45 湯けむり乙女 ②
脱衣所にて、下着姿のエリが片膝をつく。
「はい、ココアちゃんバンザーイ、して」
ココアに両手を挙げさせ、銀青色のワンピースをめくる。
「ぷはっ」
一気に身軽になったココアは、そこから先は自分でも問題ないようで。
次に、着込む肌着をポイ。
更に、下着をポイ、と脱ぎ捨てる。
――さすれば。
「ココアがいっちばーん」
ドタバタ、と浴場へ向かって駆け出すのであった。
湯けむり立ち込める浴場。
各々が広く大きい湯船は、温度も異なるものから色付き香りつきのものまでと、いくつかの種類があった。
そのどれもに、意匠を施す湯口から、ザーやドボドボといった音を立て温かい湯が放出されている。
そうして、ドラゴンをモチーフとした彫刻の湯口、そのドラゴンの視線の先となろうか。
――若い乙女らの裸体が並ぶ。
つるんとした表面の洗い場では、ちょんと鎮座して頭を泡立てるココアと、その後ろのエリ。そして、隣から言葉を交わしながらにラティスが体を洗っていた。
「”名物”でもあるドラゴンが居なくなると困る方々もいらっしゃるようで。クリスタ商工会からは、どなたでもよろしいので、ぜひこちらの大浴場をと、そういったお話が寄せられていたそうです」
「なるほどお~。それで、ラティさんがいらっしゃたんですね。『勇者様ご一行が利用する大浴場☆』の宣伝のためかあ……いろいろと大変なんですね……」
ココアの頭をワシャワシャしながらに、エリは大人の事情というものを聞かされた気がした。
「あえて申し上げるのなら、見知らぬ方々とご一緒に――、というのは不慣れでもありますし、ご遠慮したい面も感じていますわね……」
身体のところどころに残る泡を伸ばすようにして、白くきめ細かい肌を磨くラティス。
その様子を観察されていることに、本人も気づくのだろう。
遠巻きにとはいえ、名のある乙女ゆえに、他の客である乙女達のチラリチラリとした視線を集めてしまう。
「けれども、エリさんとご一緒できたのは幸運でしたわ。こうして楽しい湯浴みをできるのですから。うふふ」
ここでは着飾る物もないからだろう。
ラティスの微笑みを、普段よりも柔らかいな印象にした。
「私も私も、ラティさんとご一緒できて嬉しいです! ああ、でもでも、まさか再会できるなんて、しかもこんな場所だったので、びっくりはしちゃいましたけど、あはは」
「本当に、素敵に笑う方ですね。加えてどこかの巫女と違い、エリさんには私と同じような慎ましさもありますから。そういったところも私好みでしょうかしら」
相手の胸元へ贈るかのようにして、ラティスは再び微笑む。
すると、エリのほうはブンブンと手を振り『そんなことはないですよ~』とはにかむ。
「私ラティさんに比べたらまだ全然子供っぽいですし、小仕草とか言葉遣いとか、残念ながら、女性らしい慎ましさなんてこれっぽちもない私なのです。ふぬ~ん」
おそらくは、少女らしい程よい胸の膨らみを『慎み』としたラティス。
女性らしさの振る舞いの『慎み』として、実直に自分と向き合うエリ。
少なからず齟齬があるものの、初々しい会話は和気あいあいとしたものに思えた。
「そんなことはありませんことよ。私からすれば、エリさん自身は残念がられているその健康的なお体こそ、魅力的で羨ましい限りですのに」
「ええ~そうですか? 私は、白くて綺麗でスラリとしたラティさんを見るとため息しかでないんですけれど……はあ、なんでこうも違うんだろ……」
お互いが乙女を名乗るに相応しい、みずみずしい果実のような身体。
しかしながら、乙女だからこその”ないものねだり”というのものがあるのだろう。
「ありがとうございます。しかしながら、やはり丈夫な身体というのは女神の賜物と言われる程に大切なものです。エリさんも教会の教えをご存知のことでしょう」
「ご唱和の一節だと『健康ですかーっ。それがあればなんでもできます!』ですよね」
「それを私は身をもって叶えております。昔の私では到底考えられなかったことでしょう。アーサー様とともに冒険者として旅をしているなんて」
時を遡るようなラティスの眼差し……。
「……ラティさんって、元々は病弱なお人だったり?」
「今も弱々しい事には変わりないのですけれども、おっしゃるように。そうですわね……幼き頃の私はそれはもう、ひょっこりクローバーのように儚く、吹けば飛ぶような明日をも知れぬ程の弱々しい存在でしたでしょうか」
「うう、かなり悪かったんですね。私、余計なことを聞いちゃいましたね……」
「いえいえ、お気になさらずに。それどころか、あの頃は楽しき思い出ばかりだったりしますので。うふふ……」
病気とは縁遠いエリにも、病気がちの日々の辛さは想像に難くない。にもかかわらず、ラティスは嬉しそうに笑う。
その強さが彼女から感じる大人の女性らしさなのだろう――と、思い至る前に、
「楽しい思い出ですか? ……私がお世話になっていた教会だと、病気になった友達の娘がいつもよりお菓子をたくさんもらえてたのが羨ましかったかなあ……」
まずは思ったことを口走るようだ。
さらには、”風邪を引きたくて、夜中に冷たい井戸の水を浴びた”記憶を蘇らせ苦笑いをしたりもする。
そんなエリの気持ちをつゆとも知らず、ココアが頭の泡が洗い流される間、ぎゅう~と目をつむり息を止めた。
――じょばばばばば~。
桶の温かい湯が、泡だらけの銀髪にそそがれてゆく。
そして、それを見やるラティスとしては、子供時分だろうと菓子自体それほど魅惑的でもないのだが。
「確かに、お菓子も”楽しき思い出”の一つでしょうか」
ココアからエリへと視線を戻せば、ラティスは言う。
羨ましがられるような友達も周りにはいなかった彼女にとって、共感に値するものだったかはさておき、”楽しき思い出”には菓子にまつわる場面もあった。
もちろん名家ロイヤールの令嬢であったラティスのそれは、エリの記憶とは似ても似つかぬものであり、かつ重要な部分は菓子なのでもない。
――重要なのは、大切な人と過ごしたおやつの時間だったとういう事のほうなのだ。
「幸運な事に私には、とても優しい兄が一人おりまして――」
幼き頃に両親を失ったラティスら兄妹は、ロイヤール家の養子として招かれた。
そのような境遇でのおやつの時間。
そこには自分の菓子を分けてくれる兄がいつもいてくれた。
より多くの菓子を食べられることが嬉しかった訳ではない。
ラティスには、大好きな兄の優しさに触れられるその機会その時間がたまらなく幸せだった。
「4つ程離れる兄は、いつもラティ、ラティと呼んでは、それはそれは私を一番に気にかけてくださるお方でしたの。それはもう、例えようもない程に素敵な兄で……」
心の底からそう思うといった声音とともに、じょばば~とラティスは湯をかぶる。
みるみるうちに身体の泡が洗い流されてゆく。
艷やかな黒髪がよりしっとりと。
そこからのぞかせる顔には、うっとりした様子の笑みがあった。
そして、美しく濡れながらに乙女はこう話す。
「王都では妹を愛してやまない兄、その麗しき兄妹愛を結婚の契りを交わす男女の愛になぞらえて、『シス婚』”と呼ぶそうです。私のお兄様は、まさにシス婚の鏡といったところでしょうか。うふふ」
どうやら、自身の兄を自慢したいようだ。




