36 エリとココア
ぷかりと綿のような雲が浮かぶ晴れやかな空の下。
軽快に水しぶきを上げる噴水のある広場では、一見すれば、仕える使用人が屋敷の幼い令嬢に許しを請うている――さほど珍しくもない光景があった。
「本当にごめんね……」
「どうしてエリのお姉ちゃんはココアに謝るの? エリのお姉ちゃんのお陰で、美味しいご飯いっぱい食べられたよ」
「だってだって、私ってばココアちゃんみたいな子どもからお金借りたんだよ。しかも十万ルネの大金だよ。うう、情けないし、もう心は申し訳なさでいっぱいです……」
そばに石椅子があるのにもかかわらず、エリは石畳の上へ座り込みうなだれていた。
飲食街での騒ぎがアレクの逃亡により収束した後、事の発端となった酒場の店主から損害を含めた代金を請求されたエリ。
だからといって無一ルネの少女にはどうしようもなく、ただひたすらに頭を下げるしかなかった。
しかしながら、少女の頭が何十回と上下しようとも、店主を納得させることは叶わない。
分かってはいるが謝ることしかできないエリと、分かってはいるが幾らかの損害費用は支払って貰わないといけない店主。
求めるものが平行線を辿り、お互いが困り果てた。
そんな折、ルネ硬貨が詰まる巾着袋が銀髪の幼女から差し出されたのであった。
「エリのお姉ちゃん、申しわけなくなくないない。ぽんぽん」
ココアの小さな手のひらが、赤味の頭を優しくなでる。
「うう、ありがとう。すぐには無理だけど必ず返すからね。お姉ちゃん絶対ココアちゃんにお金返すからね。約束します」
「あーなんだ……。そっちはそっちで事情があるだろうから口出ししづらいが、別にエリの嬢ちゃんが肩代わりすることもないんじゃねーのか。ちっこい嬢ちゃんが立て替えた金は、あの野郎が払うのが筋ってもんだろ。嬢ちゃんも十分子供なんだしよ」
幾分声量が抑えられた野太い声による進言。
気づかってのものだというのは十分に伝わるのだが、エリの表情は天候とは真逆の曇リ顔。
「その……多分アレクからは無理かな、です」
「余計なお節介かも知れねえが、こうして嬢ちゃん達と会ったのもアマンテラスのご縁ってやつだ。俺があの野郎をガツンと」
「あっ、あっ。そこまでして頂けなくても、大丈夫ですっ。ただでさえノブナガさんには自衛団さんに口利きしてもらったりして迷惑を掛けたし、ノブナガさんがまたアレクに、えっと、ええと、とにかく大丈夫です、そう大丈夫ですっ。お気持ちだけありがたく頂きます。ココアちゃんのお金は私がなんとかします」
「お、おう。そこまで言うなら、これ以上は野暮だな。けど、さっき自衛団の邪魔が入ってうやむやになっちまった野郎とのケジメだけは、取らせてもらうつもりだからよ。そこんとこはよろしくな」
立ち上がるエリの傍らで、グローブをハメる拳同士がごつんとぶつけられた。
そしてそれをじー、と見つめる碧い瞳がある。
「ねえ、ムキムキおじさんは勇者の仲間なの?」
エリのスカートをきゅっと握りしめ、ココアが見上げながらにノブナガへ尋ねる。
「……やっぱ、そっちの嬢ちゃんからしたら、おじさんかあ……。ちとヘコむが、仕方ねえかあ」
「あはは、なんかすみません」
エリが一緒になって苦い笑いすると、ノブナガがその顔をきゅっと引き締め片膝をつく。
向き合うは銀髪の幼き少女。
「ああ、お嬢ちゃんが言うように、このノブナガのお兄さんは勇者を支える仲間の一人だ。アーサーよりは小さめだが、魔晶石板をよく見りゃ俺が写ってる絵があるぜ。もう少しだけ待ってろ。ここに居座ってるドラゴン野郎の件が片付いたら、俺達がぱぱっと魔王を倒してくっからよ……と、あれま」
「ココアちゃん、どうかした?」
ノブナガから顔を隠すように自分のスカートへ顔を埋めるココアにエリが問うも、ぺたっとくっつく幼き少女は『むう』とこもる声を発しただけであった。
「ええとお……度々なんかすみません。あはは」
「ま、子供の行動ってもんは突拍子もないものが多いからよ、気にはしねえさ」
『かっかっかっ』と豪快に笑って見せたノブナガは、ココアの銀髪に大きな手の平を乗せガシガシとなでた。
「んじゃよ、俺は行くが、明日ドラゴンを討伐しても何日かはこの街にいるはずだ。何か困ったことがありゃ遠慮なく訪ねてきな。ああそれと、嬢ちゃん達の馬車は街の入口にある馬車置き場に預けてある。暇を見て確かめておいてくれ」
「ああっ、ハナコとハナゾーっ。ありがとうございます! あと遅くなっちゃいましたけれど、モンスターから助けてくれてありがとうございます。いろいろとお世話になりました」
「結局、あの時のモンスターは取り逃がしちまったけどな」
そう言葉を残し、筋骨隆々とした武闘家の背中はお辞儀をするエリの前から遠ざかって行った。
「よし。ハナコとハナゾーの無事は聞けたし、気持ちを切り替えてココアちゃんのお家を探そうかな」
「ふわ……ココアのお家?」
「うん。大きな街だけど案内板もあるし、日が暮れる前までにはココアちゃんを帰せると思うよ」
やる気を見せるエリが、ココアの小さな手を取って繋ぐ。
「エリのお姉ちゃん、ココアのおウチ遠い……ずっとずっと向こう……」
エリがあくびをされながらに指を指された方を向けば、そこにあるのは山々を眼下に置く西の空であった。
「ううんとおー。場所がよくわからなかったけれど、ココアちゃんのお家って、クリスタの街の西側にあるってことなのかな?」
「ココアもよくわかんない。ココアは旅人なの。だから……それで、どらごーんのお話を聞いたからやってきて……お腹空いてバタンで……でも今はお腹いっぱいで、ふわあ……眠たくなっちゃったからバタンなの……」
「コ、ココアちゃん!?」
エリは、糸が切れた操り人形のようにくたっとなるココアを引き上げるようにして抱き寄せた。
よいしょと折る腰を伸ばし抱え直す胸の中では、目を閉じるココアがすぴーと寝息を立てている。
「すごい……完全にお眠だ」
小さく揺すられるココアに反応はない。
「うーん、どうしよう。てっきり街の子だと思ってたけれど、ココアちゃんって旅行者だったんだ……。ご家族の方も心配……上品な服装だし、もしかして貴族様のご令嬢さんだったり……お付きの人がいて……はっ、もしかしてあの時のモンスターに食べられちゃった!? ああん待って、待って。そんなことはないよきっと。多分はぐれちゃっただけで」
ぶつぶつ言いながら、エリは広場にあった魔晶石板の前まで足を運ぶ。
大きな平面の板に映し出される文字や絵。
そこからエリはお目当ての物を確認したようで、
「露店広場を真っ直ぐ行って突き当りを……右と。やっぱりここは教会だよね。うんうん」
頷きを最後に独り言を終えれば、てくてく歩き出した。