61 手招きドラゴン ①
天井からこぼれる柔らかい陽射し――。
寝ぼけ眼が、白む空の薄い明るさを知る。
喧騒と怒号の嵐――。
耳をつんざく音は、意識の目覚めを急かす。
上体を起こすエリが望む光景は、まさに戦場であった。
それは苛烈で雄々しく、弾け飛ぶような力と力の衝突。
――人間とドラゴンの戦い。
鮮黄色の鱗は、生半可な攻撃では傷一つ負わない。
大地をしっかりと掴まえる四肢には、岩をも切り裂くような鋭い爪。
まるで大木を振り回しているかのような重みある尻尾。
肉厚の胴回りから、しゅるりと細くなって伸びる首。
そして、人を見下げる猛々しい頭。
巨大なトカゲとの形容でなんら問題はない。
けれども直接対峙する者ならば、そのような極めて安易な発想はしない。
――ドラゴンとはドラゴン以外の何者でもない。
これを身をもって知ってしまうからだ。
「くそったれ。このままじゃラチが明かねえっ」
激しい集団戦にあって、大剣ドラゴンキラーで斬り掛かる冒険者が吠える。
戦闘当初、『花粉弾』の罠でドラゴンの視覚と聴覚を奪うことに成功した冒険者達は、有利に戦闘を進めた。
闇雲なドラゴンからの攻撃や反撃に後れを取る者もなく、深手とはいかないまでも確実にダメージを与えた。
さらには斬り込むパーティと並行して、第二弾、第三弾と罠を発動させるパーティの力添えもあり一方的とも思える展開――、そうした手応えはあった。
――だが。
ドラゴンの強靭な生命力と獣とは違うその判断力に、戦況は覆される。
想定内のことではあるものの、ダメージを与え続けようと衰える兆しもないままに、視覚と聴覚が戻る。
その後も、度重なる罠で翻弄するドラゴンではあったがしかし。
――己に斬り込む者達ではなく、罠を巧みに使う者達を標的にした。
ドラゴンの認識としては厄介者。その排除が優先されたのだろう。
戦闘陣形の前衛を越えて後方へ――文字通りとも言いたくなる、突飛な突撃飛翔をドラゴンは見舞う。
これによって、戦況を把握しつつ斬り込む前衛集団をサポートしていた者達が痛手を負う。
負傷者数だけならば大したものではない。
それでも冒険者達は、総体的攻撃力と統括的戦闘力の減退を強いられた。
「熟練の俺達と一進一退の攻防ってか。ダテに”六つ星”の魔族じゃないって言いたげだな、おい」
誰かがドラゴンに、吐き捨てるようにして投げかけた。
今の戦況で一進一退と言い放つのなら、それは強がりに等しい。
――旗色が悪いのは、冒険者達のほうであろう。
人の集団の力は減少傾向にあり、ドラゴン個体の力はさほど変わりもない。
今回の戦いの行く末は、もうすでに各々見えている頃合いなのではないだろうか。
経験豊富な冒険者の集まりなら尚のこと……。
そして。
嫌というほど実感している最中のようだ。
――”六つ星”のドラゴンの脅威を。
手招きドラゴンの首筋には、”六つ”の魔象痕がある。
斑紋の多さは、魔族たる者が持つ力の大きさ。
魔族を統べる魔王と呼ばれる者には、”十”の数があるとされる。
その魔王と並べれば、手招きドラゴンの六つ星は見劣りする数だ。
しかし、冒険者ギルドの認識では十分な『危険域』のそれであった。
・0~2:【通常域】一般的なモンスター級の脅威。
・3~5:【対処域】注意と用心が必要な脅威。
・6~8:【危険域】可能なら積極的に避けるべき脅威。
・その他:【絶望域】魔王級の脅威なので、潔く諦めましょう。
魔象痕の数がその魔族のすべてというわけではないにしろ、脅威度を測るものとして指南されている。
「やむを得ない……か」
どこからか、ぼそり漏らされた嘆き。
今この狩場にいる者達の大半が抱くだろう心情……。
――ドラゴンとの戦いは冒険者側が劣勢。そしてこのままだと敗北となる。
諦める感情の伝染に、言葉はいらない。
誰かの号令があったわけでもなく、示し合わせたかように戦闘形態に変化が訪れた。
先ほどまでの戦場の熱ある騒がしさがやや冷ややかなものになる。
冒険者達が続々とこの場から退く気構えを見せた。
あとは、この事態を想定し決めていた合図を待つだけ。
――ピピーッ。ピピーッ。
何度も鳴らされた甲高い笛の音。
「撤退いいい。撤退だあああっ。狩場からの離脱を始めろおおお」
ドラゴンの注意を引く者、負傷者を担ぎ後退する者。
再び、わっと喧騒と怒号が膨れ上がる。
――荒々しくも連携の取れた撤退劇。
そこから垣間見るのは、冒険者を名乗る者の練度の高さなのだが……。
――ドタバタと撤退する人並みから外れた岩陰にて。
冒険者でもなんでもないただの給仕を見るには、突拍子もない光景に驚く姿だろうか。
とくに寝起き直後なら、然もあらん。
「え? え?」
エリは困惑を払拭するように、あっちを見回し、こっちを見回し。
どうやら周囲の状況を把握することに努めるようだ。
自分の目の前を忙しく走り過ぎる人達。
時折聞こえる『早く、逃げろ』の声。
ここから離れたところに、黄色くて大きな生き物。
こうして順次物事を捉えていった――最後だった。
エリは取り乱すことになる。
なぜなら。
「ド、ドラゴンさんのまん前に、ココアちゃん!? ココアちゃんがいるよおお!? きゃああああ、ココアちゃんが食べられちゃうううう」
悲鳴とともにパニックに陥る。
払拭しようとした困惑が、より強烈なものになってエリを襲うのであった。




