48 ひと時の邂逅 ②
「そうなの、やっぱりそうなの!? アレクはアレックスさんでラティさんのお兄ちゃんなの!? ねえ、ねえ そうなの!?」
やいのやいの。
興奮気味のエリがアレクとラティスの間に入り話に身を乗り出す。
「ねえ、ねえ、そうなの――ではないっ。そんなわけあるかっ」
「でもでも、さっきラティさん、アレックスお兄様って」
「コイツはっ、そこのコイツは俺を兄なんぞというわけのわからんものに勝手の勝手に仕立て上げ、しつこくつきまとって来る、ただの超絶気持ち悪いキモキモ魔法女だっ」
「今のお兄様は……記憶を失ってしまっていらっしゃいます。ですからそのように感じてしまうのです」
物哀しげにラティスが言う。
アレクと名乗る兄アレックスに、もう幾度となく伝えたこと。
「記憶を失って……はっ、そういえばアレクって……」
エリは思い出す。
”アレクには昔の記憶がないらしい噂”は、ぱんだ亭で耳にした覚えがある。
「残念なことではありますけれども、行方知らずを経て私が再会した頃にはもう……」
「……本当だったんだあ、あの噂」
「おい、クサコ。なにをお前は平然とキモキモ魔法女の戯言につき合っているのだ。お前は俺と一緒にコイツを変人扱いする側だろうがっ」
「じゃあ、はい、はい! 質問です」
ピーンと腕を真上に伸ばし、エリがピョンピョンと跳ねる。
「アレクは昔のこと話せますか。昨日のご飯のこととかじゃないよ。ずうーとずっと前の子供の時とかかだよ?」
「愚問も甚だしいぞっ。馬鹿者クサコめが。俺は過去を振り返らないすこぶる前向きな男だというのを知らんのか!」
「ああっ、誤魔化したー」
エリは返答に納得できず詰め寄る。
しなるアレクの指先。
短い呻きのあとには、オデコをすりすりする結果が待っていた。
そこに、黒き乙女ことラティスが加わる。
「……今は諦めます」
鈴を転がすような声音はどこか切なくもあったものの――。
「けれども、私が勇者一行として魔王討伐を志すのは、すべてはお兄様の為。魔王に奪われたアレックスお兄様の記憶を取り戻す為」
凛とした表情は強い意志を伝えるには十分だった。
「だから……その時になれば、お兄様もあの頃のようにきっと、ラティ、ラティと愛しく呼んでくださるようになります。ラティの頭を撫で撫でしてくださることでしょう。抱っこをせがむラティをお兄様は優しく抱擁します。そればかりか、ラティを大好きで仕方がないお兄様は添い寝を―――」
「だあああ、ヤめろっ、気持ち悪いことをあれこれとほざくなっ。身体にブツブツが浮き出てくるだろうがっ」
「安心してくださいお兄様。何人たりとも例え神だろうとも、兄妹の絆を別つ事など叶いません。確かに試練にも似た困難な境遇ではあります……けれども、困難であればあるほど、それを乗り越えた時、ラティとお兄様の愛の強さと深さを証明できるのですから。そのように思えば――」
「ぐぎごおおお、痒いブツブツがあああっ」
数歩退くアレクは、首筋や腹を掻きむしる仕草を見せた。
「キモキモ魔法女はっ、早く俺の前から消えろっ。さもなくば、さもなくばっ」
くわっと見開かれた眼。
「俺はお前にクサコを投げつけて、お前にクサクサを伝染す! いいのかっ。これからは鼻をつままれる女として生きてゆくことになるぞっ」
「なんで私を投げつけるの――じゃなくて、クサクサになんてはならないからっ。もともと私クサクサじゃないからっ。はっ、待って待って、違う違う。そもそもクサクサって何なの!? 私そんなんじゃないですから、女の子はみんないい香りしかしないんだからっ」
乙女の矜持からか。
反発具合が普段よりもいささか大きい。
「ラティさん、私絶対に違いますから……」
エリはこの場に関わるもう一人の人物、ラティスにも念を押すように。
そして、そのラティスが……アレクを眺めているようでどこか見ていない。
「ラティは大丈夫です。今は冷たくあしらわれようとも、お兄様との未来を信じているだけで幾らでも我慢できます。その我慢さえもまた、ラティには幸せな仕打ちです。なので、もっと冷たくあしらってくださってもラティは、ラティは、それはそれで……ああ……」
湯上がりとはまた違う紅潮。
「もしかして……ちょっぴり変な人なのかも」
傍らでしんなり悶えるラティスの様子に、エリはやんわり思うところがあったようだ。
感んじたままの呟きをぼそりと漏らしたあとは、気を取り直し大きく口を開ける。
「ラティさんっ」
やや強めの呼び掛けに、ラティス切れ長の目が珍しくまん丸くなった。
それから、はっきりとした意識が宿る視線がエリに応えた。
「失礼しました。つい予期として、今後展開される事をシミュレートしていたもので……。おほん。魔法士の癖といえばそうなのでしょうね。頭の中でビジョンとして構築。それから物事に対応、対処する。どうやら私はそういった傾向が強いようです」
――さて。
唸りを上げ、自分との距離を置こうする兄。
どうにか兄妹の間を取り持とうする新しい友人。
仕切り直すような気構えのラティスには、このような状況と言えよう。
ゆえに。
「それはそれと致しまして。これ以上、私が居てはご迷惑に為りかねませんわね。名残惜しくはありますけれども、お暇させていただきますわ」
「サクサクと消えろっ。パっと消えろっ。一生消えていろっ」
「もう。なんだか、すみません、ラティさん。あはは……」
「アレックスお兄様……今はアレクさんでしたわね」
「ふんっ」
アレクは相手を吹き飛ばさんばかりの荒い鼻息で返す。
「エリさんも、おかげさまで素敵なひと時を過ごせましたわ」
「そんな、こ、こちらこそでございますです」
「ふふ。少し嫉妬してしまう気持ちもありますけれども……」
「嫉妬? ですか……」
こてりと小首を傾げるエリ。
「お気になさらずに。それでは、皆様ごきげんよう」
上品な雰囲気を纏い、黒き乙女魔法士ラティス・ロイヤールは優雅にこの場を後にする。
去り行く後ろ姿に、うっとりしながらエリは手を振り見送った。
「ごきげんよう……だって。なんだかいいなあ~。美人さんだしすんごく羨ましい私ですうぎゃいんっ」
唐突に仰け反るエリ。
オデコへの衝撃が原因だった。
「ふんっ。お前のおかげでとんでもなく不快な思いをしたぞ」
指技”デコぴん”を放ち終えたアレクがズンズン歩き出す。
そんなアレクにエリは思う。
――『兄妹だからかなあ……目元が似ているような気がしなくもないような……』
しかしながら、間違っても口には出さない。出してしまうわけにはいかない。
額が今もヒリヒリしているのだから。
「それに、アレクとラティさん、どっちの言い分を信じるかなんて比べるまでないけど……」
頭では理解できていても、”アレク”しか知らないエリとしては、どうしても信じ難い。
率直に拒否反応がある。
なので、こう結論づけた。
「アレクはアレクだし、アレクでいいや」
「おい、クサコ。いつまでそこでボーとしているつもりだ。あのキモキモ魔法女が出現したらどうするつもりだっ」
少し先からの大きな呼び声。
『はーい。今行きます!』――エリは返事をして駆け出すつもりだった。
だが、そうはならない。
この瞬間になって、ようやくその違和感を知ったのだ。
「うそ……うそ、うそ、うそおおお!? た、大変だよっ 大変、アレクうううっ」
「ええいっ、なんなんだ、お前はっ。わーわー騒ぐ暇があるならさっさと」
「ココアちゃんがっ、ココアちゃんがいないのっ」
エリは周りをキョロキョロ見渡す。
しかし幼き少女の姿はどこにも見当たらない。
施設を出た時には一緒だった。なのにいつの間にか……。
月明かりがあるものの、暗い夜に変わりがない。
その中で子供を探すとなれば、難しいものがある。そればかりか最悪――。
「早く、どうにかしないと……」
モンスター辞典:「どんぐりモグラ」
どんぐりのような丸っこさをした体長15cm~20cmくらいの生き物。
壁にいくつもの穴を堀り暮らすどんぐりモグラは、定期的に穴から顔を出してはブーブーと鳴く習性を持つ。
また動きは俊敏で、外敵が近づくとすぐに穴の奥へ引っ込み、再び別の穴から顔を出せばまたブーブーと鳴く。