94 噂の立つところに、ほっかぶり ③
ぱんだ亭に駆け込む男がいた。
――慌てふためくこの男は、酪農家のロニ。
常連客らには馴染みのある顔である。
しかしその顔は――この世の終わりでも見てきたかのごとく蒼白。
『大変だ! 大変だ!』と喚き散らし、ドタバタと店の奥へ一目散。
その勢いのまま、この痩せ型の男はそこにできていた人の集まりに割って入るのだった。
「ヨーコさんっ、あっマサさんも、聞いてくださいよっ。大変なんですよ!」
大きな声と大きな動作。
周囲の者達の注意を引こうとする酪農家ロニに、飲み仲間マサが相手を買って出る。
「なんつーか……今まさに、こっちも大変なんだけどな。おチビの蛙が喋ったりとよお」
「いいや、マサさんっ。そんなとこよりも、大変なんですって! 大事件なんですって!」
酪農家ロニが主張を強める。
――どうやら、余程のことらしい。
飲み仲間マサを始め、店主ヨーコら周りの者達に少しばかりの緊張が走る。
そうしたなか、”そんなことより”扱いされた喋る蛙は蛙のほうで、抜き差しならぬ緊迫の状況であろうか。
――青い髪の女をにらんだままの、膠着状態が続く。
なにぶん、青い髪の女――巫女サクラが、不意に舞い込む男の話題に耳を傾ける以外の動きを見せないのだから仕方がない。
――それから、『どこから話せば』と始まった常連客の話にしても……。
王都の親戚からケーキをもらった話に、この街プジョーニでは滅多に口にできないその珍しい菓子を、この店の店主にプレゼンドしようとしていた話――と、さして騒ぎ立てて驚くようなものでもない話。
蛙にとって、理解しにくい……人族の慌てぶりだったろうか。
「ココアもケーキ食べたいー」
「ケーキなら、王都のミルキー通りにあるベコちゃんのがおすすめだよ~」
幼女の欲望と、巫女のアドバイス。
そのあとに、中年の男が抱く疑問を口にする。
「んで、肝心のケーキはどうした?」
マサが見る限り、ロニは手ぶら。
店主ヨーコから見てもそれは同じ。
「ああ、あれかい? ロニくんの話は、アタイへのそれを落としたとか、どっかのバカに取り上げられた、とかってことなんだろうさね」
ヨーコが笑い話のようにして微笑む。
やや張り詰めていた周りの雰囲気がなごやかになった。
――だがしかし。
首を横に振るロニは、顔を青白くさせたままである。
「違うんです。確かに、ヨーコさんにプレゼントしたかったケーキはありません。とても残念です。でも、その話をしたい訳じゃないんです……」
「じゃあよ、オチはなんなんだよ。もったいぶってねえで、早く言えよ」
飲み仲間の急かしに、ロニがごくりと喉を鳴らす。
「なぜ僕が、大切なケーキを持っていないかと言えば……ここへ来る途中、街の角で偶然ウルクとぶつかってしまったからです」
「ああーな。あの野郎の腹いせで、ケーキをぐちゃぐちゃにされたってことか。て、それっぽいこと、さっきヨーコちゃんが言ってなかったか?」
「そうなんですが、逆なんです……」
「「逆?」」
マサとヨーコが首をひねる。
「僕がぶつかった勢いで、ケーキをダメにしたんです。しかも、ウルクにぐちゃっと。それはもう、べっとり、鎧の胸あたりに」
ロニは、声を震わせながら言う。
その恐怖が伝染するのか。
周りの雰囲気が、再び重苦しいものへと移り変わる。
「お前……よく無事だったな」
マサの言葉に、ロニは目を潤ませた。
「ですよねっ。ですよね!? 本当に僕、無事で良かったです。奇跡ですよ。こうしてここにいるのが信じられないくらい、絶体絶命だったんですから、本当に」
「だな。あの野郎に、”ごめんなさい”は通用しねーし。殴られて骨折するくらいならまだしも、下手したらバッサリ斬られていてもおかしかねーからよ」
「ですよね、ですよねっ。三日前もウルクがらみで、”あれ”があったばかりですし」
「ああ、”タチマチ斬殺”な。よそから来てた連中のようで……まあ、気の毒だが、声をかけた相手が悪かったとかしか言いようがねーよな……」
『タチマチ斬殺』。
そう呼ばれるようになった悲劇は、数日前の白昼の出来事であったろうか。
自由気ままに闊歩する戦士。
頭から爪先まで、黒のような紫のような色合いのローブですっぽり全身を覆う3、4人の集団。
この者達が接触することでそれは起きた。
――まずはローブの集団が戦士に話しかけたようだ。
すると、どうだ。
つかの間、戦士は腰の武器を抜き、たちまちローブの集団を襲った。
話す相手を頭から切り伏せる。
突然のことに狼狽える相手も一刀両断。
逃げる相手すらその背中をザックリ。
絶命したローブの集団。転がる肉片。
戦士は不敵に、そして得意げに笑う。
――目撃者の証言①
『プジョーニでは見ない出で立ちでしたから、道でも尋ねているのだろうと。でもその相手が悪いですよ……。僕にもう少し勇気があれば、警告して彼らを救えたかもと思いました』
――目撃者の証言②
『確かにオレだって、なんだコイツら? って怪しむような格好だったけどさ。人って見た目で判断しちゃ駄目っしょ。けど、それをこのオレがあのウルクに言えるワケないっしょ。そうでしょ、自衛団さん』
――目撃者の証言③
『ほんに痛ましい事件じゃった。最近の若者はほんに乱暴者じゃて。それより、ワシの朝飯はまだかのお……』
このような証言からも、ウルクことアレクが関わったことは疑いようもない事実であった。
「知り合いの自衛団から聞いたんですが、事情を聞きに行ったら行ったで、ウルクから――”悪人面だったので、俺が成敗しておいた。感謝しろ”。それだけ言われてお終いだったそうです」
ロニは続けて、『マサさんも気をつけてくださいよ』と声をかけた。
「そうだな。人相の悪い俺も用心しねーとな……じゃねーよ。てか、フードを被った相手すら悪人面呼ばわりする野郎だからな、んなの関係なかったんだろ。どうせ、虫のいどころが悪かったとかだろーよ」
「ウルク、殺した相手から、指輪とか金目の物を奪っていったらしいですよ」
「そういうとこは抜け目ねーな、あいつ……」
うんざりといった様子であったが、感心するような言い草でもあった。
「それで、マサさん。話を戻しますけれど」
「ん? お前の話はまだ続くのか?」
「もちろんですよっ。大変なのはここからの話なんですからっ。本当の本当に一大事なんですよ!」
再び煽るような物言い。
周囲の注意を引けば、ロニは語る。
おそらくは、飲み仲間はむろん、店主ヨーコ、さらにはちょうど厨房から顔を出したエリを愕然とさせ、恐怖に陥れることになるだろう、それを……。
※「ベコちゃん」とは。
モー娘の愛称でも親しまれる擬人化した牛っ娘人形がトレードマークのお店。




