44 湯けむり乙女 ① ◆
ココアと手をつなぐエリ、それにアレクが目的の場所へ訪れていた。
木造りの外観を煌々と照らす魔晶ランプの明かり。
高い屋根に、奥行きがありそうな大きさ。
外壁には施設の意匠的な印がところどころに描かれていた。
そうして、ちらりほらりと通る人の流れとともに、少し見上げれば。
――『ようこそ! クリスタ大浴場へ☆』。
入場口と思しきアーチ状の看板に出くわす。
その下をくぐり建物の中へ。
すると、早々に入浴場へ向かう分かれ道が待つ。
ここでの役割をまっとうする案内人が、にこやかに左右へと促していた。
「じゃあ、アレクはあっちの『漢の湯』のほうだね。私とココアちゃんはこっちの『乙女の湯』だから」
そうエリは声をかけてみたものの、すでに相手はマントの背中を向けていた。
ずんずん。
アレクが物色するようにして通路を進む。
「ほうほう、なかなかに冒険のしがいがありそうな雰囲気だな」
楽しげな声は遠退いていった。
残されたエリとココアは反対の通路をゆく。
ここ最近建てられたことが分かる、”木造の新しい香り”。
こうした香りに鼻腔をくすぐられながら、湯を張る浴場まではこの施設の”売り文句”を眺めることができた。
――『なんと、浴場の広さは大陸最大級。クリスタ大浴場☆』
『ほえ~すごいね~』とエリがココアに感嘆を漏らす。
はたまた、魔晶石によって温めた水質には、様々な効果があるとのことで――神経痛、筋肉痛、凝り性、冷え性、健康増進、滋養強壮の文言が踊る。
その中でも、美容効果の文言に一際の関心を見せる利用者が多いようだ。
多感な時期のエリも例外ではないようで、目を皿のようにして詳しい効能を読んだ。
そんな乙女が、暖簾をくぐり踏み入れたる場所。
――浴場の待合室。
靴を脱ぐ場所との堺目辺りには、熟年の女性が係員を勤め、案内などの受付けをするカウンターがある。
その奥からはほのかな水の音と香り。そして、着替えを行う女性たちの姿が垣間見えた。
「すみません。今週は無料で利用できるって魔晶石の掲示板で読んだんですけれど」
「……ええ。オープン一周年の今だけの特別サービスだね」
素っ気なくもあったこの施設の係員からの返答であったが、”無料”の確認ができたエリは、よしっ、と拳を握り喜びをあらわにした。
エリはせかせかと履き物をぬぎぬぎ。
ココアもぬぎぬぎ。
それから、二人が靴置き場に向かおうとしたところで――。
「……お客のお嬢さん。念のために言いますけど、そちらの従者は浴場には入れませんので。入浴の際はお一人でお願いします……」
受付けから注意事項を受ける。
またそれは、どこぞの良家の令嬢とその使用人に対してのもののようで、熟年の係員の視線はココアに向けられていた。
ゆえに、銀髪の幼き少女はこてりと小首をかしげる。
くわえて、その様子を赤毛の同伴者にも向けた。
相手であるエリは苦々しい笑みを浮かべると、その手の甲にある焼印を逆の手で包み隠す。
「……あははは……はあ。ごめんね、ココアちゃん。どうも私がここを利用しちゃいけないみたい。一緒にお風呂はダメみたい……」
「なんで?」
ココアの率直な問い。
難しそうな顔を見せるだけのエリ。
そこに、係員が身を乗り出すようにして反応する。
「身体を洗わせたいのは分かりますが、奴隷は汚いですから浴場の立ち入り自体を禁止にしていますので、ご理解のほどをよろしくお願いします」
「へんなルール」
つまらない。
そうと分かるむくれた態度をココアが示した、と同時であったろうか。
――ふわりとした軽やかさとともに、黒き人影が現れていた。
黒の上品な装いの若い女。
おそらく誰もがよく知るだろう彼女は、勇者一行に名を連ねる、若き魔法士ラティス・ロイヤール。
「あらあら。そのようなお話でしたら、ここは私が聞いていたものと異なる場所のようですね……」
「これはこれは、ラティス様!」
意気も盛んになる係員の熟女が、慌てたようにして受付け台から飛び出す。
邪魔だとばかりにエリを押し退けるようなそのあとには、満面の笑みで相手を出迎えた。
「ようこそ、クリスタ大浴場へ。お越しいただき、誠にありがとうございます!」
「いえいえ。クリスタのご領主のご意向もあってのものですけれども、どなたでも利用できる大きな浴場と聞き及んでおりましたから、楽しみにして参りました」
「ラ、ラティス様、それは……」
ラティスの意図を汲み取ったのだろう。
口ごもる係員からは逡巡する素振りがうかがえた。
「……いえ、おっしゃるように、私どもはどなたがご利用されようともお客様だと思っております。ただ、そのお客様の中には奴隷を毛嫌いするお客様もいらっしゃいまして……もしも奴隷の病気が伝染ったらどうするのかと苦情を」
「貴方がおっしゃりたい事の察しはつきます」
相手の言葉を制するように、ラティスの片方の手が、すう、と上がる。
「でしたら、そうですわね……そもそも”奴隷の病気”というものが、私には理解できませんけれども、それならそれで、こちらの彼女は貴方が心配するようなものとは無縁と言えるでしょう」
ラティスは声も高らかに告げる。
そうしてその眼差しを、係員から自身のやり取りを見守る者へと向けた。
至って平然とした様子で、黒き魔法士は微笑む。
一方の若草色の給仕は、予想だにしない場所での突発的な再会に驚きを隠せないようだ。
よく分からぬままに――といった具合で、エリが『どうも』と会釈を返す。
「なぜなら、奴隷の印を持ってはいても魔法誓約書は交わしていない、奴隷生活未経験者だからです。つまり、彼女は奴隷処女の少女になるでしょうか。ですわよね、奴隷処女のエリさん」
「へ!? は、はい!? その……」
「あら? 教会でのお話からすると、エリさんは未経験だと思っていましたが。間違っていましたか?」
「間違っては……。あの、そうですけれど、ラティさんの言い方が、ちょっと……です」
エリは顔を真っ赤にして、ごもごも。
その反応にどこかご満悦な様子のラティスであったが。
「うふふ。ごめんなさい。では、冗談はここまでにして」
そう伝えれば、係員の女へと向き直る。
――凛とした態度。
くわえてそれは、たじろぐ係員の表情からも一目瞭然だったように、この場を凍てつかせるほどの威圧を持って行われた。
「私ラティス・ロイヤールは、友人の不遇にいたく不快感を募らせている。そのことは真摯に言わせていただきますわ」




