06 ぱんだ亭・店主ヨーコ ②
「ふむ、よかろう。心して聞け。そして、後悔しろ」
すう、と息を吸うアレクの大きな口が開く。
「俺は山で疲れていた。そこに都合よく馬車が通った。街まで乗せろと言った。髭面共から断られた。ムカついたからぶっ飛ばした」
「はあ……まったく……」
「どうだっ。俺は全然悪くない。悪いのは、俺を馬車に乗せることをケチった髭面共だ。さあ、”アタイが間違っていたわ。ごめんさいアレク”と俺に謝れ」
「それを世間じゃ腹いせって言うんだよっ。馬鹿」
「おいこら。馬鹿とはなんだ馬鹿とはっ。俺は謝れと言ったんだぞ。お前のほうが馬鹿者だろっ」
「そうさね。ほんと聞いたアタイのほうが馬鹿だったよ」
「うむ。認めたな……。ならば、今回は大目に見てやろう」
「大体、奴隷商相手じゃなくても裸の野郎なんて乗車拒否されて当然だろうさ。……それはそれとして。そもそもあんた、真っ昼間の山道で何してたんだい? 小銭拾いでもしてたのかい」
「俺が落ちている金なんぞ拾うか。俺の強さを見込んだジジイ会の白髪ジジイが、『日暮れグマ』退治を依頼してきたのだ」
「……一応教えておいてやるけど、爺さんの会じゃなくて自治会だからね。けどま、あんたが山にいた理由は分かったさね」
報酬のあるモンスター退治だけは好んで請け負うアレク。
その性格をよく知るヨーコは、街のプジョーニ自治会が定期的に発注している危険モンスターの討伐依頼へと思い至ったようだ。
「ま、それでも裸だった理由なんてのは見当もつかないけどね」
「簡単なことだ。俺が裸だったのは、俺が一流のモンスターハンターだからだ」
「そんな自信たっぷりな態度をされても、こっちは両手で天井を仰ぐしかないよ」
「ぬふふ。普段エラそうにしているが、ヨーコもしょせんはメシ係のヨーコに過ぎぬか」
得意げなアレクの笑みに、ヨーコはうんざりといった顔を示すのみ。
「いいか。獣っぽいモンスターとは人の匂いに敏感なのだ。それをふと思い出した俺は、都合よくあった山の泉で体臭を洗い流す妙案を思いついた」
「へえ、珍しくありがたい行動をしてくれたもんだね。あんた臭い時があるから助かるよ」
「ふん。お前の香水臭さもどうにかしろ」
「それで」
「うむ。それでだ。……何がだ?」
「体を洗う目的も場所もわかった。それでその後、どうして服を着なかったんだい」
「ほうほう、教えてほしいか。ならば教えてやろう。ヨーコよ。俺は服を着なかったのではない。着れなかったのだ! なぜなら、ニンジャ猿どもが俺の脱ぎ捨てていた服を持ち去ったからだ」
「アタイに何か言葉をかける気使いは期待しないでおくれよ。……つまり、服を持ち去ったニンジャ猿達を追いかけ回していたら、ばったり山道の馬車に出くわしたってとこなんだろうね」
「うむ。概ねそうだ。さすが俺のメシ係のヨーコだな。クサコと違って物わかりがいい」
「はあ……言いたいことは山ほどあるけど、まあいいさね。じゃあ、アレクあんた、これからまたモンスター退治に行くんだね」
「いいや、俺は山へは戻らんぞ」
「ちょっと、自治会の会長さんの依頼はどうすんだい。モンスター退治はあんたの唯一の取り柄だろうにさ」
ヨーコがカウンターテーブルに手をつき身を乗り出し言い寄る。
「ふむ。確かにモンスターを狩れるのは俺のような強者だけの特権だな。しかし俺が強すぎたようだ。俺に恐れをなした日暮れグマのヤツは、とうとう姿を現さなかった」
「何言ってるんだい、そいつはさっきの話なんだろ。なら、そりゃそうだろうさ。なんたって日暮れグマなんだから。討伐依頼書にも特性は載ってるはずだろうに……さては読んでないねあんた」
先程から酒場にて名を挙げられている日暮れグマは、山林で生息し人を襲うモンスターである。
四肢があり人型に近い容姿だが、全身は毛むくじゃら。
人間の大人よりもはるかに大きく、巨躯から繰り出されるクマ爪攻撃は、薄い鉄板ならなんなく裂いてしまう破壊力を持つ。
熟練のモンスターハンターでも倒すのに一苦労する凶悪なモンスター、日暮れグマ。
山道を往来する者にとって恐怖の対象でしかない。
しかしながら、日暮れグマは夜行性であるがゆえ日中は穴蔵に篭もる。
このことから山を知る者の間では、”日が暮れた”山道を行かぬことが鉄則であり、アレクが日暮れグマを見つけれなかったのは、ひとえにこのモンスターの特性に尽きた。
「日暮れグマだからどうしたのだ。日暮れグマなんぞ俺は楽勝で倒せるぞ。しょせんは図体がデカいだけの獣だ。現れさえすれば、報酬の一万ルネを……ぬんがっ、そういうことだったかっ」
アレクがピタリと止まり、ハッとする。
「危ない危なかったぞ。またヨーコから騙されるところであった。俺はモンスターなんぞの話をしに、ここへ来たわけではないのだ。コイツだ、クサコをさっさと受け取れっ」
「あんたの方こそ人聞きの悪いこと言うなさね。アタイがいつあんたを騙そうとした――ちょいと、アレクっ!」
ヨーコが語尾を強めた。
アレクがビクと身を震わせる。
「お、おいこら。急に大声を出すんじゃない。ビックリするだろう」
「いいからっ、お嬢ちゃんを早く離してやんなっ。ぐったりしてるじゃないかいっ」
ヨーコがカウンターから飛び出す。
それから大慌てで、襟首を掴まれぷらんと吊されたエリをアレクの太い腕からもぎ取った。
先刻から随分と大人しかった少女がぷくぷく泡を吹いている。
どうやら今回は、首襟の掴まれどころが悪かったらしい。
「うぷぷぷ、シスター、お花畑がとても綺麗だよ……」
「ほら、ほら、お嬢ちゃんしっかりしな」
「よしよし、クサコを受け取ったな。ならばヨーコよ、俺に渡す物があるだろう」
「……あんたに渡す物。なんのことだい?」
咳き込む娘を腕の中で抱えるヨーコ。その視線が、聞き返した相手から後ろの魔晶石板へ移る。
広く薄い版の大半は転移文字による新聞などの掲示で占められていたが、アレクがビシッと指差すのは一点のみ。
「若い女を連れて来た者には、五千ルネを渡すと書いてある」
「そういうところはしっかり見てんだね……。アタイはてっきり、この子の扱いに困って頼って来てくれたもんだとばかり思ってたさね」
「クサコごときで、俺が困ることなんぞ何もない……いや待て、違った。ヨーコの言うように俺は困っていた。ルネなしクサコに俺は困らされた。ふむ。……てやっ」
「あいたっ」
卵のようなつるりとした額が、しなる指先でビシっと弾かれた。
覚醒したエリは、助けを求めるようにしてヨーコの細い体へ腕を回し身を寄せる。
「さあ、ヨーコ。俺に五千ルネを渡せ、遠慮なく渡せ。今すぐ渡せ」
「はん。紹介料は店に溜まってるあんたのツケでチャラだよ。言っとくけど、帳消しだと割に合わないくらい、あんたはアタイの店で飲み食いしてんだからね。五千ルネじゃ、食べれても十品程度なんだしさ」
ヨーコの耳に返事は聞こえず。
代わりにどすん、どすんと重たい踏み込みで床板を軋ませ鳴らす音が届く。
「ちょいと何すんだいっ」
「ひやっ。何々!? あのあの、よよよよヨーコさあああんっ」
ヨーコから無理やり引っぺがされたエリがアレクの肩に担がれる。
「金を払わんのなら、クサコは山へ帰す」
「帰すも何も、その子は山で暮らしていたわけじゃないだろっ」
「ならば、捨ててくる」
真摯で実直な眼であった。
アレクの肩の上でバタつく手足がそれを物語る。
酒場では大きな嘆息が一つ吐かれ、店主によりぱんだ亭の金銭箱から五千ルネが引き出された。
「おい、クサコ。お前はとっとと金を稼いで、助けられた謝礼を俺に払えよ」
ご満悦顔のアレクがぱんだ亭から去って行く。
捨て台詞とともに投げ捨てられるようにして放られていたエリは、腰を落とす床板の上でただただ不条理な男の背中を見送るだけだった。
そんなエリにヨーコが寄り添う。
店主の手には、先っちょにボロ布がついた長い棒。
「とりあえず、床掃除からお願いしようかね」
モンスター辞典:「女王様とお呼びなサイ」
サイ種族の上位モンスター。
ブタ種族のモンスター「ブタれ隊」を率いて人を襲う。