1. 出発
かびくさい小学校の図書室の利用者は少なく、放課後ともなるとたいていの子供は家に帰るか校庭で遊んでいるものが大多数であった。
それでも、読書好きな子供が小説を借りていくこともあるため、司書係を教師が交代で務めていた。
貸し出しカウンターに座る教師は仕事をしながらも、ときおりチラリとこの部屋にいる唯一の生徒に目を向けた。
さわいだりするなど問題行動を起こしているわけではなかったが、少年の読んでいるものが変わっていた。
少年が読んでいるものは子供向けの読み物などではなく、開架書から持ち出してきた日本地図であった。
高学年ぐらいの線の細そうな少年は、フルカラーで印刷された地方の地形をジッとにらみつけていた。
さらにページをめくっていき、より詳細な地形がのっているページへと進んでいた。
やがて、部屋の中には西日が刺し始め、部屋の中を赤く染めていた。
下校をつげるチャイムがなったが、少年が気づく様子もなかったので、教師は声をかけることにした。
少年はいつの間にか時間がたっていたことに気がついたように、慌てて地図帳を借りる手続きを済ませ、ランドセルを置いたままにしていた自分の教室に向かった。
少年が図書室と同様に赤く染まった教室に入ると、もう一人の女子生徒が残っていることに気がついた。
「ん? なんだ、だれのかと思ったら、あんたのだったのね」
ポツンと残る黒いランドセルを指差すと、少女はまた興味を失ったように外の夕焼けをジッと見つめた。
夕陽に照らされた少女の整った顔が赤く染まり、夕暮れ時の涼やかな風が肩口まで伸ばした黒髪をサラサラと流すのを見ながら、少年にとって苦手な部類に入る女子に恐る恐る話しかけた。
「えっと、戌井さんは帰らないの? 先生に怒られるよ」
「そうね……、帰るか」
少女はため息をつきながら、赤いランドセルを背負うがその視線は教室の出口ではなく、少年がランドセルにしまおうとしている地図帳に向いていた。
「ねえ、なんで地図帳なんて持ってるの?」
「えっと……、図書室で借りてきたから」
「もしかして、どっか行きたいところがあるの?」
「それは……」
「なによ、教えてくれてもいいじゃない」
少女が普段から、思ったことをすぐに口にして知りたいことがあるとしつこく食い下がってくることを知っていた少年は素直に話したほうが早く解放されると思い、誰にも話すはずではなかった秘密を口にした。
「……家出しようと思って」
「家出!! ねぇ、それほんと?」
「うん、あの家にはボクなんて必要ないから、だから、迷惑かけないうちに出て行こうとおもって」
「へぇ、そっかそっか~」
少年にとってあまり親しくない相手に自らの心情を吐き出すという行為は恥ずかしいものであったが、少女は特に気にした様子もなかった。それどころか、むしろ興味をもちぐいと身を乗り出した。
「ねぇ、それ、わたしも連れて行って」
「え? でも、まだ予定とかも全然決めてないし」
「そんなもん、電車に乗ってから調べればいいじゃない。わたし、スマホもってるし、乗り換え案内とかすぐに調べてあげるよ」
少女は最新機種の真新しいスマホをポケットから取り出し、得意げに見せ付けた。
「でも……、本当に戌井さんも家出したいの?」
少年にとって考えに考え抜いた結論としての家出であり、興味本位でついてこれらるのは、自らの決意を邪魔されるように感じていた。
「もちろん!! パパもママもわたしの言うことなんて何もきいてくれないんだから、家出してやるのよ!!」
少女はためていた不満を噴出させるように眉間にシワを寄せた。
「それじゃあ、明日、学校に行ったフリをして、そのまま駅に向かうよ」
少年は少女の勢いに押されるままにうなずき、同行を許した。
次の日、少年がいつもどおりの時間にランドセルを背負いながら家をでたが、向かう先は学校ではなかった。
駅構内のコインロッカーの前に向かうと、既に少女が待っていた。
少女の肩にはランドセルではなく、大ぶりのスポーツバッグが背負われていた。
「来たわね。ほら、早くランドセルしまって」
少年も昨日のうちに入れておいた着替え一式の詰まったバッグを、コインロッカーから取り出した。そして、ランドセルの中に唯一いれていた地図帳を取り出すと、コインロッカーの中にランドセルを放り込んだ。
「さあ、行くわよ。とりあえず、東京までいってそこから新幹線にのればいいのよね」
ずんずんと進む少女の顔は興奮気味で、対照的に後から小走りになった追いかける少年の表情は暗かった。