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5. 樹上から見えたもの

 夏の日差しを受けた草木が緑色硝子の破片のように輝く中、麦藁帽子をかぶった幼い子供と父親とおぼしき男が並んで歩いていた。

 陽炎の立ち上る中を歩く二人の姿は、ゆらゆらと揺れ続け夢と現の間をさまよっているようだった。

 

『雄一、ここが父さんの田舎だ。どうだ?』

 

『なんか草ばっかりでつまんない』

 

『まあ、そういうなって。遊ぶ場所はたくさんあるんだからさ。明日の朝は早起きして虫取りにいこうか。カブトやクワガタがたくさんとれるぞ~』

 

『ほんとに!? いくいく』

 

 子供のはしゃぐ声を聞きながら父親である男はうれしそうに笑顔を浮かべていた。しかし、その顔はおぼろげで霞がかかったようにはっきりと見えなかった。

 

 

「――ゆういち、雄一」

 

 雄一が目を開けると、心配そうに見つめる美弥の姿が見えた。

 

「どうした? うなされておったようじゃが」

 

「……父さんの、夢を見たんだ。虫取りに行ったときのだったよ」

 

「そうか……、この家に帰ってきたお前に、あやつも久しぶりに顔を見せに来たのかもしれんのう。どれ、朝ごはんは、お前の父が好きだった豆腐と油揚げの味噌汁にでもしようかのう」

 

「……ありがとう、ばあちゃん」

 

 雄一が家出先に選んだ場所は、父である狐小路雄大(たけひろ)の故郷であり、同時に若くして亡くなった父との思い出が埋まっている場所でもあった。

 今日も雄一は、父と一緒であった時の思い出をなぞるように足をめぐらせていた。

 

 生い茂る木々の葉が夏の日差しをさえぎり、湿気を感じさせるひんやりとした森の中で二人はいた。


「ほら、これがカブトムシだよ」


 雄一に胴体をつまみあげられて、足を必死に動かす黒光りする虫をみながら、葉子は顔をしかめた。


「うへぇ、きもっ。なんで男子ってこういうの好きなの?」


「えぇ、かっこいいじゃんよ。ほら、つのだよつの、強そうだろ」


「ちょっ、近づけないでよ」


「ちぇっ、女子にはこのよさが分からないんだよ」


 雄一は不満そうにほおを膨らませながら、カブトムシを木の幹に戻してやった。


「なんじゃ、逃がしてしまうのか、もったいないのう」


 今まで誰もいなかったはずの場所から声がきこえ、驚きながら二人は振り向いた。


「洗濯物も干し終わったからのう、わしも混ぜてもらいにきたぞ」


「いつのまにきたのよ……」


 葉子が探るような目つきを向けるが、美弥は楽しそうににこにこと笑みを浮かべるだけだった。


「虫取りが好みでないのなら、木登りなぞどうじゃろうか? 昔は、どれだけ高く登れるかで子供たちで競っておってのう、木登り、川泳ぎ、相撲、かけっこ、このあたりが強いものがガキ大将になったものじゃ」


「なんていうか、時代を感じさせるわね」


 葉子にとってはオシャレや流行に気を使っている女子ほど、クラスの中でのヒエラルキーが高いという認識であった。

 今日の葉子の姿は、すずしさを感じさせるノースリーブのワンピースであった。少ない荷物の中に入れてきたお気に入りの一着であった。


「父さんは、木登り得意だったの?」


「あやつはからっきしじゃったのう。足から木の根でも生えてるのかというぐらい登るのが下手じゃった。ようやく上れるようになったのは、十二の歳を過ぎた辺りじゃったわい」


「そうなんだ……。じゃあ、木登り、ボクやってみる」


「お、いいぞいいぞ、そのいきじゃ」


 雄一は、近くの木々を見てまわり、足をかけるのによさそうな枝ぶりのものを探した。


「これにしてみるよ」


 雄一は選んだ木の前に立ち、足をたわめ力を存分にためてからジャンプすると枝に片手をかけた。

 落ちまいと指でしっかりと握りこみ、揺れる体を支えようと残る手と足を幹に絡みつかせた。

 しかし、そこから体を引き上げようとして顔を真っ赤にして腕に力をこめるが、ずるずると体が下がっていくだけだった。


「いってて」


 力尽きて、地面の上にしりもちをついた雄一が痛みで顔をしかめた。

 ズボンは泥でよごれ、首筋をつたう汗がTシャツの袖でぬぐった。


「だいじょうぶ?」


「うん、ちょっとすりむいただけだよ」


「よいがんばりじゃったぞ。だれしも最初はそんなもんじゃて、あまり気落ちするでないぞ。おぬしの父も何度もやっているうちに、登れるようになったからのう」


「ボクもできるようなるかな?」


「おお、もちろんじゃ。よいか、木登りのコツは手足を使って常に3つの点で体を支えることじゃ。さらに腹や腿も使うと体が安定するぞい」


 それから、雄一は何度も地面に落ちてはズボンを汚しながら挑戦を続け、横で見ていた葉子も木登りに参加し始めた。


「みなさい、登ったわよ!!」


 はあはあと息をつきながら枝の上に立った葉子が、得意げな顔で雄一を見下ろしていた。


「おお、すごいすごい、一日で上れるようになるとはやるもんじゃのう」


「う、うん……、そうだね」


「なによ? 変な顔して」


 感心するように見ている美弥の横で、雄一は恥ずかしそうに顔をそらしていた。

 その様子をいぶかしげに見ていた葉子だったが、自分がスカートだったことを思い出し、顔を赤らめながらあわててスカートの裾を両手で押さえようとしてバランスを崩しそうになった。

 ふわりと飛び上がっ美弥が静かに葉子の隣に立つと、わたわたと手を動かしてバランスを必死に取ろうとする葉子の腰を支えた。


「おっとと、大丈夫かえ」


 青い顔をしていた葉子は、こくこくとうなずきながら美弥の体にしがみついた。

 それから、葉子を抱えたままふわりと降りるが、着地は重力を感じさせないほど静かなものだった。


「こ、こわかったぁぁ」


「おーよしよし、今度からはズボンをはいてからやるとよいぞ」


 涙目の葉子が地面にへたり込みながら、雄一をにらみつけた。


「ねえ、雄一、見てないよね?」


「み、みてないよ……」


 雄一は露骨に目を会わせるのを避け、葉子の顔が見る見るうちに赤く染まっていった。


「ばかぁっ!!」


 少女の叫び声が森の中に響き渡った。

  

 

 次の日も森に到着すると、雄一は木登りに挑戦していた。


「お、のぼれたわね。やるじゃない、雄一」


 丈夫そうなデニム生地のGパンを履いた葉子の視線の先には、木の枝に立つ雄一の姿がうつっていた。


「できた、できたよ!!」


「じゃあ、わたしものぼるから、ちょっと待ってて」


 葉子も隣の手ごろな枝に手をかけて、雄一と同じ高さまで上って行った。


「いい景色なんだけど、他の木がじゃまで村のほうまでは見えないか」


 二人は自分の慎重ひとつぶんだけ高くなった景色を眺めていた。


「二人ともおめでとうさん」


 そんな二人の足元にいつのまにか美弥が姿を現していた。美弥の神出鬼没ぶりに慣れてきたのか、二人は特に驚くこともなかった。


「ねえ、もっと高い木ってない? できれば村の方まで見渡せるようなのがいいんだけど」


「そうかそうか、もっと高いところに挑戦したいか。それなら、ばあちゃんのとっておきの場所に案内しようかのう」


 美弥の後に続いて、二人は神社に通じる参道を歩き始めた。


「神社の方に行くの?」


「いんや、もう少し奥じゃ」


 境内に到着するが、美弥はさらに本殿の裏の道に入っていった。そこは、それまで進んでいた道と違い、下草をかき分けながら進む獣道となっていた。

 外界から隔絶されたように静かな森の中で、自分たちの立てる音だけが響いていた。


「あの稲荷神社の後ろってこうなってたんだね」


「村人もあまり来ない場所でのう、来たってことは内緒じゃよ」


 人の手が入らず、木々がその生命力を見せ付けるように伸びている森の中では、木々で作られた天井が日の光をさえぎり昼にもかかわらず薄暗かった。

 見通しの悪い中を、木の根でできた段差や地面のくぼみをひょいひょいと軽い足取りで歩く美弥は、ときおり振り向いては遅れてやってくる二人を待っていた。

 やがて、木々が途切れ丈の低い草の生えた開けた場所にたどり着いた。


「……おっきぃ」


 二人は疲れも忘れて、目の前にそびえる一本の大樹に目を見開いていた。

 その太さは、二人が手をつないでも届かないほどのものであった。

 上を見上げると、天を突きぬけ、四方に伸びた枝が空を覆い隠していた。


「こいつはのう、森の中でも一番の古株のじじいじゃ。かれこれ300年は育ち続けておるかのう」


 美弥はほっそりした白い手で茶色くゴツゴツした樹皮を優しげになで、「すこし肩をかりるぞ」と、まるで友人に語りかけるような気安い口調でつぶやいた。


「どうじゃ、おぬしら、こいつで木登りしてみるか?」


 二人は大樹の存在感に圧倒され、首をふるふると横に振った。


「おぬしの父の雄大もここにつれて来たときは無理だといって半べそになってのう。じゃが、上るのを手伝ってやって上についた途端、目をキラキラさせながら辺りの景色に見惚れておったよ」


「父さんが……、ねえ、ボクものぼってみたい」


「しょうがないわね。わたしも付き合うわ」


 先に雄一が自分よりも何倍も太い幹の前に立った。しかし、どこに手をかけて上ればよいかも分からず、幹の周りをぐるりと歩き始めた。


「あっ、ここからならのぼれるんじゃない?」


「ほんとだ、ここからならいけそうだね」


 雄一は葉子が指差す先のくぼみに足をかけ、勢いをつけて体全体をのばしながら手をついた。

 雄一の手にはごつごつしているがひんやりとした木肌の触感が伝わり、木の肌には年齢を感じさせるようにところどころ苔が生えていた。


 姿勢を維持したまま次の取っ掛かりをさがすと、上の方に瘤ができているのを見つけた。ジャンプすれば届くかという距離であったが、雄一は迷うことなく足の筋肉をたわめて飛びついた。

 指の先が瘤に引っかかり、ぶらんぶらんと体が揺れるのを下にいた葉子が心配そうに見上げていた。


「ほれ、手をのばしんさい」


 いつのまにか雄一の上の枝に立つ美弥が手を差し出していた。

 雄一が残った手を伸ばしてにぎると、思いのほか強い力で一気に引き上げられた。

 それから、美弥に引っ張られたり押し上げられたりしながら、二人は高く高く上っていった。

 

 やがて、大樹の冠に到達したのは夕陽が沈み始めるころであった。

 

「……よいしょっと、あぁ、やっとついたぁ」

 

 荒い息をつきながら枝に座る二人の視界には、周囲の風景が飛び込んできた。

 

「お疲れ様、どうじゃ、びっくりしたか」

 

「……うん」

 

 二人は、始めてみる光景に心奪われたようにうなずくことしかできなかった。

 夕陽に照らされ、燃えるような赤に染められた山々の連なりが目に入り、眼下には米粒ほどになった人間がゆっくりと動いていた。

  

「あそこがばあちゃん家かな?」

 

 点在する家の中から見慣れた赤い屋根を見つけ、雄一が指差し、それから二人は自分たちが遊んだ場所を楽しそうに指差していった。

 

「冬のよく晴れた日なら、富士山も見えるのじゃよ」

 

「へぇ、どこどこ?」

 

 葉子が目をこらすが、美弥が指差す先には薄闇に染まる紫色の空しか見えなかった。

 

「見えないか~、そっかぁ……。富士山が見えるなら、もしかしてうちも見えるかとおもったけど、まあいっか」

 

 葉子は遠い目をしながら夕闇に沈み行く景色を眺めていた。

 

「さて、そろそろ暗くなるし、降りるとするかのう」

 

「えっ……、ここ降りるの……」

 

 二人ははるか下の地面を見下ろし、クラリとめまいを感じた。

 

「ここまでがんばったからのう。帰りはばあちゃんにまかせんしゃい。よいと言うまで目をつぶっておれよ」

 

 二人はわけのわからないまま目をつぶると、一瞬の浮遊感の後、足に地面の感触が戻ってきた。

 

「もう目を開けてもよいぞ」

 

 目を開けるとそこは既に参道の入口だった。

 

「え? えぇっ!? なんでなんで!」

 

「ほれほれ、はよう帰って夕飯の支度をせんといけんからのう」

 

 戸惑う二人の先をさっさと歩き出した美弥を追って二人も小走りでかけていった。

 

 

 ご飯を食べ終えると、二人は縁側に座って星明りの下で聞こえてくる虫の合唱を聞いていた。


「ねえ、あんた地図帳もってたよね。ちょっと貸してくれない?」


「いいよ、ちょっとまってて」


 雄一から渡された地図帳を、葉子は畳の上に広げた。


「えーと、わたしたちの住んでたところがこっちで、今いるのが……ここか。結構はなれてるのね」


 地図帳を指でなぞる葉子の表情は、楽しげなものではなかった。


「ねえ、長野県の場所ってわかる?」


「え、うん、ここだよね」


 唐突なクイズに戸惑いながらも雄一は日本の中心付近を指差した。


「そう、そこ。んで、松本市ってわかる?」


「うーん、わからないや」


「ここよ、ここ。覚えておいてね」


「どうして?」


「どうしても」


 念をおしてくる葉子の物言いに疑問を感じながらも、雄一は日本アルプスに囲まれた土地を記憶に刻んだ。自分にとってこの田舎が大切な場所であるのと同じように、彼女にとって意味のある土地なのだろうと。


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