず、有耶無耶のうちに出発となった。
2日目3日目と問題無く路を歩み4日目の昼過ぎにセレキアの王都タジンに辿り着いた。
出発は7日後となる。
タジンは賑やかな街だった。
露店がところ狭しと並び、商人達が通りすがる人々に声を掛けて品物を売ろうとしている。
特に多いのが織物で、緻密な花柄の絨毯など駱駝と同じ金額で売られている。
3人で歩き回り、ふとシンカは足を止める。
美しい鉱物や、その加工品を売る露店であった。
「ヴィー」
「お呼びですか?」
「これなんだが……」
指を指したのは花の形をした空色の鉱石の髪細工だった。
「お、兄さんお目が高いね!これは……」
「うん。谷稚児車だな。険しく標高の高い山中の、しかも谷に流れる沢の間近にしか咲かない花だ。花自体も3日で枯れてしまう。その谷稚児車が鉱物化している。恐らく星蒼玉の鉱床が近くにあり、成分を吸収して育ったのだろう。開花後鉱物化したようだな」
「く、詳しいですな」
元々は白い谷稚児車が星蒼玉の成分を経と共に吸収した為、空色の美しい鉱物の花となったのだろう。朽ちることなく何時迄もその繊細な姿を保っていくだろう。
ヴィダードの瞳の色とそっくりの、一輪の花型髪飾だった。
「………」
ヴィダードは口を小さく開けたまま髪飾りを見つめた。
開いた口元から形のいい白い前歯が覗いている。
無言のヴィダードの鼻をつまむ。
「気に入ったのならお前に贈りたいが」
「………綺麗」
シンカは髪飾りを手に取ってみる。
茎と控え目な葉、それに花が鉱物化している。
花そのものの為細く繊細だが、星蒼玉は非常に硬い鉱物だ。罅も入っていないようなので簡単に折れたりはしないだろう。
「金貨で9枚払う。元値は大方7枚程度だろう?」
「いや……本当に御見逸れしました。専門家ですか?」
「そうだな。で、いいな?」
「金額の交渉すらさせて貰えないとは……ええ」
原価を把握しており、ある程度の利鞘も載せた上で金を払うと告げたシンカに中年の商人は何1つとして抗う事が出来なかった。
木箱に黒い棉と共に収められた商品を受け取り、少し歩いた後にヴィダードに中身を渡した。
ヴィダードはそれを受け取ると両手でそっと包んでじっくりと眺め、髪には付けずに懐へ大切そうにしまった。
タジンでの数日も特に変わり無く過ごし、7日後ムスクアナへの出立となった。
商隊の規模は増し、馬車は50台を超え、人数も150程度まで膨らんでいた。
シンカ達も飼葉や食料を買い足しタジンを出立した。
王都を出て2日目。
野営の際に面倒ごとが起こった。
身体の大きな禿頭のネラノ人がシンカ達の元にやって来たのだ。
「てめぇらか!俺の部下をやったのは!」
ルペンからタジンに向かう最中にシンカ達に絡んで来た傭兵の頭ということか。
端からシンカ達が殺したものと決めてかかっている。
尤も間違いではないが。
「私達は薬師です。荒事には向きません。傭兵の方々と争う事などとても……」
オスカルが死んだ魚と同じ目でシンカを見詰めた。
「死体には傷がなかったらしいじゃねえか。お前ら薬師が毒をもったんだろぉが!」
意外と論理だった責め口だ。
やはり荒くれとは言えど頭を張るとなると力だけでは役割を熟しきれないということか。
「そんな!なぜ私達がそのような事を!魍魎から守って頂く傭兵の方々を害すなど!」
アイリが旦那と同じ目付きでこちらを見る。
どういう意図であの目をするのか。
甚だ疑問である。
「うちのもんが女どもに絡みに行ったと聞いた。男の可愛い恋心を無下にした挙句毒で殺すたぁひでぇ薬師もいたもんだな!人を救う薬師がよ!」
子供達が怯えている。侍女達が子供を馬車の荷台に乗せて幌を掛けた。
「確かに夕刻、傭兵の方に絡まれはしました。ですが夜半には誰も来ませんでした。朝悲鳴で目覚めて私達も何が何やら……」
シンカは立ち上がると男に歩み寄った。
「てめえ。のらりくらりと!おい。てめえは殺す。男は全員殺す。雄餓鬼も殺す。女は償いをさせる。雌餓鬼は貴族にでも預けるか」
預けるとは人身売買の隠語である。
この大陸では精霊が信仰され、万物に精霊が宿り、加護を与えているとされる。
命を数多の精霊が加護を与えて生み出しており、命は精霊のものであると考えられている。
精霊の命を同じ命が下に置き無下に扱う事は禁忌である。
しかしナウラが危うかったように隠れてそういった行いをする者は少なからず居るという事だ。
この男は手馴れている。
「提案があります。私は自分の親しい者が死ぬ所を見たくありません。堂々とした立会いの元で殺しては貰えないでしょうか?」
彼の部下の傭兵達が徐々に囲みつつある。
商人や旅人は遠目に様子を窺っているだけだ。
このまま乱戦となればか弱い誰かが傷付くだろう。
「はっ!女を守る気概もないか!あぁそうか。薬師だったな」
そう言って男は剣を抜いた。
構えは大きく足を開いた正眼。王剣流か。
対してシンカは翅を抜く。
男が動いた。
大きく足を踏み出し、剣を振り上げる。
シンカは素早く動いた。
出来るだけ派手に殺す。
成功するかしないか、試した事の無い試みだ。振り上げられた剣の先端を狙い翅を振る。
真っ直ぐ、垂直に。
変則型の雷光石火を放った。
薄い刃の翅にしか出来ない芸当だ。
翅は剣を縦に切り裂いた。
指の先程度の厚みしか無い剣を左右に断ち割った。
そのまま柔らかい人体を禿頭の頂点から股まで正確に半分に切り裂き素早く距離を取った。
男はそのまま剣を振い、右手の指5本全てが勢いのまま地に落ち、すっぽ抜けて目前に落ちた剣が奇麗に縦に割れた。
「は?」
動かしていた右足の勢いに引っ張られずるりと男の体が縦にずれた。
臓器を溢れ落としながら左右に分たれた体が時間差で崩れ落ちた。
こっそりとヴィダードが両手を突き出し弱い上昇気流を作り出して匂いが拡散しないよう対応していた。
ステラとマリアが嘔吐する。
本当は経で男の丹田に干渉し爆散させようか迷ったのだが、やらなくて良かったかもしれない。
「さて。次はどなたかな?」
睥睨すると傭兵達は散り散りになって走り去って行った。
男の死体は土行法で地に埋めたが、翌日からシンカ達は誰にも話し掛けられなくなった。
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