33 その男ノブナガにつき、よろしく。 ①
――『頼むから、外でやってくれ!』
店主の切なる願いが神に聞き届けられたのだろう。
店内の騒ぎがそのまま外の通りへ移ると、店の軒下で店主がほっとしたようにして息を漏らす。
店主が見守る先を辿ってみれば、野次馬を加え数を増した人だかりがあった。
見物人達の熱が一段と高いその輪の中心では、重厚な鎧を纏う男が持ち上げられていた。
挑んた相手から、バンザイ状態で持ち上げられているフルプレ男。
横になってジタバタするフルプレ男。
ガシャガシャと金属音を鳴らし抵抗するも空を仰ぐことしかできない……フルプレ男。
そうこうしている内に――正義心から、騒動を鎮めようとアレクと対峙したこの男の末路が迫る。
「ふんがあああっ」
牙を剥き出しにして吠えたアレク。
掲げていた相手を、頭上よりも更に高い宙へと舞い上がらせた。
怒声と歓声がわっと湧き上がってすぐだ。
落下してくる鎧の塊を避けようと人の群れがさっと動く。
すると路地が硬い地肌を見せるそこに、空を見上げる大きな人影が一つだけ残った。
――偉丈夫然とした佇まい。
風になびくハチマキの尾っぽ。
拳に丈夫そうな革のグローブをはめ、片方の手首に金属製の幅広い腕輪を身に着ける。
筋肉質の大男は袖のない上着を着こなす。
そんな武闘家を装う男が、成り行きのままに降り掛かる物体をガシと受け止めた。
重量感ある落下物を平然と支えた丸太のごとき太い両腕では、フルプレ男がお伽話で見る王子に抱えられる姫よろしくすっぽりと納まっていた。
「男を抱きかかえる……なんてのは、勘弁したいクチなんだがよお」
「か、カンフーマスターノブナガっ!?」
青年としては憚られ壮年としては若い大柄な男の軽口に、フルプレ男がうわずった声で反応した。
『おう』とだけ短く発し、”カンフーマスター”ノブナガはフルプレ男を地面へと置いた。
そして、称号を冠に呼ばれた名は、辺りのどよめきを一気に広げていった。
名高い者を目の当たりにしたそれである。
しかしながら当人は周囲からの反応を大して気にする風でもなく、ずい、と前へ歩み出る足は歩調もそのままアレクへと近づいてゆく。
足の運びは彼の歩幅で数歩とない距離を残したところで止まる。
気に掛けるべきは対面の男のみ、といったノブナガの眼差し。
それに釣られるようにして、周囲のそれも人だかりの真ん中を陣取るアレク一点へと集まった。
「着いて早々見つけられるとはな。俺はツイているぜ。ま、この通りにお前のような風体の野郎がいるってこたあ、聞き込みで知ったけどよー。喧嘩してる以外どういう状況かさっぱりだが、ここで会ったがなんとやらだ。てめえとのケジメ、きっちり取らせてもらうぜ」
ノブナガが、にっと広角の上がる顔で口上を述べた。
更には、ガツン、と分厚い胸の前にて両の拳をぶつけ合わせる――と、黒いマントがひらり翻る。
アレクが背を向けたのである。
くるりと反転したアレクが新たに見据えたところは、自身を囲む見物人達の輪。
そこには、両膝を地面へつけながらココアを後ろから抱くエリの姿があった。
「おいクサコ。今俺のところに、いかにも俺を探していたような口ぶりで筋肉ダルマが現れたのだが、お前のほうはあいつが誰だか知っているか?」
「誰って、ええ……」
眉をひそめアレクが尋ねれば、エリもまた眉をひそめた。
しかし同じ悩める顔であって、その意味合いはきっと異なるだろう。
「おい聞こえてんぞ、ボンクラっ。たく、とぼけやがってよお。先刻の話でもう俺の顔を忘れたとか言うつもりかっ。はんっ、いざお礼参りに来られたら、ビビったってクチかよ」
「忘れるも何もお前のような暑苦しい顔なんぞ、俺の記憶の片隅にすらないな。しかしながら、俺に喧嘩をふっかけようとしている愚か者の顔だということで、今だけは覚えてやらんこともない」
くるりと向き直りアレクが言う。
「嬢ちゃん達の手前、詫びの一つでもすんなり言ってくれりゃよお、考えなくもなかったが……とことんイラつく野郎だったな、てめえは。かっ、けどよ、それならそれで上等だ。気兼ねなくぶちのめせるってもんだからなっ」
ノブナガは野太い声を遠慮なく相手に浴びせた。
その最中だった。
対峙する男らの向こう側で、エリが顔の表情を明るくさせていた。
頭の上辺りで、明かりがパッと灯ったような感覚だったのだろう。
「そっかあ。アレクってば背中を蹴飛ばして走り去ったから、ノブナガさんの顔を見れてないんだよね、きっと。だから、本当に見覚えがないんだ……」
緊張感ある場にはややそぐわないエリの緩い声音。
それを耳にしたらしいアレクが三度目のくるり。
武闘家から給仕、給仕から武闘家、更に給仕へと、そこそこ忙しい男の顎には手が添えられていた。
無い髭が撫でられることしばし。
「アレか。クサコの俺が背中を蹴飛ばした話は、少し前の並木道で俺がなんとなく蹴り飛ばしたくなった奴を蹴飛ばした時の話か?」
「その言い方には素直にうなづけないけど、そうだよ。あちらのノブナガさんは私やココアちゃんの危ないところを助けようとしてくれた人だよ。それなのに……うう、いろいろとごめんなさい」
す、とエリの視線が動く。
ペコリとお辞儀。
その感謝と謝罪の先であるノブナガといえば腕を組む。
どうやら、律儀にもエリとアレクの話の終わりを待つようだ。
「そうか、そこの筋肉ダルマはあの時の奴だったのか……」
「そう言えば私、ノブナガさんって名前、どこかで聞いたような……」
「つまりこの筋肉ダルマがここにいるということは――ぬがっ」
「ふぎゃ」
「ココアも、ぬふんぎゃ」
アレクの突飛で大仰な『ぬがっ』に、エリがびくっと体を震わせた。
すると、その腕に捕まる幼女も真似て奇声を上げた。
一連の流れの大元であるアレクといえば、今度は青い顔でキョロキョロと周囲をうかがう――。




