7. 迎え
この日も雄一と葉子の二人は朝から外に遊びに出ていた。
昼前になり、森から帰ってきた二人は家の前に見慣れていた後姿を見つけた。
「かあさん……」
「それと、うちのママね……。なにしてるの、ほら隠れるよ」
呆然と立ち尽くす雄一を、葉子の手が茂みの中に引っ張っていった。
二人が様子をうかがっていると、一人がイラだったように玄関の戸をガンガン叩いていた。
中から反応がないことを知ると、戸に手をかけて引っ張り出した。しかし、ビクともせずに、女性ははあため息をつき回れ右をすると、元来た道を大またで歩き出した。
雄一たちが隠れている茂みに近づき、その顔をはっきり見ることができた。
その表情にはいずれも焦りといら立ちが浮かび、隠れている雄一たちは見つからないようにさらに身を縮こまらせた。
やがて、その背が十分離れたところで、二人はがさりと茂みから姿を現した。
「ごめん、たぶんばれたのはあたしのせいだ」
「え、どうして?」
「スマホのGPSたどってきたんだと思う。あー、もう、どうせつかわないんだし電源きっとくんだった」
葉子が頭をがしがしと掻きながら、家の中に置きっぱなしにしていたスマホのことを思い出していた。
「とりあえず美弥に相談したいけど、留守みたいだったし。どうしよう…」
「わからない、他に行くあてなんてないし……」
特に意見もでることもなく二人が沈黙していると、代わりに虫の音が耳に入り始めたが、「そうだ!」と葉子が高い声をだした。
「あの稲荷神社の千本鳥居の言い伝えどおりにすれば、どこかにつれていってくれるんでしょ。もう一回数えてみようよ」
「でも……」
「どうせバス停の方は見張られてるだろうし、いこうよ。ねっ」
葉子が雄一の手を引っ張って立たせると、雄一は気乗りのしなそうな顔をしたまま葉子の後をついていった。
二人は森の脇の道を通って、参道への入口にたどり着いた。
「今度はわたしが入口から数えるから、雄一は境内の方から数えてよ」
それで葉子の気が晴れるならと、雄一は境内に向かって石段を登っていった。
やがて、境内にたどりつくと1本目から数え始めた。
1、2、3と無心になって数えていると、雄一の心も次第に落ち着きを取り戻していた。
途中ですれ違った葉子とまた数の確認をするが、前回と同じく500という数字だった。
970…971…972…と終わりが近づくにつれて、参道への入口が見え始めた。
木々でつくられた日陰の中を進み、日の当たる入口に出ようとしたところで人影が見えた。
「いたわね、雄一。まったくこんなところまで来ているなんて……、ほら、帰るわよ。葉子ちゃんも一緒なんでしょ」
「かあさん……」
仁王立ちをした雄一の母がにらみつけていた。
その隣には雄一たちと親しくしていた地元のおじさんが立っていた。
「雄一くん、冒険はここまでだよ。お母さん、あんまり叱らんでやってほしいんだ。男の子ならこういうこともしたくなるもんだ」
「すいません、うちの子がご迷惑をおかけしました。うちの前の主人の実家がここにあるものでして、まさかと思ったのですが」
「狐格子さんとこの子じゃったんか。てっきり、別んとこの子かとおもっとたんだけんども。でも、あそこんとこのばあさまは今入院中じゃてに、雄一くんたちはどこにいたんじゃろうか?」
「え?」
雄一は狐につままれたような顔でおじさんを見た。
「はあ……、ほら、そこの家のひとにも挨拶しなきゃいけないから案内してちょうだい」
「うそだ、だってばあちゃんはいたよ……」
そこに、参道から様子をうかがっていた葉子が飛び出して、硬直する雄一の手をつかんで走り出した。
「雄一、いくよ!」
「葉子! まちなさい!」
背後から聞こえる葉子の母親の叫び声を置き去りにして、二人は走った。この一週間で知り尽くした家までの道を、田んぼのあぜ道や獣道をつかって最短距離でたどり着いた。
はあはあと息をきらせ、あごから汗をしたたらせながら玄関の戸に手をかけた。
「開かない……」
ガタガタと戸を揺らすが、いままで簡単に開いていたはずの戸は開くことはなかった。
「おばあちゃん、開けて、いるんでしょ!!」
ガンガンと戸をたたきながら叫ぶが、返事はなかった。やがて、追いついてきた母親たちに連れられて、二人は帰路についた。
バスの中に座るのは雄一たち4人で、エンジン音以外は聞こえず沈黙が保たれていた。
葉子の母は隣の席で居心地悪そうに座る娘を時折視線を向け、雄一の母は頬杖をつきながら窓から田んぼだらけの景色を眺めていた。
やがて景色は変わり、市外に入った。
緑から灰色が目立つ風景が目にはいったことで、自分たちはあの家から日常にもどされたのだと、二人は理解してしまった。
「うっ、ううっ」
知らず知らずのうちに雄一の口からも嗚咽が漏れていた。
その様子を雄一の母親がチラリと横目で見るが、特に声をかけようとはしなかった。
バスの運転手も後ろでのやりとりをチラリと見ただけで、なんとなく事情を察したが、自分の仕事に徹することにした。
それから、4人は新幹線に乗り継ぎ、やがて本来の家がある街まで帰ってきた。
駅前で二人の母がお互いに頭を下げ、子供たちは気まずそうにその様子を見ていた。
「……それじゃあね、雄一」
「……うん、戌井さんも、じゃあね」
二人は小さく手を振ってお互いの家に向かって別れた。
電灯の明りや付近の家々からもれ出る明りに照らされた夜道は明るかった。
人工の明るさで照らされるなか、雄一の隣を歩く母が口を開いた。
「ねえ、雄一、なんであんな書置きしていったの? ボクはいらない子だなんて」
雄一は下をうつむきながら歩くだけで返事をしようとはしなかった。
「だれかにいわれたの?」
「……ちがう」
「それなら、どうして?」
「だって、ボクがいたら邪魔になるでしょ。新しい父さんができるんだから、あの家にボクはいらないんだ」
立ち止まりかすれた声でしゃべる雄一の手を、母がぎゅっと握った。
「ばかだねぇ。子供が変なこと考えてるんじゃないわよ」
「前にばあちゃん家に預けられたのだって、ボクのことが邪魔だったからなんでしょ。いいよ、もう……、ボクのことなんてほっといてよ!」
かんしゃくを起こした雄一はつながれた手を無理矢理ほどこうと腕を振った。
しかし、母はつないだ手を離そうとせず、しゃがんでからうつむく雄一の目を見据えた。
「あのときは、あの人が危ない状態で看病が必要だったから、その間あなたの面倒をお義母さんに見てもらってただけよ。あなたを捨てようとかそんなことは考えたことはないわ。あなたは大事な息子よ」
母は優しく雄一を抱きとめると、その背をとんとんとなでるようにたたいた。
「まったくアンタって子は、そういう寂しがりなところもあの人に似たのかねぇ。ごめんね、寂しい思いさせちゃって」
人工的な明りに照らされた夜の中で子供の泣き声が響いていた。