9. 美弥と宮ばあちゃん
一週間ぶりに見る風景は変わらず、都会とは無縁な一面に広がる田んぼの緑だらけだった。
田んぼの中にポツンとたつバス停に下りた二人は、故郷に帰ってきたようにホッとした表情を見せていた。
「さて、なごんでるヒマもないし。とりあえず、おばあちゃんの家に行けばいいのよね」
「戌井さん、そんなに早く歩かないでよ」
「ほらほら、早く進まないと日が暮れちゃうわよ」
今回は荷物も持たず身軽もあってか葉子はずんずんと進み、そのあとを雄一が小走りで追いかけた。
「…ついたね」
「うん」
「いい、開けるわよ」
美弥の家に着いた葉子は玄関の戸に手をかけて、ごくりと生唾を飲み込んだ。
もしかしたら、このまますんなり開いて何事もなかったように美弥がまた笑顔で『おかえり』と出迎えてくるんじゃないかという淡い期待があった。
しかし、手に返って来たのは動くことのない硬い戸の感触であった。
「やっぱり、だめか……。泥棒の心配なんてないからって、夜も鍵なんてかけてなかったのに」
落胆する葉子を見ながら、雄一はあごに手をあてて考え事をしていた。
「あのさ、あの稲荷神社にいってみない?」
「どうして? あんなとこにいってもなにもないじゃない」
「いや、なんていうか、勘、かな」
「勘ねぇ……、まあいいや。他に当てもないわけだしいってみよう」
二人は駆け足で神社のふもとを目指して走っていった。
森の境内への参道を前に二人は立ち止まっていた。
「ついたけど、どうするの?」
「うん、ちょっと試したいことがあるんだ。1001本目の鳥居なんだけどさ、もしかしたら見つける方法がわかったかもしれないんだ」
「ほんと!?」
「そのためには戌井さんの力が必要なんだ。だから、これからいうことをやってほしい」
わかったと葉子がうなずくと、雄一は葉子に小声でひそひそと話し始めた。まるで、誰かが聞いているのを警戒しているように。
「じゃあ、前と同じようにボクが上の境内から数え始めて、戌井さんが下の入口から数え始めてね」
「おっけー」
二人は別れて、鳥居を一つ二つと数え始めた。
やがて、今までと同じように途中で行き会い、数を確認すると今までと同じように500という答えが返って来た。
「じゃあ、ここから引き返して数えなおすんだ」
「おし、いってくるね」
二人は元きた道を引き返して、さっき数えたはずの鳥居をまた数えなおした。
―――991、992、……、999、1000
そして、雄一が境内に戻ったところで最後の一本を数え終えた。
「……1001、ほんとに、あった」
最初に鳥居を数えた日、美弥がいつの間にか境内に現れたことがヒントになっていた。
雄一の考えたことは単純だが普通ならやらない方法だった。
雄一は、幻の鳥居は移動しているという前提で、二人が通り過ぎ数え終わった場所に移動することで隠れていたと予想していた。
そのため、雄一は既に見た鳥居を数えなおすことで、その姿を露わにする結果となった。ただし、この方法は二人以上いないと実行できないものであり、葉子の存在が不可欠であった。
雄一が触れていた1001本目の鳥居が姿を消し、驚く雄一の前には、確かにそれまで誰もいなかったはずの本殿前に人の姿が唐突に現れた。
「みつかってしもうたか……」
「ばあちゃん……」
雄一の前に姿を現したのは、山吹色の着物に身をつつんだ少女であった。
しかし、その姿は以前と違っていた。
黒かったはずの髪は、着物と同じく山吹色に輝き、その頭頂部にはピンと立った狐の耳が生えていた。
「こっちは500だったよ!! ……って、あんたは」
入口側まで数え終わった葉子が境内に駆け上ってきて、美弥の姿に目をまん丸に見開いていた。
「狐……」
「いかにも、わしこそがこの神社の稲荷じゃ。名は美弥と申す」
「あなたは、あの家にいたミヤでいいんですか?」
「そうじゃ、人を化かすのは狐の本文じゃからのう。見事にだまされたようじゃ、いやあ愉快愉快」
美弥がカラカラと笑い声を上げていた。
しかし、雄一は怒るわけでもなく悲しむわけでもなく、静かに見ているだけだった。
「それは、うそですね」
「ほう、なぜじゃ?」
「あなたはボクが雄一だと知っていた。それに、ボクたちがきたのも、あなたにとって予想外だったはず。だますならどうして祖母の昔の姿だったんですか? 今の祖母の姿を真似したほうがずっとよかったはずだ」
「ふむ……、会ったのか宮に」
「はい、病院にはさっきいってきました」
「そうか、そうか……」
それまで笑みをうかべていた美弥は真顔になり、物悲しげな雰囲気を漂わせた。
「ばあちゃんはボクを見て父さんの名前を読んでいました」
「怒らんでやってくれ。あやつに悪気はないのじゃ。あやつもあんな状態の自分をみられたくなかったろう」
「でも、それでも……、ボクはばあちゃんに会いたかったんだ」
うつむいていた雄一は顔を上げてうるんだ瞳を美弥に向けた。その表情を見た美弥はふっと表情を緩めた。そこに浮かんでいたのは年老いたものがもつ郷愁に似たものだった。
「あやつは毎日のようにこの神社にきては息子や孫のおまえのことばかりをうるさいぐらい話していた。じゃが、息子の死を知ってからは、花がしおれるように無気力になって気の毒なほどじゃった。いつしか、息子が存命じゃった過去のことばかり思い出すようになって、現実から向こうの世界にいってしもうた」
「そうだったんだ……」
「あれは、あれで幸せなのかも知れぬ。どうか、そっとしておいてやってくれ」
美弥は悲しそうにそっと目を伏せた。
もしも、ここにいるのが雄一と美弥だけだったなら話は終わってしまっていただろう。しかし、もう一人の少女が幕引きに待ったをかけた。
「それなら、どうしてあんたはあの家にいたの? 家中をぴかぴかになるまでキレイにしてさ、あれじゃあまるで……、帰ってくるのを待ってたみたいじゃない」
「ふふっ、なかなか鋭いのう。じゃが、そんな殊勝なことなぞは考えておらんよ。ただの暇つぶしにやっておっただけじゃ。なにせ、わしらのような存在の寿命は長いからのう」
「ねえ、美弥にとって、おばあちゃんってなんだったの?」
「ふむ……、なんと呼べばよいかわからぬが、一言でいうと友人かのう。昔のあやつはそれはもう腕白なガキでのう、付近の悪ガキどもを束ねるおてんば娘じゃった。ある日、幻の鳥居を見つけるといって数え出すが一向にみつけることはできなくて、かんしゃくを起こしたあやつは、鳥居を全部切っていけば残ったものが幻の鳥居だといって、のこぎりで切り出しおった」
当時を思い出したのか、美弥はおかしそうにくつくつと笑い声をこぼした。
「鳥居を切られてはたまらんと姿を現して叱ったのじゃが、あやつは驚くどころか、勝ち誇った顔で『見っけた』と言ってわしを指差す阿呆じゃった」
「ばあちゃん、そんなことしてたのか……」
雄一の記憶にある美弥は、微笑をたやさずいつも穏やかな人であった。祖母の意外な一面を知った雄一の口元に微笑が浮かんだ。
「見つけたから何かよこせというから、それじゃあ何か一つ願いを聞いてやろうといってやったのじゃ。すると、あやつは『じゃあ友達になってよ。神様と友達なんて自慢できるだろ』といいおって、やっぱりこいつは阿呆じゃと思ったわ。それから、わしが子供の姿に化けて村の子供たちと混じって遊んだりしてのう。あやつが狐格子家に嫁いでからは、わしの方から様子を見にいったりもしたものじゃ。知っておるか? おぬしがあの家にいたときもわしは会っておるのだぞ」
「え、でも、あのときのばあちゃんは普通のばあちゃんだったはずですよね」
「そっちではないぞ。一匹の子狐がおぬしのまわりをちょろちょろしておったじゃろう」
「あっ、あー、あのときの狐!!」
雄一は美弥の頭に生えた狐耳を見ながら、驚きの声を上げていた。
美弥もしてやったりとばかりに口角をニヤリあげて、楽しそうにしていた。
「ねえ、やっぱり、あんたにとっておばあちゃんはそれだけ楽しい思い出のある相手なんでしょ。ほんとに今のままでいいの?」
「……あやつは阿呆じゃったが、おぬしも変なやつじゃのう。まさか、神に向かって説教を垂れてくるなど聞いたことがないぞ」
腰に手を当ててまっすぐに見つめてくる葉子の姿を、美弥は呆れているような感心するような複雑な表情で見ていた。
「わたしのことはいいよ。それよりどうなの? おばあちゃんが昔のことだけを覚えているっていうのなら、あんたのことも覚えているはずよね。一度ぐらい会ってみたらいいじゃない」
「まあ、そのうちにな……」
美弥のハッキリしない答えに葉子はもどかしい顔をするが、困ったような笑みを浮かべる美弥を見て、あきらめたようにため息をはいた。
「おぬしら、今日はどうする? もうすぐ夕暮れ時じゃがこのまま帰るのか。泊まるのならば、あの家をつかってもよいぞ。……といっても、わしの家ではないがな」
葉子と雄一は顔を見合わせた後、同時に「泊まる!」と声をそろえた。
「なんじゃ、そんなにあの家がいいのか。しょうがないのう」
二人の前を歩く美弥のしっぽはパタパタとうれしそうに振られていた。
泊まることにした二人は親に連絡をとるが、またそこでひと悶着があった。
「だーかーらー、こっちで出来た友達の家に泊まるから大丈夫だって!!」
スマホを片手に電話口の向こうにいる母親に向かって葉子が大声を出していた。泊まる先の家の名前を教えろという母親に、美弥の名前を出せない葉子が友達だと答える堂々巡りをくり返していた。
「ふむ、葉子や。電話を代わろう」
「え、でも、あんたじゃ」
「まあまあ、ここはまかせておけ」
美弥が電話を代わり数分もしないうちに片がついたことに、葉子が目をまん丸に見開いて驚いていた。続いて、雄一の家にも電話をかけるが同様の結果になり、「どうやったの? もしかしてそれも化かしたとか?」という葉子に、「年の功じゃ」と笑い返すだけだった。
それから食事の支度が終わり、また同じ食卓を囲うことになった三人だったが、そこにはどこかぎこちない雰囲気が流れていた。
「雄一、なんじゃ敬語なんぞ使わんでもいいんじゃよ」
「えっと、でも……、神様、なんですよね?」
「しょうがないのう、ちょっと待っておれ」
美弥が箸をおいて席を立ち廊下に姿を消し、数秒後すぐに戻ってきた。
「ほら、これならいいじゃろう」
「あ、うん、なんかそっちのほうがしっくりくるや」
以前の黒髪姿に戻った美弥を見て、雄一は以前のような口調に戻り、ほっとした表情を浮かべた。
「……本当は廊下で待ってて、入れ替わったんじゃないでしょうね」
一方で葉子は廊下に身を乗り出してきょろきょろ視線を動かして他に人影がないか探っていた。
夕飯が済むと、いつかのように三人で川の字に並んで寝床に入った。星明りの下で鈴虫の声が響く、穏やかな夜だった。
「……ねぇ、美弥。あの時、なんで家の鍵しめたの?」
そんな中で、葉子の静かに口を開いた。
「鍵などかけておらんよ、元々この家には鍵なんてついておらんからのう」
「でも、あのときはどんだけ引っ張っても開かなかったわよ。今日だって最初来たとき開かなかったし」
「おや、そうじゃったのか。なにせ古い家じゃから立て付けが悪かったのかもしれんのう」
誤魔化すようにおどけた口調で話す美弥に対して葉子はごろりと寝返りを打ち、背中ごしに話しかけた。
「あのさ、今度は家出じゃなくても、またここに来てもいい?」
「それは宮の孫である雄一に聞いたほうがいいじゃないかのう。わしは勝手にここを使わせてもらっておるだけじゃし。のう、雄一?」
「え、ボク?」
自分に話が振られると考えていなかった雄一が、枕の上で頭だけを動かして視線を向けた。
「いい、雄一、自分だけでこようとか抜け駆けは許さないからね。行くときはわたしにもちゃんと言いなさいよ」
暗闇の中から葉子の視線を受けた雄一は、こくこくと何度もうなずいていた。
そんな二人の様子を美弥は微笑ましいものを見るように含み笑いをこぼしていた。