68 手招きドラゴン ⑦
やはり、広範囲の灼熱の大火炎放射だったと、エリは実感する。
自分の足元を除けば、地肌を焦がす地面が大部分なのだから。
それから、少し先のほうに……だった。
――熱を帯びて変色した地面に、炭のように真っ黒の塊があった。
人の形は留めていない、団子のように丸まった黒き塊。
よって、エリはこちらも実感しただろう。
アレクの”無事”を。
「アレクっ」
おそらく中身は屈む、黒いマントに覆われた物体。
エリが見守る中、もぞもぞと動く。
すると、バーンと弾けるようにして、包み込まれていたアレクが姿を現す。
「くあぱっ。いきなり火を吹くとは。この俺がビビってしまうほどの、なんとも恐ろしい奥の手を隠していようとは……な」
「あはは――、良かった。どうして大丈夫だったんだろうと思ったりするけど、アレクだしね」
エリは弾む声をココアに聞かせた。
ココアの疲れた顔も明るい。
そんな二人を視界に入れたらしいアレクが、バッと制するように片方の手を突き出した。
「いや、待て。気のせいだった。俺はビビってなんぞいなかった。マントに包まればどうにかなるだろうと直感していた俺は、あえてヤツに奥の手を出させてやったのだ」
自分へ向く正面のエリとココアに気づき、言い訳がましいことを述べ出すアレクであったが。
――羽織るマントを頼った、その判断は間違いなく正しかった。
盾など持たないアレクなら、すがるのはマントくらいしかない。
ゆえに、ドラゴンのブレスを反射的にそれを使い防ごうとした。
これが、功を奏した。
もっとも、通常のマントでは上手くもいかない対応策であった。
さらには、通常の火炎でも同じことが言えるだろう。
――黒きマントは、魔法具である。
魔法付加された装備品は、クリスタ自衛団との戦いにおいて『拘束の鎖』を無力化した。
その仕様は、”魔力に反応し、その性質を打ち消す”特別なマントだ。
なかなかどうして、優れた性能を持つ。
鉱物を介さない魔法具である希少性も加味すれば、現存する伝説級の魔法具の新たな品として加えても遜色ないのではと思えるものであった。
このようなマントで、アレクは全身を覆い隠した。
首を引っ込めしゃがみ込み、吹き荒れるブレスを凌ぐ――がしかし。
――それを可能にしたのは、”魔力の火炎”だったからこそ。
また、”魔力の火炎”はマントの効力を存分に発揮できたそれでもあった。
魔術式を必要としない魔族の魔法攻撃――その現象は、灼熱を浴びせようとも魔力そのものに近い。
マント自体の対応できる許容を上回れば別だろうが、無雑な魔力であればあるほどに、その相性は良い。
そのことを踏まえると、手招きドラゴンとの戦いの万が一を、あたかも想定していたかのような装備品となる。
ただし、持ち主たれど、羽織るマントの有効性をほぼほぼ知らないアレクなのだ。
直感として防衛本能を働かせた。この言い分に尽きる。
「な!? マントはなんともないが、服がボロボロになっているではないかっ」
アレクの上着の袖は、焼け焦げていた。
片足ずつ上げて確認したズボンの裾も。
当人には分からない部分では、頭髪もやや焦げており、頬も少しばかり火傷を追っている。
どうやら、まったくの無傷とはいかなかったようだ。
「そればかりか、無駄に暑い」
ダラダラと頭から汗が流れ始める。
岩肌を焼いたドラゴンのブレスは、鉱山洞窟内に息苦さを感じさせる熱さを残す。
「おい、クサコ。俺に水を持って……」
正面を見据えるアレクは気づけただろうか。
向き合うも、先ほどとは微妙に離れている位置に。
息を殺しながら、少しずつ少しずつ後ろへ、そ~っと移動するエリとココアに。
そして、エリが伝えようとするものに気づけただろうか。
向こうでは、『上へ、上へ』とばかりの指差し。
「なんだ? アイツは何をそんなにアワアワと――」
アレクが顎を上げる。
ぬう、と真上を見れば、そこには本来、天井を開ける洞窟からの空が見えるはずであったが。
――鮮黄色の影があった。
三本の爪を持つ手のひらであり前足の裏であるそれ。
「なぬ!?」
手招きドラゴンもまた、息を殺すようにして動いていた。
そして、手招きで用いた手を、今度は叩き潰すのに用いるようだ。
アレクの頭上へ、大きな前足が遠慮なく振り下ろされた。
――ぷちり。
「きゃあああああ、アレクがああああっ」
「アレク、ぺったんこー」
両手で口を抑えてしまうほど、驚愕したエリ。
見たものそのままを口にするのはココア。
そうして、しばしののち。
ズズズと地面から浮き上がるドラゴンの足裏から、ギリリと奥歯を噛みしめる口を見せたのはアレクである。
「ふごごごごおおおお――」
押し付けてくるドラゴンの足裏を、頭と両腕で受け止め押し上げる。
アレクの怪力のほうが上回るのだろう。
徐々に、徐々に押し返されてゆくドラゴンの前足。
「なかなかっ。なかなかやってくれるではないかっ。この不意打ちドラゴンめがっ」
ダラダラと流れていた汗が、今は血の色になって流れている。
そのような怪我などにも構うことなく、アレクはさらに力を全身に込めた。
「ふんぬううううっと、待て!? 目に血が入った。なにやら目にシミてきたでは――」
――ぷちり。
「きゃあああああ、また下敷きになっちゃったよおおおおっ」
「アレク、もう1回ぺったんこー」
鉱山洞窟内では、三人で行動する人影が見られた――。
誰もに知られるその者達は、勇者アーサー、武闘家ノブナガ、魔法士ラティスである。
「なあ、アーサー。別にこんな朝早くから出向く必要もなかたんじゃあねえのか?」
ノブナガが、筋肉質の太い腕と肩を竦めてみせる。
もちろん、おまけで不満の顔がついた。
「少しでも早く手招きドラゴンのクエストを終わらせることが出来たなら、それだけ被害が減るんじゃないかい?」
「いや、そういう理由から、太陽の日の朝イチで行動を起こす――ってのは承知している。てか、そう決めたのは俺だからな」
「そうだね。ノブナガが決めて、僕とラティも反対しなかった。うん、だったら何も問題ないよね?」
「別に問題提議してる訳じゃなくてよ。俺が言いてえのは、にしても早すぎるってことだ。ロイヤールも思ったろ? ”まさかこんな時間から出発するなんて本気かよ!? 冗談だよな!?” ってよお」
ノブナガは、後ろを行く黒髪黒きドレスの少女に訴えてみる。
「私は寝起きも悪いノブナガとは違いますから。一緒にしないでくださいな」
「おお、そうかよ。確かにお前は、風呂入りに行っただけだからな。人気者のつれーところだが、俺はあれやこれや頼まれ事が多くてだなあ、遅くまで大変だった訳よ」
皮肉めく台詞を吐いてみせれば、ノブナガはおすまし顔のラティスからアーサーへ身体を向け直す。
すると、微笑ましい顔を向けられた。
「教会の教えにもあるからね。”早起きはみんなが寝静まる頃こっそり”ってね」
金色の髪をさらりと流し、にこり。
始終、アーサーは爽やかに振る舞う。
朝から――とは到底思えない夜空のもとでもそれは変わらず、純白のマントを軽やかに揺らしながら、ここまでやって来た。
「おや、あちらに案内が出ているようですわ」
ラティスが声に出すまでもなかっただろうか。
目立つ場所に設置された案内板は、ほかの二人からも容易に気づいてもらえたようだ。
――『←運搬車両専用通路(左):(右)旧第一採掘場・現ドラゴン狩場→』
「この感じじゃ……朝イチで行動開始じゃなく、朝イチでドラゴンと対峙することになりそうだな……」
ギルドでは『危険域』と認定する六つ星ドラゴン。
その相手との戦いを前にして、ノブナガは睡眠時間を惜しむらしい。
しかしそれは、”軽んじる”とは絶対に違う”余裕”から生まれる気持ちだろう。
そして、実力と自信からなるそれは、同行するアーサーやラティスからも当然うかがえた。
三人の素性を知らぬ者が見れば、ピクニック気分の一行と思えるほどだ。
そのような足取りで、勇者一行は手招きドラゴンがすでに降り立つ右の通路へと歩を進めてゆくのだった。
大陸辞典:「ひょっこりクローバー」
1つの柄に数枚の小葉をつける緑色植物。
繊細な植物であり、採取後はすぐに枯れたり、ちょっとした天候の悪さでも萎びてしまう。
隠す小葉を時折、ひょっこり見せるその葉は最大で七つ葉。
すべての葉を見せるクローバーを見た者には、幸運が訪れると言われている。
ただし、六つ葉だった場合は不幸が訪れる。
六つ葉の不幸は、かの英雄王ルネスブルグの死因にも挙げられる。




