07 ガンスでざんす ①
※
世界を創造した神アマンテラス。
彼の神が太陽の昇り沈む一日に意味を与え、一定の周期からなる暦を創ったとされる。
その暦で四百年ほど前、大陸では人間と魔族による大規模な争いがあった。
大陸各地には長い年月が経った今でも、戦争の残り火である石造りの城壁後や見張り塔などが点在している。
人間と魔族、双方の命を多く散らした苛烈な戦いが終戦となる頃、人間の王ルネスブルグは生き残った人々を集い国を再建した。
これを紀元とし、創世神アマンテラスが創りたもうた暦とは別の、大陸では人の歴史を刻む王暦が生まれる。
――そして現在、王暦三八七年。
大陸西側が程よい暖かさに恵まれるネコの月。
エリがヨーコの店ぱんだ亭で働き始めて一週間が経ち、二度目の『水の日』が巡って来た今夜も酒場は盛況であった。
「お待たせしました。ご注文のイノブタの鉄板焼きと葡萄酒のおかわりです」
顎先をくすぐる長さのあった赤味の髪を後ろで縛るエリ。
注文された品をテーブルにことり置きお辞儀をする。
そのあとは、すかさず若草色の上衣とスカートが一続きなったフリルのつくエプロンドレスの裾を翻して、店主ヨーコが待つカウンターへ舞い戻る。
厨房を兼ねるカウンターでは、料理皿に添え物をする店主ヨーコとカウンター席の男性が話す。
「しかしヨーコさん。ウルクも珍しくいい仕事したねえ。新しい子エリちゃんだっけ。よく働くようだし、愛嬌もあっていいし、いい娘を連れて来たじゃないか」
「確かにいい娘だよ。よく動いてくれているね。ついでによく皿も割るさね」
「えへへ、すみません」
店の常連客とヨーコの間に、バツの悪そうなエリの声が加わる。
「戻ったかい。じゃあエリー。次はこの料理をあっちのテーブルへお願い」
「わかりましたのです」
元気な返事とともに、料理は運ばれて行く。
酒飲み達からの注文が一段落したぱんだ亭に、細い目を丸くする店主がいた。
カウンターの中で壁を背に一息つくヨーコを、エリがきょとんとさせていたのである。
「エリー、いきなり何が『ありがとうございます』なんだい?」
「あの、改まってお話ししようとしたら、恥ずかしくなってくる私なんですけれど。やっぱりヨーコさんにはお礼を言いたくて――」
エリは照れ臭そうに俯いた後、上げた顔で抱く気持ちを口にしていった。
みなしごで教会からの施しを頼りに、住まう土地を移り変え暮らしてきたエリである。
アレクが奴隷商の荷馬車を横転させたあの日、仮に他の捕まっていた娘達と一緒に逃げおおせていられたとしても、ふるさとと呼べる場所を持たないエリは宛てなく彷徨うことしかできなかったであろう。
エリはアレクと出遭ってしまったことは不運であるが、このぱんだ亭へ連れて来られたことは、本当に幸運だったと感じていた。
店主のヨーコは身寄りも何もないエリを、これ以上ない待遇で迎え入れてくれた。
手狭でも、酒場の屋根裏部屋を貸し与えられたので宿の心配がない。
さらには、店の残り物で作った料理ではあるが食事も出る。
そして何より、ぱんだ亭の店主ヨーコを始めプジョーニの街では奴隷へ対しての偏見を抱く人が少なく思えた。
自身が右手に焼き印を持つ以前から、大陸各地で奴隷の扱いを見て聞いて知っていたエリの見聞からすれば、ここプジョーニは焼き印の娘にとって優しい街だ。
ヨーコのもとで働くようになってからの日々には自由と充実があった。
だから、エリはヨーコへの感謝を”ありがとう”の言葉にしてどうしても伝えたかったのだろう。
「エリーがここを気に入ってくれてたんなら、それはそれで構わないって話だけさ。しっかり働いてくれているんだ。礼ならアタイが言わないといけないくらいだろうよ」
「お皿、よく割りますけれどね」
「あんまりドカドカ割るようだったら、給金から差し引くさね」
言葉には嫌味のない笑みが添えられる。
ヨーコの優しさと一緒になって微笑むエリは、形はどうあれ自分を奴隷商から助け、ぱんだ亭で働けるようにしてくれたことへのお礼は言うべきだろうかと、アレクのことを考えていた。
エリは酒場で働く傍ら、戦士アレクの噂を沢山耳にした。
そのどれもが眉をひそめるような内容のもので、アレクがプジョーニの街でもっとも悪名高い有名人だと知る。
しかし、アレクと付き合いのある店主ヨーコは『馬鹿と包丁は使いようさね』と言い、モンスター討伐のたとえを挙げたりと、アレクを心底毛嫌いするような様子をエリに見せない。
そして、横暴で迷惑千万で、けれどもその戦士としての強さは買われているアレクを、街の人達は時に『ウルク』と呼ぶ。
「あっ、ヨーコさん、そういえばなんですけれど。いいですか」
「なんだい。お客で気になる男でもいたかい?」
「あはは、気にはなってましたね。でもでも、全然そういうのじゃなくてですね。さっきの常連さんみたいに、アレクのこと”ウルク”って言う人がいますよね。なんでのかなあ……って、です」