32 幼女ココア ②
ハイっ、とばかりに華奢な腕が真っ直ぐに挙がる。
「あのお。それはつまり、もうどなたかがドラゴンさんを倒しちゃったってことでしょうか?」
表情も明るくエリが問うた。
ドラゴン討伐に嫌々連れてこられたただの給仕としては当然の反応だろうか。
エリにとって思わぬ吉報となって聞けたクエスト終了の話。
そしてそれは、ドラゴンの討伐が成されたことを意味する――。
「いいや、誰も手招きドラゴンを倒してはいないさ。あんな化物、オレ達じゃどうにもならない」
肩をすくめた男は、喋る相手を給仕服の娘に変えるようだ。
「けど、今この街には勇者御一行様が来ているとなりゃ、もう言うまでもないだろ」
「ええと……。勇者様がドラゴンさんを倒すから、もうクエストは終了したのも同然……そんな感じになるから、でしょうか?」
エリの確認は頷きを得る。
それからその向こうからは、同席する男らの、
――『おいおい、あんまり絡むなよ。可愛そうだろ』と
――『これだから冒険者は~って言われんぞ』の笑い混じりの声。
それもそのはず。酒をグビっと煽れば、男が立ち上がりおもむろに隣のテーブルへと歩み寄るのだから。
「そして、知っていると思うが、光属性の技を駆使する勇者アーサーは『太陽の日』との相性がいい。なら、討伐は明日が濃厚。つまり今日までにドラゴンを倒せなければ、あのクエストは勇者のモノってことだ」
話しながらに、浅黒の男がアレクの隣に並び立つ。
当然、椅子に座ったままのアレクを見下ろす格好ではあるが。
「ちなみに、今から鉱山に入っても夕方を過ぎる。その時間帯になると手招きドラゴンは洞窟の大穴から空に飛んでいっちまう。そのまま夜は月光浴をして朝に戻ってくる。そういう習性を持つ。どうだ、勉強になったろ? 冒険者くん」
「そうでもなかったぞ。役立つ話かと思い少しばかり聞いていたが、お前たちがドラゴンに手も足も出なかった話なんぞ、退屈でしかないな」
「おお? えらく反抗的だな。もう少し言いようってものがあるだろうによ? ドラゴンについて物知らずな初心者のあーだこーだを聞いてると、こっちが恥ずかしくなっちまってな。ついついレクチャーしたくなったんだよ、先輩冒険者のオレは」
「要は、勇者とかいう邪魔者より先にドラゴンを倒せばいいというわかりきったことを、よくわからん風に話しただけのややこしいヤツだな、お前は」
「まあそう強がるなよ、冒険者くん」
どん、とアレクの肩に男が手を置く。
分厚い手で相手の肩を抱くその行為は、座る相手に覆い被さる威圧的なものだった。
そして、アレクを差し置き、エリに『ひっ』っと息を呑ませ顔を引きつらせたそれでもあった。
「これでもオレは、心配してやってんだぜ。怪我せずに済むんだ。良かっただろ、なあ? けどまあ、元々ドラゴン退治なんてやるつもりもなかったんだろけどな」
男はその浅黒い顔を更にアレクの耳元へと近づけた。
「メイドの奴隷女と小せえお嬢ちゃん引き連れてのピクニック気分じゃあ、ドラゴンじゃなくてせいぜいウサピー辺りがお似合いだぜ。まずはそっちを頑張ろうか、ウサピー狩りの冒険者くん」
ヘラヘラと笑いながら、男はアレクの肩をバンバンと叩いた。
そんな男の後頭部を、アレクがゴツい手でガシリと掴む。
それから、ずいんと立ち上がる。
「まったくまどろっこしいヤツだった。ようやくわかったぞ。キサマは俺に喧嘩をふっかけたかったのだなっ」
――ゴンバギャっ
激しい衝突音とともに、丸いテーブルが真っ二つになった。
アレクが掴む浅黒の男の頭ごと、そこに叩きつけた結果だった。
よって、辺りには料理や酒や食器――テーブルの上にあったすべての物が軽快に散乱した。
また、このような事態を察していたらしいエリは、ココアの手をそっと引っ張るとすんでのところで避難した模様。
「モンスター比べはわかりやすくて良かったが、赤子相手ですら逃げ出すウサピーの狩りなんぞ、どう考えてもクサコのほうがお似合いに決まっているだろっ。それすらもわからんわからず屋めがっ」
気を失いぐったりと倒れ込む男へ向け、アレクが言い捨てる。
そして、やはりと言えばやはり。
――これが、騒動の引き金だった。
まずは、浅黒の男の連れがアレクに殴りかかった。
仲間の仇討ちとばかりのそれは、他のテーブルの客たちを巻き添えにした。
加えて、店の客層が冒険者で占められていたのも大きかっただろうか。
荒事に馴れた者達は、動じることもなく仲裁に入る。
中にはより騒ぎを楽しむように喧嘩に混ぜろと声を上げる者までいたが、こうした積極的な行動が騒動に拍車をかけた。
近寄る者すべてを、ところ構わずアレクがぶっ飛ばしてゆくのだからそうなってしまう。
興奮した男達の絶えない怒号。
主役のアレクを取り囲む客達がわーわーと盛り上がる。
居合わせていた客同士の乱闘も勃発。
食べ物が飛び交い散らかる店内では料理や皿はむろんのこと、テーブルや椅子の備品も宙を舞う。
それはそれは、てんやわんやの状態となっていた。
「ふーどふぁいとだー。きゃはは、逃げろおー」
降ってくる料理にひょいと身を翻せば、ココアがテーブルの下や客達の合間を上手に縫って駆ける。
その後を追って、すみませんすみませんと頭を下げながらにエリ。
「待ってっ、ココアちゃん。危ないから、そっちは危ないから~」
ふえ~ん、と今にも泣きそうな顔でドタバタと店内を駆けるのであった――。
大陸辞典:「古代遺跡シシャモ」
神のゆりかごとも呼ばれるふっる~い遺跡。
建造物などのほとんどが風化して原型を留めていない。
それでも、この地から発見された「リトグラフ」により神の加護が解明されることとなった。




