08 ガンスでざんす ②
「ああ、”ウルク”かい。元々あいつのことを揶揄してウルフアレクって呼んでいたのが、混ざって一緒になっちまったっていう仕様もない理由さね。ウルフってのは、”あのオオカミ”の別の呼び名だとさ」
「へえ~、ウルフアレクかあ……。狼のアレク……。ああっ、あの牙みたいな歯があるからですね!」
「残念、ハズれだね」
「じゃあ、アレクが『わおーん』って吠えるから」
「あいつが吠えるなら、そんな可愛らしいもんじゃないだろうさね」
「ええっとお……うう、降参です」
エリは閉じる瞼の裏で、幼い頃絵本で読んだ誰もが知る伝説上の動物と、プジョーニで伝説級の逸話を持つアレクとを比べてみる。
だが、牙のような歯以上の類似点を見つけられない。
「なんでも東の果てで暮らす人達の間じゃ、この辺りで語られる”大いなる神”の化身『狼』と違って、『狼』は意地汚ならしい伝説の動物として語り継がれているらしくてね。そこじゃ、ウルフは強欲な奴なんかを皮肉る意味の言葉になるらしい」
「へえ、そんなんだあ……」
「プジョーニで誰が言い始めたのか知れないけど、守銭奴のアレクにゃお似合いだろうって事であっという間に広まったさね」
「守銭奴でウルクかあ。なるほどお、ぴったしのあだ名ですね。アレクってばお金の執着がすんごいですもんね」
「ま、ウルクを気に入っている様子の当人は、”こっちの勇猛な狼”の意味で自分を称えるものだと思い違いしているみたいだね。うふふ、誰に吹き込まれたか、可愛いもんさね」
「そんなウルクなアレクって、やっぱり今日も来たりするんでしょうね……」
カウンターからぱんだ亭の出入り口を眺めるエリ。
エリは当分先だろうまだもらってもいない自分の給金目当で店へ訪れるアレクと、ほぼ毎日のように顔を合わせていた。
「商売人のアタイからすりゃ、守銭奴で何も悪いことはないんだけどさ、アレクのは変人だけあって、おかしなガメツサがあるもんだから、ちょいとばかし困りもんだねえ」
話しながらにヨーコは酒樽から葡萄酒を取っ手のつく木樽のコップへ注ぐ。
「ちょっとじゃないですよう。でも、アレクがお金にこだわるのって、お母さんのためなんですよね。うう、奴隷をかじった私には複雑な気持ちです」
にゅっと尖る唇。
エリは道徳的観点もぜひこだわって欲しいと願ってから、その口元を話し相手へ向けた。
守銭奴アレクがルネに執着する理由……。
アレク本人の口から聞いたわけではないが、エリは街の噂で聞く。
「エリー、それは”貴族に買われた奴隷の母親を高額のルネで取り戻す話”だね」
「はい。私と違って魔法誓約した奴隷のお母さんは、誓約書に従わないといけないから大変ですよね」
魔法誓約書さえなければ――と、想像上のアレクの母親を想い少しばかり心を切なくしたエリが口にするこの『魔法誓約』は、ウイザードが魔法を行使するために行う誓約とは異なる。
――しかし、何もエリが誤用しているわけではない。
魔力によって拘束力を持せた誓約並びに誓約書は、一般に広く魔法誓約と呼ばれていた。
奴隷の場合、奴隷を売る奴隷商と買い手である客が取り交わす内容に、奴隷が従い魔法誓約するのが通例で、誓約を違えた報いとしては魔法効果による奴隷の死などもある。
一度買われた奴隷がこの魔法誓約から逃れるには、誓約相手の所持する誓約書に準じた誓約破棄の条項に則ることでしか方法がなく、エリの話にあったアレクの母親を例にとれば、高額のルネの支払いが誓約破棄には必要のようであった。
「実際、そうなら大変だろうさ。噂じゃ貴族様は街一つ買えるくらいの金額を、アレクにふっかけたってことになってるからね」
「ふええっ!? 街ですか、街っていくらするんですか!?」
驚くエリの先で、葡萄酒を煽るヨーコがクスクスと笑う。
「ねえ、エリー。自分の母親が奴隷にしちゃ、アレクは奴隷商に無頓着じゃなかったかい?」
「はっ、言われてみればそうですね。……もしかして、奴隷のお母さんの話って嘘なんですか?」
「さあ、どうだろうね。ウルフアレクには”城を買う話”やら”教会へ寄付している話”やら、もっともらしいものから胡散臭いものまで、沢山あるからねえ」
ヨーコの言葉に、エリの心の中は呆れによる感心で満たされていった。
「そういやあ、ルネを食ってるとかの話もあったね。アレクのあの馬鹿強さと頑丈さは、そこから来てるんだとさ」
「はい、はいっ。私、なんかその話が本当っぽい気がしますっ。アレク、ルネを食べないと生きていけないから、いつもお金お金言うんですよ、きっと」
カウンターの中で、ぴょんぴょんと跳ね挙手をするエリが、”ルネを食ってる話”に一票を投じた――まさに、その時である。
アーチ状の扉が乱暴に開き、酒飲み達で賑わう店内が普段と異なるざわつきを見せれば、空気が一変、静けさに包まれた。
――ぱんだ亭に招かれざる客。
エリよりも先に不穏な気配を感じ取っていた店主ヨーコの目は、数名の軽武装をした男達を捉えていた。
戦闘を考慮した動き易い身なりに籠手を装備し、各々ショートソードなどの武器を所持する。
旅の冒険者も訪れるぱんだ亭では珍しくもない客層であるが、来店した男達は武器を抜き、見せびらかすようにして刃物を光らすと、有無も言わさずテーブルに座る客らを立ち退かせ、店の中央にて陣取った。
「おう、悪いが今日はもう店じまいだ。客はささっとケえーんなっ」
男達の一人、髭面の男が威圧するようにして声を張り上げる。
「ヨーコさんヤメときなって。さっき連れの仲間に自衛団を呼んで来るように行かせたから。ね。怪我しちゃ、元も子もないから」
「アタイは大丈夫さね。ちょいとっ。どこのどちら様か知らないけどさ、店主の断りもなく勝手に店じまいだなんて、どういう了見さねっ」
常連客からの忠告を後ろに、客の合間からつかつかと現れたヨーコが気丈な態度で言えば、相対するブショウ髭を生やす男がテーブルへガンっと武器を突き立てた。
そんな荒くれ者の威嚇に怯むこともなく、ヨーコが今一歩前へと踏み込み。
睨み合う両者。ピリピリとした空気。
そこへ、騒ぎを起こす男達とは異色をなす風体の男が、間を取り持つようにして歩み出てくる。
男の髪は毛先がきっちりと切り揃えられており、その口元にはにゅるんとした口髭。
そんな細身の男は、折り目がピシパシと入るテカテカと光沢を帯びた紫色の着衣に袖を通す。
上下を同じ生地で仕立てた、最近王都ルネスブルグで流行っている『スーツ』と呼ばれるやや風変わりなそれで着飾っていた。
「そうですよ。そこの女店主が言うように、わざわざ店を閉じる必要もないざんす。女店主。心配しなくともワタクシ達の要件に手間は取らせないざんすから、安心するざんす」
「はん、どいつもこいつも舐め腐った態度だねえ。あんたが、こいつらの親玉かい」
「親玉とは、見た目の割にお下品な物言いをする女ざんすね。ワタクシはガンス。『ウーシーカンパニー』で代表を務めている社長ざんす」
「あらそうかい、育ちが良くて悪うございましたね。で、そのウーシーなんちゃらのザンス社長様は、アタイの店で何をなさるんだい。こっちとら忙しいんだっ、ちゃちな嫌がらせにつき合うほど暇じゃないんだよっ」
ヨーコの怒号に口髭を摘むガンスは涼しい顔で応え、その視線はヨーコを飛び越え、店の奥――給仕の娘へと注がれていた。
「ザンスではなくガンスざんす。こちらとしても片田舎の女店主相手にのんびりとお付き合いするつもりはないざんす。弊社は奴隷商。目的はもちろん手の甲に我が社の焼印を持つ娘ざんす」
ニカリと笑うガンスに、ヨーコ、そしてヨーコを助けようと武器代わりの掃除用具を持っていたエリの顔が険しくなるのであった……。